第37話ー⑦ 葬儀委員・柳井義久

 

 ギムレット公爵別邸


「おはようございますコーヴィンドさん。殿下はどちらへ?」


 帝国上層部を震撼させた演習の翌日、柳井がいつも通りウィーン標準時の朝七時に起床して、公爵別邸のリビングルームに入ると、屋敷の留守を預かる執事のコーヴィンドが柳井を待っていた。


「おはようございます男爵閣下。殿下ならすでにライヒェンバッハに出かけられました。閣下は本日どのようなご予定で?」


 彼女は柳井の世話も公爵から任せられていたので、柳井のスケジュールも把握することが義務付けられていた。


「皇統会議の見学に、ライヒェンバッハ宮殿へ。朝食を済ませたら出かけます」

「承知いたしました。ご夕食はどうなさいますか?」

「外で済ませてくる予定です」

「承知いたしました。もしご入り用でしたら、私かメイド長にお声かけください」


 ギムレット公爵は特段贅沢を旨とするタイプの皇統貴族ではないが、それでも屋敷の中には執事、四人ほどのメイド、それに運転手を兼任する庭師が雇われていた。柳井自身は皇統男爵であり、同じ爵位の人間ではハウスキーパーくらいは依頼すると言う。


「いかがなさいました?」

「いえ、自宅に使用人がいたら、こんな感じなのかなと思いまして」

「閣下は使用人を雇われないので?」

「私の年収では、週に一度のハウスキーパーも惜しいと思ってしまいますね」


 実態として、柳井はここ数年、生活の大半をエトロフⅡなど自社艦艇かロージントン支社の支社長室で過ごしており、贅沢とは無縁な無機質な生活を送っていた。


「閣下は質素倹約が身に染みついているようですね」


 コーヴィンドに言われて、柳井は苦笑して用意された朝食を済ませてから、宮殿へと向かった。



 ライヒェンバッハ宮殿

 グラジオラスの間


 ライヒェンバッハ宮殿にたどり着いた柳井は、待機室に当てられていた桜の間に入る前に、侍従によりグラジオラスの間へと通された。そこではヴィシーニャ侯爵ムバラクが柳井を待っていた。


「本日は殿下からのお招きに預かり光栄です」


 柳井がヴィシーニャ侯爵と直接言葉を交わすのは、柳井が男爵に叙されてすぐの新年祝賀会における席上で、それも極めて儀礼的なものだった。二度目となる今回、いかなる意図があってのことか、柳井は訝しんでいた。


「男爵はあまり我が家に来てくださらぬので、嫌われているのではないかと心配しておりました」

「そのようなことは……」


 皇統流の嫌味だろうか、と柳井は愛想笑いの下で考えた。


「冗談です。男爵は東部が仕事場だとか。西部の我が領邦には中々来る機会がないでしょう。ぜひ時間が取れたら来ていただきたいものです」


 侯爵に席を勧められ、柳井は黄檗の間のソファに腰掛けた。少なくともロージントン支社の椅子の一〇脚分はしそうな高級ソファの座り心地を味わう暇もなく、柳井はヴィシーニャ侯爵の次の言葉を待った。


「ところで、私が男爵をお呼びしたのは他でもない、あなたが最近、皇統貴族の間で選挙活動に熱心だという噂を聞いたので」


 ヴィシーニャ侯爵は領邦領主の皇統の中でも、特に無愛想で無感情なことで知られている。極めて事務的に、ある意味自然な流れで問いかけられて、柳井も一瞬固まった。


「ヴィシーニャ侯爵はどなたを支援なさるおつもりで?」


 今度は侯爵が固まる番だった。柳井の問いかけはあまりに直截ちょくせつ的で、それこそ無遠慮だった。


「私は今のところ、中立を貫くつもりです」


 これではノーガードでのストレートの応酬だと柳井は苦笑いを浮かべた。しかし、ヴィシーニャ侯爵は代々このような中立の立場を取ることが少なくない。


「柳井男爵、私は拡大派も維持派のいずれの方針にも、一長一短があると考えています。しかし……」


 近侍の出したミルクティーを飲んでから、侯爵は柳井を細い目で見据えた。


「帝位継承に際して武力に頼むような事態だけは、避けなければいけません」

「……侯爵は、私が武装蜂起すると?」


 柳井の解答も今度もストレートだった。ヴィシーニャ侯爵に対して誤魔化しは効かないと判断していた。


「いいえ。あなたはそれを手助けする側でしょう? ただ、あなた方は恐らく、自衛処置としての蜂起になる」

「大公殿下が我々に兵を差し向けると?」

「さてどうでしょう……すでにご存じのこととは思いますが、大公殿下はすでに摂政となられている。宰相と異なり、施政権を持つことが可能です。すでに陛下が病臥しており、大公殿下には摂政の地位が与えられ、権限委譲が済んでいる。そして、皇帝大権の一つにあるのが、戒厳令布告」


