皇帝陛下の懐刀~帝国宰相柳井義久~

プロローグ 中年男性・柳井の休日

 地球帝国は広大な版図を維持するために、多数の艦艇を備えた帝国艦隊を整備し、これらの下部組織として大規模な陸戦、空戦部隊を整えてはいたが、それでも半径一万光年にも及ぶ版図をすべてカバーするには至らず、これらはもっぱら帝国の敵対勢力である辺境惑星連合、略してFPUの主力艦隊との戦闘に従事していた。それ以外の海賊などの無頼の輩への対処は、星系自治省治安維持艦隊や航路保安庁の交通機動艦隊、自治星系防衛軍や領邦軍、そして民間軍事企業が対処することが日常だった。


 その民間軍事企業の一つ、アスファレス・セキュリティ株式会社で課長を務めていた柳井義久は、アルバータ自治共和国における叛乱を僅かな手勢で沈めたことを始まりとして、数々の戦いをくぐり抜けるなかで近衛軍司令長官メアリー・フォン・ギムレット皇統公爵に見出され、自らも皇統男爵の地位を与えられてFPUの侵攻に対処したり、叛乱を起こした皇統貴族の後始末をしたりと様々な仕事を効率的に処置していった。


 先に行なわれた帝国内の帝位継承問題に関わる戦いにおいて、ギムレット公爵の補佐を務め、その軍を勝利に導いた柳井ではあったが、次代皇帝を選ぶ皇帝選挙を前に一〇年以上務め、常務にまで昇進を果たしていたアスファレス・セキュリティを退職した。


 皇帝選挙の結果を見届けた柳井は、先代皇帝バルタザールⅢ世に任じられていたイステール自治共和国を含む第二三九宙域総督の任を果たすため、イステール自治共和国首都星ガーディナへと降り立っていた。



 帝国暦五九〇年四月六日

 一〇時〇〇分

 行政府

 総督執務室


 人生初の何も予定が入っていない休暇だというのに、柳井は律儀に背広を着てイステール自治共和国の首都星に降り立ち、行政庁の自分のオフィスに入った。


「柳井閣下! お待ちしておりました」

「ロベール君も元気そうでなによりだ。しばらくはこちらに滞在する」


 カミーユ・ロベールは行政府開拓局主任開拓官を務めていたのだが、柳井が第二三九宙域総督代理として赴任した際、補佐官として配属された青年だ。仕事熱心で骨惜しみをせず、常駐できない柳井に替わって情報収集や、柳井の質問と助言――と言う名の事実上の命令――を行政府に伝えるパイプ役をこなしていた。


 柳井が管轄する第二三九宙域には、他にもいくつか自治共和国があるのだが、柳井は敢えて最も開拓が遅れているイステールに総督としての本拠地を置くことにしていた。


 これは皇統貴族として、辺境情勢、特に開拓が遅れがちで経済的にも裕福で無い地域を見捨てていないことをアピールする狙いがあった。一部週刊誌では見え透いた行動と報じられているが、見え透いていない玄人にしか分からないアピールなど意味が無いと柳井は考えていた。


「中央があれだけ騒がしくても、辺境はいつも通りか」


 まだまだ開拓、特に緑化が不十分なイステール自治共和国のセンターポリスガーディナの周囲には、岩盤が露出した荒れ地も多い。オフィスの窓から見えるホコリっぽい風景に笑みを浮かべた柳井が、オフィスチェアに腰を落ち着けた。


「いっそ総督職に専念して、イステールに骨を埋めるのも悪くないかもしれないな」

「会社、辞められたそうですね。どうしてですか?」


 柳井の分と自分の分のコーヒーを淹れたロベール主任が、柳井の横に自分のデスクから椅子を持ってきて腰掛けた。


「道義的責任かな。皇帝のお抱え貴族が私企業にいることが、その企業の健全さを失わせてしまうかもしれない」

「閣下がマルティフローラ大公らのように、国費を不正使用したり、脱税に関与することが考えられる、ということですね」


 柳井の行き過ぎた深謀遠慮だったが、そもそも結果的に追い落としたマルティフローラ大公らの罪状の一つが、懇意にする企業を使った脱税や国費の不正使用だった以上、メアリーⅠ世が懇意にする自分が企業所属というのはあまりに風聞が悪かった。


