第37話ー⑧ 葬儀委員・柳井義久

 ライヒェンバッハ宮殿

 向日葵の間


「――というわけで、あまり拡大路線に幻想を抱かないことが重要だと考えます」


 皇統会議が行なわれる際、宮殿のあちこちで会議場となる椿の間の中継が行なわれている。向日葵の間は特に広いこともあって多くの皇統が詰めかけ、立食会も兼ねた討論が行なわれていた。


 柳井はあちこちの集まりに顔を出しては、ギムレット公爵擁する維持派の考えを説いてまわっていた。


「……そろそろ会議が再開されるころかな」


 数グループ目の説得を終えた柳井は、会場角の椅子に腰掛けてスクリーンに目を向けていた。



 椿つばきの間


 すでに皇帝バルタザールⅢ世は領地であるリンデンバウム伯国首都星アカーツィエで療養中であるが、体力の落ち込みは酷いもので、代理の長女グレータに対してヴィオーラ伯爵の意図が伝わっているか確認された。超光速回線による会談により、ヴィオーラ伯爵の格上げ、領主にメアリー・フォン・ギムレットを充てることを命じたと裏付けが取れた。


「ヴィオーラ伯国の公国への格上げ、メアリー・フォン・ギムレット公爵の領主就任と、それにともなうヴィオーラ公爵ギムレット家の設立は陛下のご裁可によって、決定された。ただし、条件としては、ご自身が崩御なされた後、直ちに、とのことだ」

「それは本当でしょうか。ヴィオーラ伯爵とグレータ殿が言っているだけでは」


 大公の言葉に、フリザンテーマ公爵は疑念を隠さずに口に出した。


「口を慎みたまえフリザンテーマ公! 私が陛下の叡慮を偽ったとでも言われるのか? なにゆえ私の言葉を、行動を訝しむ? 無礼にもほどがあるではないか!」

「失礼いたしました。そのようなことは……」


 大公直々に皇帝の代理人から確認したものに疑念を差し挟むというのは、皇統においては無礼千万という他ない行為である。自分より二回りは年上のフリザンテーマ公爵に対して、マルティフローラ大公は厳しい叱責を浴びせた。


「まあ、まだ陛下がみまかられたわけでもあるまい。もう少し先のことになるだろうて」


 一方、自らの孫が領主になるパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵は悠々と髭を捻っていた。とはいえ、彼にこれで皇統を支配しようとかそういう野心があるわけではないのだが、孫娘の野望は当然のごとく把握していた。


「さて……ヴィオーラ伯の懸念事項はこれでいいだろう。辺境の仕置きについてだが――」


 会議の流れを元に戻そうと口を開いた大公だったが、その途中でギムレット公爵が手を上げた。


「私は、帝国辺境への侵攻は時期尚早と考えます。先日の机上演習の結果を見るまでもなく、無謀で無益な挑戦に国費と人命を賭けるわけにはいかない」

「パイ=スリーヴァ=バムブーク候国としても、大公殿下の意見には賛同いたしかねる」

「ピヴォワーヌ伯国も同じく」


 ギムレット公、パイスリーヴァバムブーク侯、ピヴォワーヌ伯爵は口を揃えて反対に回った。


「ヴィオーラ伯爵はどうか」

「私は皇帝選挙時にはこの席にいない身よ。だから棄権とさせてもらう。しかし、先帝ナディアⅠ世陛下の御世から帝国を見続けた老人の意見として聞いて欲しいのだけれど、大公殿下、あなたの選択は民の負担をにいたずらに増やすものよ。ナディアⅠ世ならばお止めしたでしょうね」

「帝国国土は、まずその内を開発することが我々に課せられた使命だと、先帝陛下も仰せだったし、バルタザールⅢ世陛下も同じくその路線を引き継がれた。我々は、焦ってはならぬのだ」


 ヴィオーラ伯爵はナディアⅠ世と直接面識がある二人の領邦領主のうち一人。もう一人はパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵で、彼も大公を公然と批判した。


