第38話ー② 国葬


 三月二四日二三時〇五分

 近衛軍司令部  

 司令長官執務室 


 葬儀を終えた後、喪明けの振る舞いやら報道陣への対応を終えたギムレット公爵、ピヴォワーヌ伯爵、柳井が近衛軍司令部に揃ったのは二三時を過ぎてからだった。


「メアリー。推定では我々が優勢だ。皇帝陛下とお呼びすべきかな? シャンパンの一本でも持ってくれば良かった」

「まだよ」


 独自ルートで皇帝選挙の票読みをしていたピヴォワーヌ伯爵は、ギムレット公爵に笑いかけたが、とうのギムレット公爵はニコリともせず応じた。


「領邦軍の手はずは」

「ヴィオーラ伯国内に到着しているが……本当に、必要になると思うか?」


 ピヴォワーヌ伯爵は、ギムレット公爵に比べれば常識的な考えの持ち主だった。


「さっき首相官邸に閣僚達が雪崩れ込んでいったわ。大公から何らかの指示があったはず。非公式ルートで上院下院議長にも連絡が行って、どうやって大事にせず議員を集めるかで大騒ぎよ」

「そこまでの強攻策に……我が参謀総長、どう思う?」

「その可能性は極めて高いでしょう」


 ピヴォワーヌ伯爵に問われた柳井は、あっさりと答えた。


「アスファレス・セキュリティ艦隊にも、すでにヴィオーラ伯国に出動して貰っています」

「よし……なし崩しになんてさせるものですか。こうなりゃ戦争よ。どっちが正義かハッキリさせてやる」


 ギムレット公爵の考えは単純明快。戒厳令を布告されたら蜂起し、軍事力でマルティフローラ大公を打ち破り、皇統選挙の実施を迫ることだった。そのために、近衛艦隊、ピヴォワーヌ伯国、パイ=スリーヴァ=バムブーク候国、ヴィオーラ伯国の領邦軍、そしてアスファレス・セキュリティを動員することになっていた。これに加えて、協力関係にある特別徴税局の徴税艦隊も参加することで、その戦力は帝国軍通常編制二個艦隊の数を揃えることになる。