「まあ皇統が居る私企業は少なくないが、私の立場は些か複雑だ。陛下がもっと広い人脈を持っていれば私の気苦労も減ったのだが」


 ギムレット公爵は祖父のパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵や皇帝から密命を受けて、幼少期から近衛軍司令長官に親補されるまで辺境で活動しており、中央皇統社会に復帰してからまだ一〇年少々。領邦領主や高位の皇統ならば幼少期から行なう社交界での人付き合いというものをやってこなかった分、人脈が薄いのが弱点だった。そこを補うのが柳井やピヴォワーヌ伯爵の役目とも言える。


「陛下からお声掛かりはないのですか? 大臣などに取り立てられるとか」

「今はまだ皇帝選挙後の後始末やら何やらが山積しているからな。明日には永田文書に関する公聴会なども終わり、内閣はその責を問われて総辞職、下院が解散して総選挙が公布される……大臣はないだろう。基本的には下院議員から選ぶのが慣例だ」


 戒厳令布告がマルティフローラ大公による皇帝選挙の劣勢を覆すための私的なものであり、さらには国庫から多額の予算を引き出し辺境惑星連合への工作資金としていたことなどが判明したマルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵の三人に加え、一〇年にわたり政権を担ったラウリート政権がこれらの事実を隠蔽していたことも永田資料により明るみに出て、内閣支持率、与党支持率は帝国史上稀に見る急降下をたどり、既に二割を割り込んでいた。


 ラウリート政権内部でも波乱が起きた。国税大臣シュタインマルクが帝国政府に対して特別監査権を発動。各官庁に対して国税に関するあらゆる査察を行うと共に、永田資料に基づく使途不明金問題の解明に動き出したのだった。


 これらを受けての選挙は、確実に政権交代を生じる。これらが終わるまで閣僚人事も固まらないからこそ、柳井は一ヶ月もの間解放されたと言えた。


「それらが終わったら、私の処遇もなんらかの形ではっきりするはずだが……」

「では、それまでは存分にイステールでお休みください。しかし、閣下は少し仕事をしているほうが休まるのでは?」


 柳井とはそう長い付き合いではないロベール主任にさえ、柳井はワーカーホリックと認識されていた。


「君は本当に勘が良いな……そうさせてもらおう」


 柳井は苦笑しつつ、ロベールが入れたコーヒーを啜りながら、総督宛に届いていた嘆願書などに目を通し始めた。


 嘆願も様々なものがある。大半の者は行政府の都市整備局や開拓局、エネルギー管理局などで対応可能なものであり、それらはロベール主任が仕分けて処理していたが、それでも残るのはもっと政治的な判断が必要なものや、告発のようなものである。


「権力が集まるところに疑惑あり、としたい人は多いのだろうな」


 柳井は安定しているように見えたイステール自治共和国にも様々な政治不信の種があることを思い知った。ただ、そのほとんどは公開情報を付き合わせるだけで検証可能で、告発された内容がほとんど無知、無理解によるものだと判明した。


「政治家や行政府、公務員の不正など、今の帝国ではやればやるだけ損だ。それでも市井の人には、我々が湯水のように税金を浪費して、私腹を肥やしているように見えるらしい」

「まあ、気持ちは分かりますが」

「永田文書の内容にしても、役所が持つ情報を突き合わせて判明したようなものだ。中には公開情報だけでも理解できるものもある。まあ、一般人は役所や自分の勤め先以外の情報を仕入れるようなことはしないからな」


 柳井は元々兵站業務を司る兵站参謀を経験しており、多種多様な情報を突き合せ、必要な物資やサービスの提供に心を砕いてきた。それはアスファレス・セキュリティでの業務も同様で、兵站に加え、同業他社の営業状況、辺境惑星連合の動きも直接的な動き以外の、例えば物資の消費量や輸送量などから推測することも珍しくなかった。


