第41話-③ 帝国宰相・柳井義久

 一八時一二分

 楡の間


『宰相閣下、サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵がいらっしゃいました。お通ししてよろしいでしょうか?』

「すぐに会おう」


 宮廷警備の近衛兵の連絡に、柳井は頷いた。定時後に呼び出して申し訳ないことだ、などと柳井は考えていた。


「宰相閣下、サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵、参りました」


 シェルメルホルン皇統伯爵家は、帝国暦三二年に皇統男爵に叙された古い家系で、帝国暦九三年には皇統子爵、現在の皇統伯爵に昇ったのは帝国暦一六三年で、代々官公庁の高官を務めている名家として知られている。


 現当主のサラ・アーデルハイト自身も内務省に勤めており、三二歳の若さで統括官の地位に至り、活躍著しい革新官僚と呼ばれている。省庁横断型のダイナミックな政策立案を得意としていると評判で、将来の内務省次官と目されている。女性としては上背があって怜悧な鋭い青い目、ブロンドのボブカット、引き締まった身体をスーツに包んだ姿はオデット・ド・ピヴォワーヌ・アンプルダン皇統伯爵にも似ていた。


「お久しぶりです伯爵。まあ、掛けてください」


 シェルメルホルン伯爵はやや驚いた様子で、応接セットのソファに腰掛けた。柳井も合成紙に印刷した資料を手に、その正面に座る。柳井とシェルメルホルン伯爵が直接顔を合わせるのは、先帝崩御より少し前、柳井が葬儀委員としてあちこちに出向いていたときのことだった。


「コーヒーを……と、自分で淹れるわけにもいかないか……」


 柳井は普段のクセでコーヒーを淹れようとしていた。アスファレス・セキュリティのオフィスや巡洋艦エトロフⅡの自室ならインスタントコーヒーとポットを常備していたが、この楡の間にそんな無粋なものは置いていない。


「すまないがコーヒーを二つ頼む」

『畏まりました』


 慣れない様子でコーヒーを注文した様子を見て、シェルメルホルン伯爵は怪訝な様子だった。


「どうかされましたか?」

「あ、いえ、その……。以前お話ししたときと、あまりに変わらないものですから。帝国宰相を目の前にしているという感覚が薄くなります」

「まあそうでしょうね……あなたを呼んだのは他でもない、今度皇統会議が招集されるが頭数が足りない。あなたに同席頂きたい」

「数合わせでよろしいので?」

「いいえ。マルティフローラ大公以下、先の動乱において国権濫用、国費を不正流用した皇統貴族の処罰も定めなければならないし、その後の三つの領邦の領主は世襲で良いのか別の皇統を据えるのか、そのあたりも含めて、ご意見をいただければと」

「は、しかし……それならばまだ高位の爵位保持者が帝都にはおります。なぜ、私なのでしょう」


 丁度侍従職がコーヒーを持ってきたので、柳井はミルクと砂糖を放り込んで、一息ついてから伯爵の疑問に応えることにした。


「皇統会議の席で、強硬意見を唱えてほしいのです」

「私が、ですか?」


 柳井の言葉に、伯爵は首を傾げた。


「皇統が皇統を裁くのです。過度な減刑を言い出すとは思いませんが、あり得なくはない」


 大公以下、国費を悪用した背信行為を働いていた証拠がある以上、そんなことをしては皇統だけで無く、臣民からも新体制が信頼なくなる。だからこそ、会議が穏便な幕引きを図ったならば、死刑を主張して欲しいというのが柳井の策だった。


 伯爵からすれば、柳井は用心深いのを通り越して疑心暗鬼に陥っているようにも見えた。しかし柳井からすれば、メアリーⅠ世の治世が法に基づき、皇統が国政を壟断ろうだんし、法を無視して私腹を肥やすような時代だと思われてはならないという危機感があった。民間軍事企業社員として、また第二三九宙域総督として帝国の辺境を見ていた柳井としては、辺境の住民の意識が帝国中央、さらに言えば政府や皇帝と乖離かいりしがちなのが生々しい実感として身に染みていただけに、それが中央に波及するのは避けたいという考えだった。


