第42話-② 自裁の栄誉
一二時一五分
アカシアの間
深刻な議題を扱う御前会議の合間の昼食とはいえ、その雰囲気は和やかだった。
「それでは、宰相閣下は今お一人なのですね」
「まあ、そうですね」
ヴィシーニャ侯爵の言葉に、柳井はやや気まずそうに頷いた。
普段顔を合わせることがない領邦領主や高位の皇統の興味関心は、当然ながら新顔である柳井に集まる。柳井はサラリーマンでありながらピヴォワーヌ伯国の参謀総長代行や第二三九宙域総督などをこなし続けてきた異色の経歴を持つ皇統であり、普段から接しているメアリーⅠ世やピヴォワーヌ伯爵オデット以外の皇統からの質問攻めに遭っていた。
「あら? 宰相閣下ほどのお方を放っておくなんてもったいない」
ウォルシュー皇統公爵の言葉にも、柳井は苦笑いしながらはぐらかすように前菜のサラダを口に運んだ。
「私は仕事人間なもので、家庭を顧みる時間が少なかったものですから。帝国軍時代、そのあたりを痛感しまして……独り身なら、何かあっても私だけで被害が局限できますしね。ダメージコントロールです」
「艦艇勤務に入ると夫婦仲が悪くなるということは帝国軍人には多い。中々難しい問題ですな」
柳井の言葉に帝国軍主計本部長桂木皇統伯爵が頷いた。柳井は東部軍兵站本部時代に上官の娘と結婚したものの、生来のワーカーホリックぶりから夫婦生活はすれ違いの連続だった。今にして思えば己の未熟さが、家庭崩壊のもとだったと自省する柳井だった。
「再婚しない理由をダメージコントロールに
ピヴォワーヌ伯爵オデットの言葉に、柳井は肩をすくめて主菜のローストビーフに手を付けた。
「私みたいな美人の主君に仕えておいて、今更嫁なんていらないでしょ?」
同じくローストビーフを飲み込んでから、皇帝は意味ありげに柳井に微笑んだ。
「陛下……!」
臣下と皇帝が肉体関係にあるような誤解でもされたらどうするのかと、柳井は
「ともかく、課題は山積みです。特にマルティフローラ大公の後見人、これを誰に依頼するかです」
柳井は自分に集まる注目に居心地悪さを覚え、無理矢理話題を切り替えに掛かった。
「家格から言っても皇統公爵から侯爵の中で選ばねばなりません。年齢や閲歴識見を考慮すると、二〇人程度まで絞り込めるかと」
食中酒のワインを飲みながら、ヴァルナフスカヤ宮内大臣が答えた。
「それでも二〇人。大公国の領民にも納得がいく人選が可能ですか?」
「そうね……ある程度若く、育児もある程度理解があるものがいいわね。領邦経営についても一定以上の知識で助言が可能なことも条件かしら。私がやってもいいけど」
皇帝の追加注文に、柳井は頭を抱えたくなった。食中酒を飲み干してみては見たものの、そもそも柳井にはまだまだ帝国皇統社交界でのツテが不足していた。実は皇帝としては帝国史上誰もなしえなかった二つの領邦領主と帝国皇帝の兼任という記録を狙ってみるのも悪くないと考えていたのだが、言えば柳井が反対すると考えていたので、その点は口にしなかった。
「心当たりがあります。正し子爵ですが」
それを見越したかのように、シェルメルホルン伯爵が声を上げた。
「東部軍管区行政庁、経済産業局局長、アウレリア・カーヤ・フォン・ヴァイトリング皇統子爵。彼女に後見を頼んでみては」
昼食を取っていた一同がなるほどと頷いた。柳井のような軍事関係者でも聞いたことがある。東部軍管区の経済成長率を、五年前の着任後から右肩上がりに成長させてきた女傑と名高い官僚だ。
「行政庁の人事傾向から、そろそろ次のポストである行政庁次官あたりに昇進させる頃合いでしょう? 次官業務は不在時に代理を置けば済む話ですし、これを機に、領邦経営に関与させては? まだ四〇代も半ばですが三児の母で、ご長男は先年に帝大に主席合格だとか。ご子息は三人ともなかなか見込みがあります。爵位が足りぬと言うなら上げてしまえばよろしいのです。東部軍管区の経済成長は彼女の打ち出す経済政策によるところが大きいのです、皇統伯爵へのいい陞爵理由となるでしょう」
シェルメルホルン伯爵の説明に一同が頷いたのを確認して、柳井は皇帝に顔を向けた。皇帝は何も言わずに食事を続けていたので、同意したと柳井は判断した。
「伯爵、彼女とコンタクトは取れますか?」
「明日にでも。週明けにはご報告できるかと」
「分かりました、よろしく頼みます」