「そういえば閣下、滞在中の住居はどうなさいます?」

「そうか……まあ公務員宿舎でも開いていれば、そこでいいが」

「それではイステール自治共和国の沽券に関わります。閣下、総督公邸は建てる必要が無いとのことでしたが、ご再考いただけませんか?」


 柳井は万事清貧を好み、質素倹約が服を着て歩くような人物だった。そもそもが軍に居た頃から仕事に追われる生活で、金を浪費するスタイルがまったく身についていなかった。下世話な話ではあるが、彼の預貯金額は同レベルの収入を得る独身男性の平均額を大幅に上回っていた。


「私自身がイステールにどれだけいられるか分からないからな」

「それでは、ルガツィン元伯爵の屋敷について、行政庁内で転用するか解体するかの議論がありまして。これを転用されてはいかがでしょう」


 イステールの叛乱において首謀者とされるルガツィン元皇統伯爵の屋敷は、柳井が前回滞在した際に遺品を整理しただけで、まだそのままになっていた。叛乱首謀者の邸宅とあっては風聞も悪い。


「やはり辺境惑星では買い手が付かないか……宮内省はなんと?」

「男爵閣下にお任せしろ、とのことでした」

「丸投げか。それならありがたく使わせて貰おうか。私が不在時は行政局の迎賓館として使うこととしよう」


 各宙域総督の滞在する惑星では、総督公邸と迎賓館が別にされているものも少なくない。しかし柳井はあくまで節約を考えた。


「わかりました。清掃業者を入れて、寝室など最低限の設備は本日中に使える状態にします。ルガツィン元伯爵の遺産はどうされますか?」

「古書の類いはイステール中央図書館に収蔵して、文書は行政局公文書課で一〇年機密保持、期限終了後には一般公開を前提に保管すること。それ以外の美術品などは、売却できるものはすべて公売に掛けてくれ。古美術の類いはあっても仕方がないだろう?」


 柳井の指示は万事無難だったが、美術品の扱いについてはロベール主任が異を唱えた。


 ルガツィン伯爵は特別贅を尽くした生活をしていたわけでは無いが、多くの皇統貴族、特に伯爵以上の貴族がそうであるように、美術品もある程度所持していた。


 帝国は建国からすでに六〇〇年近く、初期帝国時代のものは、中世ヨーロッパなどで作られたものと同様古美術として価値が高まっていた。


「いえ、しかし……自治共和国と言えども一国家の迎賓館となるのなら、多少の見栄も必要かと」


 その言葉に、柳井はふと気がついた。柳井自身は華美なものに興味が薄く、虚栄とは無縁の人間だったが、組織、特に国家レベルともなるとそういった過度な倹約精神はむしろ有害になり得るのではないか、と。


「なるほど、見栄か……わかった。迎賓館として品位を保つ程度は残しておいて貰おう。教育局あたりに品定めを任せておけばいい」

「了解しました」



 一八時一九分

 総督公邸

 玄関ホール


 放っておけば深夜まで嘆願や開拓状況報告書を読み漁りそうな柳井を、ロベール主任は行政府の定時には追い出していた。


 ロベール主任曰く『総督が働いていたら他の者が帰りづらい』というものだった。アスファレス・セキュリティ時代にはそんなことお構いなしにホルバインやハイドリヒは非番に入っていたので、柳井にとっては新鮮な意見だった。


「広すぎて落ち着かないな」


 柳井はそれだけでロージントンで借りていた社宅ほどの広さがある玄関ホールで立ち尽くしていた。ロベール主任の手配で清掃は完了していたが、何せ広い屋敷に一人。これまで柳井が多くの時間を過ごしてきたエトロフⅡのように、通路を出れば誰かに出会うこともない。軍の宿舎のように周りを同僚が囲んでいるわけでもない。人生で初めて、柳井は人恋しいという感情を抱いていた。