「近衛を帝都から出したのか。よく大公が許可したな」

「近衛をどう動かすかは、私の自由だもの。ラ・ブルジェオン沖会戦以来、特例は出されたままよ」


 供奉艦として帝都で葬儀に参列した近衛艦以外は、既に大半がかねてからの予定通りに演習に出かけていることになっていた。


 当然、演習宙域に近衛艦隊は居ない。欺瞞のために柳井が一計を案じていた。


「デコイの散布をエトロフⅡで行ないました。しばらくはごまかせる筈です」

「仕事が早いわね……それじゃ、行きましょうか。私はエカテリーナで、オデットはジャンヌダルク、義久はエトロフⅡで」


 それぞれ帝都で待機中の自分の艦に乗り込んで、集結宙域に向かうことになるが、これは妨害を想定した精一杯の策だった。 


「全員が生きて再会できることを祈ろう」


 ピヴォワーヌ伯爵が柳井とギムレット公爵の手を握り、執務室を出て行った。柳井は制服のマントを羽織り直している公爵を見つめていた。


「本当によろしいのですね?」

「これで死ぬならそこまでよ。あなたにはこれを渡しておくわ」


 封蝋で閉じられた封筒を渡され、柳井はそれをスーツの内ポケットに仕舞い込んだ。


「万が一、私が敗北するときにはアスファレス・セキュリティに責任がなく、私が会社上層部を脅迫して無理矢理参加させたことにするわ。そのための証文よ」

「使うことが無いことを祈りましょう」

「じゃ、ヴィオーラで会いましょう」


 公爵は改めて柳井の手を握り、執務室を出て行った。最後に柳井が部屋の電気を消して、ヴィルヘルミーナ軍港へと向かう。



 二三時三五分

 ヴィルヘルミーナ軍港

 エトロフⅡ

 艦橋


「これは男爵閣下。お久しゅうございます」


 艦長席に収まる優男の顔を見て、柳井はホルバインと直接顔を合わせるのが一ヶ月ぶりになることを思い出していた。


「冗談はいい。現状は?」

「発進準備完了。先ほどジャンヌダルクとエカテリーナが発進しました」


 先発したのは近衛軍総旗艦インペラトリーツァ・エカテリーナ、ピヴォワーヌ伯国領邦軍総旗艦ジャンヌダルクの二隻だった。これらは特に制止も追撃もされていない。


「では、エトロフⅡ発進。迂回航路を取って集結宙域へと向かうぞ。大気圏内航行速度一杯」


 近衛軍を擁するヴィルヘルミーナ軍港がもぬけの殻になっているというのに、特に制止する動きがないのは大公の策略か、と柳井は疑いたくなったが、そもそも叛乱を起こしてでも対決姿勢を示すことを、大公が気付いていないはずがない。


 しかし、ギムレット公爵は発言こそ過激だが、取るべき手続きを無視したり、みだりに法を犯すような人間ではない。大公は正直な人だな、と柳井は場違いに感心していた。日頃の行いがいいと言うには、あまりに公爵は過激な物言いが目立つが。


「しかし、本当に戒厳令など布告されるのでしょうか?」

「今にわかる。今頃宮殿では布告に向けて動いているはずだ」



 三月二五日二四時〇五分

 首相官邸

 閣議室


「大公殿下より、戒厳令布告を要請された」


 葬儀後の喪明けの振る舞いから直接官邸に入ったエウゼビオ・ラウリート首相は、重々しくその単語を口にした。


「理由はどうなさるおつもりです?」


 国防大臣のマリオ・ルキーノ・バリオーニは、さすがにこの戒厳令布告を無理筋だと考えていた。しかし、彼にそれを拒否することはできない。


「帝国領内における治安を維持し、皇帝崩御後の政治不安を最小限に抑えるためとでもしておけばいいのではないか?」


 内務大臣の藤田昌純の言葉に、一堂は頷いた。


「辺境情勢不安定、も付けるべきかと」

「そうだな。その辺りは首相府のほうでまとめるとして……」


 フィオナ・ギデンズ星系自治大臣の言葉に首相が同意を示した。


「議会の方は?」

「すでに議員の召集が下令されました。一時頃には可決まで持ち込めるかと」


 官房長官のアーチー・フェイが首相府のスタッフに状況を確認してから報告した。その直後、またも閣議から外されていたはずのヴァルナフスカヤ大臣が、閣議室に入室した。


「ヴァルナフスカヤ大臣、なんだね? 君はまだ葬儀の後片付けが残っているのではないか?」

「皆様、戒厳令は帝国皇帝でも無闇矢鱈に乱発しないことを不文律として参りました。一部の政府高官と皇統のみの政治的野心を実現させるための手段ではありません」


 能面と評されるヴァルナフスカヤの顔が、今や憤怒を押し殺して年相応の女性らしい顔になっていた。


「君にそれを決定する権利はない。第一、君はバルタザールⅢ世陛下が崩御した時点で退任が決まっている」

「それを決めるのは次の皇帝であり、私やあなたではない」


 先ほどまでの感情的な表情が一瞬にして消え去り、ヴァルナフスカヤは元の能面に戻っていた。宮内大臣の任命と罷免は皇帝のみに認められた権利であり、彼女自身が辞めると言わない限り、次の皇帝が決まるまで誰にも彼女を辞めさせることはできなかった。


「……我々にもどうすることもできんのだ。分かってくれ、ヴァルナフスカヤ大臣」

「……私がここで勤めを果たすことはできません。以降の責任を、あなた方ご自身が取ることになるのをお忘れなく」


 ヴァルナフスカヤ大臣が退室すると、官房長官の個人端末が着信音を響かせた。


「私です……わかりました。それでは……議会の準備が整いました。急ぎ戒厳令布告の草案を作成します」

「聞いての通りだ。ご一同、議事堂へ向かうとしよう」


 ラウリートは当選一〇回のベテラン議員だ。海千山千の政治家としての勘を持ち合わせている。その彼をして、ヴァルナフスカヤ大臣の言葉が耳にこびりついて離れず、不安を誘った。


