外伝-001話 地球帝国歴代皇帝列伝

【国父・初代皇帝メリディアンⅠ世】

 

 本名、アーサー=メリディアン・ランドルフ・パーシヴァル。


 初代皇帝。帝国を建国した国父。腹心のライヒェンバッハと共に帝国の基礎を固める。


 火星自治区メリディアンコロニーの市長を務めていたが、当時の地球連邦による火星への不当な圧力、内政干渉、関税強化に反発し、火星自治区内のコロニーを纏め上げて、火星自治共和国の設立と、地球連邦との対等な通商条約等の締結を目指した。地球連邦による鎮圧に対しては組織化された武力で対抗し、地球連邦首都への攻撃寸前に連邦が降伏、火星の独立が実現。


 その後、地球連邦議会に議席を占めるようになったパーシヴァルは自身が市長を務め、地球連邦による攻撃で消滅したメリディアンコロニーの名を自らの名として組み込み、アーサー=メリディアン・ランドルフ・パーシヴァルを名乗るようになる。


 その後、地球帝国建国の為の議会工作などを進め、現在の地球帝国の建国を宣言。現在の帝都ウィーンは彼の代に工事が始められ、完成したのはマティアスⅠ世の代。


 地球、火星を統合した人類生存圏の確立、およびメインベルト小惑星帯以遠の開発などを推し進めた。また、帝国としての格式、支配機構と富の偏在是正を行なうためのシステムとして爵位ならびに貴族制度の整備を進めさせた。これは爵位に一定の税金を課すことで資産を吐き出させるものとして、幾度かの税率変更などを経て現代まで継続している。当時は単に貴族と称されたが、後に帝位継承権を持つ皇統貴族と、基本的に一代限り、継承には爵位相続税の納付が必要になる帝国貴族に細分されることになる。


 帝国暦三八年、帝国議会上院議長や宰相を歴任し、メリディアンⅠ世の治世を支え続けてきた腹心アドルフ・ライヒェンバッハが死去。死後、大公に叙爵され、ウィーン帝都に設けられた皇帝廟へ葬られることになった。これをもって、地球帝国初代皇帝は正帝、副帝による共同統治だったとする歴史学者もいるが、この時期の大公を副帝と見なすかどうかについては議論が続けられている。


 帝国暦四三年、帝都宮殿(ライヒェンバッハ宮殿)の完成を待つように老衰により死去。享年八三歳。晩年まで婚姻もせず、独身のまま崩御。


 あまりに多忙で政務に追われていたため、色事、賭博、芸術にうつつを抜かすなどできなかったメリディアンⅠ世が唯一自分の我儘を通したのが、帝都宮殿の正式名称として、自分より先に逝った腹心のライヒェンバッハの名を宮殿につけたことである。



【第二代皇帝マティアスI世】


 マルティフローラ大公国領主。本名、マティアス・ゲルハルト・カールソン。


 治世の途中で超光速航法技術である【超空間潜行】が実用化。爆発的な勢いで人類が外宇宙へ拡散を始める。また、未だ帝国内に根強かった旧地球連邦系の反帝国グループが多数外宇宙へと逃れたのもこのとき。


 マティアスⅠ世はこの時点で帝国皇帝と中央政府により、遠方の植民惑星を直轄統治するのは不可能と判断し、自治領制度(後の領邦および自治共和国)を制定。また、内務省自治局(後の星系自治省)などの拡大を計る。


 在位一八年の後、退位を宣言するとともに、自らは東部辺境(のちの東部軍管区)への開拓拠点となっていた植民惑星を首都星とする領邦国家、マルティフローラ公国の領主になることを宣言し退位したが、これは帝国、領邦国家の統治体制を盤石にするための政治的なものだったとされる。


 第三代皇帝によりマルティフローラ公国が大公国へと格上げされ、自らも大公へと叙爵されてすぐに崩御。死因は心臓発作。多忙が祟ったものとされている。享年五八歳。



【第三代皇帝ジョージⅠ世】

 

 リンデンバウム伯国領主。本名、ジョージ・ハドリー・キプリング。


 カールソンの腹心であったが、彼と帝国議会の協議の上、第三代皇帝として戴冠。マルティフローラ大公国の開発を始め、帝国本国とされた太陽系にほど近い植民惑星を基礎とする本国と領邦の区分けを確立し、マルティフローラ大公国に加えて、自らも退位後はマルティフローラ公国領内の植民星系をリンデンバウム伯国として独立させ、その領主となる。


 マルティフローラ大公国領内に改めて領邦を内包するようにリンデンバウム伯国を成立させたのは、成長著しいマルティフローラ大公国が、本国に取って代わることを防ぐための監視拠点としてという説もある。