 柳井は侯爵の言葉に息を呑んだ。戒厳令は皇帝への全権委任法発動も同時に行なわれ、帝国の意志決定を皇帝一人の判断で行なうことが可能になる。もちろんすべてを行なうことが法的に可能でも物理的に不可能であるから、主に帝国軍と警察を動かす権限を中心に行使する。これは元々帝国が外敵の脅威にさらされた際の防衛戦時を想定した法令だからだ。


 これらの権限は皇帝本人と、皇帝が政務に従事できない場合は摂政に与えられるもので、現在その席にはマルティフローラ大公が座っている。


「摂政として戒厳令を布告してしまえば、あとは大公殿下の掌中ですか」

「私がこういうことを話すことが、どういうことか男爵にはお分かりと思います」

「戦いは避けたいのが、侯爵殿下の本心と理解しています」

「私の先祖、ジブリールⅠ世は内戦の最中さなかに即位しました。あの混乱は、帝国史上もっとも無為な血を流したものです……」


 グラジオラスの間は皇帝になったヴィシーニャ侯爵ジブリールが好んで使っていた部屋で、それ以来、ヴィシーニャ侯爵家が優先使用を許されていた部屋だった。それもあって歴代のヴィシーニャ侯爵の肖像画が飾られていたが、その中のジブリールⅠ世の肖像画に、侯爵は目を向けた。かつて行なわれた帝国の内乱では、五〇〇〇万にも及ぶ将兵の被害、二〇〇〇隻以上の艦艇の損害、そして数え切れない帝国臣民に様々な影響をもたらした。帝国がそのダメージを回復するのに、半世紀以上の歳月が必要だったことから、内戦の規模も窺えるという物だった。


「それを繰り返しては、先祖に申し訳が立たない。そう思うのです」

「……しかし、すべては両派閥のトップ次第。我らも自重致しますが、殿下にもぜひ、緊張緩和にご協力頂ければと」


 柳井の言葉に、侯爵は静かに頷いた。



 桜の間


「どこほっつき歩いていたの?」

「ヴィシーニャ侯爵に呼び出されまして。武力行使にならぬよう自重せよ、と」

「そう……しかしあなたもすっかり帝都宮殿に馴染んだわね、柳井」


 グラジオラスの間を後にした柳井は、近衛司令長官他、軍の最高幹部クラスの待機室に当てられる部屋の一つに入った。すでに部屋にはギムレット公爵とピヴォワーヌ伯爵がコーヒーを飲みながら皇統会議までの時間を潰していた。


「広すぎて落ち着きませんな」

「覚悟しておきなさい。そのうちあなたにあてがう部屋はこれより広いのだから」


 柳井は公式には、あくまでもアスファレス・セキュリティ常務取締役ロージントン支社長兼、ロージントン支社所属護衛艦隊司令官だが、この頃は支社の実務面は彼の配下のスタッフで運営され、彼自身は会社が黙認する形で、ギムレット公爵の私的な事業のために動いていた。皇統選挙のための集票活動、ロージントン支社を用いた情報収集、総督として東部辺境の監督、参考人として国会の公聴会への出席などである。


「今日の皇統会議で、おおむね方針が定まるでしょう。大公殿下はどう考えておられるので?」

「間違いなく拡大路線を採択するつもりでしょう。あなたのほうは?」

「票読みは専門ではないですが、きわどいラインだと思います、ただ……」


 すでに国防省で行なわれた辺境征伐机上演習の結果は様々な経路、様々な粒度の情報が報じられており、皇統だけでなく、好事家達の話の種になっている。もう少しすれば、一般臣民も知ることになるだろう。


 帝国軍の敗退、辺境部の不安定化どころか崩壊に近い結果を受け、拡大路線の支持者は鞍替えを始めている者も多い。元々その程度の、特に合理性を考慮しない者が無責任に拡大路線だなどと唱えるのだ……と、柳井は口には出さないまでも、心の内で毒づいておいた。


「何か気になることでもある?」

「大公殿下の動きが気になります。戒厳令布告後、皇帝選挙の無期延期を行なう場合は……」

「当然実力行使になるわ」


 この場合の実力行使は、近衛軍はじめ、ギムレット公爵が動員できる最大兵力をもって帝都制圧、大公に戒厳令解除と皇帝選挙実施を迫ると言うことになる。当然大公も無抵抗ではないだろうから、無益な内戦が生じる。