「しかし演習は所詮シミュレーションだ。おまけに民間人から青軍指揮官を出しているという。これでは正確な結果は出ないだろう」


 パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵の言葉に眉をひそめ、反論を始めたのはフリザンテーマ公爵だった。


「フリザンテーマ公、あなたもう少し頭が頭が回ると思っていたのだけれど、私の見立てが悪かったのかしら」

「何!?」


 ギムレット公爵の言葉に、顔を真っ赤にしてフリザンテーマ公爵が憤るが、それこそギムレット公爵の思うツボだった。


「今、たった半径一万光年ぽっちの版図も維持できず、辺境に政情不安が起きてるのは何故? 東部軍管区の怠慢は中央の怠慢でしょ?


 今の版図も維持できないまま勢力圏を広げ、それどころか大規模な攻勢を仕掛けるのは東部の荒廃を意味するわ。


 それだけじゃない、西部、北天、南天の各軍管区だって無事では済まない。


 そもそも、現有戦力でそれだけの作戦は可能? 無理でしょ? 机上演習の結果を読んでないの? 読んで理解できないならいくらでも説明してあげましょうか?


 連戦連勝の帝国艦隊が聞いて呆れるわ。五八五年に敵の大規模攻勢でピヴォワーヌ伯国が滅びかけたのを忘れたとは言わせないわ。


 賊徒の領域を多少併合したところで帝国にどんな利益があるの?


 東部軍管区の自治共和国や領邦を賊徒への橋頭堡程度に考えて、版図拡大なんてバカげた夢を見るのが皇統の仕事だと思っているのなら、皇統貴族の看板なんて降ろしなさい!」


 立て続けに放たれたギムレット公の言葉は、拡大派に対する明白な批判であり理論的なものだった。しかし、ギムレット公は一言多いのが悪い癖だった。


「ギムレット公爵! 今の発言は帝国軍、ひいては皇帝陛下への侮辱ではないか!」


 コノフェール侯爵も負けじとギムレット公爵に非難を浴びせたが、この程度で動じるようなギムレット公爵ではなかった。


「事実を言ったまでよ! それともコノフェール侯、あなたは勝てるとでも? 私掠船団による調査だと、連中は帝国領から差し渡し最低二〇〇〇光年の領域を統治していることが確実よ」

「だ、だから何だというのだ」

「話聞いてた? 私達が把握している情報よりも、賊徒共の国力は増大してるって言ったのよ。机上演習の結果はより酷い現実で上書きされることになるかもしれない。ヴィオーラ伯爵より前に、あなたが引退した方が良いんじゃない? 自分の馬鹿さ加減を陛下の権威でもってカバーしようっての?」


 ギムレット公爵の立て続けの罵倒に、コノフェール侯爵は顔を真っ赤にして立ち上がった。


「何という屈辱! なんたる無礼! 貴公は私が陛下の権威を徒に弄んだとでも言いたいのか!」

「ギムレット公、コノフェール侯、この場は抑えて」


 ヴィシーニャ侯爵が制止に入るが、それでも二人の怒りは収まらない。


「侯爵は黙っていてもらいたい!」

「オデットも言ってやりなさいよ! あんた達が腑抜けてるから自分が東部辺境なんかにいるんだって」

「メアリー、落ち着け」


 ピヴォワーヌ伯オデットはヒートアップするギムレット公爵の軍服の裾を引っ張って無理矢理座らせた。ヴィシーニャ侯爵も、コノフェール侯爵の肩を押えて無理矢理椅子に座らせる。