 若くして崩御したカールソンに対し長命で、即位が二四歳で九一歳の誕生日の前に高齢を理由にして譲位。


 一〇〇歳の誕生日でその秘訣を問われた際に「三食食べ、よく眠り、よく運動すること」と答えた。


 享年は一〇四歳で死因は老衰。皇帝経験者としては最長寿記録であり、帝国暦五九〇年現在でも未だ破られていない。



【第四代皇帝バルタザールⅠ世】

 

 マルティフローラ大公国領主。本名、バルタザール・フォン・マルティフローラ・カイザーリング。


 彼の治世では主に皇統貴族に関する制度の整備が進められた。


 領邦国家の整備、慣例として行われていた皇帝選挙を大々的に告知して行うようになったのも彼の代から。内政面ではジョージⅠ世の治世を引き継ぎ穏やかながらも、人類統一国家としての威厳、格式をより効果的に演出し続けた。即位時すでに五三歳であったが、二三年の治世の間に帝国初期の諸問題解決を精力的に行った。


 当時の辺境星域の開発が進んだため、有力星系を中核とするフリザンテーマ公国、ヴィシーニャ公国、コノフェール候国が建国されたのはバルタザールⅠ世の代。


 六六歳で崩御。死因は当時流行していた宇宙放射線病によるものとされている。



【第五代皇帝・建軍帝エカテリーナⅠ世】

 フリザンテーマ公国領主。エカテリーナ・ゲオルギエヴナ・フリザンテーマ・ゲネラロヴァ。


 初の女帝であり従軍経験者(准将)。フリザンテーマ公爵。帝国軍の大統合(陸軍、海軍、空軍、宇宙軍)を行おうと画策するも、特に陸海空軍から猛反発を受ける。


 しかし、今後版図が拡大すると共に予算編成などの面で混乱を招くことが予想されたため、四軍の司令長官と国防大臣、さらに参謀本部長、皇宮武官長を詰問し、勅命として統合を急がせる。結果として帝国軍はナンバーズフリートと呼称される艦隊が主戦力となり、この下部組織として軌道航空軍、降下揚陸兵団、領邦軍、自治共和国防衛軍制度も彼女の代で完成。この業績により、エカテリーナ1世は建軍帝とも呼ばれるようになった


 即位は三〇歳で譲位は七五歳。譲位後はふるさとのフリザンテーマ公国でピアノの演奏会を開くなど、音楽活動に熱心。享年八九歳。老衰。


 彼女の名前は帝国暦五八〇年代に就役した主力艦、インペラトリーツァ・エカテリーナ級重戦艦に見られるように、帝国軍事史では度々象徴的な名前として用いられる。気が強く、自分の父親のような年齢の閣僚や官僚、軍人にも物怖じせず対峙し、その判断は適切だったと伝えられる。


 もう一つ、彼女の治世において行なわれた施策として、先帝時代に成立した領邦より以遠でも植民惑星が増えてきたため、それらは領邦ではなく自治共和国という枠組みを作って差別化と中央の統制が効きやすくした。これは領邦ほど有人惑星が豊富でない単一惑星のみを領土とすることでコンパクト化が計られており、当時の国情に即したものだったとされる。


 夫のヨアヒム皇統伯爵との間にはすでに二子を設けていたが、戴冠してからも二子を設けている。第三子の次女、第四子の次男出産時にはヨアヒムが摂政として支えたが、次女の分娩には立ち会おうとした夫に「そんなことしている暇があったら国防省のケツを叩いて三軍統合すると言わせてこい。その間に産んでやる」といい、ヨアヒムは国防省との折衝中に娘の誕生を聞いたと言われる。



【第六代皇帝ジョージⅡ世】

 

 コノフェール侯国領主。本名、ジョージ・バルトロメオ・アーネスト・スペンサー。


 帝国皇帝としては最若年の二六歳で即位。当時新参であったコノフェール侯爵に箔付けとして帝位を回したのが実態だが、皇帝として初めて皇帝大権(全権委任法)を振るう。


 帝国軍人として若くして少将の地位にあったが、これは本人の才覚によるものである。


 辺境惑星連合を名乗る賊徒が版図外縁に広がっており、これらが大挙して帝国領を横断。帝都地球にまで迫ったため、本国軍による必死の抵抗が開始される。皇帝自ら軌道エレベータ低軌道ステーションに大本営を移して陣頭指揮を執った。後に第二次月軌道会戦と呼ばれることになる戦いは一ヶ月は続いたが、結果的に撃退に成功。若く勇敢な皇帝として軍官民の支持を集める。


 これ以降、帝国を西部、東部、北天、南天と区分した軍管区制、そして防衛を担当する方面軍の設置と増強が図られる。この頃より、帝国軍内部で使用される銃砲火器、艦艇、車両、航空機などの規格統一を目指す統合整備計画が発動されたが、結局帝国暦五〇〇年代までは紆余曲折を経ている。


