第40話-③ 戦後処理
三月三一日 一八時二〇分
ウィーン空港
柳井は早々に極東管区から帝都へと舞い戻っていた。しかし時間最優先で料金が高い軌道エレベータ経由ではなく、比較的安価に移動出来る航空便を使ってだ。今の柳井には時間が有り余るほどあった。
「やあ、参謀総長殿」
「マルテンシュタインさん。お久しぶりです」
柳井の出迎えに出ていたのは、元辺境惑星連合の司令官、現在は恩赦により帝国臣民権を得たアルツール・マルテンシュタインだった。現在彼はアスファレス・セキュリティの嘱託社員として軍事アドバイザーとして勤務しているが、基本的には帝国から支給される退役少将としての年金で生活している。
「まずはお疲れさま、とだけ」
「それはどうも……しかし、まさかあなたが出迎えるとは思いませんでした」
「まあこれも、フロイライン・ローテンブルクの依頼でね。まだ彼女は東部から戻っていないようで」
「あの探偵事務所をご存じで?」
「私も小遣い稼ぎをせねばならないのでね。まあどうぞこちらへ……荷物はそれだけですか?」
柳井は機内持込出来る程度のトランクケース一つで空港に降り立っていた。
「会社の私物も大した量ではありませんし、社宅の荷物は低軌道リングのレンタルコンテナに預けてありますから」
元々柳井の私物の量など高が知れている。暇つぶしの古本の類いや衣類の類いを除けば、ほとんどが生活用の消耗品であり、それらはすでに処分されていた。
一八時四〇分
帝都ウィーン 旧市街
パブ・タンネンベルク
「叛乱軍の勝利を祝して」
「厄介ごとの一段落を祝して」
旧市街のパブに入った二人は、そう言ってビールに口を付けた。
「しかし、あの叛乱軍参謀総長殿がマスコミに嗅ぎつけられずに移動出来ているとは、帝国の記者というのはお行儀がいいものだ」
「まあ、どこの馬の骨とも知れない私に取材するより、公爵殿下に取材する方が記事として派手ですからね。ただでさえ永田文書の報道や皇帝選挙で時間を割かなければいけない中で、私にまとわりつくような暇はないでしょう」
実際には、柳井に対する取材要請は多数上がっていたのだが、アスファレス・セキュリティに聞いても退職した社員の行方についてまでは応えないし、近衛軍人でもないから近衛軍に問い合わせても無駄、第二三九宙域総督を管轄するのは星系自治省だが、今は永田文書問題でそれどころではない。こうなると柳井の足取りを掴むには地道に足を使い消息を追うしかないが、それは容易なことではない。
「しかし、まさか会社をお辞めになるとは。先輩が居なくなるというのは、後輩としては寂しいものです」
「会社の事務部門が問い合わせで疲弊するのは避けたいですからね。あることないこと書かれるのも御免ですし」
「なるほど。で、次のお仕事は決まってるんですか?」
「いいえ……まあ、総督の仕事は続いてます。イステールに骨を埋めるのも悪くない」
「あなたがそんな生活に満足できるとは思えないが」
「え?」
「仕事中毒だろう? つける薬がない」
「そんなことはありませんよ」
柳井は苦笑しつつ、ビールの二杯目を頼んだ。マルテンシュタインは気付けば三杯目に突入していた。
「帝国のビールは美味いな。これに比べれば、郷里のビールは馬の小便だ」
「そんなにマズいのですか?」
「いつかあなたにも馳走してみたいものだ。あれはビールという名の合成酒でね、分子レベルではビールかもしれんが、味は全く違う」
「それは楽しみだ……恐らく、今後あなたにも皇帝のお声掛かりがあるかもしれませんよ。その際は、どうなさるんです?」
「どうもこうも、今の私は帝国臣民の籍を与えられた忠良なる臣民だ。勅命とあらば参内して陛下の前にぬかずくこともやぶさかではない」
「やぶさかではない、ですか」
「なにか?」
「いいえ。帝国では皇帝陛下の呼び出しにやぶさかではない、などと言う人はいないので」
四月一日 七時二〇分
ホテル・ベルヴェデーレ
客室
マルテンシュタインとしこたま酒を飲み交わした後、柳井は帝都での定宿にしていたホテル・ベルヴェデーレに入った。退職金や貯金を合わせれば、もう少しグレードの高いホテルに泊まれたのにもかかわらず、柳井は中級クラスのこのホテルを選んだ。
