第41話-② 帝国宰相・柳井義久

 五月五日一四時二一分

 ライヒェンバッハ宮殿

 かしの間


 樫の間は宮殿最上階の五階にある皇帝の執務室で、宮殿の庭園がよく見える大きな出窓とバルコニーが備えられている。


「陛下は私に、帝国という巨大なシステムの整理と修繕をさせたいのだと考えました」


 柳井はひとまず自分の構想をまとめ、皇帝メアリーⅠ世へ上奏した。満足げに頷いた皇帝は柳井に着席を勧め、自分も柳井の正面のソファに腰を下ろした。


「完璧に見える組織でも、二〇〇年も運営したらガタが来たりすり減ったりして噛み合わせが悪くなります。肥え太って動きが鈍くなったものもいるでしょう。陛下が私に任せたいのはそれらの最適化でございましょう」


 侍従が持ってきたコーヒーを啜った柳井は、さらに続ける。


「ジブリールⅠ世は優れた為政者でしたが、そういう方が作った組織は硬直化しやすい。我々の手で解きほぐす必要があると考えました」


 柳井が樫の間の大型モニターに表示したのは、帝国官公庁の再編計画の叩き台の、そのまたさらに青写真と言うべきものだった。特に巨大官庁となっている内務省、星系自治省の再編は、メアリーⅠ世の長年の懸念事項だった。


「なるほどね。あなたが以前、先帝陛下との会話でジブリールⅠ世を尊敬すると言った理由がわかった気がするわ」

「はい?」


 柳井が男爵に叙されたとき、丁度宮殿では新年の祝賀会が開かれていた。その際、先帝バルタザールⅢ世に尊崇する皇帝はいるか? と問われた柳井が名を上げたのが、ジブリールⅠ世だ。


「あなた、世が世ならジブリールⅠ世の再来とまで言われたでしょうね」

「買いかぶりすぎです。まだなにも実現しておりませんし、実現してもジブリールⅠ世の縮小再生産と言われるのが関の山でしょう」

「神聖なる先帝陛下の縮小再生産品だなんて大胆ね。私が前線で死んだらあなたを次の皇帝に指名するよう、根回ししておくから覚悟なさい」

「ご冗談を」

「私があなたをある地位に就けると言って、冗談だったことがあるかしら?」

「……」


 柳井は二の句が継げなかった。せめてこの皇帝が命数を使い果たす日が、はるか遠い未来であり、それは自分の死後であることを密かに祈るくらいしか、彼に出来ることはなかった。


「ところで、あなたの仕事はとても一人では行えないでしょう。あとから専属の侍従は何名か付けるけど、何か希望はある?」

「そうですね、私は帝国省庁内の知己は少ないですし……まあそれはあとで考えましょう。それよりも、喫緊の課題が一つあります」

「何かしら?」

「マルティフローラ大公以下、動乱首謀者である領主達の処置です」

「ああ、そうだった……」


 マルティフローラ大公は国権を濫用して治安を乱し、国費を不正に流用したことで、それに加担したフリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵はそれぞれの帝都別邸にて拘束されている。


 そもそも、新たな皇帝が決まらなければ決定できないのが最大の理由だったわけで、これを行なうのが帝国皇帝と宰相最初の課題ということになる。メアリーⅠ世も忘れていたわけではなく、国政において新政権が樹立して体制が固まるまでは先送りしていたのと、関係当局による取り調べが三領主に行われていたためだ。しかし、これが皇統同士の馴れ合い、かばい合いだと一部左派系政党やメディアから批判されていることも、柳井、皇帝双方が既に把握していた。メアリーI世の治世が公正なものであるため証明するためにも、これは急ぐ必要があったのだ。


「宮内大臣とあなたで皇統会議招集の日程を決めてちょうだい。招集者の選定も任せる」

「はっ」

「ヴァルナフスカヤはあれで結構柔軟よ。なんとかするでしょう」



 一四時四三分

 楡の間


 楡の間にはすでにヴァルナフスカヤ宮内大臣が待っていた。


「まずは帝国宰相就任、お慶び申し上げます。柳井伯爵」


 ヴァルナフスカヤと柳井は初対面ではない。柳井が男爵位を授かったとき、ヴァルナフスカヤはすでに宮内大臣だったこともあり、それ以降も何度か園遊会などで顔を合わせていたし、葬儀委員の件もあってすっかり人柄を把握していた。


 他の閣僚は内閣を組閣する際に首相が指名を行なうが、政府に対する皇帝と皇統の代理人たる宮内大臣だけは皇帝が首相に推挙して任命して貰う形式をとる。慣例として先帝が退位しした際はその時点の宮内大臣は職を辞するのだが、皇帝メアリーⅠ世は再びヴァルナフスカヤを宮内大臣に指名していた。