 即位五〇年記念の宴席にて記者から問われた「皇帝として最も印象深い出来事は?」という質問に「即位まもなくの、賊徒による帝都強襲」と答えるなどトラウマに近いものがあったらしい。


 譲位は七三歳で、その後は故郷コノフェール候国の自宅で自伝を執筆しており、刊行と同時に死去。享年七六歳。


 即位後間もなく戦争を経験し、その際一般士官と変わらない質素な居室にて過ごした経験から、歴代皇帝の中でも特に質素な暮らしぶりで知られており、儀礼的な園遊会を除けば贅沢はしないのがジョージⅡ世のポリシーであったと伝えられている。



【第七代皇帝バルタザールⅡ世】

 

 マルティフローラ大公国領主。本名、ハンス=バルタザール・フォン・マルティフローラ・カイザーリング。


 本来ハンスⅠ世となるところを、バルタザールⅡ世としたのは帝国辺境や中央皇統貴族社会への引き締めと信頼感を与える為、バルタザールⅠ世の名を引き継ぐことで威厳と格式を付与する目的。これ以降、リンデンバウム伯爵カイザーリング家は尊号にバルタザールを用いることが慣例となり、後にハンスの七代後のカイザーリング家当主ゲオルクが皇帝戴冠時も、バルタザールⅢ世を名乗る。


 三四歳で即位し九五歳まで皇帝としての責務を果たす。九五歳、心臓発作で一時意識不明となるも回復、懸命の治療が続けられたが譫言のように「危険だ!」と三度叫び、直後に崩御。



【第八代皇帝エドワードⅠ世】

 

 ヴィシーニャ侯国領主。本名、エドワード・トリスタン・ヴィシーニャ・ファーガソン。


 在位期間最短。三二一年マルティフローラ大公国による帝国税制への疑義を発端とした叛乱が発生。近衛軍を率いて東部方面軍と共に鎮圧に向かうも戦死。


 これを機に近衛軍は皇帝直卒でなく、皇帝に任じられた近衛司令官が指揮を執ることに。帝国史上初めて戦地に倒れた皇帝でもある。


 即位二八歳。退位は三四歳。崩御時の年齢も帝国史上最若年。


 従軍経験者でもあるが本人の経歴は大尉止まりであったことを気にして、軍の支持を得るために先行しすぎたとも言われている。ジョージⅡ世やエカテリーナⅠ世を軍人出身皇帝として尊敬していたとされる。



【第九代皇帝ジブリールⅠ世】

 

 ヴィシーニャ侯国領邦政府首相、皇統侯爵。本名、 ジブリール・イブラヒム・アル=ムバラク。


 エドワードⅠ世戦死の報に帝都では急ぎ次代皇帝の擁立に迫られたが、同時にマルティフローラ大公国などの叛乱者への対処も急がれた。また、断絶したヴィシーニャ候国のファーガソン家の代わりを見つけなければならない。ここで皇統選挙により信任投票で選出されたのが当時皇統侯爵にあり、ヴィシーニャ候国首相としてエドワードⅠ世を実質的に補佐していたジブリール・イブラヒム・アル=ムバラクである。


 彼は終戦工作をエドワードⅠ世の御代から行っていた。これにより短期間でこれを終結。しかし彼の治世の前半は領邦国家や自治共和国の叛乱が相次ぐ。これを重く見て財務省による収税権と予算編成の切り離しを命じ、収税権は国税省として独立。また、特別徴税局が出来たのもこの頃。


 規模が拡大しすぎて経済力に不均衡が生じた領邦国家間を正すため、既存領邦国家からいくつかの星系を独立させ、それらをヴィオーラ伯国とパイ=スリーヴァ=バムブーク候国に再編したのもジブリールⅠ世である。


 即位三三歳。在位六八年は在位期間として帝国皇帝で最長。一〇一歳で崩御。死因は老衰。混乱する帝国を存続させた中興の祖として多数の業績を残した。


 彼の治世の特徴として、ある年代ごとに進めたい政策を遂行・補佐するための宰相を三名も置いたことで、現在までのところ歴代皇帝で最多。それぞれ内乱の後処理、省庁改革、軍制改革などに分けられた。



【第一○代皇帝クラウディアⅠ世】

 

 パイ=スリーヴァ=バムブーク侯国領主。本名、クラウディア・フォン・パイ=スリーヴァ=バムブーク・ギムレット。


 パイ=スリーヴァ=バムブーク侯国からは初めての皇帝。ジブリールⅠ世から引き続き内戦により疲弊した東部辺境などの復興などに力を入れた。


 惑星開拓の大家で、ジブリール1世の御代から復興政策と新領土開拓に従事。本人もやはり惑星開拓の知識が豊富なアンプルダン皇統伯爵を重用し、人口増加、可住惑星開発を推し進めた。


