外伝-002話 帝国史上初の内乱・三二一年クラウスの乱について
▼内乱勃発
帝国暦三二一年、地球帝国は第八代皇帝エドワードⅠ世の御世となって六年。この年は帝国で大規模な内乱が発生した年でもある。
『領邦は本国の
マルティフローラ大公クラウス・フォン・マルティフローラ・カイザーリングの
檄文にもあったように、地球帝国第八代皇帝エドワードⅠ世の御世においては帝国中央政府の財務省が領邦の税制にも大きく関与していたことが本国への不信につながっていた。
領邦が独自に行なう事業へ対する領邦交付金の配分も中央政府財務省の意向が大きく働き、領邦予算編成への干渉は大は惑星開拓、小は領邦政府施設の改修にまで及び、領邦政府を無視するかのごとき財務省に対する反感は高まり続けていた。
しかしながら、これは建前であり、当時帝国中央政府が画策していた領邦再編成計画、マルティフローラ、コノフェール、フリザンテーマの三領邦をさらに分割して新たに領邦を整備することに対する反感から生起したものとする研究者もおり、特にオックスフォード大学政治学部教授のフロムヘル・バークシュピッツェ博士の研究が支持されているものの、帝国の公式見解ではない。
ともあれ、三ヶ国の領邦軍が決起し、本国へ侵攻したことは事実である。これは三二一年三月五日八時ちょうどのことであり、これはエドワードⅠ世の誕生日でもあった。エドワードⅠ世は誕生日の園遊会や祝宴をすべて取りやめなければならず、自身の最後の誕生日園遊会を行なうことが出来なかったことになる。
叛乱軍討伐にあたったのは帝国中央軍および近衛軍、叛乱に参加しなかったヴィシーニャ候国領邦軍。ジョージⅡ世の御世に整備された各軍管区の駐留艦隊は辺境防備を固めること、またリンデンバウム伯国領邦軍および自治共和国の防衛軍も自国領域の防衛に専念することとされた。
これは中央政府が各軍管区と自治共和国の軍隊が大公派について蜂起することを恐れての措置だったと、叛乱終結後三〇年を経て公開された機密文書で明らかにされた。また、リンデンバウム伯国はマルティフローラ大公国の中にある性質上、長く持ちこたえられないと考えられてきたが、自国領域の防衛に専念させれば長期の持久が可能だと後に判明する。
それでも中央軍と近衛軍、ヴィシーニャ候国領邦軍を併せれば総兵力五〇〇隻を超える大艦隊と、三〇万人の陸戦兵力、五〇〇〇機の航空戦力を有しており、これは叛乱軍の五倍にも達した。
『我が治世において叛乱を生じせしめたことは誠に遺憾。我が命に替えても叛乱を鎮めることとする。全軍一丸となり討伐に勤めること』
勅令を出すだけでなく、自ら鎮圧に乗り出したエドワードⅠ世は近衛艦隊旗艦インコンパラブルに座乗して艦隊総司令部を置き、討伐軍を率いた。戦力的にも優勢であるし、義は皇帝にありと見る臣民も多い中、短期間での討伐に確信を持っていた皇帝は叛乱を鎮圧することで、まだ若く、軍歴も浅かった自身へ向けられる帝国臣民の信頼を上げるために取った行動だったとも伝えられる。しかし、これが裏目に出ることはこの時点では誰も予想だにしなかった。
▼叛乱軍の快進撃
三二一年三月六日にリンデンバウム伯国との交信が途絶。立地上マルティフローラ大公国領邦軍による通信妨害、および首都星アミーキティアの陥落などが推定されたが、この時点では理由は不明だった。
同年三月七日には、帝国本国外縁部に達した叛乱軍が討伐軍と砲火を交えた恒星メブスタ近傍宙域における第一次メブスタ沖会戦にはじまり、本国外縁、第一防衛線である半径一〇〇〇光年の宙域、恒星リゲルを基準とする通称リゲルラインでの戦闘が激化した。
同年三月二〇日には、討伐軍と叛乱軍の主力艦隊が恒星レサトとシャウラの中間宙域で激突したが、この際に討伐軍を凶事が襲う。
