第39話ー③ 叛乱軍参謀総長・柳井義久

 帝国暦五九〇年三月二六日二〇時一〇分

 恒星アルゲニブ近傍宙域

 総旗艦インペラトリーツァ・エカテリーナ

 司令部艦橋


「閣下、カール・マルクスから入電。通信と索敵関係への妨害を開始したとのことです」


 情報参謀の言葉に、柳井はほっと胸をなで下ろした。帝国中に緊密に配置された監視網のデータは超空間回線を通じて集約され、大抵の艦船や航宙機の位置は手に取るように分かる。これは艦船や航宙機に搭載が義務付けられているトランスポンダーやレーダー、重力波センサーなどを組み合わせているもので、これから逃れるのは並大抵の装備では不可能だった。


 そこで、叛乱軍として少なくとも太陽系に至るまでの航路で敵に捕捉されることを防ぐために取った手段が、特別徴税局により帝都の関連官庁の監視システムをすべてダウンさせるという荒技だった。


「これで木星に着くまでは行動が秘匿できそうですね。次の超空間潜航で木星近傍に出られます」

「あ、そう……電子戦も強いって、特別徴税局ってのはホントにインチキな組織ね」


 ギムレット公爵の特別徴税局への評価に、柳井は同意した。


「まあ永田局長は単独でのマルティフローラ大公らの検挙まで目論んでいたのですから当然でしょう。平時に突然あれだけの艦隊を用意して投入されたら、何もしないうちに決着がつきますよ」


 本来、特別徴税局がこのように叛乱行為に加担する法的根拠はなかったはずだが、マルティフローラ大公らが国庫から極秘裏に予算を引き出し、不正に使っていたことで彼らが参戦することとなった。これもギムレット公爵の持つ運の強さだろうと柳井は考えることにした。


「所詮は永田も私も互いに互いを利用してるって事か」

「双方に利益があるのなら、気に病むことはありますまい」

「それもそうか。次の潜行開始時間は?」

「一時間後です。そこから八時間潜行し、木星近傍に出ます」


 すでに叛乱軍は太陽系を目前にしたバーナード星域まで達していたが、迎撃どころか偵察の一つも受けないことから、未だ叛乱軍の動きを大公達は正確に掴めていないという証左でもあった。


「じゃあその間に休息でも済ませましょうか」

「司令部要員も交替で休息を取ってくれ。太陽系についたらしばらく連戦になると思われる」


 そう言うと、公爵は司令部艦橋から出て行った。柳井も参謀達を見渡して命じた。司令部艦橋を出ると、柳井は自覚せざるを得ない疲労を感じた。


 葬儀が終わって地球を脱出し、インペラトリーツァ・エカテリーナにたどり着いてから仮眠を取りつつも、艦体編制に作戦計画、補給に通信情報分析、あらゆる報告が集約されて柳井にもたらされていた。柳井自身、これだけの規模の艦隊の実質的責任者でもあるが、柳井自身は本来兵站畑の人間であり、過重労働は自覚していた。



 二〇時三一分

 侍従武官長控室 


 インペラトリーツァ・エカテリーナは万が一の時は皇帝が座乗することも想定されている近衛の総旗艦である。つまり皇帝と共に乗り込む側近達の部屋も用意されており、柳井にあてがわれたのは皇帝への軍事に関する奏上の伝達や親征の際には皇帝自身の副官も務める立場の侍従武官長の控え室だった。


「まさか殿下戴冠後に侍従武官長に私と言うのではあるまいな……」


 夕食を済ませて仮眠を取るために戻った部屋で、柳井は一人呟いていた。エトロフⅡの自室の倍はある広い部屋は、柳井にとってむしろ落ち着かない。初代エトロフの、ともすれば圧迫感を感じる狭い居室にすっかり慣れていた。


 柳井は一眠りする前に、エトロフⅡの様子を見ておこうと端末を立ち上げ、艦隊内通信でエトロフⅡを呼び出した。


『おお、参謀総長閣下ではございませんか』


 相変わらずの緊張感のない挨拶に、柳井は頬を緩めた。


「そちらの様子はどうだ?」

『今更狼狽えるような人間は、我が社の艦隊にはいませんよ』

「それもそうだな……すまないな」

『どうしました?』

「いや、君達をこのようなことに巻き込む事になるとは」


 アルバータ自治共和国で船団護衛をしているホルバイン達と出会ってから八年近く経っている。その時は、柳井自身もまさか皇統男爵に叙せられ、今や叛乱軍の実務上トップにさせられるとは考えもしなかった。