 彼女の名は皇室用クルーザー、インペラトリーツァ・クラウディア級に残るように高い評価を受けている。


 譲位は七八歳。譲位後は植物の品種改良の研究をしていた。享年八九歳。



【第一一代皇帝エカテリーナⅡ世】

 

 フリザンテーマ公国領主。本名、エカテリーナ・ヴラドレーノヴナ・フリザンテーマ・ロストヴァ。


 叛乱による仕置きのあと、新たにフリザンテーマ公爵となったロストフ家の当主。内戦から約半世紀ということで、帝国と領邦の関係改善をアピールする狙い。この頃から皇帝は帝国の象徴としての意味合いがより強まる。


 治世中は帝国軍の軍制改革(低調だった統合整備計画の推進、各方面軍の兵站部を兵站本部として格上げなど)や各軍管区の整備はあったものの、それ以外は穏やかな時を過ごす。軍制改革については内戦後停滞していたが、彼女の鶴の一声が大きかったとも言われている。


 譲位は八一歳。直後に崩御。葬儀の際はかつてフリザンテーマ公爵に死刑を通告したヴィシーニャ侯爵ムバラク家からナディア侯爵が参列。宮内省による宣伝効果を狙ったものとは言え、かつての敵対者同士が和解し、葬儀の際に涙を流す姿は多くの臣民の哀愁を誘った。



【第一二代皇帝ナディアⅠ世】

 

 ヴィシーニャ侯国領主。本名、ナディア・ファイサル・ヴィシーニャ・アル=ムバラク。


 第八代皇帝の孫。取り立てて業績はないものの、穏やかで温かみのある彼女は市民の人気も高かった。


 一方で、内戦以降一〇〇年近く版図の拡大は停滞していることを座視して変革をもたらさなかった点では、評価が分かれる皇帝とも。クラウディアⅠ世からナディアⅠ世までを三女帝時代とする学者もいる。


 版図拡大は停滞していたものの内乱からの復興も進み、帝国の経済体制の健全化も大きく進歩したため、前任者の偉業に無駄な肉付けや削減を行わずに発展させる手腕にたけていたと、彼女を補佐したものの証言も多く残されている。


 崩御したのは七三歳の誕生日を迎えて半年経った頃。予てよりの遺言により、葬儀は極めて簡素に行われたが、これは「私のようなものが、偉大なる先帝達と同じ葬儀では困る」ということらしく、ムバラク家とその一族のみで葬儀が行われ、臣民の服喪期間は皇帝勅許により異例の一四日とされた(通常は一ヶ月が慣例)



【第一三代皇帝バルタザールⅢ世】

 

 リンデンバウム伯国領主。本名、ゲオルク=バルタザール・フォン・リンデンバウム・カイザーリング。


 帝国内乱後初のリンデンバウム伯カイザーリング家からの皇帝。在任中は帝国外縁部の政情不安や辺境惑星連合の攻勢が続くなど、決して穏やかな時代ではなかった。また、政治を主導することはなく淡々と決定事項の追認をしていた傾向が強い。


 晩年体調不良を繰り返し、最終的には帝都から所領のリンデンバウム伯国へ戻り療養。最期は領主公邸にて崩御。死因は老衰。享年八五歳。


 本人は口数が少なかったが、これは訛りが強いことを生涯気にしていたとも、皇帝の発言の大きさを知っていたからこそ、あえて口数を減らしていたのだとも諸説ある。


 比較的長い在位期間に比して業績として特筆すべきものは少ないが、その中でも近衛軍司令官にメアリー・フォン・ギムレット公爵を据え、ピヴォワーヌ伯国の創設を認め、領主としてアンプルダン伯爵オデットを封ずるなど、晩年には帝国の歴史を大きく変える決断をしている。また、当時皇統会議で過熱していた版図拡大論と維持論については中立の立場を貫き、自分より若い世代にそれらの問題の決定権を与えたとも言える。

 

 余談だがバルタザールⅢ世の皇妃レジーナはリンデンバウム伯国の名門、バルシュミーデ帝国侯爵家の次女でありバルタザールⅢ世六〇歳の頃に死去。身長一八九cmと大柄のバルタザールⅢ世に対して一五〇cmと小柄。帝国大学で知り合い、生涯で愛したのは彼女一人という恋愛結婚で知られており、彼女の死後、皇帝専用クルーザーである〈グローリア〉は〈クライン・レジーナ(小さなレジーナ)〉と改名させたほど。


 子供は二人おり、長女グレータ、長男オスカー。長女グレータがリンデンバウム伯爵を継承。

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