第38話ー① 国葬



 帝国暦五九〇年三月一八日

 一七時二〇分

 宮内省

 第一会議室


 今まで典礼庁で行なわれていた葬儀委員会の会合は、皇帝がいよいよ崩御間近となったことで宮内省に場所を移し、参加者も葬儀委員と典礼庁長官だけでなく、帝国官公庁のうち葬儀に関連するあらゆる部局から集まっていた。宮内大臣も席に着いているが、どこかそわそわと落ち着かない様子に、柳井からは見えていた。


「一個大隊はいそうですね」

「これでも減ったものよ。メリディアンⅠ世の時は一個連隊はいたそうだから」


 秦侯爵はそう言うと柳井にやや寂しげな笑みを浮かべた。彼女もライヒェンバッハ宮殿で皇統会議を傍聴していたから、柳井は彼女のリムジンに同乗して宮内省へ来ていた。


「誰かが亡くなろうとしているときに、会議では予算やら何やらの話ばかりでイヤなものね」

「まあ、自分の葬儀のときでも、自分以外の誰かが葬儀に手を煩わされているわけですが」


 柳井の言葉に、周囲の皇統が複雑そうな笑みを浮かべた。彼のジョークは些か毒が強かった。


 種々の議題が昇っては議論され採決が取られたり記録されたりしている間に時間は過ぎ、柳井の手元の時計が一七時五〇分を指した頃だった。


「……ん、そうか、わかった。申し訳ありません、火急の用件のため席を外します。一時休会とします」


 補佐官に耳打ちされ、火急の用件とはなんなのかと質問する時間も与えず、ヴァルナフスカヤ大臣が席を立った。


「……いよいよですかね」


 誰かは分からないが、会議室の人間には何があったか察しが付いた。柳井はしばらく休会というからには手洗いに行く程度は構わないだろうと離席して、通路に出た。


 宮内省付のジャーナリスト達が通路の奥を走って行く。柳井がその後を素知らぬ顔をしてついていくと、宮内省で会見場になっている大広間にたどり着いた。


 特に誰何されるわけでもなく、カメラマンと記者やらレポーターでごった返す会見場に入ると、柳井は会場角のエリヤス・ピーラ事務官に声を掛けた。


「柳井男爵閣下、ここは――」

「テレビで見るかここで見るかの違いでしょう?」

「まあ、そうなんですが……」


 ピーラ事務官とはイステール自治共和国の叛乱の後始末において、宮内省側の担当者として柳井は面識があった。まだ三〇半ばと若いが、苦労が顔に出るタイプで眉間に皺が寄っているのが特徴だった。


「会見の開始時間は知らされていないが、もうまもなくとしかアナウンスされていない。つまり、最期の瞬間が近いということでしょう?」

「閣下は察しが良くて……葬儀委員会はいいんですか?」

「どうせ宮内大臣が戻らないと再開できませんから……言った傍からか」


 柳井の腕時計は一七時五六分を指した頃、会見場に隣接する部屋から宮内大臣が入ってきた。


「宮内省より、帝国全臣民の皆様にお知らせいたします。皇帝バルタザールⅢ世陛下におかれましては、本日、三月一八日、一七時五五分、リンデンバウム伯国領主公邸にて、崩御あらせられました。繰り返します、皇帝陛下は、本日一七時五五分、崩御あらせられました」


 普段なら質問攻めの会見場が、シンと静まりかえった。誰とも言わず黙祷していたのだ。


「葬儀日程については現在葬儀委員会にて検討中、ひとまず陛下のご遺体は御領地にて二日間一般弔問を行なって、お別れを住ませた後、帝都へ近衛がお連れします。陛下の死因ですが、老衰と侍医団は推定しています。陛下は持病をお持ちでなく頑健でございました。あとのことは明朝九時の記者会見にてお知らせすることとします。」


 現状答えられる範囲の回答は先回りして出しておくのが、ヴァルナフスカヤ大臣の記者会見のスタイルだった。こうでもしないと同じ質問を延々言葉を少し言い換えて質問してくるからだ。


 その後、皇帝が崩御したというのに質問は少なく、静かな会見場を柳井は後にした。


 