『今更気にしていると思いますか? 柳井常務の無茶には慣れていますよ。今回は友軍がこれだけいるんですから。アルバータやラ・ブルジェオンのときのほうが余程危ない橋でしたよ』

「そうか……私は参謀総長として艦隊指揮にかかりきりになる。マズいと思ったらいつでも離脱しろ」

『すっ飛んで逃げますよ』


 その言葉を発する顔がいつもの冗談を飛ばす顔だったので、安堵して柳井は通信を終えた。



 三月二七日〇三時一三分

 帝都ウィーン

 ライヒェンバッハ宮殿

 楡の間


「監視網と通信網の復旧の目処はつかんのか」

「はっ、目下国土省、内務省、通信省、中央官庁整備局他、総力を挙げてシステム異常の解消に動いておりますが……」


 マルティフローラ大公にとって致命的だったのは、太陽系周辺の航路監視網の停止だった。超空間潜航は通常空間の大質量天体の影響を受けやすいことから、目的地まで真っ直ぐに到達することは難しい。そこで、太陽系周辺、特にヴィオーラ伯国からの航路なら シリウスとプロキオンといった主系列星が航路に影響を与える。この辺りで敵艦隊の動きが捕捉できれば、迎撃態勢を整えることができる。太陽系周囲に配した守備兵力を、叛乱軍の浮上予定ポイント周辺に集められると考えられていた。


 しかし、これが出来ない以上、本隊とは別にある程度の別働隊を組織し、周辺警戒に当たらなければならないのが道理だった。しかし、それさえも通信網、特に国防省のマルスへの干渉により軍用通信網に不調を来しており、十全な警戒態勢とは言えない。


「まあ、前線指揮はピエラントーニ元帥に委ねてありますし、問題はないのでは」


 コノフェール侯爵の緊張感のない言葉に、大公は危うく睨み付けるところだった。中央軍や大公派領邦軍は実戦経験が圧倒的に不足している。これに対して、ギムレット公爵の叛乱軍はここ数年ピヴォワーヌ伯国の防衛線や辺境部の小競り合いにも出動し、実地での経験を積み重ねてきた。特にピヴォワーヌ伯国領邦軍は壊滅寸前まで追い込まれたとはいえ、彼我戦力差一対一〇にもなるような戦場を戦い抜いている。


 なお、この時点でまだ大公達は特別徴税局が叛乱軍の戦列に参加しているなどとは夢にも思っていない。


「ともかく、連絡艇を飛ばしましたが、木星戦線の兵力なら、長期にわたり戦線を維持できましょう……それより、国税省です。最初に異常が生じた航路保安庁の報告では、国税省メインシステムのプルートーからの干渉が認められています。直ちに国税省を占拠する特別徴税局を排除すべきです」


 マルティフローラ大公国領邦軍参謀長、ダニエル・カアナパリ中将何度目かの進言だったが、大公はこれについて保留を続けていた。特別徴税局側の査察は正当な権利であり、これを制限する法的正当性が担保できない、というのが内閣府法制局の意見だったからだ。