「ギムレット公の言うことにも一理あるが、私としては帝国の版図は拡大を続けるべきだと思う。これこそ初代皇帝メリディアンⅠ世の理想を体現することにつながる」


 マルティフローラ大公は顔色一つ変えずに言って、自分の発言は終わったとばかりに冷め切ったコーヒーを飲み干した。


「辺境惑星連合の国力推定は、専門家の間でも意見が割れてる。先日の演習で根拠にしたのは、確か中央情報局の算定したものよね? 同じ推定を東部軍が行ったものと民間軍事企業が行なったものがここにあるけど、ずいぶんと開きがあるわ。中央幕僚には辺境の本当の姿が見えてないんじゃない? うちの信頼できる者に推計させたけど、中央情報局のものより国力は大きいとみるのが妥当ね」


 ギムレット公爵はそれでも引き下がらなかった。既定路線になんてさせるものですかとばかりにさらに問題点をあげつらう。


「国力推定は見直しが必要だと言いたいのか?」


 ギムレット公爵の言葉は明らかに議論を長引かせるものだと分かっていても、マルティフローラ大公は問い返した。これは大公の癖であり、自分と相容れない人間の意見でもすべて聞いてみるのが彼の数少ない美点だと、ギムレット公爵は評している。


「さあね。何度やっても正解は出ないでしょう。でも、あなた方の言う不当に占拠された領域の、果たして何割が帝国の版図としての実利を出せるの? いまの状態での辺境平定は戦力を無駄に消耗するだけで、お荷物をさらに抱えることになる。なんならいまの辺境領域だって、もっと整理したいくらいだもの。連中にくれてやればいい」

「それが皇統公爵の言うことか!?」


 ギムレット公爵の持論がここでも炸裂し、コノフェール侯爵が再びいきり立って叫んだ。


「畏れ多くも、陛下の赤子せきしの住まう惑星を明け渡せとは何事だ! ギムレット公爵の言われたことは陛下の玉名をもけがすものだ!」

「言葉を慎みなさいコノフェール侯。売られたケンカは言い値で買うわよ? 言っとくけど私強いわよ? 大体陛下の赤子は帝国軍将兵も同様。それをすり潰して大した利益の出ない石っころ手に入れて何が陛下の玉名よ。それで私が口をつぐむとでも思っているの? 女と思って舐めて貰っちゃ困るのよね。口ばっかりで情けないったらありゃしない」

「よろしい! そこまで言うなら殴り合いで決着をつけようではないか!」

「面白いわね。近衛司令長官が椅子を磨くだけの仕事と思わないことね!」


 売り言葉に買い言葉。上着を脱ぎ捨てたコノフェール侯爵とギムレット公爵が、共に会議室を出ようとしたところを、マルティフローラ大公が手で制した。 


「そこまでにしておけメアリー。コノフェール侯爵の言うことももっともだ……殴り合いなどいい歳した人間がすることではない。二人とも頭を冷やせ」


 なお、ギムレット公爵はかつて辺境部に赴いた際、八極拳をその道の達人に師事して習得しているという噂もあるが、それが実証されるとしたらまさにこの時だっただろう、と後にピヴォワーヌ伯爵が回顧している。


「大公、あなたの考えは帝国を滅ぼすものよ」

「公爵、君と私とは、最後まで相容れないようだ……この上は、どちらが正しいか、皇統の皆様に判断して頂くより他はあるまい。各々方、異存はないな?」

「異議無し」

「同意」


 フリザンテーマ公爵とコノフェール侯爵は他に発言する気もなく、賛成の意思を示した。


「いささか冷静さを欠いた議論になっている。皆、頭に血が上ってはおられまいか。私としては、明日もう一度議決を取るべきと考えるが」


 ヴィシーニャ侯爵はここで議決されることは避けたかった。彼は机上演習の結果を重く見ていて、もし拡大路線をとれば半世紀以上帝国に影を落とすことになりかねないと危惧していた。しかしながら、領域維持も際限の無い水際防御が続けられ、辺境投資の進捗に影響を来すことも承知していた。