 三月一九日一〇時三四分

 ライヒェンバッハ宮殿

 ヒヤシンスの間


 葬儀委員会を終えてからも、柳井の仕事は終わらない。宮内省から宮殿にとって返して、皇帝選挙に備えた集票活動に勤しむことになる。


「つまり、拡大政策のツケは本国にも波及することになります。帝国中央が安定するのも、辺境の安定あってこそ。辺境惑星連合工作員による煽動の効果は、侮れません」


 帝都には主立った皇統が大体集っていた。皇統達は皇帝崩御後の葬儀に備えて帝都を訪れているが、もう一つの目的は、皇帝選挙に関わる会合に参加するためでもあった。


 皇統の多くは帝国経済の一角を占める企業経営者や、帝国を支える屋台骨である官僚、それらに影響力を持つ元官僚や元政治家、それに軍人であり、皇帝選挙は彼らすべてに影響を与えるものだからだ。


 ライヒェンバッハ宮殿では連日皇統の会合が行なわれていたが、柳井はそれらを丁寧に回り、維持派の考え、拡大派の問題点を説いてまわった。


 無論、すべての会合で好意的な感触が得られるわけではない。マルティフローラ大公の支持層は岩盤のような頑なさを持っていた。


「しかしねえ柳井男爵。現在の領域だけで今後帝国は発展していけるのか? 穴蔵に閉じこもるだけでは、何も得られないよ」

「藪をつついて蛇を出すことはありますまい。それに皆さんの議論では、辺境部のこうむる犠牲をあまりに無視しすぎている。民草たみくさのことを考えられずに皇統と言えましょうか?」

「……っ」


 皇統貴族の大半は本国や領邦、各軍管区の中核星系に居住しているか、事業を持っている。それだけに辺境部への意識が薄いことは珍しくない。柳井からの指摘には反感を覚える皇統も、辺境部を軽視、もしくは犠牲にしてでも拡大政策を取るのかと言われれば正面切って同意はできない。

 

 積極的な支援、明確に反対、態度保留。様々なリアクションを受けながら、柳井は集票活動を進めていた。



 帝国暦五九〇年三月二一日

 二三時〇四分

 帝都 ウィーン

 ラインツァー・ティア・ガルテン

 ギムレット公爵帝都別邸


「ただいま」

「お帰りなさいませ、殿下」


 予定されていた皇帝の遺体搬送を終えたギムレット公爵は、三日振りに帝都別邸へと帰宅した。間借り人である柳井が出迎えると、公爵は大儀そうにソファに腰を下ろした。


「なーんで儀式ってのはあんなに形式ばって面倒なのかしら」

「儀式だからでは?」


 柳井の元も子もない返答に、公爵は不満げに鼻を鳴らした。


「クリサンセマム大聖堂はものすごい行列でしたね。殿下が陛下のご遺体を搬入する前から、ものすごい行列でした」


 柳井は絵画を表示していたリビングルームの大型モニターを、チャンネル8の特別番組に切り替えた。


 三月に入っているとはいえ、ウィーンの深夜は気温一桁代まで落ちる。だというのに、皇帝の遺体が安置された国教会の総本山、クリサンセマム大聖堂には一般弔問の列が長く続いていた。一般弔問は二三日の二一時まで続けられ、その後は葬儀の準備に入る。


 報道番組は軒並みバルタザールⅢ世の治世を振り返る放送に切り替えられ、派手なバラエティ番組などは放送を延期しているし、間に挟まるコマーシャルも皇帝崩御に際し哀悼の意を表するか、あるいは広告枠を取り下げてその分を帝国公共広告事業団のものに差し替えられている。柳井には、皇帝がなぜ服喪期間を短くするように言ったのか実感を持って理解できた。


「陛下は延命治療を拒んだと聞いておりますが」

「奥様を亡くされたときから決めていたそうよ。あのときは私も葬儀に参列したわ。幼心に、あのときの陛下の落胆はものすごかったように見えた」


 メイドが持ってきたワインを飲みながら、公爵はソファに深く腰掛けた。気疲れしているのか、普段よりもその美貌は陰のあるものだったように、柳井には感じた。


「在位五六年……嫌なものです。皇帝崩御の感傷に浸ることも出来ず、この後のことを考えてしまいます」

「まあ、それが皇統の宿命よ。忙しいんだから覚悟なさい」

「……ただの参列者ではいられない、ということですか」

「当然でしょう。皇統貴族ならなおのことよ。葬儀が終わり次第、色々動き出すだろうから覚悟しておいてね」



 三月二三日一八時五一分

 宮内省

 第一会議室


 柳井達葬儀委員は連日葬儀委員会に召集され、葬儀に関わる各種の準備を進めていた。一般弔問はまだ続いているが、元々クリサンセマム大聖堂は葬儀の準備が数時間で終えられるように効率的に作られていたから、一般弔問を終えてからの準備は葬儀業者の仕事だった。


