第37話ー③ 葬儀委員・柳井義久

 宮内省

 大臣執務室


 一夜明けて宮内省からの呼び出しを受けた柳井は、ヴァルナフスカヤ大臣の執務室にいた。


「柳井男爵、葬儀委員の任命、葬儀委員会の会合の報告について、男爵閣下にお願いしたいのです」

「私が、陛下に、報告? それは葬儀委員長のお仕事では?」


 皇帝への報告とは多分に儀礼的なものであり、通信で済むものでも参内さんだいして直接報告することとなっている。皇帝自身がリンデンバウム伯国で療養中でも、それは変わっていない。無論、日常的な報告はともかくとして、皇帝本人の葬儀のことを通信で手軽に済ませるのは格式の上でもあってはならないことだった。


「マルティフローラ大公殿下は、摂政として帝都を預かるお方。おいそれと帝都を留守にされるわけにはいかないのです」

「それは、確かにそうですが、秦皇統侯爵など私より高位の委員もおりますが」

「不服ですか?」


 ヴァルナフスカヤ大臣は、意外そうな表情をして柳井に問い返した。


「いえ、陛下への拝謁が叶うことは皇統として、臣民として栄誉なことではありますが、私などでよろしいので?」

「……これは私のお節介、あるいは思い込みかもしれませんが、陛下は男爵閣下に対し、特別な想いをお持ちのようです」

「特別な?」


 皇統に叙されてから幾度かヴァルナフスカヤ大臣とは顔を合わせたが、柳井ははじめて、この大臣が感情らしい感情を表に出したように感じた。


「陛下の治世で叙した皇統は、男爵閣下が最後になる。それだけに、何事かお考えあってのことと存じます。陛下のお心の内を、自ら聞いてみてはいかがでしょう」

「……なるほど。それは光栄なことです。では、謹んでお引き受けいたします」



 帝都ーアミーキティア航路

 星間旅客船 ゾンネンブルーメ482

 一等客室


「すまないな。そちらを任せきりにして」


 宮内省で依頼を受けたその日のうちに、柳井は船上の人となっていた。宮内省側が手配してくれたのは、一等客室とは言え民間定期航路のありふれた旅客船だが、それでも三等客室のカプセルベッドルームより余程広く、護衛艦エトロフ時代の穴蔵から比べれば天国のような環境の一等客室で、柳井はロージントン支社に連絡を入れていた。


『いえいえ、閣下は帝国のための崇高なるお仕事に邁進されているわけですから、それをお支えするのも我々の役目ですよ』


 にこやかに答えたのは支社長代理となっているエトロフⅡ艦長のホルバインだった。いつもの通り、柳井を茶化すことを忘れていない。


「皮肉を言うなホルバイン。問題が無ければそれでいい」

『常務元気で留守がいいなんて言いますからね。明日からブレスラウ方面の船団護衛に出かけてきますから、その間に戻ったら事務処理山積みにしてありますから、留守番お願いします』

「わかった。そちらも気をつけてくれ。君に倒れられたら困る」

『ご心配いただきありがとうございます。それでは、閣下』



 リンデンバウム伯国


 リンデンバウム伯国はマルティフローラ大公国に内包された、領邦国家の中でも小規模な領邦で、マルティフローラ大公国への監視拠点として設けられていた、という説さえある。とはいえ、なぜ三代皇帝ジョージⅠ世が伯国を開いたかは、とうの本人にしか分からないことである。


 ちなみに、三二一年の内乱において、リンデンバウム伯国はマルティフローラ大公国に伍するのをよしとせず、当時の領主エアハルト・フォン・リンデンバウム・ノルトハウゼン皇統伯爵は冷然と大公国の協力要請を拒否、内戦終結まで領内で防備を固め、大公国からの侵攻も凌いだと伝わる。伯国が徹底抗戦したことで、リンデンバウム伯国との通信が不通になっていることに気付いた各所の報告で叛乱の兆候を掴めたという側面もあった。


 小規模な領邦ながらその存在は決して軽視されるものでもなく、帝国の歴史に残る象徴的な事件の舞台となった領邦の領主は、マルティフローラ大公クラウスが死罪を賜り、叛乱には加担しなかった姪のソフィア・フォン・カイザーリングカイザーリング家が大公から伯爵に格下げされ、ノルトハウゼン家と入れ替わる形でリンデンバウム伯国領主になり、現在に至る。


 主要産業は農業、牧畜、鉱業となっており、特に首都星アミーキティアは田園風景が広がるのどかな風景が観光地としても人気が高い。



 首都星アミーキティア

 センターポリス シュプローセン

 領主公邸


 リンデンバウム伯の領主公邸は、センターポリスからほど近い小高い丘の上に設けられていた。景色も良く、爽やかな風が植林された広葉樹を揺らす。


「柳井皇統男爵、御前に……」


 柳井が皇帝と直に対面するのは、二度目、画面越しのものを含めても三度目だっただろうが、柳井は皇帝の衰えように驚いていた。頬がげっそりとそげ落ちていたからだ。


「よく来てくれた。まあ、掛けたまえ……」


 進められるがまま、柳井は応接用のソファに腰を下ろしたが、その頃ようやく皇帝は上体を起こし終わり、近侍の手を借りてベッドから身体を降ろそうとしている。


「すっかり足腰が弱ってしまってな……近侍の者には苦労を掛けている」


 ベッドから杖を突いて歩いてきた皇帝だったが、寝間着のガウンの袖や裾からチラと見えたが足が、骨に皮を張ったような痩せ細りようだったことに柳井は驚いていた。これだけ科学技術が発展しても、使わない筋肉は衰えるということは変えられないのだなと、柳井はいささか場違いな気付きを得ていた。