皇帝率いる討伐軍は左翼をヴィシーニャ候国領邦軍、右翼は第二艦隊、中央を近衛艦隊で構成する鶴翼陣に展開していた。皇帝座乗の総旗艦インコンパラブルは陣形のほぼ中央に位置していたのだが、叛乱軍による艦隊両翼への攻撃により、一時的に総旗艦を含む中央部が著しく突出するタイミングがあった。これを見逃さずに動いた叛乱軍の集中砲火によりあえなく総旗艦は撃沈され、皇帝戦死という異例の事態を招くこととなった。
これは討伐軍の士気を著しく損ね、また帝国艦隊司令長官のブライアン・グラッドストン元帥と参謀長ミシェル・イマオカ中将が艦隊総司令部と共に総旗艦の撃沈に巻き込まれたため、指揮系統が大混乱に陥った。
さらに凶報は続く。討伐軍主力艦隊中央部隊の後退援護に入った右翼の第二艦隊が叛乱軍の突撃を受け、旗艦マグニフィセントが轟沈。リスト・ティッキネン第二艦隊司令長官と司令部員全員が戦死。しかしながら第二艦隊は各戦隊の判断で被害を最小限にしつつ、味方艦隊の撤退を援護して撤収した。
後にレサト-シャウラ中間宙域会戦と呼ばれる戦いでの叛乱軍の大戦果は、自らもかつて帝国軍東部方面軍第八艦隊司令長官として辣腕を振るっていた経歴を持つクラウス=バルタザール大公の卓越した指揮統率力と、マルティフローラ大公国およびフリザンテーマ公国領邦軍の練度の高さの賜物で、討伐軍は翻弄されつづけてこのあとも後退に後退を重ねた。
討伐軍を押し込み続けた叛乱軍だったが、もちろん得られたのは勝利だけではない。
討伐軍主力艦隊が大打撃を受けている頃、討伐軍第三艦隊はコノフェール候国領邦軍を相手に激戦を繰り広げメブスタ方面に釘付けにしていたばかりか、攻勢に出て候国領邦軍を押し返していた。特に三月二三日の第五次メブスタ沖会戦においてコノフェール候国領邦軍は実に半数を喪う大損害を被り撤退、以降目立った動きを取れなくなる。
第三艦隊はこれをもって警戒部隊のみをメブスタ方面に残置して本国を経由し、主力艦隊と合流した。
三月三〇日までに帝国本国の第三防衛線であるシリウスラインまで叛乱軍主力は到達。第四次防衛線であるカイパーベルトライン、第五防衛線の木星軌道到達まであとわずかと見られた。
本国では皇帝戦死による混乱に、叛乱軍の侵攻が拍車を掛けており、植民惑星ではより中央に近い地域へ避難しようと住民が宇宙港に殺到する地域もあり、混乱に乗じた暴動なども多発していた。
しかし、これらは速やかに各惑星の警察、星系自治省治安維持軍により鎮圧、整理されていった。
後に、この暴動の背後にヴィシャフラなど辺境惑星連合の息が掛かったテロ組織が関連していることが判明するが、詳細については割愛する。
ともあれ、シリウスラインでの戦闘は熾烈を極めていた。
▼討伐軍の反撃
『帝国艦隊の、第二艦隊の意地を見せろ!
『第三艦隊の名誉に賭けてシリウスラインを死守する! 各員の奮励努力を期待する!』
四月に入ると討伐軍も皇帝戦死の衝撃と混乱から立て直し、ジョージ・リチャード・ケージントン中将が司令官代理を務める再編第二艦隊、フィロメナ・アルテナ大将率いる第三艦隊、それに皇帝を守り切れなかった
これは叛乱軍も短期決戦を企図していたのと、必要とされる陸戦兵力を確保できなかったことから侵攻ルート上の帝国軍拠点などを占拠せずに砲爆撃で無力化したに止めていたため、橋頭堡の確保をしていなかったことも影響している。元々領内警備を主任務とする領邦軍には後方支援能力が不足しており、長期間攻勢を維持するのは困難だった。
さらに最終防衛線とされた低軌道リング駐留の第一艦隊は、平時の練習艦隊としての姿を捨てて新造艦、退役して保管されていた予備艦を再整備して編入し、予備役を招集して急造の実戦艦隊となった。これは戦死したグラッドストン帝国艦隊司令長官の後任である
討伐軍の再編が完了するころ、本国にも吉報がもたらされた。
三月に叛乱軍が決起すると同時に情勢不明となっていたマルティフローラ大公国領内に位置するリンデンバウム伯国と、実に一ヶ月ぶりに通信が再開されたのだった。リンデンバウム伯国領邦軍は元々極めて儀礼的な存在で、戦艦二隻、巡洋艦四隻のほかは防空師団や陸戦隊など二万名を抱えるのみだった。