「そうならないことを祈っております」

「無駄だろう。我が参謀総長、君はそうやって無駄な祈りをするクセがあるな」


 ピヴォワーヌ伯爵に指摘され、柳井は部屋の中を見渡した。


「誰だって最悪の事態は避けたいモノです。人間がアテにならないなら、神にだって縋りたくなりますよ」


 そういうと、柳井は桜の間に飾られていた帝国国教会のイコン――国父アーサー=メリディアンⅠ世の肖像画――に祈りの印を切っていた。



 椿つばきの間


「本日は遠路はるばる、諸侯にはご足労をおかけしてもうしわけない、皇帝陛下の威光により帝国の平穏は保たれ――」

「長ったらしい挨拶は抜きでしょ、大公殿下」


 マルティフローラ大公は定型文となっている皇統会議開始の挨拶を述べようとしたが、ギムレット公爵がそれを遮った。少なくとも、今日行なわれる会議はそんな挨拶などを悠長にしている暇はないものだった。


「……陛下のご容態について、リンデンバウムの宮内省病院から報告があった。あまり長くない、と」

「お労しい……」


 マルティフローラ大公の言葉にフリザンテーマ公爵が些か芝居がかった仕草で首を振った。


「大公殿下、あなたそんなことでわざわざ皇統会議を招集したの?」

「そんなこととは何だ、近衛司令官の分際で」


 ギムレット公爵の言葉も大概だったが、コノフェール侯爵も大人げなかった。


「私は皇統公爵よ。それに畏れ多くも陛下の盾であり剣でもある私を、近衛司令官の分際ですって? 国持ちだろうが今の発言は撤回していただきましょうか? コノフェール侯爵」

「メアリーやめんか。皇統会議の席の発言は全て記録されているのだぞ。コノフェール候もだ」


パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵オスカーは、メアリーとコノフェール侯爵フィルベールを纏めて子供扱いして叱りつけた。


「おじいさま。いえ、パイ=スリーヴァ=バムブーク候。私とて皇統貴族の端くれ。侮辱にはそれ相応の対応をすることと教えられています」

「……発言は撤回する。無礼をお許し頂きたい」


 先に矛を収めたのはコノフェール侯爵だった。ギムレット公爵は不満げに鼻を鳴らすだけで済ませた。


「皇統会議の議題は、今後の帝国の国策、具体的には辺境以遠の仕置きだ。陛下は即位から現在にいたるまで、辺境惑星連合とは積極的に砲火を交えず、侵攻に対する反撃のみを命じられてきた」


 帝国の水際防衛政策は長らく帝国の国防政策の基本方針としての既定路線であり、これ以外の方策は採られていない。


「で、大公のご意見は?」

「無論、あれらを放置するわけには行かない。ピヴォワーヌ伯国の例を見るまでもなく、今現在も辺境では連中による襲撃が続いている。第239宙域ゲフェングニス349の放棄のような屈辱的なことをしてしまった。これらの最終的解決方法は、辺境惑星連合の完全併呑以外ありえない。私は辺境惑星連合の掃討を行うべきと考える」


 マルティフローラ大公は、先日の机上演習の結果をして未だ領域拡大方針を曲げるつもりはなかった。ギムレット公爵は目を伏せ、溜息を吐いた。


「コノフェール侯爵として、私は大公殿下の意見に賛同する」

「我がフリザンテーマ公国も、マルティフローラ大公の意見に賛同する」


 ギムレット公爵曰く大公の腰巾着もしくは金魚のフンであるコノフェール侯爵、フリザンテーマ公爵は大公に追従した。


「ヴィオーラ伯とヴィシーニャ侯ははいかがか?」

「ヴィシーニャ候国としては未だ議論が熟成されていないと考える」


 大公に問われたヴィシーニャ侯爵はいつも通り、極めて事務的な口調で応えた。


「私は必ずしも大公殿下やフリザンテーマ公と意見を同一にしていない。しかし私は領主から退くのが決定している身である。今後一〇〇年の政策決定に携わるのは不適当だ。その事も本日の議題であったと思うのだが」


 ヴィオーラ伯爵は場をかき回す意味を込めて、先に自分の去就についての話をしておくことにした。


「そうか、伯にはご子息が居られなんだ。後任の候補はお決まりで?」


 帝国皇統は数あれど、皇帝の座につけるのは領邦領主というのが不文律である。当代皇帝のバルタザールⅢ世も、即位以前はリンデンバウム伯爵として、領邦国家の統治を行っていた。