「それでは本日はここまでということで。明日はいよいよ葬儀当日です。皆様、よろしくお願いします」


 宮内大臣の言葉で会議が終わる。これが葬儀前に行なわれる葬儀委員会としては最後のものだった。


 もっとも大半のことは宮内省や典礼庁が行なうので、柳井達葬儀委員に任されるのは葬儀当日のマネキンのようなものだが、それでも確認事項は膨大で、葬儀委員達の頭を悩ませた。


「一般の人間一人死んだだけでも葬儀は準備が大変だ。帝国の皇帝ともなれば、たしかに葬儀委員会などと大仰なものが必要になるというわけですか」


 柳井の隣席に座っていた田中一人たなかかずと皇統男爵は、溜息交じりに資料を自分のバッグに片付けながら言った。


「当日は忙しくなりそうですね。葬儀だなんだと気にしている余裕はないかもしれません」

「そうですね。では、柳井さん。当日はよろしくお願いします」

「こちらこそ」


 田中男爵と軽く握手して会議室を出て、ギムレット公爵の帝都別邸へ戻ろうとした柳井だったが、宮内省の一階まで降りたときに呼び止める者がいた。


「柳井男爵」

「周伯爵でしたか」


 周紺鶴しゅうこんかく皇統伯爵は、元内務省事務次官の上院議員で、所属政党は現在の与党自由共和連盟。副総裁の職にあった。


「柳井男爵、このあとご予定は?」



 一九時二一分

 ホテル・インペリアル

 五五九一号室


 新市街に作られた帝都でも五本の指に入る高級ホテルの最上階、スイートルームに柳井は招かれた。


「……私に、何かご用で?」

「まあ、座って話しましょう男爵。そう警戒されては私も話しづらい」


 柳井が警戒していたのには訳がある。まず第一に、伯爵が元内務事務次官であること。もう一つは、彼がそのツテでマルティフローラ大公の覚えめでたい議員だからだった。


「明日で葬儀が始まって、終わる。その後のことはお分かりかと思いますが」


 ワインクーラーから取り出したボトルを傾け、柳井と自分のグラスに注いだ伯爵は、グラスを掲げて一気に飲み干した。


「皇帝選挙、ですね」

「そう。あなたはギムレット公爵ととても親しいご様子。その腹を聞かせて貰いたいと思いましてね」

「それは、大公殿下からのご指示で?」


 柳井の言葉に、伯爵は一瞬だけたじろいだ……ように柳井には見えた。それさえも演技ではないかと思わせる程度には、柳井の内務省官僚に対する心証は悪い。


「これはまた、柳井男爵閣下は用心深いお方だと聞いていましたが、いやはや」

「……私の本心は、あちこちの会合で述べたとおりです。伯爵は私に翻意を促しているのかもしれませんが、もう遅い。皇統の間で、拡大政策への危機感は高まっています」


 向こうが隠し立てしないのなら、こちらもする必要はないとばかりに柳井は言い放った。この頃の柳井はやや自暴自棄になっていた。


「思ったよりも豪胆な方だ。さすが、あの公爵の懐刀と言うべきか……しかし、帝国が拡大政策を取らず、領内に閉じこもることは、外敵を残し続けることになる」

「拡大政策を取っても同じこと。彼らの生存圏は我々が把握しているそれよりも遙かに広大であることが想定されています。外へ外へと彼らは逃げ落ちていくだけです」

「……まあ、男爵の正直さに敬意を表して、私も正直に話しましょうか」


 ドナウシュタットの伏魔殿にいる連中が正直にと言ったところで、どこまで信用出来るのかと思いながら柳井はワイングラスを手に取って飲み干した。毒殺されるならとうの昔にされているだろうという剛毅さを見せつけた気になっていると、さすがに伯爵がぎょっとした目をしていた。


「……男爵は本当に豪胆ですね。私が現場の人間ではないとはいえ、内務省の人間と飲むというだけで普通の人は水やら酒には手を付けませんが」

「少なくとも、ワインに細工はないと思いましたので。そもそも、私を殺すならいつだって殺せた。フラフラ帝都を歩いて通勤するような皇統は私程度なものでしょう」


 伯爵は柳井の言葉に流石に気分を害したように、あるいは落ち込んだように顔をうつむけた。


「それもそうですが……さすがに柳井男爵は内務省関係者を警戒しすぎですよ」


 もう一杯どうですか、と柳井の空のグラスにワインを注いだ伯爵に、礼を述べてから今度は伯爵のグラスに柳井がワインを注いだ。


「それにしても、このワインは美味しい」

「ええ、まったくで。地球はどこの酒を飲んでも美味しいのだから羨ましい」


 聞けば、周伯爵はフリザンテーマ公国出身だという。しばらくは身の上話が続いたが、伯爵はキリがいいところで本題を切り出した。


「私はあなたにギムレット公爵への、皇帝選挙出馬断念を依頼するようにと命じられていたのですよ。まあ、公爵がそれを受けることはほぼゼロだと思っていましたが、あなたも無理でしょうね」