しかし、マルティフローラ大公国領邦軍は帝国軍との戦いが長期化するにつれて、領内に残置していた部隊も前線へ動員しており、これによりリンデンバウム伯国領邦軍が周辺宙域の管制を回復した形になる。
また、これによりリンデンバウム伯国から見たマルティフローラ大公国の窮状も本国により正確な形で伝わり、この後の戦闘や終戦工作に大きく寄与することになる。
四月から五月にかけては国境宙域での一進一退が繰り広げられていたが、帝都では新たな動きがあった。
▼政治的解決の模索
『軍人だけで叛乱は鎮圧できない。軍事的に優勢なうちに妥協点を探らねば』
『税制への不満が叛乱の火種となっているのだから、それを改めるのは当然の事。しかし叛乱を許すわけにはいかない。今年中にケリを付ける』
そう言って皇帝戦死後の帝国を纏め上げていたのは帝国本国政府首相チェニサ・モンロェと、ヴィシーニャ候国領邦政府首相であり、候国領主代行として皇統会議首座となったジブリール・イブラヒム・アル=ムバラク皇統侯爵だった。
特にジブリール候はエドワードⅠ世の勅命で開戦当初から終戦工作に奔走し、叛乱を起こした領邦政府と水面下で交渉を進めてきた。この時点で、領邦政府には三名の領主を切り捨てれば穏便な処置を取ることが伝えられていた。
ここに来て、皇統会議が召集され、領邦で叛乱に参加しなかったヴィシーニャ侯爵ジブリール、リンデンバウム伯爵の代理人であるムルエ宮内大臣、皇統から臨時に皇統会議の席を与えられたロストフ公爵、ギムレット公爵、ラングロワ伯爵、ウォルシュー伯爵により皇統典範第三九条に基づきマルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵ら叛乱軍首脳部とこれに加担した皇統貴族を除名した上で、皇帝選挙を実施。事実上の信任投票として、帝国第九代皇帝ジブリールⅠ世が戴冠した。五月二三日のことである。
戦時下でもあり豪奢な戴冠式など行なう間もなく、事務的に書類にサインするだけに留めたジブリールⅠ世は、叛乱鎮圧、領邦税制および財政の独立性の保証、国税改革を進めることとした上で、叛乱を鎮圧後、その処罰として領邦領主や司令官級の軍人に対して処罰を加え、三領邦の領地を分割再編成し、新たな領邦を作ると宣言した。
こうなると困るのが決起した叛乱軍の頭目である三領主だった。決起の旗印にしていた税制による領邦への不当な干渉を取りやめると言われたのだから、これ以上の戦闘行為が無意味ということになるだけでなく、叛乱行動そのものが領邦再編計画のための正当性に使われてしまった。
しかもマルティフローラ大公国、フリザンテーマ公国、コノフェール候国の領邦政府とジブリールⅠ世は交渉していることを極秘にして、領主には知らせていなかった。領邦政府が公然と領主に対して手を翻し、領邦自治法に基づいた領主解任誓願権を用いて皇帝に現領主の解任を要求、さらには政府独自に本国と和平を結んでしまい、叛乱軍は空中分解してしまう。半数以上の戦力を失った各領邦領主は、残存勢力を率いて領地へと撤退した。
これらは徹底抗戦の構えを見せたため、帝国中央政府の統制に復帰した領邦軍を加えた討伐軍との間で、小さいが悲惨な惑星強襲上陸戦も含む戦闘が勃発した。
このいきさつが先述のバークシュピッツェ博士の論に強い説得力を与えている。
ともかく、叛乱軍側領主三名、皇統貴族四九〇名、高級軍人六三二九名の拘束が完了し、すべての戦闘が終結したのは翌年三二二年に持ち越し、奇しくも先帝エドワードⅠ世の誕生日だった三月五日となる。
帝国艦隊司令長官から皇帝に叛乱鎮圧の復命が行なわれて、帝国最初の内乱は幕を閉じた。
▼戦後処置
帝国暦三二二年三月九日一〇時〇〇分からライヒェンバッハ宮殿椿の間にて、叛乱軍に対する処置が御前会議の形式で決定された。
