第40話-① 戦後処理

 帝国暦五九〇年三月二七日二〇時二一分

 帝国議会議事堂

 上院本会議場


『賛成多数により、戒厳令および摂政マルティフローラ大公への全権委任の解除を承認することとします』


 今月に入って、帝国議会は三度の特別会議を招集した。一度目は年始、二度目は戒厳令布告と全権委任の決議、そして今回は三度目、戒厳令と全権委任解除を承認するものだった。


 柳井はその決議を皇統用の傍聴席から聞くことになった。閣議決定のあと、緊急召集された議員達は、連日深夜まで及ぶ会議に疲弊しているようにも見えた。さらに言えば、死に体のラウリート政権幹部達は葬儀の参列者のような顔をしているのが、傍聴席からでも見て取れた。


 戒厳令と全権委任解除が決定された後、今度は新皇帝即位までの間、その役割を代行する摂政代理への就任を、永田文書で告発されていない皇統の中で宮中席次が最高位にある近衛軍司令長官ギムレット公爵に要請することが決定された。これらを見届けた後、柳井は近衛軍司令部へと向かった。



 二一時三二分

 近衛軍司令部

 司令長官執務室


「予定通りです」


 内閣、議会との折衝などを終えた柳井が近衛軍司令部に戻って、極めて簡潔に報告した。柳井は葬儀の日にここを出てからまだ二日しか経っていないのに、この場所を訪れたのが遠い昔の出来事のように思えた。


 柳井は執務室のソファに崩れ落ちるように座った。普段なら着席を促されるまでは立っている柳井だったが、この日ばかりは各種の折衝に疲弊していた。


「ご苦労様。あなたが政府関係の取りまとめをやってくれたから、こちらは楽が出来たわ」


 コーヒーを飲んでいたギムレット公爵は、柳井に笑みを向けた。


「……まあ、殿下が大変なのはこれからですからね。少しは休んでおいて頂かないと」

「あら、随分気が利くじゃない義久」

「まだ皇帝選挙も下院選挙も終わっておりませんし、まだまだやることが山積みです」


 ギムレット公爵にとってはこれは皇帝の座を得るためのスタートにしか過ぎない。とはいえ、皇帝選挙は一番人気のマルティフローラ大公が大公としての地位を追われることが確実で、下院選挙にしても最大勢力である自由共和連盟が大きく議席を減らすことは自明。安心していい状況だった。


「殿下、ピヴォワーヌ伯爵が到着されました」

「通して頂戴」


 各所での政治工作に奔走していたピヴォワーヌ伯爵も、柳井同様ややうんざりしたような、疲労したような表情で執務室に入ってきた。


「やあ、メアリー。いや、今度こそ皇帝陛下と言うべきかな? ブランデーの一本でも持ってくれば良かったが、今回はこれで許してくれ」


 そう言うと、伯爵は公爵を抱きしめて、背中を叩いた。


「おめでとう、メアリー」

「まだ当選してないわよ」


 照れ隠しのようにはにかんだ公爵も、伯爵を抱きしめ返した。


「我らが参謀総長閣下もご苦労だったな。よくもまあ、こんな博打に付き合ってくれた」

「付き合ったと言うより、巻き込まれたと考えておりますが」


 苦笑いを浮かべていた柳井に、公爵はやや不満げだった。


「何よ、ツレないわね……しかし、あなたのおかげで会社艦隊を動員して、戦力も補充できた。あなたのマネジメント能力にも助けられたわ」

「それはどうも……まさかこのような立場になるとは思いませんでしたが」

「これで、あなたもアスファレス・セキュリティの社長辺りは狙えるのかしらね?」


 そう言われて、柳井は以前から心の内に秘めていた決断を口にすることにした。


「会社は、辞めようと思っているのですが」

「あら? どうして?」

「今後、殿下が皇帝に即位された場合、私は殿下の即位に尽力した功臣、ということになります」


 堂々と言い放った柳井に、ギムレット公爵とピヴォワーヌ伯爵は大笑いした。

 

「それ、自分で言う人って中々いないわよ。ねえ、オデット」

「いや、我らが参謀総長殿の自己評価が正当なものであることを喜ぶべきだ」


 その二人の反応を見て、さらに柳井は続けた。


「そんな人間が、一民間企業にいることが、その企業の経営に与える影響を考えたのですが」

「なるほどね。皇帝が一民間企業に入れ込んだ、というのは風聞が悪いか……」

「しかし、先帝バルタザールⅢ世陛下のご友人にも、探せば民間企業の社長くらいいるだろう。それで問題がなかったのなら、気にすることはないと思うが」


 ギムレット公爵は少し考え込んだが、ピヴォワーヌ伯爵はどこから取り出してきたのかグラスにワインを注ぎながら、事も無げに言う。


「……まあ、ケジメのようなものです。本来ならあのような博打に、部下や同僚を引きずり込むような真似はすべきでなかった。一歩間違えば叛逆者として死刑は免れませんからね」


