第40話-② 戦後処理


 帝国暦五九〇年三月二九日 〇八時〇〇分

 低軌道リング 一〇八工業区 新倉橋

 アスファレス・セキュリティ本社


 帝都での残務をギムレット公爵ら近衛に引き継いで、柳井は自らが本来所属するアスファレス・セキュリティの本社を訪れていた。ロージントン支社に赴任してからも何度も訪れているとはいえ、柳井はこの古びたプレハブビルの姿を感慨深く眺めてから玄関をくぐった。



 〇八時〇二分

 社長室


 社長はすでに出社済みで、そこで柳井は、退職願を提出した。


「……しかし、本当に辞めるのかね? 我が社としては、君の能力は高く評価しているが」


 いつもなら、能面のようなシュテファン・シュコプ社長だったが、今日ばかりは困惑が上回ったらしい。


「私がギムレット公爵との関係を深めた結果、社をいたずらに博打の要素が強い業務に巻き込むことになりました。また、公爵殿下が今後皇帝になられた場合、私は皇帝の即位に関する功臣ともなりかねません。皇帝や政府と我が社の癒着を疑われてしまうかもしれません」


 すでに自身が皇統男爵になった時点で、週刊誌などに根拠のない誹謗中傷が載ることは珍しくなかったが、今後それが過熱すると、会社の株価などに影響を与えかねないと柳井は考えていた。


 まして、今回ギムレット公爵が勝利したからいいものの、もし敗北していたら帝権に対する叛乱として、叛乱軍の参加者は処罰されても不思議ではなかった。


「……君らしい深謀遠慮だな。わかった、受理しよう」


 社長が渋々といった表情をするのも、柳井にとっては初めて見ることだった。


「僭越ながら、ロージントン支社については、ホルバイン課長代理以下、幹部達がよくやってくれています。支社長人事については社長の一存とは思いますが」


 事実、柳井不在でもロージントン支社はまったく問題なく事務部門も作戦部門も動いていた。ホルバイン以下、元々アルバータ自治共和国に派遣されていた部隊を中核としていたため、自分達で大抵の事案は処理できるだけの実力を備えていた。


「そろそろアルテナ部長にも経営陣に参画してもらうことも必要だろう。艦隊司令官もそろそろ後任を見つけねばならない。当面は、ホルバイン課長を部長に昇格させ、支社長代理を任せるとしよう。事務部門は、グジュラール課長に任せる形で――」


 大雑把な引継ぎ事項の確認を済ませた後、社長はホッとしたような表情を浮かべて、自分で淹れたコーヒーを柳井に差し出した。


「しかし、まさか会社の存続が認められるとは思っていなかった。お取り潰しまで考えたのだが」


 帝国の民間軍事企業が帝国の内戦において、どちらかの勢力に参加したことは歴史上初の出来事だった。


「まあ、我が社は民間軍事企業の中で唯一公爵殿下……皇帝陛下の戦列に馳せ参じたわけですから、無碍にはできませんよ」


 その後も柳井がこの会社に転職してきた頃からの昔話などを挟んで、柳井は社長室を後にした。



 〇八時五八分

 オフィス


まだ本社に残していた私物の整理のため、柳井はオフィスに入って私物の整理を始めた。その間にも、退職の知らせを聞いた社員達が挨拶に来るから全く柳井の片付けは進んでいない。


「柳井閣下!」

「ああ、指導将校殿。お久しぶりです」


 アレクセイ・クリモフ指導将校は、いつの間にか憲兵中佐まで階級が上がっていた。指導将校に回される将校の昇進は遅いと相場が決まっているが、彼についてはその軛を逃れられたようだった。


「退職されるとのことでしたが」

「ええ。まあ、自分なりのケジメのようなものですが」

「男爵閣下は帝国の功臣として活躍されたお方。共に仕事が出来たことを誇りに思います」


 指導将校との固い握手の後も、柳井の元には元部下や様々な社員が挨拶に訪れたが、不思議とまだ港湾区にいるはずのロージントン支社の人員は来なかった。



 一〇時一二分

 巡洋艦エトロフⅡ

 格納庫


「なんだ? 皆休暇でも取ってるのか……?」


 エトロフⅡの格納庫から艦内に入った柳井は、照明が落とされた格納庫内で右往左往することになった。ようやく照明のコントロールパネルを探し出して照明を付けた瞬間、軽い破裂音が格納庫を満たした。


「「「「「「柳井常務、お疲れさまです!」」」」」」


 キャットウォークやらコンテナの陰から飛び出してきたエトロフⅡの乗組員、いや、ロージントン支社所属の艦艇乗組員達や、本社に残していた事務部門のスタッフ達がクラッカーを鳴らして現れたのだった。柳井は目を白黒させながら『あんたが主役!』などと書かれたタスキを掛けられ、パーティーハットを被せられた。