そのままシャワーも浴びずに寝てしまった柳井だったが、結局起きるのは普段の仕事の時と大して変らない時間だった。出動中はともかく、ロージントン支社で事務仕事をするときと大して変らない。晴れて自由の身――言うほど自由ではないが――の身となったのに、柳井は真面目なものだった。
シャワーを済ませた柳井はいつも通りのスーツに身を包み、一階レストランへと向かうのだった。
七時四〇分
レストラン・ブルックナー
早朝だというのにホテル・ベルヴェデーレのレストランは混み合っていた。この時期帝都は企業や官庁の入社式や入省式、人事異動に伴う出入りでどこのホテルも混み合うが、ベルヴェデーレのレストラン・ブルックナーは宿泊客以外の客でもごった返す人気振りだった。
幸い宿泊客用のスペースは優先して確保されており、柳井のテーブルはすぐに用意された。
電紙新聞を広げて最新版のデイリー・エンパイアの朝刊に目を通す。その間に運ばれてきた朝食セットを平らげ、コーヒーを二杯飲んでいる。なお、柳井が頼んだのは最も安いモーニングセットで、食パン一枚、日替わりスープ、スクランブルエッグにベーコンが二枚、コーヒーおかわり自由となっていた。
「柳井様、お連れの方がお見えですが」
「はい?」
「ウルスラ・ロートリンゲン様と」
「……ああ、通してください。あと、これと同じものを」
恐らく、と思いつつも柳井は来客を待っていたが、見慣れた顔が歩いてくるのが見えて、笑みを浮かべた。
「今度は中々古風な名前を選ばれましたね、フロイライン」
「あはは、まあ年度替わりですからね。心機一転と思いまして」
言うまでも無く、ウルスラ・ロートリンゲンとはエレノア・ローテンブルクの偽名である。
「まずは閣下の勝利に乾杯」
「まだ朝ですよ」
「いいじゃないですか? どうせお仕事辞められて暇なのでしょう?」
「暇、と言うほどでも」
「そうですね。柳井さんのことですから、きっと仕事を作り出すんですよね。ま、それはあとでいいとして」
ウェイターが柳井の注文したモーニングセットと一緒に、朝一のレストランの風景に似つかわしくないビールグラスを運んできた。
「ま、飲酒運転さえしなければいいでしょう?」
「まったく。身体を壊さないでくださいね」
「あはは、それじゃ、男爵閣下のご栄達を祈って」
「帝国の弥栄を祈って」
グラスを一息に飲み干した柳井とエレノアだった。
「ところで、柳井さんの退職のニュース、もうあちこちの軍事紙に出てますよ。ほら、チェリーテレグラフとか」
柳井もよく目を通す軍事新聞だが、柳井は自分の名が乗っている位置に驚いた。
「一面ですか。他のニュースの隙間に埋め込んだとはいえ……」
帝国の新聞社は、紙から電紙ディスプレイへの配信方式に切り替えたのにもかかわらず、紙の時と変らない紙面構成を取っていた。新聞社の矜持というべきかこだわりと言うべきか、はたまた伝統墨守の悪習かはさておき、ともかく柳井の名は軍事紙としては一流と言われるものにまで出ることになった。
「どうです? トライスターとかゼネラルあたりに転職してみては」
エレノアが上げた社名は、両方共に民間軍事企業界ではシェアで
「向こうは今更私程度の指揮官など必要ないでしょう」
柳井はあくまで自分の軍事的才覚についての自己評価は
「それに私は、イステールで骨を埋めるのも悪くないと考えていますし」
「本心で言っているとは思えませんね。どうです?」
「……マルテンシュタインさんと同じ事を言うのですね、フロイライン」
「柳井さんには仕事と空気がほぼ同じモノだ、と公爵殿下が仰せでした」
「呼吸するのと同じ、か……それはまた、私がまるでワーカーホリックのようではないですか」
「はい」
エレノアに喰い気味で断言された柳井は苦笑して、口直しに水を飲んでから三杯目のコーヒーを注文した。
「そうそう。柳井さん、今日はお暇ですか?」
「まあ、予定という予定はないのですが」
柳井としては、この機会に皇統貴族のパーティ、その実皇帝選挙前の会合をまわるつもりで居た。今更ギムレット公爵への集票などしなくても問題ないとは言え、そもそも柳井は皇統界において新参であり、まだまだ顔を合わせていない皇統も多い。東部軍管区が主な仕事場だったせいで、そういった中央皇統界においての交流が少なすぎた。