 ここで戒厳令布告を拒否しておけば、彼の人生は大きく変わるのだが、それは後の話。


 このあと一時間ほどして、帝国史上三度目となる戒厳令が布告され、同時に皇帝大権を得た摂政マルティフローラ大公が帝国の全権を掌握した……と、公式には記録されている。



 三月二五日〇一時二〇分

 ライヒェンバッハ宮殿

 楡の間


 楡の間にはマルティフローラ大公、フリザンテーマ公爵、コノフェール侯爵と藤田大臣が揃っていた。


「戒厳令が布告され、現在帝国のすべてが殿下の手の内にございます」


 殊更慇懃に告げた藤田大臣だったが、本来この役目は宮内大臣の仕事だった。しかしヴァルナフスカヤ大臣は強行に戒厳令布告に反対しており、宮内省を封鎖して出仕を拒否している。防火と防犯用のシャッターまで下ろして公然とマルティフローラ大公に従わないと表明しているのだった。


「ギムレット公相手だ。この程度の先手は打たせてもらおう」

「大公殿下!」


 マルティフローラ大公国領邦軍参謀長のダニエル・カアナパリ中将が、楡の間に飛び込んできた。


「何か」

「ギムレット公爵、帝都よりヴィオーラ伯国へと向かったと情報部より報告が」


 出発からすでに一時間以上経過しての報告だったが、マルティフローラ大公は気にしていなかった。この時点では、大公は領邦軍だけでなく、各管区の方面軍を使えばギムレット公爵諸共抵抗勢力を粉砕できると確信していた。


「それはそうだろう。もはや帝都にいても彼女に出来ることはないのだ。リンデンバウム伯爵、ヴィオーラ伯爵とヴィシーニャ侯爵は?」

「リンデンバウム伯爵とヴィシーニャ侯爵は局外中立を宣言し、葬儀に参列した領邦軍艦隊と共に火星辺りで推移を見守る模様です。それと、すでにヴィオーラ伯爵は帝都宮殿に出頭しております」

「あの老人、何を考えている!?」


 カアナパリ中将の報告を聞いたフリザンテーマ公爵は腰を浮かせた。


「通せ」


 小柄な老婆は葬儀の際に来ていた喪服に各種の勲章を付けたままの姿で、マルティフローラ大公達の前に引き出された。


「ヴィオーラ伯、卿はなぜギムレット公爵と行動を共にしていないのか」

「すでに私は前伯爵よ。いえ、前公爵かしら? 崩御の時点で本来のヴィオーラ伯はギムレット公爵よ? まあ、どこかの誰かが戒厳令なんて布告したから凍結されているのだけれど」


 ヴィオーラ伯爵はまったく動じることなくマルティフローラ大公に対して居た。領邦領主中最高齢の彼女にとって、あとの領主は息子や孫も同然の年頃で、そんな若造に怯む道理はなかった。


「ギムレット公爵は何を考えている?」

「私はすべてを知っているけど、言わないと理解できないのかしら? クラウス坊や」


 マルティフローラ大公は声に凄みを利かせて睨み付けたつもりだったが、ヴィオーラ伯にとっては癇癪を起こす寸前の赤子をあやすようなものだった。


「……伯爵にはしばらく大人しくしていただく」

「ええ、精々宮殿の快適さを堪能させてもらいましょう」


 具体的なことは何も聞き出せなかったが、マルティフローラ大公は確信を得た。


「やはり私と戦ってでも打ち破ろうというのか。近衛軍の所在は確認済みだな?」


 マルティフローラ大公は数日前から近衛軍が太陽系の近傍宙域で遠州に出ていることを知っていた。帝都での供奉については問題なくこなしていたとはいえ、ギムレット公爵の主要戦力になるのだから当然所在は掴んでいた。


 そのはずだった。


「それが先ほど情報収集艦が当該宙域に向かいましたところ、すでに行方をくらましているとのことで」

「なんだと?」

「当該宙域にはデコイが多数配置されており、演習を行なっているような反応まで出しており――」

「細かいことはいい! 迂闊だった……しかし陛下から了解を取り付けたのか……宮内省に確認を」

「はっ」


 マルティフローラ大公は、ギムレット公爵が無許可で近衛軍を動かしていると信じたかった。それならば、近衛を無断で動かした責任をもってギムレット公爵を各領邦軍だけでなく、方面軍を用いて討伐させることが可能になるからだ。