「分かりました。しかし、それだけなら私でなくてもよかったのでは?」

「あなたなら、陛下が減刑せよと言っていても、何食わぬ顔で死刑を主張してくれそうだったので」

「それもそうですね」


 柳井の言葉に、伯爵はあっさりと認めた。


「伯爵を皇統会議に出席させるのは、もう一つ理由があります。あなたの経歴は確認させてもらいました。省庁横断の改革派、あなたのおかげで実現した法令や政策も多いのでは?」

「買いかぶりすぎですよ」

「私が求めているところはそこです。単刀直入に言うと、あなたに帝国宰相府事務総長に就任して頂きたい」

「帝国宰相府事務総長?」

「ご存じの通り、帝国宰相は極めて曖昧な制度です。置く必要もないですが置かぬと禁じられているわけでもない」


 事実、これまで帝国の歴史上帝国宰相が存在しない年数のほうが多い。


「皇帝直属の臣下ですが、その待遇も全て皇帝一人が決められる。これでは後々、妙な人物が宰相の地位を占めることも考えられる。幸いそういうことは今まで起きませんでしたが」


 柳井は自分も含めて、今後現れる帝国宰相が人格能力に問題がある場合に備えたいと考えていた。能力が足りないだけならともかく、奸臣かんしんは困るというわけだ。そこで、柳井はその予防措置を自分が帝国宰相の地位にある内に講じることにした。


 帝国宰相府は常設された皇帝直属の機関として、皇帝を輔弼ほひつし、諸政策の推進に尽力し、宰相の業務を補佐するとともに宰相自身の監視も行なう組織として柳井は考えていた。


「規模としては、最終的には一〇〇人程度で、必要なときに宰相や官公庁の尻を叩ける胆力があれば、その程度で済むでしょう」

「なるほど。会議への出席は、いわば領邦領主と陛下への紹介も兼ねてと言うことですか」

「その通りです。陛下には私から話を通しておくので、現在の職務の引継ぎが完了次第、こちらへ出仕するように。皇統会議出席の件は、日程が決まり次第知らせます」

「招致いたしました」


 シェルメルホルン伯爵が退室して、自分も仕事を切り上げようとした柳井は、あることに気がついた。


「……そういえば、私の家、どこなんだ」



 一八時四九分

 樫の間


「皇帝に自分の家がわからないって言うなんて、宮廷史に書き残しておくべき珍事よ」


 実際には、柳井は皇帝に対して帝国宰相公邸はあるのかを尋ねたのだが、メアリーⅠ世の言い方では柳井が迷子の子供のようでもあった。皇帝は自らの臣下を茶化して腹を抱え、机を叩いて笑っていた。


「それはそうですが、陛下は私のあらゆる待遇について説明頂けませんでしたから。宰相になったのも、伯爵になったのも今朝でございます」


 柳井は帝国軍を退役後、地球上には住居を持たず、軌道エレベーター同士を結ぶ低軌道ステーションの居住区のマンションの一室に自宅を構えていた。その自宅もアスファレス・セキュリティロージントン支社赴任後に引き払い、さらにロージントン支社時代にはアウグスタⅠの賃貸マンションを借りていた。