「それはどうも」

「この上は、せめて平和裏に代替わりが終わることを祈るだけです」


 その日の柳井は、さすがに公共交通機関で帰る気にはなれず、ギムレット公爵帝都別邸からリムジンを回して貰った。



 三月二四日一〇時〇〇分

 クリサンセマム大聖堂


 皇帝廟にほど近い大聖堂は、帝国国教会の総本山としての偉容を誇る。その聖堂には、バルタザールⅢ世の遺体が安置されていた。リンデンバウム伯国での二日の安置の後、近衛艦隊により帝都へ運ばれ、クリサンセマム大聖堂に安置された。


 柳井のような男爵の場合、忙しいのは葬儀当日。皇統男爵は数の上で最も多い皇統であり、皇統子爵と共に帝国貴族、そのほか各界の著名人や皇帝の友人などへの対応は皇統男爵と皇統子爵の重要な仕事だった。


「ユルダクル総裁、よくお越しくださいました」


 東部軍管区、惑星ロージントンに拠点を置くイースタン&フロンティア銀行総裁の顔を見て、柳井は深々と礼をした。


「臣民としての義務を果たしたまでです」


 帝国皇帝の葬儀について、参列者にも対応する側にも一連のプロトコルが定められているが、厳密なものではない。一般常識レベルで哀悼の意を示していればいい、とされているが、柳井達皇統にはもう一つ問題があった。


 いかに各界の著名人といえど、企業の会長、社長クラスや自治共和国の首相ともなるとすべての顔を覚えることなど不可能に近かった。


 その点について、皇統社会では精神論で解決することはとっくの昔に諦めて、技術に頼ることとしている。


 柳井が普段掛けないメガネを掛けているのはそのためだ。網膜投影型のディスプレイに、フレーム内蔵の超小型カメラから得られた人物の顔を、帝国臣民籍のデータベースと照合して相手を割り出している。これにより、あたかも皇統はすべての出席者の顔と名前を把握しているように見える。なお、皇統伯爵以上の位階まで進むと、礼儀として宮中席次が下の者が上の者に名乗るので、このような小細工はしなくて済む。


 受付が一段落すると、柳井達葬儀委員も大聖堂に入り、葬儀が始まるのを待った。

 

 帝国皇帝の葬儀の形式に限らず、戴冠式やその他の儀式は多くの部分を帝国建国時、未だに古式ゆかしい君主の即位の儀式を続けていた国々や地域から取り入れた。中でも、地球連邦構成国に残っていた王室のうち、特にグレートブリテン王室の儀礼を帝国国教会に組み入れることで儀式を体系化してきた。ちなみに、当該王室は帝国では永世大公の地位を与えられ、現在も細々と存続している。


「ギムレット近衛司令長官、皇統公爵殿下がお入りになります」


 式の進行を務める典礼長官の声に、聖堂内の全員が入口に目を向けた。喪章をつけた白い近衛正礼装は、赤い普段の軍服を見慣れた柳井にとって、ある意味で新鮮だった。


 柳井はゆっくりと歩を進めるギムレット公爵を恨めしく思っていた。無論このような儀式で普段のように颯爽と歩くのはあまり行儀が良いとは言えないが、何せ柳井は皇統の着席する内陣、つまり棺を目の前にする最前列に位置していた。本来、皇統男爵である柳井は宮中席次がそこまで高いわけではないから、こうした式典でもかなり後方に席を用意されるはずだった。


 しかしながら、柳井は皇統男爵に加えて、第239宙域総督、帝国近衛軍中将相当官、星系自治省特任高等開拓参事官、東部軍管区行政長特任監察官という地位を与えられており、これらは宮中席次において皇統子爵に値するとされており、さらに言えば、第239宙域総督の前に担当していた第234宙域総督代理職はバルタザールⅢ世の勅命によるものだった。この点も柳井が前列に座ることを後押ししていた。


 しかし、近衛は本来儀仗兵として参列するのであり、その司令官が参列者席にいることは異例だった。儀仗兵の指揮についてはアレクサンドラ・ベイカー近衛少将が代行しているのだという。


『ご列席の皆様――』


 葬儀が始まり、帝国第一二代皇帝バルタザールⅢ世の治世が、終わりを告げる。


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