第39話ー⑦ 叛乱軍参謀総長・柳井義久

 一七時二二分

 ライヒェンバッハ宮殿

 地下司令室


 地下司令室には、大公が連れてきたマルティフローラ大公国軍の参謀達が詰めていたが、今や指揮できる兵力は司令室前を守る僅かな手勢のみ。ギムレット公爵の部隊が降下してきた時点で、彼らの戦いはほぼ終わっていた。


 銃声が分厚い装甲シャッターを通してでも聞こえてくるほどの近距離であり、もはや大公に逃げる術はない。


「カール・マルクス制圧部隊より入電。艦橋区画の離脱を確認。撃墜を求むだそうですが……」

「こんなところで撃沈してみろ。向こう半世紀は使い物にならなくなるぞ! だから地上にいるうちになんとかせよと命じたのに……!」


  大公軍の参謀の報告に、司令室をうろうろと歩き回っていたフリザンテーマ公が頭を掻きむしりながら叫んだ。


「すでに地下第一層まで押し込まれました! 長くは保ちません!」

「殿下、帝都から脱出して、領邦へお戻りください。そこで再起を」


 カアナパリ参謀長の言葉に、大公は首を振った。


「すでに艦隊の大半が戦闘不能なのに、どうせよと? 領民を巻き込んで陸戦でもしろというのか? そもそもどこから脱出するというのだ……」


 憔悴しきった様子の大公に、カアナパリ参謀長は降伏してはどうか、と続けるべきかと迷ったが、彼は結局言い出すことが出来なかった。


「大公殿下、月のヴィシーニャ侯爵よりホットラインです」


 司令室の中が静まりかえったとき、情報参謀が躊躇いがちに声を掛けた。


「月から? わかった、こちらに回せ」

『状況は切迫しているようですね、大公殿下』


 仏頂面のヴィシーニャ侯爵の顔を見て、マルティフローラ大公は居心地悪そうに目を背けた。


「特別徴税局がギムレット公爵に与して、宮殿で好き放題だ。侯爵の艦隊でこれを掣肘してもらえないか。首都防衛軍も動かぬのでは――」

『お断りします』

「なに……?」


 大公のみならず、コノフェール侯爵もフリザンテーマ公爵もヴィシーニャ侯爵の言葉に顔を強ばらせた。


『大公自身もすでに自覚がおありでしょう? 永田文書はすでに帝国中のマスメディアに出回っている。報道されないのは戒厳令中ですし、殿下に忖度しているのでしょう。だから帝都で大規模なデモや暴動が起きていない。それだけの破壊力をもつものです。そんなことになれば、帝都は今以上に荒れる。宮殿のみで被害が局限できている今のうちに、事態にケリを付ける必要がある』


 ヴィシーニャ侯爵の言葉に大公は呆けたように口を開いたまま数秒間固まっていた。


「何を言っているのだ……?」

『お分かりいただけませんか? 殿下と周辺の方々の身柄が、特別徴税局に確保されることを望む、と言っています。無駄な抵抗は辞めていただきたい』

「ヴィシーニャ侯! 彼らは帝権に対して叛乱を起こしたのだぞ!?」

『帝権を濫用したのは大公、あなたではありませんか。正当な理由なく戒厳令を布告し、内国公安部を使い帝国の忠臣たるギムレット公爵を暗殺しようとしましたね?』


 近衛軍司令部の司令長官室に踏み込んだ内国公安部の職員の映像が、通信ウィンドウに表示された。


『大公殿下、すでにあなたは見捨てられています。この映像は近衛軍司令部だけでなく、内務省からの裏付けも取れています。戒厳令が終われば、藤田大臣は責任を取って辞職なさるでしょう』


 これは特別徴税局による調略の結果、内務省外事課が省内クーデターとでも言うべき行動を起こした結果だった。


『リンデンバウム伯とも協議した結果、我々は帝都での大規模戦闘にならぬ限り介入せぬと決めております。大公殿下におかれましては、潔いご判断を』


 冷たく言い放ったヴィシーニャ侯爵の言葉に、マルティフローラ大公は顔を俯けて黙りこくるしかなかった。


『すでにギムレット公爵の本隊が木星圏を出立し、夕方には帝都に降りてくるでしょう。私としては、それまでに事態収拾が付くことを望みます。それでは』


 大公はしばらく黙ったままだったが、やがてゆっくり立ち上がった。


「コノフェール侯爵、フリザンテーマ公爵、ここまでよく付いてきてくれた。まだ卿らには道がある。ここを出て再起するなり、投降するなり好きにしろ」


 言われた二人は、後ろめたそうに周囲をキョロキョロと見回しながら、護衛の兵士と共に司令室から続く脱出用の地下通路へと向かった。



 一七時三二分

 ライヒェンバッハ宮殿

 一階 中央ホール


「酷い有様ね、これは」


 面倒な交渉ごとは全部柳井に任せきりにして、ギムレット公爵自身はライヒェンバッハ宮殿に入っていた。銃撃戦により正面玄関から入ってすぐの中央ホールは銃痕、血痕だらけの有様だ。