 ぼやいたところで誰が反応するでも無い。仕方のないことだと柳井は一人寂しげな笑みを浮かべた。


「まあ、書斎の整理でもするか……」


 だからといって、柳井は性風俗に頼るほど精力旺盛というわけでもなかった。ガーディナにもそれなりに風俗店はあるし、娼婦を呼ぶというのも手段の一つではある。しかし、青年士官だったころはともかく、今の彼にそういった方面の興味はほぼないと言って良かった。



 一九時二一分

 書斎


「……」


 ルガツィン伯爵が使用していた書斎は、柳井が前回訪れた時からほぼそのままだった。半分ほどの書籍は中央図書館に収蔵されたが、その必要の無い、比較的新しい普及版の書籍などはそのままにされている。


 しかし、伯爵の蔵書の趣味は高尚で、中近世あるいは現代の名だたる著作家のものばかりで、ある意味退屈なものだった。その中で柳井の興味を引いたのは、火星初期開拓時代の開拓民が記した手記だった。


 柳井は今時珍しいハードカバーの上製本を開いて読みふけっていた。


「……」


 元々柳井は無趣味な人間で、読書についても軍隊という限られた娯楽しか無い空間で非番の時間を潰すために始めた習慣に近い。フィクション、ノンフィクションに関わらず何でも読むのが柳井の読書の特徴だった。


「酒が欲しいな……」



 一九時四九分

 厨房


 街中のレストランほどもある立派な厨房の冷蔵庫には、これもロベール主任が手配したのか一般的な飲料やレトルト食品の類いは揃えられていた。R&Tボトラーズ製のビールとハムやらチーズを取りだした柳井は、とりあえず厨房の隅にある作業台で慎ましやかな晩酌を楽しみはじめた。


 柳井の数少ない趣味の一つは飲酒だが、それも節度を持った慎ましいものだった。


「居住スペースにキッチンくらいは作ってもらうか……」


 その時、屋敷のインターホンが鳴らされ、柳井の携帯端末に来訪者の姿が映し出された。


「ロベール君? どうした?」

『すみません閣下。もし叶いましたら、若手官僚を連れてきたのでご一緒に夕食でもいかがかと』

「願ってもない。上がってくれ」


 六人ほどの若者達が来たことで、屋敷の雰囲気は華やいだ。


「ギムレット公爵閣下にお仕えするなんて、我々からしたら想像も出来ないことです」


 行政局の若手の一人がそう呟いた。柳井は苦笑して、ロベール主任達が持ってきた店屋物の惣菜を頬張っていた。


「そうだろうか? あの方は頭の回転が早くて、出力に手間を掛けないせいで誤解されるからな」


 ビールの二本目に手をつけた柳井は、機密に触れない範囲でギムレット公爵の人となりを若手官僚達に話した。当代皇帝の私的な話に興味を抱かない帝国人は居ない。破天荒でありながらも遵法意識には富んだ歩く重荷電粒子砲ことメアリーⅠ世の逸話に、若者達は興味津々だった。


「しかし、柳井閣下はこのままイステールに居られるんですか? 閣下がいると、何故か街の雰囲気も活気づくのです」

「イステールのような辺境は、中央から見放されている、という話も多いからな。閣下がいると、急にここが帝国中央になったように感じます」


 若手達の言葉は、ルガツィン元伯爵の遺書を読んだときから柳井の心に刺さったトゲをさらに押し込むようなものだった。


「だからこそだ。私が今後、何らかの職を得たとしても、こうして皆と、あるいは街の人達と語り合うようにしたいと考えているんだ」


 その日の柳井はやや饒舌で、深夜まで若手官僚達と語り合った。



 五月一日

 一〇時五〇分

 ヘブリニッジ工業地帯


 柳井がイステールに腰を落ち着けてほぼ一ヶ月。その間に帝国下院選挙があり、帝国民主党が自由共和連盟を破り政権を奪取。新皇帝メアリーⅠ世の下で失った政治の信頼を取り戻すべく悪戦苦闘していたが、相変わらず柳井はイステールでの総督生活を満喫していた。 