 これすら退職後には引き払っており、今の柳井には極東管区の実家とイステール自治共和国の総督公邸以外に定住できる住居は無かった。


 そこで問題になるのが、帝国宰相の公邸問題だった。まさか極東管区から通勤するわけにもいかないからだ。


「それもそうか……ていうか、私も知らないわ。どこだと思う?」

「私に聞かれましても」


 皇帝に問われ、柳井は困惑した様子で首を振った。


「これまでの宰相はどこに住んでいたんですか?」

「データベースにあるのかしら」


 皇帝の仕事の仕方は様々で、バルタザールⅢ世は部下に口頭で指示を出し、文書作成も侍従の仕事だった。しかしメアリーⅠ世はそれを好まず、可能な限り自分で文書を作成することにしていた。そのせいか、歴代皇帝が使ってきた樫の間の執務机は、史上希に見る乱雑さだった。高級機ではあるが金さえ積めば買えるような個人端末の画面を覗き込んだ皇帝は、出てきたデータを樫の間壁面のモニターに投影する。


「ライヒェンバッハ公は公務員宿舎、後に帝都新市街の第一次工事が完了次第、エクヴィルツ門前に自分の家を建ててそこに住んだようね。いまでもライヒェンバッハ家の傍系の家が住んでるみたい」

「あとの宰相も帝都の自宅ですか……公邸がない、ということですね」

「まあ置いたり置かなかったりの役職のために公邸作るのも勿体ないわね」


 帝国では皇統と言えども過度な宮廷費投入は好ましくないとされている。豪邸を建てているにしても、それは自分の事業での収益によるものだ。


「でもあなた、宰相を制度化しようとするんだから、公邸の一つくらい建てさせなさいよ」

「必要ですか?」

「何にでも格ってもんがあるでしょう。帝国宰相を常設職にするならなおさらね。それともあなた、個人的な園遊会や祝宴をその辺のワンルームマンションで行なうつもり?」


 狭苦しい共同住宅にすし詰めされる皇統というのは中々滑稽だななどと柳井は考えていた。


「それもそうですが、まあそれは追々。今すぐ命じて建つわけでもありませんから」

「あっ、そうだ。私の別邸使う?」

「あそこはヴィオーラ公国領主代理の帝都での居宅です。私が住んだら、領主代理がいらっしゃったときどうするんです」


 帝国の皇帝は、自らも領邦領主を務めている。帝都での政務中、代理人として領主代理を領邦首都におくのが通例だ。メアリーⅠ世の場合、その役目はメアリーI世の妹マチルダ・フォン・ギムレットに委ねられている。ただ、これは政令上のものであり、実際の領邦経営はメアリーⅠ世自身が事細かに指示を出している。


「そもそも皇統伯爵の宰相閣下を、居抜き物件に住まわすなんてねえ……さすがにラゲロストロミア宮殿を使うのは大げさだし……となると、丁度良い物件はないものかしら。ちょっと待ちなさい」


 メアリーⅠ世はそう言うと、手元の通信コンソールを叩いた。


「侍従長を呼んでちょうだい」

『かしこまりました』


 五分ほどして、侍従長が樫の間に現れた。物腰柔らかな五十代半ばの中年女性だった。


「陛下、お呼びでございますか?」

「ああ柳井、紹介しておく。彼女が侍従長のマーガレット・チェンバレンよ」

「お初にお目に掛かります宰相閣下」

「こちらこそ」


 メアリーⅠ世最初の侍従長を務めるマーガレット・チェンバレンは、元々宮内省監理官だったのだが、皇帝に請われて侍従長に就任した。なお、宮内省侍従局は皇帝の日々の政務や生活をサポートする部局である。


「この宰相閣下は自分の家を知らないらしいのだけれど、宰相ってどこに住むものなの?」


 あまりに明け透けでざっくばらん。後に出版されるチェンバレンの手記には、皇帝の第一印象がそう記されるていたという。


「柳井閣下は帝都にお住まいではないので?」

「彼は東部赴任が長かったから、帝都に家がないのよ。当分はホテル暮らしでもさせる?」

「とんでもございません。宰相閣下は陛下の次に警備が厳重でなければなりません。首相と並ぶ警備レベルが求められます」


 そもそも一般のホテルに帝国宰相が暮らすとなれば、警備などの関係で一般宿泊客への影響は避けがたい。柳井としてもそれは望んでいなかった。


「ではどうしろと?」

「私が申し上げることは不敬の極みと存じますが、やはり宰相公邸として新築なさるがよいかと。宮殿近傍の空き家を買い上げて改修するのも一つの手ではありますが……ただ、短期的には解決策もございます」