叛乱首謀者であるマルティフローラ大公クラウスは、史上初の内乱罪および皇帝叛逆罪により死刑。カイザーリング家の家督は大公の次女である当時一二歳のエルヴィラが相続し、後見人としてカイザーリング家の縁戚で、叛乱には参加していなかったヨアヒム・フォン・ホーエンツォレルン皇統侯爵をつけた上で爵位は伯爵に格下げ。リンデンバウム伯爵ノルトハウゼン家と入れ替わりにリンデンバウム伯爵へ
フリザンテーマ公爵ウリヤノフ家は、領主パーヴェル・パヴロヴィチ・ウリヤノフは死刑。ウリヤノフ家は皇統子爵へと降格。新たにフリザンテーマ公爵にロストフ皇統公爵家を充てた。
そしてコノフェール侯国スペンサー家領主ウィリアムは死刑は免れるもスペンサー家は爵位剥奪ならびに財産没収。新たにコノフェール侯爵にラングロワ皇統伯爵が侯爵となって継承。
領邦軍関係者などに多数の死刑、もしくは無期禁固刑が科せられて、叛乱の仕置きは完了した。
また、マルティフローラ大公に同調した皇統貴族四九〇名も全員が爵位剥奪、財産没収を実施し、叛乱への関与の度合いに応じて死刑、無期禁固刑が課せられた。
▼帝国中興の祖
『疲弊した帝国を立て直すのが私の役目であり、財務省官僚の下らないプライドなど
ジブリールⅠ世は常に冷静沈着な人物で、大声を出して他人を怒鳴りつけたのは生涯で二回だけと伝えられている。一回は幼少期に自分のおもちゃを取り上げたメイドに対して、これは当人が父親にこっぴどく叱られ、メイドに謝罪したと伝わる。
そして二度目が財務大臣ならびに財務省幹部を呼び出して詰問した際の事。当時の財務省は国家予算の配分決定権と徴税権を持ち、帝国全体の財政をコントロールする立場にあった。
財務官僚の中には『皇帝も領主も自治政府もお飾り。我々こそ帝国を動かしているのだ』と
ジブリールⅠ世は財務大臣
一連の更迭騒動は中央政府も容認しており、皇帝大権による議会への干渉は最小限とされ、帝国議会での議論や財務省の組織改編を経て財務省の権限のうち徴税権を分離して国税省を設置した。これにより財務省の力を削ぎ、かつ国税省には領邦政府の自立性を妨げないように、国税省設置法では
ジブリールⅠ世はもう一つの公約だった領邦再整備計画にも乗り出す。帝国暦三二四年のことである。
ここまで短期間に精力的な動きが取れたのは、ジブリールⅠ世が自らの政務を補佐させるために登用した帝国宰相の力も大きい。帝国宰相は皇帝直属の政務スタッフであり、ジブリールⅠ世の場合は二人目の宰相、グエン・シー・タモンが領邦再編計画の重責を担った。
グエンは皇帝と各官公庁、領邦政府の間を取り持つと共に、叛乱を起こした三領邦の領土のうち、マルティフローラ大公国とフリザンテーマ公国は東部軍管区に接する部分を割譲、再編したパイ=スリーヴァ=バムブーク候国、フリザンテーマ公国はさらにコノフェール候国と共に西部軍管区に接する部分を分割され、これがヴィオーラ伯国となった。
なお、この際にマルティフローラ大公国領の一部がヴィシーニャ候国に割譲され、帝国本国宙域へ通じる広大な回廊宙域を形成した。
これらの仕置きと並行して、帝国の停滞した経済活動や辺境開発へのテコ入れが功を奏し、ジブリールⅠ世を帝国中興の祖として評価することが現代の主流な学説である。
ただし、領邦再編成が完了したのは三三〇年の初頭だが、これ以降も内乱で受けたダメージや各地の政情不安から完全に立ち直るのはジブリールⅠ世の崩御を経てクラウディアⅠ世の御世となってからのことである。
帝国における初の内乱は甚大な犠牲を出したものの、ここから二五〇年に渡り、帝国で大規模な内乱は起きていない。筆者の私意ではあるが、今後このような内乱が起きないことを切に祈ることとして、この章の結びとする。
(アウル・ゲルミル・サコミズ. 無知を誇るな!地球帝国史をイチから叩き込む. 櫻嵐社,584,432)
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