 柳井のは言うことは尤もで、三二一年の内乱時も、民間軍事企業はいずれも事態を静観して、どちらかの勢力に肩入れする企業は居なかった。ある意味帝国軍以上に政治的に中立であろうとするのが、民間軍事企業の特徴だった。


「……ま、あなたの人生よ。辞めたら辞めたで、ちゃんと仕事は斡旋してあげるわ」

「近衛の平参謀でも、宮殿の事務スタッフでもなんでも構いませんよ」

「そんな楽な仕事、紹介すると思う? ま、考えとくわ」

「それはどうも」


 不吉なことを聞いた気がした柳井は、とりあえずその場でそれを口にすることはなかった。


「メアリーが紹介してこなかったらいつでも私に声を掛けてくれ。ピヴォワーヌ伯国領邦軍参謀総長でも、大臣ポストでもいくらでも用意する」


 ピヴォワーヌ伯爵は乗り気だった。新興領邦であるピヴォワーヌ伯国は、人材育成だけでなく人材登用にも積極的で、若手官僚や民間企業従業員を次々にヘッドハンティングしている。


「その時はお願いします……そろそろラゲストロミア宮殿に向かう時間では? 政府首脳部から公爵殿下への摂政代理就任要請の会合でしょう?」



 二二時〇二分

 ラゲストロミア宮殿

 第二会議室


 離宮としてのラゲストロミア宮殿はライヒェンバッハ宮殿の付帯施設の扱いで、常用されることは少ない。建造においても工期短縮、工費節約を旨とした為、儀礼的に用いる場所以外は官公庁ビルの設計を踏襲した実用主義だが、これは創建当時の皇帝であるバルタザールⅡ世の倹約趣味の影響だと伝えられている。


 それは宮殿内の部屋の名前にも現れており、第二会議室に代表される事務施設は極めて無味乾燥な名前と内装を持っていた。


「では、ギムレット公爵、摂政代理として、当面の帝権の代行をお任せしてよろしいでしょうか?」

「分かった。先の戦闘による復旧、統制の回復などについて力を注ぎましょう」


 法令としてすでにギムレット公爵の摂政代理就任は決定していたが、あくまで形式としては三権の長、つまり立法の長である帝国議会の両院議長、行政の長である内閣の首席である首相、最高裁判所所長から当人への要請により、その地位に推戴することとなっていた。これは皇帝についても同様で、皇統選挙の結果を追認するだけとは言え、議会、内閣、政府からの推戴を受けて、初めて皇帝として即位することが可能になる。


 上院議長オリヴァー・ローラント・フォン・クナイスル皇統子爵、下院議長デニス・マクドゥガル、最高裁判所長官ラジェンダー・ヴィルマーニ、そして首相のエウゼビオ・ラウリートがラゲストロミア宮殿の会議室で、この儀式を行なった。


 ただし代理の二文字をつけさせたのは、柳井の入れ知恵だった。帝国臣民は、帝国の支配体制が皇帝や議会の手を離れて摂政のような皇帝の代理人に握られ続けることは望まないだろうということで、代理の二文字をつけ、あくまで皇帝が決まるまでの緊急措置であり、短期間で本来の政治体制に戻すことを示した形だ。


「皇帝選挙の速やかな実施により、政治体制を元に戻すことこそが私の指名と考えます。三権の長たるあなた方の信託に応えましょう」


 ここまではあくまで台本通り。帝国の政治プロトコルに過ぎず、通信社などマスコミを入れて公開で行なわれていた。


「ここからは非公開になります」


 宮内省の広報官がそれらマスコミの人間を追い出してからが本題となる。


「ラウリート、あなたは何か言いたいこと、ある?」


 儀礼的な場ではない、帝国の最高権力者と三権の長の会談はギムレット公爵による口撃で始まった。ギムレット公爵の言葉は、明らかに永田文書に関するコメントを求めていた。ラウリート首相もそれに気付いていないわけがなく、脂汗を浮かべていた。


「問題につきましては、速やかに両院議員総会にて詳細を確認し、また――」

「自覚はあるのかって聞いてるのよ」

「――」


 ラウリート首相は何も言えず、口をパクパクとするだけで声が出ていない。彼も選挙において政治資金規正法違反、マルティフローラ大公からの資金流入が指摘されている政治家の一人だった。