 今日の柳井はセンターポリスのガーディナから南に一〇キロほど離れた工業都市へブリニッジを訪問していた。


 広大な工業地帯とはいえ、労働者そのものはかなり少ない。それでも時折すれ違う労働者達に、柳井は話を聞いたり、声を掛けられれば答え、手を振られれば振りかえした。


「柳井閣下は視察がお好きですね。ルガツィン氏でも週に一度程度でしたが」


 柳井は一日のほとんどを惑星ガーディナの視察に費やしていた。他の自治共和国への視察も行う。ともかくあちこちに顔を出していた。大は今日のような工業地帯、小は地元の商工会議所や町内会レベルの会合にも顔を出していた。


「私は軍隊の兵站事務が本職で、艦隊司令官としても政治指導者としても門外漢だ。であれば、私の役目はせいぜいマスコットとハラキリ要員だ。市民に好感を持っていただくのが、私の最大の任務だろう?」


 そう言って、柳井は求めに応じることもあるし、自分から申し出てどこへでも赴いていた。


「なるほど」

「専門分野は専門家に任せておけば良いんだ」


 とはいえ、柳井の半生は専門外のことを放り投げられて対処することに費やされていたのだが。



 一六時五〇分

 行政府

 総督執務室


「総督閣下、お久しぶりです」


 シャツの上から作業着を羽織る技官によく居るスタイルで総督執務室を訪れたのは、ラザール・ルブルトン皇統子爵。惑星開拓庁東部整備局開拓部長を務めており、多くの時間を第二三九宙域の一画にある開拓中の惑星で過ごしている。


 自分より一〇は年上の皇統子爵の来訪に、柳井は顔を綻ばせた。


「ルブルトン子爵もお変わりなく」

「中央ではずいぶんご活躍なさったそうで。爵位で抜かれるのも時間の問題ですかな」


 悪戯めかして言う子爵に対して、柳井は引きつった笑みを浮かべた。あの皇帝陛下が自分に報償というだけで爵位を与えるわけがなく、爵位が上がればより厄介な仕事に巻き込まれるのが関の山だからだ。


「怖いことを言わないでください。男爵でも身に余るものを」

「しかし、陛下の戴冠に際しての功臣でしょう? これで爵位が上がらないのなら、私はギムレット公爵、いえ、陛下の識見に不安を抱かざるを得ないというところです」

「そうでしょうか……申し訳ありません。ガーディナにくるとつい腰を落ち着けてしまうもので」


 柳井としてはこの宙域において先任と言える存在の子爵を無碍にしていたように思えて、申し訳なく頭を下げた。


「帝都の喧噪に飽きたらいつでもこちらへどうぞ。ただ、その暇もなくなりそうですな」

「なにか?」

「最近噂になっているんですよ。柳井皇統男爵の次の仕事について」


 子爵にも自分がワーカーホリックのように思われているのだろうか、と柳井は苦笑いしてコーヒーに口をつけた。


「総督職がありますが」

「あなたもそこで終わる人では無いでしょう? 噂についても把握しておられたのでは?」


 柳井の読書の範囲は広く、情報収集も兼ねて週刊誌やゴシップ紙もある程度は目を通す。辺境事情は中央の大手メディアで中々取り扱わないものも多く、そういったものはグラビアや風俗街情報と共に、地元密着型の週刊誌などのほうが扱いが大きいことがあるからだ。


 そのため、それらの雑誌等ですでに柳井の去就についてあらぬ噂を書きたてる記事について、柳井自身も把握していた。


「こんな男爵一人の去就で盛り上がるのなら、私も随分偉くなったものだと感動しますね」

「私の予想では、民間人登用で閣僚入りという線が対抗といったところですか。開拓庁あたりに来てくれたら私が喜びますが」


 惑星開拓庁の仕事は、一から惑星改造するものからすでに開拓が終わった惑星の維持管理まで多岐にわたる。ロマンのある仕事だなどと柳井は考えた。


「ところで、対抗と言うことは本命があるというのですか?」

「ええ。帝国宰相などいかがです? アスファレス・セキュリティ時代と同じ、陛下の懐刀としての役目を果たすには絶好のポジションですし」

「まさか」


 帝国宰相、皇帝の側近という文字が柳井の頭の中を巡って、どこか不吉な予感がした柳井は、話を切り替えるために東部軍管区の開拓行政についての質問を振ったりして、その日は仕事を終えた。