 しかし、ここに至って躊躇はしていられなかった。


「明朝、警察機動隊による強行突入を準備せよ。首都防衛軍団の出動も要請する。ただし、最終突入は私が許可してからだ。まだ脅しでいい」


 実のところ、大公はこれら通信妨害が国税省、特別徴税局によるものだという確信を持っていたが、それでも自らの軍勢の規模に自信を持っていた。


 それが徒になろうとも知らずに。



 〇三時四〇分

 超空間内

 総旗艦 インペラトリーツァ・エカテリーナ

 司令部艦橋


「参謀総長、入られます」

「そのままでいい。現状は?」

「異常ありません。全艦太陽系最終浮上ポイントに向け航行中」


 六時間以上纏めて睡眠を取ってしまった柳井は、急ぎ足で司令部艦橋へと入ったが、状況はまだ平穏だった。航海参謀の報告に、柳井は安堵した。


「殿下はどうされた」

「まだお眠りのようです。そろそろお越しいただこうかと思ったのですが、呼び出しにも応答がありません」

「私が見てこよう」



 〇三時四三分

 司令長官執務室


 司令部艦橋と同じ甲板にある司令長官執務室は、不用心なことに鍵も掛けられていなかった。外からの呼び出しにも応じないので、柳井は扉を開いた。


「殿下。参謀達がそろそろ――」


 柳井の目に入ったのは、執務机の椅子に腰掛け、そのまま寝ている公爵だった。


「殿下、風邪を召しますよ」

「んんん……っ……!?」


 身じろぎした後に薄く目を開いた瞬間、ギムレット公爵は柳井の眼前に拳銃を突きつけた。柳井は自分の鼻先に銃口が突きつけられるまで、拳銃を抜いたことすら見えなかったが。


「殿下、お戯れを」

「あーびっくりした。ノックくらいしなさいよね」

「ノックしても起きなかったんですよ。さあ殿下、司令部艦橋へ」

「はいはい……」


 マントを羽織り、いつもの軍服姿に戻った公爵だったが、見た目には分かりづらいが疲労と緊張が見て取れた。


「殿下、随分警戒されているようで。でしたら鍵くらい掛ければよろしいのに」

「開かれた司令長官執務室が、私のモットーよ」

「なるほど、私も同感です」


 柳井は似たようなことを、以前ホルバインに話していたなどと思い出しつつ、司令部艦橋へと向かった。



 〇四時四八分

 木星近傍宙域

 総旗艦インペラトリーツァ・エカテリーナ

 司令部艦橋


「閣下、まもなく予定浮上ポイントです」

「わかった。全艦浮上せよ」


 超空間から姿を現した叛乱軍艦隊は、ここまで一度も大公側からの妨害も受けていない。叛乱軍の全容が露わになった。


「浮上しました。全天捜査開始」

「全艦第一戦闘配備!」


 超空間から浮上しても、司令部艦橋にいると特に変化はない。司令部艦橋の各スクリーンやコンソールのモニターは膨大な量の情報を整理して表示するのに用いられ、常時外部の映像を映しているものはない。


「ヒマリア近傍に敵艦隊。総数約一六〇」


 戦況図に巨大な木星とその周囲を巡る無数の衛星とその軌道がプロットされ、そこに新たなシンボルが加わる。


「やはり、大公殿下は木星で我々を叩くつもりだったようですね。地球方面には少数の警備部隊のみでしょう。いかがなさいますか?」

「決まってるでしょう」

「はっ。では予定通りに……」


 ギムレット公爵は細々としたことを指示しなかったが、すでに方針は決している。柳井はコンソールからマイクを取り上げると、通信士に全周波での通信を用意するように命じた。


「殿下から、あちらへ申しておくことはございますか?」

「ないわ。言いたいことはもう言ったから、あなたからあの方々にエールでも送って差し上げて」

「エールですか……」


 柳井はこれを宣戦布告せよと解釈したが、それはギムレット公爵の想定した解釈と寸分のズレもなかった。


「帝国本国軍、ならびに不当に帝都を占拠する者達に告げる」


 柳井による宣戦布告が、全艦隊、全宇宙に流れる。叛乱軍による通信妨害は、叛乱軍の作戦行動に必要な部分を残してあった。


「我々は、マルティフローラ大公による国庫の不正使用、帝位の簒奪さんだつを許すことはできない。そのために起った叛乱軍である。帝国の権力を濫用らんようするマルティフローラ大公に義はない。我々は、それを正すために帝都へ赴かねばならない。どうか無益な交戦を避け、我々が帝都へ赴くことを妨害しないでいただきたい」

「なかなかの役者ね、あなた」


 柳井は相手の反応を見ることにした。横で柳井の言葉を聞いていたギムレット公爵は、満面の笑みを浮かべていた。


「本国軍総旗艦、アドミラル・トーゴーより返信。全周波です」

『本国軍司令長官、ピエラントーニ元帥だ。貴官らは軍の指揮系統を逸脱している。速やかに原隊に復帰せよ。現時点で撤兵するのであれば、不問に付すと摂政殿下も仰せだ。考え直せ! そこにギムレット公爵も居られるのだろう?』


 ちなみに、ピエラントーニ元帥は本国軍司令長官としてすでに一〇年近くその任に付いている。将兵からの信頼も篤いが、それは平時の将としてのものだ。実戦経験を積んだ東部軍管区の将軍とは訳が違う。