アカシアの間での昼食会はこのあとは特に問題なく進み、一三時の会議再開までは自由な会話が繰り広げられていた。皇帝は政務のため一時離席し、柳井は昼食後の気怠い時間を、窓際のソファに腰掛けて過ごしていた。
「いやはや、しかし宰相閣下も気苦労が絶えませんな」
休息を取る柳井に、富士宮公爵が声を掛けた。宮中席次では柳井が上とは言え、相手は皇統公爵かつ帝国軍最高位の統合参謀本部長。居住いを正した柳井だったが、公爵はにこやかに手で制して、自らも柳井の対面のソファにどっかりと腰を掛けた。
「まあ、私は常に利害調整を行なう側の人間でしたので……」
「民間企業の中間管理職も帝国宰相も変わらぬと。さすが陛下愛用の懐刀ですな」
帝国軍の兵站参謀から戦艦の副長、民間軍事企業の管理職、参謀総長、総督とこなしてきた柳井だが、これらはいずれも多数の部署や人間の要請、提案を集約して思考し、決定を下したり上層部と交渉する立場であり、その際は各部の利害が概ね一致するように考慮しなければならない。帝国宰相でもそれは同様だった。
「しかし、宰相閣下ほどの方がかつて東部軍兵站本部にいらしたとは。そのまま居ていただければ、東部軍の兵站はもう少し楽に回せたものを。惜しいことをしましたな、本部長」
柳井の軍歴は、半分以上は東部軍兵站本部の兵站参謀としてのものだが、実際のところその最期はあまり褒められたものではない。つまらない権力争いの余波に巻き込まれて艦隊勤務になった柳井は、乗艦が参加した作戦で、辺境惑星連合への亡命を望む民間人を乗せた貨客船を沈めようとした艦長に抗命したのだ。軍人としては最悪だ。
軍法会議において艦長の長年の勤務態度や職務怠慢と相殺する形で無罪を言い渡されたから書類上は円満に退役したことになってはいるものの、その記録は帝国軍人なら誰でも閲覧できる。公爵と伯爵がそれを知らないはずはないのだが、と、柳井は若干の負い目を感じていた。
「それもそうだな。しかし宰相として腕を振るわれるのなら、東部軍にその才能が閉じ込められるよりも帝国の国益に資するかもしれんぞ。桂木伯」
富士宮公爵は鷹揚に桂木伯爵に答えると、侍従が差し出した紅茶に口を付けた。公爵も伯爵も柳井の軍歴は把握していたが、実務家としての柳井の能力を極めて高く評価していた。
その後、しばらく三人で国防政策やら軍事上の課題などを話し合っている間に、会議再開の刻限となった。
一三時〇一分
椿の間
「会議を再開します。帝国各軍の処分についてですね。富士宮公爵、お願いできますか?」
「承知いたしました。それではこちらをご覧ください」
富士宮皇統公爵はそう言うと、会議室のモニターに資料を表示した。
「現在までに警務隊や憲兵艦隊より報告された、戒厳令下におけるマルティフローラ大公に協力し、統合参謀本部の命令に従わなかった部隊です」
とうの富士宮公爵自身も統合参謀本部長として大公を支持せず、政治闘争には加わらない姿勢を取っていた。そのため戒厳令中には拘束されていた。
「東西南北の方面軍は任地を離れておらず、統制が効いた状態だった模様です。東部方面軍のホーエンツォレルン元帥が各方面軍へ管区内の警戒のみ行い、本国への派出は行なわないように働きかけていたとのことで、方面軍は問題ありません」
しかし、と富士宮公爵が言葉を区切り、次の資料が表示された。柳井達も手元の端末でそれを見ている。
「問題は本国軍と領邦軍です。ピエラントーニ元帥はマルティフローラ大公からの要請で各鎮守府の艦隊を木星宙域に展開させ――メアリーⅠ世の率いる討伐軍と戦闘状態に入りました」
「富士宮公、無理にオブラートに包まなくてもいいわよ。私はあのとき叛乱軍を自称したのだから」
さすがに当代皇帝を叛乱軍扱いするのは憚られたのか、富士宮公爵はやや言いづらそうに説明を続けようとしたのだが、皇帝はあっさりと言ってのけた。
「いえその……そのようなわけには」
「陛下」
皇帝の他愛もないイタズラを、柳井が諫めた。
「はいはい……続けてちょうだい」
「ピエラントーニ元帥は木星圏での戦闘後、旗艦と共に叛乱軍側に投降しており、現在も身柄はガニメデ鎮守府にて保護されております」
「本人の弁明は?」
「沙汰をお待ちする、とだけ申しております。申し開きはせぬと」
「潔いわね……」
