第42話-① 自裁の栄誉

 五月一〇日

 〇九時五五分

 ライヒェンバッハ宮殿

 樫の間


「陛下、椿の間に一同揃っております。そろそろご準備を」

「そう……憂鬱ね」

「はっ。しかし早めに済ませませんと」

「わかってるわよ」


 この日、皇帝は不機嫌だった。マルティフローラ大公ら先の戒厳令や永田文書に関わる犯罪行為などについて裁決を下す御前会議を行なうこととなっていた。柳井に促され、皇帝は大儀そうにマントを羽織り、樫の間を出た。



 一〇時〇〇分

 椿つばきの間


 宮殿にいくつか設けられた会議室のなかでも、椿の間は皇統会議や皇帝が各種の報告を直接政府や軍部から受ける際に使用される。柳井が帝国宰相に就任して五日しか経っていないが、関係各所の聴取が完了したことを受けて、メアリーⅠ世の治世において初めて皇帝臨御の御前会議が開かれた。


 出席者は皇帝メアリーⅠ世、帝国宰相の柳井皇統伯爵、ヴァルナフスカヤ宮内大臣をはじめ、パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵オスカー、ウォルシュー前ヴィオーラ公爵、ヴィシーニャ侯爵アブダラ、リンデンバウム伯爵グレータ、ピヴォワーヌ伯爵オデットら領邦領主。


 これに加えて統合参謀本部長富士宮皇統公爵、主計本部長桂木皇統伯爵、内務省政策統括官シェルメルホルン皇統伯爵を特例で参加させている。これはマルティフローラ大公らを出席させない分の穴埋めでもあるが、領邦領主以外の皇統や軍関係者の処分も今回の議題となるためだ。また、この機会に帝国の国防方針を決する必要もあった。


「それでは御前会議に入ります。私は帝国宰相皇統伯爵、柳井義久。異例のことではありますが、陛下の思し召しにより今回の会議では進行を務めます。至らぬ点などありますれば、お叱りいただければ幸いです」


 まずは先の動乱における首謀者、マルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵の処分について話し合われた。


「まずはウォルシュー公爵、どうお考えかお聞かせ願えますか」


 前ヴィオーラ公爵の年齢の割に無邪気にさえ見える笑顔は消え去り、人口二〇〇〇億人を超えるヴィオーラ伯国、現在は公国を統治していた領主としての表情が浮かんでいた。


「当人の爵位は剥奪するのが筋でしょうね。前例で言えばノルトハウゼン家、ロストフ家、ラングロワ家については格下げか剥奪が相応しいが……ヴィシーニャ候、どう思う」


 その彼女も歯切れの悪い言葉を一度切ってから、ヴィシーニャ侯爵に問う。


「私は三名の首謀者自身の爵位格下げ、剥奪が妥当な処分と考えます。しかしながら、三家も格下げして領邦領主家から外せば、後任を見つけるのに一苦労です。各領主家爵位継承者に皇宮警察および関係機関による聴取、および調査を行ない、問題が無ければ継がせるのが最善かと」

 

 ヴィシーニャ侯爵はメアリーⅠ世の側にもマルティフローラ大公の側にもついていないので中立の意見ではあった。


 領邦経営は単に皇帝の代理人としてそこに座っていればいい仕事ではない。地球から数千光年離れた領邦の全権を預かり、領邦全体を見て最終的にあらゆる決裁を下す役目を持った皇帝に次ぐ権力者と言っても過言ではない。


 領邦の規模拡大の為には政治、経済、そして軍事的な知識や才覚もある程度必要になる。最悪でもそれらの専門家の意見を取り上げる目が必要だ。そして領邦に住む帝国臣民に支持される人柄もなくてはならない要素めある。皇帝にしても領邦領主から選ばれる以上、その能力を兼ね備えてしかるべきだし、メアリーⅠ世が散々こき下ろしてきた前コノフェール侯爵や前フリザンテーマ公爵にしても、領邦の経済成長や人口増加率、支持率は決して低いものではなかった。


 彼らになかったのは遵法精神である。


 皇統、特に領邦領主が血縁による相続になってしまったのも、幼い頃から領邦領主のなんたるかを叩き込まれた皇統と、民間人や軍人、官僚から登用した皇統の間に能力差があることに起因する。