 五月二日

 一〇時〇〇分

 行政府

 総督執務室


「かっかかかっ閣下」

「どうしたロベール君」


 その日の業務を開始してすぐ、顔を強ばらせたロベール主任が柳井に声を掛けた。


「こっ皇帝陛下より、閣下にご連絡が、こちらに、直接」


 柳井は強ばったロベール主任の顔を見て困ったような笑みを浮かべ、同時に溜息を吐きながら首を振った。


「……公爵時代の気質が抜けないのも困りものだな。こちらで受ける」


 カチコチに強ばったロベール主任の肩をポンと叩いて、柳井は通信を自分のデスクの端末へと転送させた。


『休暇は満喫できたかしら? 男爵閣下』


 近衛軍司令長官時代と一切変らない声音で声を掛けてきたメアリーⅠ世だったが、背景は皇帝執務室のかしの間だし、発信者情報もライヒェンバッハ宮殿となっていた。


「殿下……いえ陛下、突然御身が直接通信など入れたら、受ける者が驚きます。侍従職あたりから掛けさせればよろしいかと」


 皇帝に対していさめるというのは、帝国人にとっては極めておそれ多いことであり、間近でそれを見ていたロベール主任は唖然としていた。そもそも皇帝は柳井の個人的な連絡先も知っている筈なのに、態々イステール自治共和国行政府の総督オフィスに連絡するとは、相変わらず悪戯好きな子供のようだと柳井は苦笑した。


『あなたも私が公爵のときと同じようね』


 やや不満げに鼻を鳴らした皇帝に、柳井は画面越しに最敬礼を施す。


「この柳井、陛下にご謹厳申し上げまするご無礼、この身を以て償う――」

『はいはい、ご無礼もなにもそんなこと思っていないくせに』


 この光景を目にしていたロベール主任は無論驚愕していた。皇帝を、総督、皇統男爵が茶化している。この日の衝撃をロベール主任は生涯忘れなかったという。


「ともかく、せめて個人端末に連絡頂ければ、臣はまことに――」

『分かった分かった。今度から宮内省経由で二〇〇〇字くらい美辞麗句を山盛りにした招請文送るから』

「それで、辺境の総督に何のご用でしょうか?」

『あなたの再就職先を斡旋してあげるって言ってるのよ。最短で何日?』

「三日もあれば」


 イステール自治共和国からは定期便が一日に一便しかいない。今日の分はもう出航したから、明日の便に乗らねばならない。そこから半日で東部軍管区首都星ロージントン、ロージントンからなら一八時間ほどの船旅で地球まで到達する。柳井は皇帝との通話中にチケットの手配を済ませた。


『わかった。では直接宮殿に来なさい。それじゃ、また』


 通信が切れた後、数秒してからロベール主任が柳井に話しかけた。


「寂しくなりますね……」

「総督としてまだ交流が残るんだ。暇を見つけて訪問するさ」

「楽しみにしております! もし必要なら是非、閣下の下で働かせていただきたく」


 ロベール主任の言葉に、柳井は笑みを浮かべた。


「本当にいいのか? 中古の貨物船で運送屋をしているかもしれないぞ?」

「その時はその時です」

「そうか……何はともあれ、滞在中世話になった。あとのことはいつも通りよろしく頼む」

「はっ!」


 その日のうちに柳井は各所に挨拶をし、予約されていた取材等の予定を繰り上げて処理した後、最低限の業務を処置した後に公邸で休息を取って、一路帝都ウィーンへと向かった。

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