「殿下、まだ危のうございます!」


 先に入っていた近衛陸戦兵が驚いて公爵を守るために囲もうとするが、公爵はそれを手で制した。


「ここで死ぬならそれまでのことよ。地下司令室の様子は?」

「特別徴税局からは、蟻の子一匹出られない状態だとのことです」

「そう……帝都全域の飛行物体に注意。私達も知らない地下通路があれば、そこから逃げ出して領地に帰る恐れもある」

「はっ。交通局、帝都防空司令部に徹底させます」


 そうこうしている間に、宮内省など中央官庁を巡ってきた柳井も宮殿に入った。


「ここがあの宮殿とは……」


 柳井は幾度となく宮殿を訪れていたが、その変りように驚いていた。上空は特別徴税局、近衛の艦艇が遊弋し、宮殿前庭には装甲徴税艦カール・マルクスの巨大な船体が横たわり、内部に入れば銃痕に硝煙に血だまりだらけと来たわけで、驚かずにはいられない。


「義久、首相閣下は?」

「事態収拾を殿下にお願いする、とのことでした」

「今頃さぞ首筋が寒いでしょうね」

「マフラーでも差し入れますか?」

「あなたのジョークは緊張感を削ぐわね……」


 公爵は柳井のことを高く評価しているが、彼のジョークだけはやや苦手としていた。民間軍事企業に務めている者にありがちな緊張感の無さに由来しているが、柳井のそれは群を抜いていた。無論、柳井がそれだけの死地をくぐり抜けてきたからでもあるのだが。


「上層階の被害は?」

「窓ガラスなど八〇〇枚以上割れております。またカール・マルクス突入時の衝撃で丁度品等にいくつか破損が見られます。宮殿の躯体そのものは問題ないようです」


 調査を終えた近衛参謀の一人が報告して、公爵は溜息を吐いた。


「大公殿下と特別徴税局が一階と地下だけで戦ってくれて幸いだったわね」

「楡の間に特別徴税局の分遣隊がいるようです。そちらで状況を確認してみましょう」


 一七時三六分

 楡の間


「こ、公爵殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう」


 緊張した面持ちで、特別徴税局の事務職の女性が公爵に頭を垂れた。


「義久、これが普通の反応よ」

「はぁ」

「間の抜けた返事ね……ああいいのいいの、堅苦しいのは。戦闘中だし。状況を教えてちょうだい」

「は、はいぃっ。地下司令室の三ブロック先まで侵入していますが、大公殿下の部隊がバリケードを築いて防戦中。にらみ合いが続いています。特別徴税局部隊も数で押し切るわけにはいかず……永田局長が現地にいますが、繋ぎますか?」

「なるほどね。いいわ、ありがとう。直接話しに行く。あなた、名前は?」

「徴税特課、ソフィ・テイラーです、殿下」


 公爵は特課の長の名前と顔を思い出して、手を打った。


「ああ、あの永田の秘蔵っ子の。あなた達のおかげで私達も楽にここまで来られた。礼を言うわ」

「畏れ多いお言葉……」

「ふふ、可愛いわね。あなたうちに来ない?」


 柳井はギムレット公爵の性的嗜好というものまで理解しては居ないが、美男美女を好むことくらいは、近侍の選び方を見ても分かる。その点、特別徴税局のソフィ・テイラーなどは公爵のお眼鏡に適うのだろう、と納得した。


「殿下」

「冗談よ」


 柳井が窘め、公爵は肩をすくめた。これが人の目が無いところなら、ナンパなら別の機会にと進言するところだっただろう。


「あっ、殿下。お待ち下さい……先ほど突撃を掛けたようで、司令室前まで突入した模様です。現在司令室の最後の装甲シャッターをこじ開けているとのこと」

「わかった、ありがとう……義久、あなたは議会に全権委任法による摂政マルティフローラ大公への権限を解除する臨時閣議を開かせてちょうだい。戒厳令解除のほうも同時に進めさせて」

「はっ」



 一七時四二分

 首相官邸

 閣議室


「宮殿より連絡があった。特別徴税局がマルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵を拘束したとのことだ」