「バムブーク侯爵は異存ありませんか?」

「私は陛下の蜂起に合わせて領邦軍を供出している当事者だ。ヴィシーニャ候と前ヴィオーラ公の意見に賛同するのみ」

「ピヴォワーヌ伯爵はどうです?」

「バムブーク侯爵と同じだ……当人達の処分はどうする?」


 ピヴォワーヌ伯爵に問い返され、柳井は少し考えた。


「とりあえずは裁判が必要にはなるでしょうが……」


 領邦領主の意見は大体統一されているが、もう少し突っ込んだ意見が欲しかった柳井は、円卓の対面に座るシェルメルホルン伯爵に目配せをした。柳井の目線に気付いたシェルメルホルンは、微笑を浮かべて、口を開いた。


「裁判? 必要ですか?」

「どういう意味ですか? シェルメルホルン伯」


 思いのほか、彼女の声は椿の間に大きく響いた。虚を突かれたような領主達を差し置いて、柳井はシェルメルホルン伯に問い返す。いささか芝居がかっていたようにも柳井自身は思ったが、とりあえずそこまで不自然ではなかったようだと安堵していた。


「裁判などせず即刻死刑にせよ、と言っているのです」


 シェルメルホルン伯爵の言葉に、椿の間の一同が凍り付いた。ここまで発言を控えていた皇帝の反応をチラリと伺う柳井だったが、皇帝は無表情だった。


「三二一年の内乱において、首謀者であったマルティフローラ大公クラウスは死をたまわり、カイザーリング大公家は伯爵に格下げの上でリンデンバウム伯へと転封てんぽう。当時のフリザンテーマ公爵パーヴェルは死刑、ウリヤノフ家は皇統子爵へ降格してロストフ公爵家に席を譲りましたし、コノフェール侯爵ウィリアムは死刑こそ免れましたが格下げの上で財産没収、スペンサー家もラングロワ侯爵家に領主の座を譲りました。三領邦の領主の死刑、領主家の交替は避けられぬものと考えますが」


 シェルメルホルン伯の出した事例は帝国で初めて起きた大規模内乱である、三二一年の乱、別名クラウスの乱における仕置きだった。柳井はもちろん、会議の出席者も全員その事例は承知していた。


「皇統による国家の私物化などあってはならぬこと。ここは厳罰を以て臨むことが肝要です」

「しかしシェルメルホルン伯、三二一年の場合はエドワードⅠ世を戦場で討っている。今回はどちらの勢力も陛下に危害を加えたわけではない。まあ、その時点で既に崩御されていたからだが……」

「出過ぎたことを申しました。ただ、彼ら三名の犯した罪状を考えれば、死刑は避けられないものと、愚考する次第です」


 ヴィシーニャ侯爵の指摘に、シェルメルホルン伯爵は頭を下げつつも反論した。シェルメルホルン皇統伯爵はマルティフローラ大公からも覚えめでたい若手の皇統だったと言うが、こういう強硬意見が言えるところも関係していたのかもしれない。


 実のところ柳井はここまでシェルメルホルンが踏み込んでくれるとは思っていなかった。裁判を受ける権利は帝国憲法の保障するところだが、内乱罪を適用すれば即死刑は不可能ではない法的立て付けになってはいた。


 帝国法における内乱は、国家統治機構を破壊、またはその領土内の国権を排除して権力を行使し、その他憲法や帝国法の定める帝国における基本秩序を破壊することを目的として行動することを指す。


 今回の場合、戒厳令発令と全権委任法を帝国議会に通してマルティフローラ大公は権力を掌握したのだから、本来はこれを適用できない。


 しかしながら、摂政の立場でありながら帝国の正当な統治者である皇帝を定める皇帝選挙を回避し、戒厳令を自分の政治的目的で利用したとするならば、国家統治機構の破壊、基本秩序の破壊を名目に、内乱罪を適用できると柳井は考えていた。


「リンデンバウム伯、いかがでしょう」


 柳井は一通りの意見が出たところで、ここまで発言がない一人の皇統に話を振った。


 現在リンデンバウム伯は先帝バルタザールⅢ世の長女グレータ・フォン・リンデンバウム・カイザーリングが継承している。未だ喪服のままで皇統会議に招集してしまった点は、急を要するとは言え柳井もメアリーⅠ世もやや後ろめたいところがあった。帝国全体としての服喪は終えたものの、彼女にとっては父親の死からまだ二ヶ月も経っていない。


「此度の騒乱は、陛下と大公お二人の私戦と言ってもいい。摂政の身でありながら皇帝大権を悪用したマルティフローラ大公の責任は大なれど、陛下もマルティフローラ大公との政治的解決を目指すべきだったかと」