皇帝は呆れたように首を振った。いっそ責任をマルティフローラ大公にでも擦り付けて助命嘆願してくれたほうが処置がしやすかったからだ。
「桂木伯爵、どう思われます?」
「ピエラントーニ元帥は純粋な武人です。叛乱軍迎撃と命じられれば従うでしょう。しかし、前大公が戒厳令を敷いて皇帝選挙を無期限延期したことは気付いていた筈です」
「本意では無かったと?」
「その可能性は高いかと。ただ、陛下からの温情を期待しているような男ではありますまい」
桂木伯爵の言葉に、柳井はじめ、一同は頷いた。
「しかし本国軍は首根っこを前大公に捕まれた状態だった。陛下、本国軍の行動を掣肘できなかった責任はこの富士宮にもございます。どうか、ご
富士宮公爵が深々と頭を下げ、着席した。
「ピエラントーニ元帥だけでなく、降下揚陸兵団総監ヘンシェル・シュワルツコフ大将、軌道航空軍総監チェン・ルー大将、マルティフローラ大公国領邦軍艦隊参謀長ダニエル・カアナパリ中将から辞表が上がっておりますが……」
柳井も対応に迷ったが、皇帝はすでに対処を決めていた。
「富士宮、あなたの首を落とすほど私が無能に見えるかしら?」
「滅相もございません」
「本意では無かったのでしょう? 本国軍が全軍展開していたら私は負けていた。結局本国外郭防衛線の戦力を反転させて私達を背後から討つこともしなかった。ピエラントーニ達も最大限の抵抗を示していた証左でしょう。軍部内を調査して、永田文書に関わる不正があれば必要に応じて軍事法廷で裁いてちょうだい。それ以外の、私に立ち塞がっただけのものは処分不要。今後も軍人の責務を全うすること」
実際は叛乱軍による通信妨害で本国軍が機能不全に陥っていただけだが、その点を無視して司令長官による最後の抵抗とすることにして、丸く収めようという策だった。
「各軍の長の処置はいかがいたしましょう」
「辞めたいと言うなら止めはしないけど、後任の選定に問題はない?」
「はっ。元々ピエラントーニ元帥以下、各軍の長はバルタザールⅢ世陛下の崩御と同時に辞職するつもりでいたようです。いずれにせよ交替人員はすでに考えてあります。現在調整を進めておりますので、来週にはお伝えできるかと」
富士宮公爵の言葉に、皇帝は頷いて決定を下した。
「よろしい。各軍の長の辞任を許可する。長年の奉公ご苦労だったと伝えなさい。後任の人選は統合参謀本部に任せる。ピエラントーニ元帥については現時刻を以て拘束も解く。地球帰着次第、参内せよと伝えてちょうだい」
「ははっ」
敵対したとは言え皇帝自身にピエラントーニ元帥に対する憎しみなどはない。元々年齢のこともあり近日中に司令長官は交替が必要だった。
そのほか、戦死者への補償についても話し合われたが、法的根拠のない出動ということもあったので通常の手続きでの支払いが難しいことが桂木伯爵により説明された。これに対し、皇帝は特措法を立法し、支払いを行なうことを命じることとなる。
「本日もう一つの議題ですが――」
柳井は次の議題に移るために、モニターに新たな資料を映した。
「今後の帝国の国防方針についてです。本日軍部から富士宮公爵に来ていただいたのは、これも陛下の裁可を頂く必要があったからです。富士宮公爵、お願いします」
「はっ。現在、我が帝国はFPUの侵攻に対し、領域外縁部での水際防御と、万が一侵入を許した場合は各所の兵力による機動防御を併用しております。これを領域内部に引きずり込み、敵補給線を引き延ばして叩きつつ、現地戦力による遅滞戦闘および周辺宙域からの機動防御を併用したものへ段階的に切り替えます」
富士宮公爵が立ち上がり、資料の説明を始めた。帝国国防方針は数年ごとに更新されるのが本来の姿だが、帝国では長らく辺境惑星連合、略してFPUの侵攻に対して領域外縁部での侵入阻止を重視し続けていた。
「シェルメルホルン伯、なにか」
「方針はいいとして、辺境部の居住惑星はどうするのです? 水際防御は非効率的、とこちらの資料にもありますが、見捨てるので?」
現在行なわれている水際防御は、各居住惑星から十分距離を取った防衛線を維持する形で行なわれている。これを帝国領内に引きずり込むことは、辺境部の惑星が直接敵の攻撃に晒されることになることと同義だった。