「常務、いつ来るのかと、来てくれるのかとヒヤヒヤしておりました」


 ホルバインがニコニコしながら歩いてきて、ようやく柳井は笑みを浮かべた。


「これはどういうことだ?」

「いやいや、長年我が社につくし、経営再建を果たした男爵閣下が退職されるとなれば、盛大に送り出そうと思いまして。それに、今後帝国中で酒の肴の話題にされる閣下を、ごく少数の人間で占有できるなど今後あり得ぬことでしょうから」

「まったく、最後の最後まで君達ときたら……わかった、精々今までのフラストレーションをぶつけるがいいさ」


 暗闇の中気付いていなかったが、すでにエトロフⅡの格納庫にはテーブルが広げられ、酒やら料理が山積みされていた。艦内に隠れていた社員達も現れて、格納庫はキャットウォークの上まで人だらけ。柳井の双肩には、最低でもここに詰めかけた一〇〇〇人近い社員達の命が掛かっていた。その重責を改めて認識した柳井であった。


 五時間余りの間続けられた送別会の間、艦内各所に設けられた会場を巡って別れを惜しんだ柳井だったが、彼自身、地球でやるべき仕事が残っており、部下達とはここで分かれることとなる。最後に、格納庫に戻ってきた柳井の前にロージントン支社所属艦の艦長達や主立った役付の社員が柳井への挨拶をすることとなった。


「いやぁ、常務がいなくなると、事務処理ぶん投げられる上司がいなくなるから不安ですなあ」


 髭面の巡航戦艦ワリューネクル艦長、アルブレヒト・ハイドリヒ課長代理の言葉に、柳井は噴き出しそうになった。


「君の提出するレポートや書類は直しが多くて大変だった。次の支社長代理は当面ホルバインだ。彼は私以上に厳しいからな」

「そりゃあ大変だ。あんまり副長に投げるとキレられるんで……常務、お元気で」


 続いてアルバータ自治共和国派遣部隊時代からの付き合いであるガンボルト艦長、パン艦長、ブラウン艦長、エトロフⅡ副長のニスカネン課長補佐の挨拶に続き、柳井が尤も長い付き合いとなった部下、エトロフⅡ艦長、エドガー・ホルバイン課長が柳井の手を取った。


「常務、アルバータの派遣部隊以来、常務の下で得がたい経験を積ませていただきました」

「ホルバイン、君にも長年世話になった。礼を言わなければな」

「とんでもない」


 ホルバインの人の好い笑みは、八年前に初めて出会ったときと何も変っていない。柳井にとって、得がたい同僚だったことは疑いようがない。


「ロージントン支社のことは頼むぞ」

「いつでもご用命ください。船団護衛から星間戦争まで請け負いますよ」

「それもそうだな。その時は……そうならないことを祈っているが」


 柳井の困ったような笑みに、格納庫に笑いが満ちた。その後、ロージントン支社所属艦は任地へ戻ることとなり、全員がアルコール解毒剤の副作用に苦虫をかみつぶしたような顔をしながら作業を開始した。


 エトロフⅡの舷門まで見送りに出たホルバインに、柳井は敬礼を向けた。


「君達の武運長久と、航海の安全を祈る。では、指揮権の引継ぎを」

「指揮権、いただきました。常務、お元気で」


 柳井は軽く頷いて、舷門からタラップを下って桟橋へ降り立つ。タラップや固定用のアームが外されて、エトロフⅡが発進態勢を整えていく。民間軍事企業らしい水際立った動きで、次々とロージントン支社所属艦が出港していく。柳井はその様子を、桟橋の展望室から見送ることになった。


「ありがとう……」


 去りゆくエトロフⅡに、柳井はしばらくの間、敬礼をしたまま見送っていた。



 三月二九日 〇九時〇〇分 

 極東管区

 横須賀市

 柳井家



 柳井は会社で使っていた私物やロージントン支社から送付された荷物を低軌道ステーションにあるレンタルコンテナに預けることにして、数年ぶりの実家に滞在していた。柳井の実家は極東管区日本地区の横須賀という都市にあった。山の斜面にへばりつくように経つ住宅は、柳井の実家の周囲では珍しくない。彼が唯一個人資産らしい個人資産として所有する不動産は、元々柳井の父親と母親が住む、柳井自身の生家だった。