「……両院議長もどうかしら?」

「……」

「……」


 こちらも無言。それもそのはずで、両院議長は二人とも自由共和連盟からの選出。政権与党の議員であり、永田文書と無縁ではない。


「最高裁判所長官、これはどういうことになるのかしら」

「永田文書のことを仰っていると拝察いたしますが、一般論として、あの文書の内容の検証が済んでいません。立法府と行政府には、しっかりと、その点を検証する責任があるでしょう」


 一般論とは言ったものの、文書の精査はすでに国税省メインシステムによる精査を行なっているし、報道各社もすでに裏取りを始めたとあっては、すっとぼけて火消しを待つ段階はとうに過ぎ去っており、明日以降の国会は荒れに荒れると分かりきっていた。


「永田文書の検証はすでに完了したものとみている。議会でケジメを付けない限りね。摂政代理として、私は辞職即解散総選挙は許さない。恐らく次の皇帝も承認しないわ。この意味が分かるわね?」


 国会の上院もしくは下院の解散は、両院に認められた解散権があるとされているが、事実上首相の持つ権限であるというのは明らかだった。しかし、帝国の諸法制を効力発揮させるためには、皇帝の御名と玉璽を必要とする。通常、これは両院や内閣から宮内省に対して提出され、皇帝はその追認として御名を記し、玉璽を押す。しかし帝国の歴史の中で、皇帝から幾度かこれを拒否したことがある。


 次の皇帝はまだ決まっていないが、マルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵が出馬不能となれば、ほぼ確実にギムレット公爵が次期皇帝となるわけで、つまり、ギムレット公爵はラウリート政権に政治的な切腹を申しつけたも同様で、しかも介錯もしない、と言ったも同然だった。


「はは……っ!」


 こうなると反論も出来ず、両院議長と首相は頭を下げるしかなかった。


「では、明日以降のあなた達の行動に期待する」


 公爵はそう申し渡すと立ち上がり、その場をあとにした。柳井もそれに続く。



 第一会議室


 第一会議室にはすでに帝国軍統合参謀本部長以下、帝都の主立った軍関係者が揃っていた。摂政代理に就任したギムレット公爵に対しての報告だったが、柳井は自分がここに居て良いのかと公爵に問うた。


「あなた、 参謀総長でしょ。まだ叛乱軍側で抑えてる捕虜やら施設があるんだから、その点はあなたから説明してちょうだい」

「はっ。では、こちらをご覧ください」


 柳井は自分の携帯端末から会議室のスクリーンに各種データを転送した。木星圏と地球圏での戦闘では多数の大公軍、つまりは領邦軍と中央軍の艦艇や将兵を捕虜としていた。これの返還について、柳井は要請した。


「速やかに憲兵艦隊から人員を送る。とりあえず、カリスト鎮守府、ティコ鎮守府に集約してくれるとありがたいが」


 統合参謀本部長の富士宮公爵も快くその点について了承してくれたので、柳井も安堵した。しかしもう一つの問題は領邦軍の処置だった。


「大公殿下より戦闘停止命令が出た時点で、大半の部隊は降伏勧告に応じていますが……いくつかは行方不明ですね」

「海賊になるか、亡命して賊徒に寝返るか……全体数の把握は、統合参謀本部が各領邦軍司令部と問い合わせしつつ集計する」


 そのほか事務的な報告をした後、東部軍管区司令長官のホーエンツォレルン元帥からの報告を聞くこととなった。


『東部軍管区全体としては、ほぼ平穏です。各地のデモ活動なども予想を超えるようなものはありません。国境宙域において、やや賊徒の活動が活発化しておりますが、全て駐留部隊により対処しております』

「元帥には、他の軍管区へのメッセージ発信など、混乱を最小化に尽力してもらったことを感謝している」

『帝国軍人は叛逆しません。辺境の守りは我らの役目。ご安心いただきますよう』


 そのほか、西部、北天、南天の各軍管区からの報告に加え、憲兵艦隊や治安維持艦隊側からマルティフローラ大公国、フリザンテーマ公国、コノフェール侯国の現状についても、公爵と柳井は共有を受けた。


「現状、大規模な混乱が見られないのならそれでいいわ。各領邦軍の所属将兵と艦艇、装備は順次任地へ戻し、高級士官は取り調べ完了次第同様に」

『よろしいのですか?』

「包丁使った殺人で、包丁を絞首刑にする馬鹿はいないでしょ?」

『はっ。当面の領内警備は憲兵および治安維持艦隊で行いますが』

「任せる。ギデンズ大臣には私からも申し渡しておく」


 ここまででほぼ、戦後処理の指示は完了した。しかし、柳井にはまだやるべき事が残っていた。

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