 しかし宮内大臣ヴェロニーカ・ヴァルナフスカヤの回答はこの楽観論をあっけなく打ち砕いた。この件についてだけは、ヴァルナフスカヤ大臣も対応した。


『近衛軍の動きは、全て陛下からの勅命により許可をされております。ラ・ブルジェオン沖会戦以来、近衛軍司令長官の独断で艦隊を動かすことが可能です』


 該当する勅令とそれにより決せられた特例法まで示されては、大公に言えることはなかった。


「ではこれは法的根拠をもっての行動か……」

『陛下は、ご自身が今後細かな指示を出せなくなることを見越して、事前にギムレット公爵に対して必要があれば近衛を動かすように、と仰せでありました』


 ヴァルナフスカヤ大臣は再度、大公に翻意を促そうとしていた。


『陛下はお隠れになる直前まで、皇帝選挙が穏便に執り行われるようご心配あそばされておりました。大公殿下におかれましては、そのことをお忘れなきよう』


 宮内大臣は、事実上宮廷はこの問題に関知しないという通告をして、通信を切った。


「大公殿下、いかがしましょう。方面軍に討伐をお命じになりますか?」

「いや、これでは方面軍も動けん……いずれギムレット公爵は挙兵する。その際に討伐命令を出せばいいだけのことだ」

「閣下!」


 大公国領邦軍情報参謀の徽章を付けた大佐が、楡の間に入室した。


 なお、宮廷仕官もヴァルナフスカヤ大臣により引き揚げられてしまったので、各種の報告は侍従職ではなく、大公が連れてきた大公国の軍人や官僚が代行している。


「……インペラトリーツァ・エカテリーナより通信が入っております。位置は特定できませんが、恐らく超空間内かと」

「通信を回せ」


 数秒して、楡の間の大型スクリーンにギムレット公爵の姿が映し出された。すでに礼服から平服の深紅の軍服に着替えていた。


『摂政殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。皇帝大権の重みはいかが?』

「ギムレット公爵。現在戒厳令布告中だ。勝手な真似は謹んでもらいたい」

『勝手な真似? そっくりそのままお返しするわ。私からの要求は三つ。戒厳令を直ちに解除すること。皇帝選挙を予定通り実施すること。陛下のご遺言通り、私をヴィオーラ公爵に任じること』

「もし、断ったら」

『必要な処置を取る、とだけ言っておきましょう』

「メアリー!」

『大公、あんたが悪い。近衛軍司令部に内務省の連中を入れたようだけど、空振りになって残念ね』

「なに? そんな指示は――」


 ギムレット公爵に言われて大公は首を巡らせたが、藤田内務大臣が俯いて押し黙っているのが見えてすべてを察した。余計な気を回して内務省の暗殺専門部隊を動かしたのが、結果的にギムレット公爵側に自衛の口実をあたえてしまったのだから当然と言える。


 なお、ギムレット公爵達が出発するのとほぼ入れ替わりであり、部屋に暗殺者達が踏み込んだときには、すでに公爵達は自分達の乗艦に乗り込み、帝都を発つ寸前だった。一〇分ズレていれば、ギムレット公爵のみならず、柳井やピヴォワーヌ伯爵といった要人を纏めて仕留められたのだから、運命の悪戯のようなものに大公は翻弄されていた。


『今日の一八時を返答期限とする。要求が入れられない場合、我々は実力を持って帝都を開放する。以上』


 通信が切れると同時に、大公は楡の間の窓際まで歩いて行った。


「こんなことなら、綺麗事を言わずにとっとと捕らえて処刑すべきだった……」


 大公がこのような直接的なことを言うのは、珍しいことだった。


 マルティフローラ大公は基本的に正々堂々正面から渡り合うのが本来のスタイルであり、搦手から攻めるような権謀術数は苦手としていて、藤田内務大臣にその辺りを一任していた。それが仇になった形だ。


「閣下、どうされます……?」

「公爵の要求を呑むわけにはいかん」


 コノフェール侯爵が恐る恐る問うたが、大公の決意は変わらない。


「中央軍に出動態勢を取らせよ。ギムレット公爵が攻めてくるとなれば進軍ルートは自ずと限られる。を帝都に近づけてはならん」

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