 その父親と母親も数年前他界し、東部へ赴任していた柳井は両親の死に目にも立ち会えていない。親不孝なものだと自嘲しながら実家の扉を潜ったのが深夜のことだった。


「……」


 実家のベッドで起きた柳井は、現実感の無さに自嘲的な笑みを浮かべた。軍艦暮らしが長すぎて、普通の家で寝起きする方が現実味を感じられなかったからだ。


 家そのものは柳井の弟や妹達が定期的に来て清掃しており、荒れ果てている訳ではなかった。ここに来るまでに買っていたコンビニのインスタントコーヒーを淹れながら、柳井は朝食を取ろうとしていた。


『続いてのニュースです。特別徴税局によるマルティフローラ大公らの国税および国庫金流用、選挙介入、の告発、いわゆる永田文書に関する続報です。極東管区行政府は、マルティフローラ大公からの選挙介入に――』


 テレビを点ければ、どのチャンネルも永田文書に関する報道で埋め尽くされていた。当面の間、あらゆる報道がこの調子だろう、とパンを囓りながら柳井は溜息を吐いた。


『――-続いてのニュースです。摂政代理、ギムレット公爵メアリー殿下は、皇帝選挙の実施日を四月四日と定められました。FNNが独自に入手した選挙出馬を予定する皇統は次の通りです』


 皇帝選挙も、喫緊の帝国政治課題だった。特に新味があるわけでもない独自入手したという候補者の皇統を見ていた。


 その後、リビングで自分の端末を広げて総督としての雑務をこなしたりしていると、あっという間に夕方となっていた。昼食も取っていないことを思いだしていた柳井だったが、その時玄関ドアの開く音がした。思わず身構えた柳井――職業病のようなものである――だったが、入ってきた人達の顔を見て安堵した。


「ただいま、兄貴」

「兄さん、久しぶり」

「おお、昌久まさひさ理恵りえ、もう来たのか」


 柳井が実家を訪れたのは、弟妹きょうだいと会うためでもあった。折しも土曜日ということもあり、休みを利用して実家に戻ってきてくれたのだった。


 柳井昌久は柳井の六つ下。現在はハルフォード・モータードライブの高崎工場に勤務し、製造一課長を務めていた。


 八つ下の妹である佐々木理恵は、東京市内で看護師をしていた。


 柳井の父は帝国軍主計本部所属で退官しており、柳井自身も軍を経て民間軍事企業の所属だったが、弟と妹はそういった業界とは無縁だった。


「兄貴、しかしまたスゴいことになってるな。司令官だっけ? 公爵殿下の下で出世したなぁ」

「もう帝都での事件も片が付いたからな。仕事も辞めて無職だよ」

「え? 兄さん無職なの!?」

「でも、総督とかいうのも続けてるんだろ?」


 帝国の軍事や政治に肩までドップリ浸かっていた柳井にしてみれば、弟妹達の政治や軍事の知識が初歩的なものでさえ抜け落ちているのが微笑ましく、帝国臣民の大半は、こう言うものだと再認識していた。 


「しかしすまないな。俺も仕事が山積みだったから、親父やお袋の事をお前達に任せっきりで……」

「いいんだよ。親父が言ってたよ、軍人とか民間軍事企業の人間になったからには、親の死に目には会えないものだって」

「そうよ。大体父さんが無理矢理軍人になるように仕向けたんでしょ? お母さんも自業自得だって父さん叱ってたわ」


 そうこうしつつ、酒を飲み交わし、弟妹達が帰った後、再び柳井は床に就いた。



 三月三〇日 〇九時〇〇分


 柳井にしては遅い起床時間。再び実家で起床した柳井は、ベッドのシーツなどを洗濯して再びクローゼットに仕舞い込んだ後、リビングの奥にある仏壇に手を合わせていた。


「……」

 

 帝国における分類では土着宗教となる浄土真宗の様式に則った仏壇には、謹厳そうな父と、優しげな笑みを浮かべる母の顔があった。


「……俺は一体、どこへ向かうのだろうな」


 まだ中等学校生だったころ、柳井には特に将来の夢はなかった。国防大学を受けたのも、さして裕福というわけではない実家の家計事情や、軍人になって欲しそうな父親の意向、少なくとも艦艇乗組員志願で一定期間務めれば、民間輸送船などへの転職も見えるだろうという展望があってのことだった。


 しかし運悪く、いや運良くなのか東部方面軍兵站本部所属を命じられ、兵站参謀として勤務した後、それに慣れた頃には今度は実戦部隊へ転属。そこで退役となった後、アスファレス・セキュリティに入社。今や皇統男爵になり、辺境の総督職などを仰せつかることになるとは、国防大学に入学した頃の柳井には予想できなかっただろう。


「……さて、そろそろ行くか」


 果たして今後、どれだけこの家に帰ってくることがあるのか。柳井は実家の戸締まりをして、一路成田宇宙港へと向かうリニアラインに乗車するため、駅へと向かった。


 

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