 これは帝国史上稀なことで、これまでは二代の皇帝に仕えた宮内大臣は初代皇帝アーサー=メリディアンⅠ世最後の宮内大臣とマティアスⅠ世最初の宮内大臣を務めた崔城美チェ・ソンミ一人のみだった。ともかくも、ヴァルナフスカヤという宮内大臣が優秀なのは柳井も承知していることだった。


「陛下より、マルティフローラ大公以下、先の動乱の首謀者の仕置き、各領邦家の処遇について皇統会議を招集せよとの勅が下りました。私はこの手のしきたりに不得手で、ぜひ、宮内大臣の力をお借りしたいのです」

「それはもちろん。私で役立つことがあれば遠慮無くお申し付けください、宰相閣下」


 ヴァルナフスカヤは他人と話す際、ほとんど表情らしい表情を浮かべない。彼女が不機嫌だとか柳井を嫌っているとかではなく、誰に対してもそうなのだ、と柳井は聞いていた。事実、彼女が笑っているところを見た宮内省官僚は一人も居ないなどとまことしやかに囁かれている。 


「皇統会議の参列資格を持つのは領邦国家の領主、および皇統たる近衛軍司令長官、皇統伯爵以上の中で特別に定められた者、と定義されております」

「しかし、領邦国家の領主はほぼ半数が動乱首謀者、近衛軍司令長官は現在陛下が直卒されておられる。参加者が少なすぎないですか?」


 現在、マルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵は拘束され、ラインツァー・ティア・ガルテンにあるそれぞれの帝都別邸に軟禁されている。帝権を濫用した本人に、自分達の仕置きをさせるわけにはいかない。


 ピヴォワーヌ伯爵オデットは現在も帝都滞在中。彼女は当然皇統会議に出る資格がある。


 リンデンバウム伯爵たるバルタザールⅢ世ことゲオルク=バルタザール・フォン・リンデンバウム・カイザーリングは既にこの世に居ないが、既にリンデンバウム伯爵第一子である長女のグレータ・フォン・リンデンバウム・カイザーリングがその地位を継承しており問題なく出席可能。


 ヴィオーラ公爵は現在の皇帝、メアリーⅠ世であり、前ヴィオーラ伯爵は皇統公爵となり、ナタリー・アレクシア・ウォルシューは前官礼遇の規程を適用すれば出席させられる。皇統典範にはそういった運用も定められているようだったが、本人次第となると宮内大臣は説明した。


 ヴィシーニャ侯爵は先の動乱においてはいずれの陣営にも加わらず局外中立を決め込んでいたため、今回の皇統会議ではもっとも中立的視点の参加者となる。


 パイ・スリーヴァ・バムブーク侯爵オスカーはメアリーⅠ世の祖父。無論出席可能。


「出席者が五人……いや、ヴィオーラ公爵は陛下だから、前伯爵が出られないとなれば四人。皇統会議の定数の半分です。出られる皇統に動乱当事者がばかりなのも……」


 出席可能な皇統のうちメアリーⅠ世と共に大公らと戦った皇統だけでは報復とも取られかねない。公平を期すにはもう数名、出席者が必要だった。


「だからこそ、皇統の中で特別に定められた者、という規程があるのです。こちらが宮内省でリストアップした候補者です」


 宮内大臣の差し出したタブレットに表示されていたのは、皇統貴族の履歴書とでも呼べる皇統譜のデータだった。


「軍人と官僚ですか」

「まあ、そういうものです。皇統伯爵以上の皇統など、帝国でも数は多くありません」

「子爵や男爵とは違うというわけか……ひとまず統合参謀本部長の富士宮公爵、主計本部長の桂木伯爵が帝都にいるので、この二人と……」


 富士宮皇統公爵と桂木皇統伯爵は柳井が帝国軍に居た頃からその職に就いており、能力はもちろん、人格的にも問題ないと判断していた。それに、今回は軍人、特に本国軍司令長官のピエラントーニ元帥などへの処分も決することになるので、軍から出席者を出させるのは妥当だった。


「宰相閣下もご出席されるのでしょう。これで七人となりますが」

「私?」

「はい、閣下は皇統伯爵でございますれば」

「いやしかし、私はつい四時間ほど前まで男爵だったのですが……」

「地位、爵位、階級にはそれに伴う責任と義務が生じるものです」

「なるほど。泣き言を言っても始まらない、と」

「ご理解頂き恐縮です」


 ヴァルナフスカヤ大臣は、常に変わらない鉄面皮のようで、実は表情豊かなのではないかと柳井は考え始めていた。それは柳井自身の思い込みかもしれないが、どことなく今のヴァルナフスカヤは、穏やかな笑みを湛えているようにも柳井には見えていた。