「我々は摂政を僭称せんしょうするマルティフローラ大公フレデリクに従うことをよしとしない。我々を止めたければ、実力をもって止めて見せろ」

『貴様!』


 ピエラントーニ元帥の悲鳴に近い声に、柳井はまったく動じることなく――少なくともそう見えるようにしていた――言葉を返す。


「帝国中央軍は鉄壁の守りと伺っております。それを試させて頂こうということです。では、ご武運をお祈りします」


 通信を切ると、柳井の横合いから拍手が聞こえた。


「あなた、中々やるじゃない。そういうとこ好きよ」

「それはどうも。ともかく、これで退路は断ちました。あとは前に進んで勝利するか討たれるか」

「最初っからこうなることは分かってたわよ。全軍、攻撃用意!」


 ギムレット公爵の号令に、司令部艦橋は騒然となる。あらゆる報告と復唱が広大な司令部艦橋を満たす。


「敵の編制は……中央部は帝国中央軍第一、第二、第三艦隊。右翼がマルティフローラ大公国軍。左翼にコノフェール候国軍、フリザンテーマ公国軍ですね」


 柳井は大凡の戦力配置を示す戦況図を見て、溜息交じりに言った。宇宙空間には上も下もないが、それでは現状認識に支障があるので、帝国では銀河系円盤の水平方向を基準面にして宇宙空間における上下を決めている。そして宇宙空間での戦闘は海戦や陸戦よりも空戦や潜水艦戦闘に近く、上下前後左右あらゆる方向からの攻撃を想定しておくのが常だ。


 しかし、大公軍と叛乱軍は、馬鹿正直にお互い正対しているのだった。


「こちらは右翼にパイ=スリーヴァ=バムブーク候国およびヴィオーラ伯国軍、中央に近衛とアスファレス・セキュリティ艦隊、左翼を特別徴税局とヴィオーラ伯国軍です」


 最大戦力を保持する中央軍相手には歴戦の近衛と会社艦隊。次に強大な大公軍には重火力の特別徴税局を主力として補助にヴィオーラ伯国軍。残りを比較的強大な候国軍と小規模なピヴォワーヌ伯国軍を併せて配備。柳井以下の参謀の想定した戦場の様子としては最もオーソドックスなプランとなった。


「しかし天頂天底方向に兵力を配さないとは、よほど自信があるようで」


 大軍に兵法なしとは古くから伝わる言葉だが、その通りでもある。対する叛乱軍側が戦力を分散させれば各個に撃破されるだけだった。


「舐められたものね。ま、それも当然か」

「ここは特別徴税局の隠し球に期待するとしましょう。マルティフローラ大公国領邦軍は左翼の特別徴税局を主力に対処できます。艦数には差がありますが、なんとかなるかと」

「そうね……」

「参謀総長、殿下、全軍攻撃準備、整いました」


 アレクサンドラ・ベイカー近衛少将の報告に、公爵と柳井が顔を見合わせ頷いた。


「じゃ、後は成り行き次第で」

「はっ。全軍、攻撃開始!」

「全軍攻撃開始! 繰り返す、攻撃開始!」


 各所に命令が伝達され、先端が開かれた。初手は当然、戦艦隊による重荷電粒子砲の斉射だ。帝国艦隊と帝国軍のセオリー通りの戦いだが、今回は相対する勢力が双方共に同じ教本から知識を得ている。


「やはり効果は薄いようですね。こちらの被害も軽微です」


 賊徒の即席艦艇ならいざ知らず、れっきとした帝国軍艦同士の戦いでは、帝国軍最大艦砲であるアドミラル級の重荷電粒子砲も必殺の一撃とはならない。


「逆に言えば一掃もされないってことよ」

「それはそうですが……」

「永田達の隠し球とやらに期待しましょう」



 〇五時三六分

 ピヴォワーヌ伯国領邦軍艦隊

 旗艦ジャンヌ・ダルク

 艦橋


「敵を正面に釘付けにしておけ、というのが司令部からの命令だが、難しいことを言う」


 セレスタン・エマール提督はピヴォワーヌ伯国領邦軍が創設されてから最初の艦隊司令長官であり、参謀総長柳井とはピヴォワーヌ伯国防衛戦の際に共に戦った経歴を持つ。当時は民間軍事アカデミーを出たばかりの促成栽培テンプレート軍人という有様だったが、幾度かの賊徒との戦いを経て、すっかり司令長官としての姿が板に付いていた。