 エウゼビオ・ラウリート首相の重々しい言葉とともに、閣議が開始された。この閣議は戒厳令とマルティフローラ大公への全権委任の解除を決定するためのものだ。


 藤田昌純内務大臣、ロジーネ・ジーグルーン・マルガレータ・フォン・ヘルツォーク財務大臣は顔面蒼白のまま閣議室の椅子に腰掛けていたが無理もない。永田文書で暴かれたマルティフローラ大公らの所業の多くは、内務省と財務省が協力しなければなしえないものだった。首相と共に、今後の野党からの追及は避けられない立場にある。


「皆様には早急に戒厳令解除、全権委任法による摂政マルティフローラ大公の権限剥奪を議会で通していただきたい、と公爵殿下は仰せです」


 首相との密談の後、公式に閣議が開始された。記録が残る閣議において、ギムレット公爵率いる叛乱軍の全権代表としての柳井は第二三九宙域総督という立場で参加している。まさか帝国が続く限り帝国公文書管理局で保存されるものに、叛乱軍参謀総長などと記すわけにはいかなかったからだ。


「それと共に、私は政府への内部監査を行うべきだと思うのだが」


 財務大臣の隣に座るオットー・シュタインマルク国税大臣は疲れている様子ではあるが、隣の財務大臣に比べれば生気が満ちている。


「内部監査?」

「国税査察権を用いて、マルティフローラ大公国他、領邦への国税監査を行うと共に、政府部内についても国税の使途について洗い出す必要がある」

「しかしそれは」

「何か探られると痛い腹でもあるのか? アイン」


 ラオ・クアン・アイン国土大臣に、国税大臣は揶揄するような声を掛けた。


「……やむを得ないだろう。どのみち、野党や世論はそれを求める。この内閣は、たった今より敗戦処理内閣だ。連日の閣議、審議で皆疲れていると思うが、これは我々がケリを付けねばならない問題だ。よろしく頼む」


 立場上そう言わざるを得ないラウリート首相だが、戒厳令を解くことが自分のレームダックへの道を開くことにもなることは十分理解していた。しかし、制度上彼は今政権を投げ出すわけにも行かず、死に体のまま職務を執行するしかない。



 一七時五八分

 宮内省

 大臣執務室


「……このような形に事態が進むことを、バルタザールⅢ世陛下は一番心配されておりました。閣下におかれては、その事をご存じだったはずです」

「面目次第もありません」


 ヴァルナフスカヤ宮内大臣の静かな怒りを受けて、柳井は謝罪を述べるしかなかった。戒厳令が布告されてから宮内省は完全封鎖状態を維持していた。柳井が入れたのは、柳井が従兵も付けずにふらりと訪れたからである。


「男爵閣下に文句を言っても始まりませんね……」

「宮殿があの有様では、当面は仮宮殿が必要になるでしょう。その準備を手配していただきたいのですが」

「ラゲストロミア宮殿が使えるでしょう。至急準備を進めます」


 ラゲストロミア宮殿はドナウ川沿いに建てられた皇帝の離宮の一つで、第七代皇帝バルタザールⅡ世の時代に、ライヒェンバッハ宮殿の大規模修繕に備えて建造されたものだ。現在でも皇帝の公子――皇帝の地位は世襲ではないので、地球帝国では皇太子、皇太女の称号は用いない――が婚姻し、家庭を持った際にはこちらに住むことが皇統典範で定められている。


 その他、皇統貴族の冠婚葬祭に使用することもあるし、帝国政府が皇帝に勅許を得て領邦領主や自治共和国代表との会談に用いることもある。


「よろしくお願いいたします……我々のことを、悪辣だと思いますか?」

「……それは後生の人間が判断することでしょう。私としては、双方が最小限の犠牲で戦ったと、評価するよりありません」


 今回の内戦は、兵力こそ三二一年の内戦に匹敵するものだったが、太陽系内のみで双方の勢力が短期決戦を企図して戦闘が行われた。戒厳令や電子妨害などのせいで経済的な被害はあったものの、かつての内戦に比べれば兵員数の損耗も少ないし、帝都での戦闘はライヒェンバッハ宮殿に局限されている。


 図らずもマルティフローラ大公もギムレット公爵も、帝国の広範囲で戦闘を行うことが、自分達への支持に響くことを考慮した結果だ。


「では、私はこれで……」

「あなたとこういう立場でお話しするのも最後かもしれませんね。男爵閣下、どうかこの先も、ギムレット公爵が道を誤らぬように、お支え頂きますよう」

「……どうでしょう? 私は支えるというより、引きずり回されているほうですから」


 柳井は肩をすくめて、大臣室を後にした。






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