「当面は非効率でもこれまで通りの水際防御で行なう。しかしながら、これは陛下と宰相閣下の発案ですが、辺境部の居住惑星の整理を行ない、防衛線をより帝国領内の奥深くに設定。縦深防御と周辺中核宙域からの機動防御を組み合わせたものを検討しております。侵攻ルートがある程度予想できる現状、そのルート周辺の防備を固めることで効率化が図れます」
「なるほど。惑星丸ごとの退去についてはゲフェングニス349の経験が生きる、と」
シェルメルホルン伯爵の言葉に、柳井は自信を持って頷いた。かの惑星の退去は接近するFPU侵攻軍の接近によりスケジュールを繰り上げなければならなかった。計画的に、敵軍侵攻と関係なく疎開するのなら住民の不満を最小限にすることも可能だと柳井は考えていた。
「軍経済としても効率化が計れていいですね。国境宙域までの補給線を維持するのは、兵站への負担が大きいですから」
「なるほど……不採算惑星へのインフラ維持もバカになりませんからね」
柏木伯爵が頷いた。シェルメルホルン伯爵も同様に感心した様子で資料を眺める。
「辺境部の開拓惑星は環境が劣悪だったり、採算が取れないものもある。初期開拓時代の無秩序な植民のツケだわね」
ウォルシュー公爵が冗談めかして笑う。少なくともここにいる皇統には、柳井と皇帝が考えた国防策と辺境再編策は好意的に捉えられたようだ。
「国防方針は、最終的に帝国議会の決議が必要になりますが、大枠はこの会議の決定が規定方針となります。異議がなければ、国防省と統合参謀本部より、政府へ提出をさせますが」
沈黙。
「では、富士宮公爵、これでお願いします」
「はっ」
「これにて、御前会議を終了いたします。皆様、お疲れさまでした」
柳井は肩の荷が少し下りた気分になったが、帝国宰相と皇帝にはまだやるべき儀式が残っていた。
一六時五九分
樫の間
「はぁ……」
「あとは、これを通知すれば完了ですが……」
柳井が手にしていたのは、現在身柄をラインツァー・ティア・ガルテンにて軟禁状態にある三領主に対する勅書だ。
「こちらに署名を」
「分かったわ」
すでにマルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵については爵位剥奪が御前会議、つまり拡大された皇統会議にて議決されている。勅書はこれを当人に届けるという儀式に過ぎないが、それでも公の文書であり、控えも取られている。
特にこれは前マルティフローラ大公に対しては死刑執行書である。柳井は前大公宛の勅書にサインしようとする皇帝の手が震えていることに気がついた。
「陛下……」
「情けないわね。戦場であれだけ人殺ししといて、いざ見知った顔の死刑執行書にサインするとなったら、震えが止まらないのよ。お笑い種だわ」
いつもの調子で放言した皇帝だったが、柳井にはそれが強がりにしか見えなかった。
「陛下、ご無礼をお許しください。お叱りは後ほど」
柳井は皇帝の背後に回ると、皇帝の陶磁器のように白い右手に自らの手を添えた。
「これは宰相たる私の罪でもありましょう。さあ、ご署名なさいませ」
「……すまないわね」
震えが止まったのを確認して、柳井は添えていた手を離した。三通の勅書にサインを終えた後、ナノマシン含有の封蝋に生体認証機能を備えた紋章印を押しつけ、公的文書として登録する。
蝋とインクが乾ききるまでの間、柳井は応接ソファに腰掛けて、皇帝の姿を見ていた。
「どうしたの? マジマジと見ちゃって」
「陛下があのように震える姿、もう見ることは無いかもしれませんね」
柳井がやや意地の悪いことを言うものだから、皇帝は思いっきり顔をしかめて鼻を鳴らした。
「見られてたまるもんですか。誰かに話したらこの手で撃ち殺してやるんだから」
「それは恐ろしい。私の承認欲求が生存本能を上回らないことを祈りましょう」
「まったく……」
その後、しばらくは他愛もない話を続けている間に勅書のインクと蝋が乾いたところで、柳井はそれらを封筒に収め、樫の間を後にしようとした。
「週明け月曜日に渡しに行く。土日はゆっくり静養なさい」
「……まだ一週間ですか。この先、まだまだ長そうですね」
「そうよ。まだまだあなたにやって貰いたいことは山積みなんだから、精々鋭気を養いなさい」
「御心のままに」
柳井は肩をすくめて、樫の間を後にした。
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