 ヴィオーラ伯爵ナタリーは、夫と子供を不慮の事故で亡くしてすでに五〇年。幾度かあった再婚や養子縁組の話も全て断り続け、今に至る。つまり、ヴィオーラ伯爵は次代の担い手がいない状況である。皇統法典に基づき、この場合は皇統伯爵、もしくはその他の爵位を持つ皇統から新しくヴィオーラ伯爵が選ばれる。


「私としては、ギムレット公爵がいいのではと考えている。公はまだ若い。私の統治が長いヴィオーラ伯国にも、新しい血が必要でしょう」

「私が、ですか?」


 驚いてみせたギムレット公爵だが、無論内示はあったし、極めて確度の高い噂として帝国では常識とさえ言えた。だからこそ、ブックメーカーはギムレット公爵を皇帝選挙の候補者としてオッズをつけていた。


 すでに彼女の曾祖父は侯爵としてパイ=スリーヴァ=バムブーク侯国を統治しているのであって、同じ一族で二つの領邦を統治するというのは、帝国史上でも初めての事態だった。


「近衛司令官の大任を仰せつかっている御身に、全てを委ねることは難しい。だが、我が一族が育て上げた国だ。領主代理でも置けば統治に問題はないでしょう」


 ヴィオーラ伯国は建国以来、ウォルシュー皇統伯爵家により統治され、農耕牧畜分野においては帝国随一とも言える発展を遂げている。帝国の豊かな食料庫とさえ言われる所以である。領内の開拓も続行中であり、ギムレット家のように惑星改造技術の大家と言える家がその統治に携わることは適材適所とも言えた。


 なお、意外なことだがギムレット公爵自身は郷里の国立パイ=スリーヴァ=バムブーク中央大学の工学部惑星工学科を卒業したことになっている。修士論文のテーマは大気改造の促進に関するものだった。


「今ヴィオーラ伯が仰ったとおり、ギムレット公は近衛司令長官の大任を仰せつかっている。領主を兼任するのはあまり好ましくない」


 ヴィオーラ伯爵の言葉に、マルティフローラ大公は異を唱えた。


「殿下にお尋ねするが、一体何者を、我が伯国の後継者とすべきかな? 私から言わせてもらえば、現在の伯爵位は優等生だが、領主となるほどの器ではない。官僚としては優秀だがね……それに、殿下の周りの皇統は、些かお行儀が悪いようだ。ヴィルヌーヴ子爵の一件をお忘れか?」


 御年九三歳、皇統貴族としてはすでに引退していてもおかしくない歳の伯爵は、大公に対しても毅然とした態度を崩さなかった。むしろ、手厳しい批判は大公をも若干狼狽えさせるに至った。


 高位の皇統貴族に課せられた使命の一つは、領邦領主を任せるに足る皇統を育成すること。それは何も子供だけではない。ヴィオーラ伯爵は実子を事故で失っていたが、特にピヴォワーヌ伯爵を現在の地位に足る能力をつけさせた立役者でもあるし、辺境で開拓に従事する開拓領主にも、ヴィオーラ伯爵の薫陶を受けたものが多い。


 しかし、特にマルティフローラ大公やフリザンテーマ公爵の懇意にした皇統は、近年不正献金や脱税で拘束される例が多い。中には帝国に無断で武装艦隊を揃えて辺境侵攻を企てようとした大馬鹿者もいる。大公や公爵が直接関与した証拠はないとはいえ、これは重大なことだった。


「それは暴論では? 西部方面軍のコンドラショフ伯や主計本部の桂木伯などはまさに適任かと」


 ミハイル・コンドラショフ皇統伯爵は西部方面軍参謀本部長を務め、桂木実淳かつらぎさねあつ皇統伯爵は主計本部長を務める。帝国軍にあってはどちらも重職であり、両名共にそれなりの見識を備えていると、コノフェール侯爵はそう主張した。


「コンドラショフ伯は領邦の領主たる器かどうかは、いささか怪しい。軍事の成績はよくても、些か品性が足りない。先日も舌禍により西部方面軍司令長官から譴責を受けたばかりだ。桂木伯は器量に申し分はないけれど、当人にその気がないでしょう」


 またしてもヴィオーラ伯爵は辛辣だった。事実、コンドラショフ伯爵は漁色家としての一面と放言癖が有名で、貴族の品格がないし、当の本人も自覚している。桂木伯爵は実力で主計本部長を務めるやり手として知られているが、こちらは職務熱心なあまり皇統貴族としての活動は低調だった。自他共に認める主計本部の生体コンピュータという異名は有名である。


「サラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵はいかがか?」


 マルティフローラ大公の提案した人物は、実はヴィオーラ伯爵が話を持ちかけた皇統の一人だった。内務省官僚として三〇代では異例の政策統括官の地位にある。シェルメルホルン家も長らく帝国中央政府の官僚を輩出してきた一族として名高い。


「彼女とは幾度か話してみたけど、領主にはよりふさわしい人物がいると辞退されたわ」

「富士宮皇統公爵はどうだ。本国軍の参謀本部長だが、同じ公爵なら、富士宮公も考慮に入れるべきだ」

「富士宮公には私から打診をしたことがあるが、領主になるつもりはないとにべもなく断られたのよ」


 フリザンテーマ公爵が提案した候補者を、ヴィオーラ伯爵は一蹴した。富士宮皇統公爵は帝国軍でも要職中の要職である本国軍の参謀本部長である。曰く『領邦国家の領主は身に余る光栄なれど、軍人たるもの任務を放棄することはできない』とヴィオーラ伯爵の提案を丁重に断っていた。


 この議論で民間の皇統の話題が上がらないのも、結局民間にいる皇統では世俗に塗れすぎて領主として必要な民衆の支持を得にくいというのが問題となっているからだ。


 帝国四大紙の一つ、ペイ・アテンションの世論調査では、民間出身の皇統が既存の領邦領主となることについて、いずれの領邦国家でも六割以上の人間が拒否感を示すという結果が出ており、国父メリディアンの目指した血統によらない皇位の継承は根付かなかったという事実でもあった。


「しかし、だからといってギムレット公爵……」

「しかも伯国から公国か……」


 フリザンテーマ公爵アレクサンドルとコノフェール侯爵フィリベールは顔を見合わせた。


 子爵や男爵が伯国領主になるのなら、その者は爵位を上るだけで済む。しかしすでに公爵である者を伯国領主にするのは格下げであることは否めない。無論、皇統法典にはこの場合の対処も定められている。領邦の格上げである。


 皇統会議の席次において、ヴィオーラ公爵は自分たちと並ぶか越されることになるので、フリザンテーマ公爵やコノフェール侯爵にとっては、端的に言えば疎ましいというのが偽らざる心境だった。おまけに、あのメアリー・フォン・ギムレットがその席に座るというのは、彼らにとっては悪夢のような出来事だと思えたのである。


「珍しいことではありますまい。マルティフローラ大公国も、初めから大公国であったわけではない」


 元々、マルティフローラ大公国はメリディアンⅠ世の後、第二代皇帝の座についたマティアスⅠ世、本名マティアス・ゲルハルト・カールソンが広がり続けていた人類生存圏を統治するために、領邦としてマルティフローラ公国を建国し、退位後にその領主の座についたことが始まりである。帝国歴一二〇年には時の皇帝ジョージⅠ世により大公国の位を授かり、現在に至る。


「しかし……ギムレット公が領主というのは、いささか。それにギムレット家は長らくパイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵を務められている。その席を空席にするおつもりか?」

「メアリーが分家してギムレット公爵宗家となっているから問題あるまい。孫もわしの後任として、十分に領主に耐えうる年齢だ」


 パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵は、ギムレット家が領主を務めてすでに四代目。それに加えてメアリーが公爵となるのは、皇統内のパワーバランスを崩す恐れがある、とフリザンテーマ公爵は主張した。それに対して、メアリーの祖父であり現パイ=スリーヴァ=バムブーク侯爵であるオスカーは悠揚と答えた。


「私は皇統会議の結果に従うのみですが、長年帝国の領邦として、帝国を支えてこられたヴィオーラ伯爵のお言葉、私としてはお応えしたいというのが偽らざる本心です」


 普段は砕けた口調で皇統会議の席を辟易させるメアリーも、厳粛な面持ちで答えた。


「うむ……ヴィオーラ伯、この件、陛下のお耳には入っているのであろうな?」

「心配だというのであれば、貴殿から確認していただくのもよろしかろう。ご息女のグレータ殿にも伝えてある」


 皇統会議においては当然のことながら、皇帝の意向が最優先される。これは領邦国家の領主選択でも変わりはない。皇帝がメアリー・フォン・ギムレットをヴィオーラ伯爵にといえば、それが決定事項となる。


「相分かった。伯がそこまで仰るのだ。今一度確認し、決定を再び会議に掛けるとしよう」

「殿下!」

「確認など小一時間もあれば済む。会議は一時中断とする。各自休まれよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る