 公然と皇帝批判が行なわれたが、元々帝国皇統会議は皇帝への批判も行なわれる。ただの絶対権力者ではないのが地球帝国皇帝という存在だった。


「私もその点は先帝陛下に対して示しが付かないと深く恥じ入るところ。ご息女であるあなたにも謝罪する」


 皇帝は率直に謝罪を述べた。


「対立する相手とはいえ、もう少し穏便に出来ていればと考えないでもない。ただ、先に正当な理由無く戒厳令を敷き、皇帝選挙を無期延期し、権力を掌握したのは大公側というのは承知してもらいたいところね」

「出過ぎたことを申しました。マルティフローラ大公らの仕置きについては、シェルメルホルン伯の言われる通りかと」


 リンデンバウム伯爵の言葉が終わると共に、柳井が国税省から提出された文書をモニターに表示させた。


「永田文書の裏付けもほぼ完了し、事件の全容が明らかとなっています。これだけの国費を不正に使用し、そのほかの罪も枚挙にいとまがないのですから、極刑もやむを得ないかと。付け加えるなら、現在領邦政府内にもこれらの犯罪について関与したものが多数おり、関係各所が検挙、聴取を行なっているところです」


 柳井の言葉に全員が頷いた。

 

「不正使用された国庫金については財務省から提案がきております。首謀者の個人資産は領主家の公邸と最低限のもの以外は没収し、中央からの領邦交付金のうち一定割合を国庫への返済金に充て、今後一〇年で帳尻を合わせてはどうかとのことです」

「よしなに」


 一括返済できる額ではない。分割するしかないと皇帝も納得していた。


「富士宮公爵、桂木伯爵、ご意見はありますでしょうか?」


 国庫金の処置は簡単に決まった。柳井は会議室を見渡し、ここまで発言がない軍部の二人に発言を求めた。


「我々は見届け人のようなものです。領主の方々のご意見、ごもっともと考えます」


 富士宮皇統公爵は統合参謀本部長として先の動乱についてほぼ為すところ無く拘束されたので、あまり積極的に意見を出すことは避けた。本来ならば大公の法的根拠がない帝国軍運用について制止するべき立場だった。


「大公らの処遇については領邦領主の皇統の方々にお任せしますが……私見を述べるのなら、私は大公に付き従った領邦軍トップくらいは、きちんと処罰すべきと考えますが」


 桂木皇統伯爵は富士宮公爵の立場を慮って、もう少し踏み込んだ意見を出した。


「高級軍人の処分はこの後まとめて考えましょう。今はまず、三領主の処分を……」


 本筋から逸れはじめたことを察した柳井は、話題を大公らの処分に議題を戻した。


「死刑と簡単に言いますが、これを何を持って言い渡すかです」


 マルティフローラ大公らが犯した犯罪も、一般の犯罪者同様に弁護人を付けて裁判を行うことは可能だった。しかし、今回の一連のマルティフローラ大公らの不正はあまりに罪状が多い。法務省提出の想定される犯罪行為の一覧だけ見ても、まともに裁判をしている間に被告人が老衰してしまう恐れがあった。


「内乱罪が妥当でしょう」


 シェルメルホルン伯爵の言葉に全員が頷いた。


「証拠は十分ですが、私も陛下も当時は叛乱軍として立った側。ヴィシーニャ候、どうお考えでしょう」

「伯爵の言が妥当なところでしょう。幕引きは可能な限り早いほうがいい」

「宮内大臣、どうですか?」


 柳井の問いかけに宮内大臣も頷いたが、付け加えるなら、と言葉を続ける。


「前大公には自裁をお勧めすべきかと」

「自裁、ですか?」


 自裁、つまり自らの命を自らの手で断てというのだから、柳井は少しだけ狼狽えた。


「仮にも大公の地位にある者を絞首台に上らせたり、銃殺するのも衝撃が大きかろうと思いますが」


 確かにそれもそうだ、宮内大臣の言葉に、椿の間の一同は納得した。さらに大臣は続ける。


「マルティフローラ大公の言う賊徒殲滅、領域拡大方針は去年の世論調査では四割の支持を得ていました。大公がいかに犯罪に及んでいたとしても、その方針そのものの支持は変わりないはず。大公を死刑にするのはあまりに刺激が大きすぎます」