「でしたら、私とデートしていただけません?」
「……また何かお考えあっての事と思いますが」
「もう、そういうときはもう少しロマンチックな言葉を掛けてもらえませんか?」
「朝からビールを一気飲みする方にですか?」
それもそうですね、とエレノアは笑った。無論、本当にデートをしようなどとは彼女も全く考えていなかった。
〇九時三四分
ラインツァー・ティア・ガルテン
ヴィオーラ公爵帝都別邸
「いらっしゃい柳井男爵、フロイライン・ローテンブルク」
柳井達を出迎えたのは、すでにヴィオーラ伯爵を引退し、ギムレット公爵にその地位を引き継いだ上で
「皇統公爵へ昇られたそうで、おめでとうございます」
柳井はウォルシュー公爵に頭を下げたが、公爵はやんわりとその動きを制した。
「ギムレット公爵、いいえ、ヴィオーラ公爵のついでに上がったようなものだわ。まあ、退職金代わりに受け取っておいたけれど」
帝国の領邦領主でも最年長、皇統界でも現在存命の中ではやはり最年長の部類に入るウォルシュー公爵は穏やかな笑みを浮かべていた。
「柳井男爵もご苦労だったわね。退職までしてケジメをつけたんですって? 真面目ねえ、あなた。うちの旦那そっくり」
「それはどうも……しかし、今日は随分と屋敷が賑やかなご様子ですが」
「私の公爵への陞爵祝いと、隠居する皇統の慰労会も兼ねて園遊会でも開こうと思って」
皇帝の代替わりは様々な変化を呼ぶが、帝国皇統界においては、第五代皇帝エカテリーナⅠ世の御世以来、皇帝の代替わりの際に老齢の皇統が子供に家督を譲って隠居するのが習わしとなっていた。無論、第八代のエドワードⅠ世のように六年で戦死するような例外はあったが。
「皇統は皇統で、新陳代謝をしていかないとね。次の皇帝は皇統の有効活用も考えてくれるほうがいいと、ゲオルクも言っていたし」
ゲオルクが先帝バルタザールⅢ世の本名である、ゲオルク=バルタザール・フォン・リンデンバウム・カイザーリングを指すのだと気付くのに、柳井もエレノアも三秒ほどの時間を要した。帝国広しといえど、先帝をファーストネームで呼ぶ人間は伴侶と幼少期からの友人程度だ。
「せっかく顔を見せたのだから、柳井男爵には是非、我々老いぼれの酒の肴になっていただきたいものね」
「最近そういった役回りばかりなのですが」
「あら、人気者は辛いわね」
老公爵の優しげな笑みに、柳井は困ったように肩をすくめた。
しばらくの間、三人はたわいもない雑談――と言うには物騒な話も含まれていたが――をしていたが、来客がどっと押し寄せ、園遊会の時間と相成った。
「本日は皆様、遠いところからお越しくださりありがとうございます。この通り、あの世への渡し船の順番待ちのような賑わいですが、今日は柳井男爵にも来ていただいたし、皆様若い皇統に優しくしてやってくださいね」
四月二日
〇八時三四分
ホテル・ベルヴェデーレ
客室
ウォルシュー公爵別邸での園遊会は実に九時間にも及び、別邸内のあちこちで車座を組んでいた老貴族達の酒の肴にされていた柳井だったが、翌朝にはある人物からの電話を受けていた。
『はぁい、義久。お元気?』
「これは公爵殿下。何かご用で?」
極々軽い調子で連絡してきた公爵は、いつもの通りの軍服姿だった。
『帝都に来てるなら言いなさいよ。うちの別邸貸してあげたのに、そんな安宿に泊まるなんて』
「まあ、そこまでお世話になるわけにも……ところで、何かご用で?」
『ライエル皇統伯爵が、あなたを自宅に招きたいと言っていてね。私が取り次いだ次第よ。閣下の今日のご予定は?』
「いえ、特には」
柳井には公爵が次に放つ言葉が予想出来ていた。
『じゃあ、九時に出迎えの車がホテルの前に来るらしいから。あとはそっちでよろしく』
このあと、皇統選挙の前日四月三日の夜まで、帝都に集まった皇統達の園遊会やら会合に引っ張りだこになる柳井であった。
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