「しかし今回は骨の折れる仕事ですなあ。提督もどこかの誰かのような貧乏クジ体質のようで」


 艦隊参謀長のブレーズ・デュポール准将は、元々は旗艦艦長を務めていたのだが、人材不足の折、艦の指揮は副長に任せて参謀長を拝命していた。彼が貧乏クジ体質と評したのは、エマールもよく知る人物だった。


「柳井参謀総長のことか? まあ、以前のラ・ブルジェオン沖会戦よりは気楽さ」

「提督も肝が据わっていらっしゃる」



 〇五時四三分

 ヴィオーラ伯国領邦軍艦隊

 旗艦インディファティガブル

 艦橋


「……凄いものだな、特別徴税局の装甲徴税艦とやらは」


 ヴィオーラ伯国領邦軍艦隊を率いるヴァージル・シェフィールド大将は、自艦隊と共に展開する特別徴税局の徴税艦隊の火力に驚いていた。


「あんな火力を持つのが友軍とは心強いが、彼らを相手に戦うのは避けたいな」

「閣下も国税の不正などはせぬように」


 艦隊参謀長のマッカーサー中将は、ニコリともせずにシェフィールド大将に相槌を打った。笑みを浮かべないのは彼の特徴で、親子ほども歳の差がある上官に対しては、若くして重責を担うだけの実力があると高い評価をしている。


「特別徴税局に後れを取るな! 当面はこの戦線を支えるのが我らの仕事だ。マルティフローラ大公国領邦軍の動きは鈍い。特別徴税局と共同して戦力を削り取っていけ」



 〇五時四三分

 パイ=スリーヴァ=バムブーク領邦軍艦隊

 旗艦アドミラル・クズネツォワ

 艦橋


「メアリー殿下の指揮は絶妙ね。それとも近衛の参謀達が優秀なのかな」


 レギーナ・ハルツェンブッシュ元帥は紅茶を飲みながら隷下の艦隊の動きと、全軍の動きを観察していた。


「はっ、敵の動きが鈍いのもありますが、彼我戦力の差を埋め合わせられておりますし、さすがというべきでしょう」


 戦闘開始から一時間。中央軍を含む大公軍は幾度も前進して、あるいは迂回して叛乱軍艦隊を包囲しようとしていたが、いずれの行動も失敗している。艦隊参謀長のグリムト大将も元帥と同じ評価をしていた。


「本艦隊はピヴォワーヌ伯国領邦軍と共に、コノフェール候国軍およびフリザンテーマ公国軍の迎撃を命じられております。現在までのところ、今のままなら半日以上は持つでしょう。ピヴォワーヌ伯国領邦軍も敵艦隊をよく拘束しています」

「ピヴォワーヌ伯国のエマール坊やも中々やるではないか」


 御年七〇歳の元帥にとっては、ピヴォワーヌ伯国防衛の英雄も坊や呼ばわりだった。無論、元帥は親しみを込めて本人にもそう呼ぶのだが、その度にエマール提督自身はやめて欲しいと懇願している。


「……しかし、互角ではマズいのだ。公爵殿下にはなにか策があるそうだが」


 現在大公軍と叛乱軍が見た目には互角の戦いを繰り広げていられるのは、大公軍が積極的に動いていないからでもあった。隙が無い部隊配置は、ピエラントーニ元帥が教本通りの防衛戦を指揮しており、これを打ち破るには正攻法か奇策しかないことを示している。


「開けてびっくりタマテバコ、というやつですな」


 元帥の呟きに、グリムト大将が答えた。


「タマテバコ?」

「極東の島国の童話に出てくるというもので、開けてはならぬと言われた箱を開けたら、開けた者が老人になったという」


 グリムト大将は妙な趣味があり、地球圏の古い童話や地元の伝承を調べて集めているらしい、と元帥は聞いていた。


「パンドラの箱、のバリエーションか。果たして何が出てくるのか……」


 元帥は遠く宇宙空間を挟んで、肉眼では確認出来ないほど小さいながらも、極太の荷電粒子の束を吐き続ける特別徴税局艦隊の方向に目を向けていた。



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