「なに?」

宮殿ここにお住まい頂くのです。ことのぼせることもはばかおおきことながら、陛下は未だ伴侶となられるべき方もおりませぬ。帝都宮殿は皇帝ご一家の住居でもありますので、お部屋はまだまだ余ってございます」

「寝室は同じ?」


 侍従長の回答に、皇帝は冗談めかして言った。冗談のはずだ、と少なくとも柳井は考えていた。


「陛下がお望みであれば」


 こちらは職務に忠実に皇帝の疑問に答えた侍従長だったが、柳井はゾッとした様子で首を振った。


「ご冗談を!」


 皇帝と同じ寝室というのは、考えようによっては栄誉なことなのかもしれないが、柳井はそう考えなかった様子で、顔を青ざめさせていた。


「冗談に決まってるでしょ。それともあなた、私と結婚する?」

「滅相もございません!」


 皇帝メアリーⅠ世はこの年三九歳。帝国の初婚年齢平均は二八歳前後だが、何せ当人にその気が無い。この発言も単に柳井を茶化すために放った冗談だったが、立場が立場だけに冗談では済まなくなることも柳井は考えなくてはならなかった。


 なお、メアリーⅠ世を見た目のみで品評したならば、帝国でも五指に入るほどの美女ではある。


「そんなに即答しなくても良いじゃないの。まあ冗談はこのくらいにして、じゃあとりあえず当分は宮殿に住み込んで貰いましょう。部屋を至急用意なさい」

「畏まりました。お部屋が整いましたらお呼びにあがります。宰相閣下におかれましては不自由をおかけして申し訳ございません」

「あ、ああ、いえ、お気になさらず」


 侍従長が下がってから、柳井は皇帝との雑談をすることになった。後にメアリーⅠ世の特徴の一つとして上げられるのが、臣下との雑談の多さだった。


「そういえばどうかしら、宰相閣下。楡の間の椅子の座り心地は」

「針のむしろのようです。陛下は私を買いかぶりすぎです」

「どうかしら? そうでないことを祈っているわ。とりあえず、七五点と言ったところよ。よかったわね」

「なにがどうよいのかは陛下にしか分からぬことですが……しかしまあ、昨日までコンビニ飯で済ませていた私が宮殿に住み込みとは。人生何が起きるか分からんものです」

「宮殿の食事だってそう豪奢なものではないわ。以前の新年祝賀会でも食べたでしょ」

「まあ、それはそうですが」

「あなたも若くはないのだから、栄養管理もしておかないとね。あなた、公邸なんかに住まずにこのまま宮殿に住み込みでいいじゃない」

「……職住一致の生活からは、ようやく離れられると思ったのですが」


 柳井が東部軍兵站本部に居たときは、本部から徒歩六分の宿舎暮らしだったが、これも東部軍司令部の入るロージントン鎮守府の入った軌道都市内部で、ほぼ職場と言えるし、その後転属したアドミラル・ラザレフ副長職も当然ほとんどの時間が艦内暮らし。アスファレス・セキュリティに転職してからもユーパロベツ、エトロフ、エトロフⅡと艦内暮らしの時間は長かったし、ロージントン支社の支社長室で仮眠を取ることも多かった。


 彼がまともにベッドに寝られるようになったのはここ数ヶ月のことである。


「慣れっこでしょ」

「それもそうなのですが……」


 二〇分ほどして侍従が柳井を呼びに来た。帝都宮殿は旧市街の歴史遺構と同程度のサイズとはいえ、住居としては異様に巨大ということになる。当分は迷子になるのではないかなどと考えながら、柳井は侍従のあとを歩いていた。

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