「新たな動乱の火種になりかねない、ですか……ここまでの結論としては……」


 柳井はこれまでの議論の結果を簡単に手元の端末で記録していたが、読み上げるのには若干の勇気が必要だった。


「マルティフローラ大公フレデリク、フリザンテーマ公爵アレクサンドル、コノフェール侯爵フィリベールの爵位を、本日付で剥奪する。


 マルティフローラ大公は動乱の首謀者であり死を賜ること。ただし事前に自裁をお勧めする。

 

 フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵フィリベールについては内乱罪における謀議参与者として裁判の後、無期禁固が妥当。可能な限り早い結審を目指すこと。


 各領邦領主家の継承については、関係当局調査の結果次第では、爵位継承順位に従い継承させる。もし疑義がある場合、もしくは適当な後継者がいなければ領主家の置き換えも検討。


 マルティフローラ、フリザンテーマ、コノフェールの三領邦については領邦政府首相に当面の間、領邦領主代行を命じる。


 三領邦による国庫資金不正流用の返還については、一〇年を目処に完済させること。これには領邦交付金から一定割合での償還、三領主の個人資産などをもって行なうこととする。


 国庫資金不正使用等、犯罪を実行、荷担した皇統は関係当局の聴取に応じることと、罪の大きさに応じて処分を下す。これは宮内省が中心となり、関係当局と綿密に連携を取り行なう。爵位取り消しについては一定程度の捜査進捗後、まとめて行なう」


 柳井の総括のあと、そこからしばらくの間細かい話が続いた。


「宰相閣下、重要な点が一つ」


 議論が一段落した段階で、宮内大臣が発言を求めた。


「なんでしょう、宮内大臣」

「マルティフローラ大公国ですが、ノルトハウゼン家の爵位継承順位一位は来月一歳になるリーヌス・ノルトハウゼンしかおりません。奥方は出産時に死亡とあります」


 柳井はかつて大公別邸で見た赤子の姿を思い出した。リーヌスにとって、自分は親殺しの仇となるのではないかと一瞬だけ考えたが、すぐにその考えを振り払った。すでに柳井は叛乱軍参謀総長として何千人もの戦死者の遺族の仇でもある。皇帝も演説したように、自らも憎しみを受け止める覚悟は持たなければならない立場だと、柳井は覚悟を新たにした。


「成人している関係者はいないんですか?」

「大公のご両親である先代、先々代のマルティフローラ大公はすでに亡くなられています。妹は四年前に戦死、いとこのマティウス・フォン・フラウンホーファー皇統伯爵は、国庫金不正流用に関与していることを認めております」


 この事例を見るまでもなく、マルティフローラ大公国、フリザンテーマ公国、コノフェール候国の領主後継者選定は難航することが予想された。血統にのみ正当性を見出すものでもないが、領主家とその一族が領邦経営の知識と経験が豊富なのは帝国五〇〇年以上の歴史において明らかだ。


 むしろ、リーヌス・フォン・マルティフローラは各種犯罪に関与しているはずもなく、マルティフローラ大公国の後継者としては最適とさえ言えた。


「では、リーヌス殿に後見人を付けるのが一番穏便ですか」


 柳井の言葉に宮内大臣はその通り、とばかりに頷いた。


「人選は宰相と宮内大臣に任せる」

「はっ」


 返事をしつつ、また悩ましい問題を押しつけられたと柳井は溜息を吐きたくなったが自重した。


「では、これをもって三領主の処分について決定としますが、よろしいでしょうか?」


 沈黙を持って賛成・了承と為すのが皇統会議の風習である。


「では、一度休息を入れましょう。会議の再開は――」


 柳井の言葉に全員がホッとした様子で息をついた。誰も好き好んで他人の命を奪う決断をしているわけではないのだ。一方柳井は腕時計を見て驚いた。すでに時計の針は一二時を差そうとしていた。


「昼食を挟み、一三時から、ということで。陛下、いかがでしょう」

「そうしましょう。せっかくなら皆と食事を共にしたい。アカシアの間に用意してあるわ」


 皇帝の誘いを断るものがこの部屋にいるとしたら、さっさと食堂で蕎麦でも平らげて午後の会議の準備をしようとしていた柳井くらいのものだった。


「閣下、どうされたので?」


 会議中、部屋の隅に控えていた宰相付侍従のジェラフスカヤが、柳井に声を掛けた。


「いや。蕎麦でも食いたい気分だったが、陛下とのランチを断るわけにもいかないか」

「当然です。午後の会議については我らで準備いたしますので、閣下はごゆっくりと昼食をお楽しみください」


 ジェラフスカヤに言われて、柳井は苦笑しつつ談笑しつつ移動する皇統達の列に加わった。

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