「……ともかく、まずは前ヴィオーラ伯爵に出席のお伺いを立てねば。これは私が礼を尽くすべきか。先の軍高官二人にも招集を、それと、あと文官から一名くらい……」

「では、サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵はいかがでしょう」

「彼女は何度か会ったことがあります。やはり能力的に問題はありませんか?」

「閣下は帝国官公庁の機能の整理や統廃合を検討しているとか。うってつけの人材では?」

「そこまでお考えとは」

「宮内省は帝国皇帝に仕えるシステムですので、その政策を輔弼ほひつすることも業務の一つと心得ております。無論、帝国宰相を手助けすることも、です」


 宮内大臣が唯一皇帝による推挙を受けて指名される所以が、ヴァルナフスカヤの言葉に表されていた。


「ありがとうございます。前ヴィオーラ伯爵へのお伺いの後、面談をしたいのですが」

「分かりました。宰相閣下が宮殿に戻られた後、出頭するように命じます」



 一五時四三分

 ラインツァー・ティア・ガルテン

 ヴィオーラ公爵帝都別邸


 前ヴィオーラ伯爵ナタリー・アレクシア・ウォルシュー皇統公爵は、先帝葬儀の後、ヴィオーラ伯爵の地位をメアリー・フォン・ギムレット公爵に譲っていた。これは先帝の勅許を得た処置であり、メアリーⅠ世即位と同時にヴィオーラ公爵へ格上げされたため、彼女も皇統公爵に昇格したが、これは前官礼遇の一つだ。


「柳井男爵、いえ、伯爵になられたのね。お祝い申し上げるわ、宰相閣下」


 ウォルシュー公爵は相変わらず矍鑠かくしゃくとした様子だった。


「ありがとうございます。しかしよくご存じで」

「メアリー……おっと、陛下から直接連絡を賜ったのよ。これで仕事を八割くらい放り投げられるって」

「そうですか……しかしナタリー様も公爵になられた由、遅ればせながらお祝い申し上げます」

「公爵ねえ。こんな老いぼれになってから公爵なんて考えもしなかった」


 世間話に花が咲きそうになったところで、柳井は本題を切り出すためにわざとらしく咳払いをして、顔を引き締めた。


「ところで、今日伺ったのは他でもありません。皇統会議の招集が決定しました」

「マルティフローラ大公らの沙汰について?」

「ご明察の通りです。何せ領邦領主の半分は沙汰待ち、帝都にいる皇統を数人、代理で出席させますが、公爵殿下にも前領主として、出席頂けないか、と」

「ふむ……まあ騒乱時、私は領主として皇統会議の席を占めていた。後始末くらいは手伝ってやるべきでしょうね」


 実際問題として、当時のヴィオーラ伯爵は叛乱軍艦隊とは同行せず、あまつさえマルティフローラ大公らのもとへ出頭していたが、領邦軍を拠出しているため無関係では無かった。


「ありがとうございます。招集日については追って連絡いたしますが、それまで帝都にご滞在いただけますか?」

「陛下が宮殿の住人になりあそばされたわけで、しばらく屋敷は空き家。私に使わせてもらえると言うことで、ありがたいことだわ」

「それはようございました」

「ところで、少し時間はあるかしら? ワインの味見をしていってほしいのよ」


 言った傍からナタリーは部屋の隅にあるワインセラーからボトルを取り出していた。


「し、しかし私はまだ仕事中で」

「宮殿の人間がワインの一杯を仕事中に飲んだところで誰もとがめないわ。宰相閣下には国家公務員法も労働基準法も適用されないのだから」

「……それはつまり、定額働かせ放題使いたい放題、ということですか」


 あまりに俗な言い方だったが、公爵は気を悪くするでもなく、笑みを浮かべてグラスにワインを注いでいた。


「そういうこと。政府閣僚や統合参謀本部長は国家に仕える公人だけれど、宰相は皇帝個人に仕える私人に近いのよ。しかしメアリー陛下もあくどいわね。まあ、酔い覚まし一服すれば醒める程度の酔いは皇統の嗜みよ。覚えておくことね」


 ワイングラスを掲げて見せた公爵は、柳井にいたずらっ子のような笑みを向けた。柳井は我ながら迂闊だったと気付いたが、時既に遅しとグラスを掲げて、一気にワインを飲み干した。

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