「賛成ね。私も今日は言い過ぎたところがあるわ」


 脱ぎ捨てた上着を羽織り直して、ギムレット公爵は自席に座り直した。


「ヴィシーニャ候とギムレット公爵がそう言われるのなら、明日正午より最終議決を取ることとしよう。本日は散会とする」


 議論をリードしていたマルティフローラ大公とギムレット公爵が一時休戦に同意したわけで、これでこの日の皇統会議は終会となった。



 ヒヤシンスの間


「皇統会議が終わったようですね」

「やはり、妥協点は探れないか……」


 ヒヤシンスの間は皇統侯爵までの皇統が自由に使うことができる部屋で、向日葵の間の喧噪を嫌う皇統はこちらで皇統会議を傍聴することも多かった。


「しかし、ギムレット公爵の”口”撃は凄いものだな……柳井男爵は、よくご存じのことと思いますが」


 アレティーノ男爵が柳井に声を掛けた。彼は一体、自分の会社のCEOとしての役目はどうしているのだろうと柳井は考えたが、自分にしてもロージントン支社を放りっぱなしでここに居るわけで、意志決定を行なう者が常に会社にいる必要もないと納得もしていた。


「それだけ殿下も必死なのです。あの演習の結果を見た後で、拡大方針を選ぶなど自殺行為に等しい」


 柳井はそう言うと、恐らく煮えたぎったままのギムレット公爵の出迎えに向かうことにした。



 桜の間


「あーもう! あの分からず屋達は本当に何をどうしたいのかしら!」

「まあ落ち着けメアリー」


 柳井が桜の間に入ると、部屋の中を忙しなく動き回るギムレット公爵が目に入った。ギムレット公爵が自分と相容れない人間をこっぴどく罵倒することなど珍しいことではないが、今度ばかりは帝国の国運が掛かっているので、必死さも垣間見えた。


「やはり議論は平行線ですか」

「見てりゃ分かるでしょ。明日の議決はどのみち三対三。今から領邦領主の席増やしてこっちに引き込めないかしら」

「それは無理というものでしょう……そもそも、皇統会議の議決があっても、皇帝選挙の結果で幾らでもひっくり返せるのですから」


 緊迫した空気の桜の間に、突然近衛軍参謀長のアレクサンドラ・ベイカー少将が現れた。


「殿下!」

「アリー、どうかしたの?」

「リンデンバウム宮内省病院からの第一報です。ご危篤になられたと」

「……こりゃあ先延ばしかな。国葬の方が先に来るわね」


 ベイカー少将は桜の間のモニターにチャンネル8で現在行なわれている宮内省からの中継を映し出した。


『本日、帝都標準時一八時すぎ、皇帝陛下におかせられましては、リンデンバウム伯国領主公邸にて、ご危篤の状態になられました。今後、必要に応じて、宮内省より、必要な情報を随時、お知らせいたします。以上です』


 ヴァルナフスカヤ宮内大臣の言葉に、桜の間の四人は言葉を失っていた。ようやく口を開いたのは、ギムレット公爵だった。


「アリー、近衛第一、第二戦隊に出動準備。リンデンバウムに駐留中の第三戦隊はそのまま待機。もし崩御となれば、陛下を帝都までお連れせねばならないわ。残りは待機」


 皇帝が帝都以外で崩御した場合、その遺体の移送は近衛艦隊の仕事になる。帝国中が崩御に備えて様々なイベントの延期や中止などに騒然となっていることだろうと、柳井はどこか他人事のように考えていた。


「……一ヶ月くらいは動きは無いと見てもいいわね。柳井、三日ほど帝都を留守にするから、屋敷は好きに使いなさい。あなたは皇統選挙の支持固めと、葬儀委員としての役目を果たして頂戴」

「はっ……私も宮内省から呼び出しか……」


 公爵は近衛艦隊を引き連れ、すぐさまリンデンバウム伯国へと向かうことになった。同時に柳井の端末が着信を知らせ、柳井は宮内省へ向かい、葬儀委員としての役目に奔走することになる。


「さて……陛下は我々に最後の時間稼ぎをしてくれたのかもしれないな」


 一人桜の間に残ったピヴォワーヌ伯の独白を聞いた人間はいない。

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