「何を仰います」

「卿にも総督などを任せておるが、その後、息災そうでなによりだ」

「ありがたきお言葉。ところで、その……本日拝謁を願いましたるは、まことに申し上げにくいことながら……」

「余の葬儀のことであろう? ヴァルナフスカヤから聞いている。先帝ナディア陛下のときも、余が葬儀委員として報告に上がったものだ」


 生きているうちから葬儀のことを計画するのは一般的ではないにせよ少なくない事例がある。しかし、やはり当人と葬儀について話すのは、あまりいい心地では無いなと柳井は感じていた。それも、帝国を統べる皇帝相手にである。


「は……子細につきましては省かせて頂きますが――」


 皇帝の体調を慮った柳井は、要点のみを簡潔に説明した。


「うむ、よい。どのみち余の葬儀を余自身が見ることはないのだ。卿ら生者の計画に異存はない。好きにするがよい……ただ、余が倒れた後の服喪期間だ。三ヶ月は長すぎる。先帝の例に倣い、余も一ヶ月とさせてもらおう。それさえ長すぎるとは思うが」


 服喪の間の帝国臣民の生活は、特に制限を受けることはないが、個人として慶事を延期する傾向は見られる。社会の雰囲気もどことなく沈みがちで、経済損失も巨大な帝国だからこそ莫大な額となる。初代皇帝アーサー=メリディアンⅠ世の際に半年だった服喪期間は少しずつ短縮されており、ナディアⅠ世の代で一ヶ月となった。なお、とうのナディアⅠ世自身は二週間という案を提示していたが、さすがに短すぎるということで一ヶ月になった経緯がある。


「はっ……葬儀委員会にて陛下の思し召しを知らしめ、検討致します」

「うむ……なぜ、余が譲位せぬか、と卿は考えているか?」

「……畏れながら、陛下のご様子を拝見させていただき、確信を得ました。もう少し早くに後身に譲られて、ご静養なさっていれば……と」

「当然の事だな……卿は、酒を飲むか?」

「は、たしなむ程度に……」

「ふふ、嗜む、か……すまぬが、あれを持ってきてくれぬか」

「直ちに」


 近侍の女性が足早にその場を離れた。


「お酒は、お体に障りませんか?」

「舐めるように、嗜む程度なら良いと侍医が言っておるのだ」

「それはまた……ではご相伴に預からせて頂きます」


 柳井は侍医の判断が、死期の近い人間に対するものだと気付いた。死に至るまでの医師による患者の行動制限は、あくまで疾病や怪我を直すためのもの。バルタザールⅢ世のように老衰を期するがごとしという人間には、そういった制限は無意味だったからだ。


 しばらくして、近侍がショットグラスを二つ、それにウイスキーの瓶を持ってきた。


「こうして身体が弱り、冥府の門が見えてくると思う。この愛すべき琥珀色の液体を呑めるのが、あと何日か、と」


 近侍はウイスキーを注いで、再び皇帝の後ろに控えた。この女性達は皇帝やその臣下の話を聞いて、それを漏らさずにいなければいけない重圧があるのだろうと、申し訳なく考えていた。


「これはまた……陛下はあおいをお飲みになるのですか」


 自分が普段ちびりちびりと飲んでいるブレンデッドウイスキーの瓶を見て、柳井は驚いていた。柳井の生まれ故郷である極東管区ではよく見かける銘柄だった。


「卿も飲むのか?」

「は、安月給ですが、これが楽しみと思えば仕事を乗り切れる、と……失礼、些細なことでしたな」

「ふふ、帝国には良いウイスキーが星の数ほどあるが、若いころからこれが一番良い。いや、卿の人となりが知れるのは余も嬉しい……少し酒を飲んで舌が回るようになったところで、余が何故譲位せぬか、卿には伝えておこう」


 皇帝は、唇を濡らすようにウイスキーに口を付けた。グラスの中身はほとんど減っていない。


「余は、優柔不断な皇帝だ。少なくとも、かつての建軍帝エカテリーナⅠ世、中興の祖ジブリールⅠ世、ましてや国父アーサー=メリディアン大帝には及びも付かぬ愚鈍な皇帝だ」

「……」

「だから、迷っていた。今、皇統会議は大きく二つの派閥に分かれ、今後の帝国のありようについて激論を交わしている。進んで血を流し国是に従うか、それとも領内の安定をこそ目指すべきか……いずれにしても、辺境部の民に負担を強いる。軍隊の駐留拠点になろうし、敵の襲撃も増えるやもしれぬ、拡大政策のためには増税も辞さぬ、などと言う者も居る……」


 皇帝は激しく咳き込み、柳井は腰を浮かせたが、皇帝はそれを手で制した。


「メアリーやフレデリクは、余も幼少の頃から目を掛けてきた。メアリーは辺境部に武者修行に行っていたから……卿はその辺りも知っているのだったな」

「はっ……」


 ギムレット公爵メアリー、マルティフローラ大公フレデリク、いずれも三〇代半ばと若い。血縁関係はないとはいえ、皇統社会のトップに立つ皇帝からすれば、彼女達は孫のようなものだった。


「あの二人が相打つような皇帝選挙になろうとは、即位したころは思わなんだ……あれらはまだ若い。優秀だが、余人の先を二歩も三歩も先に行く。もう少し落ち着きが出るまで、余が耐えられればよかったが……」


 皇帝の力ない笑みに、柳井は軽く頭を下げ、ウイスキーに口をつけた。


「皇統という制度を、帝国は持て余している。大半の皇統は皇統選挙の投票権を行使するとき、国事行為の時にしか皇統としての仕事がない。皇帝という巨大な広告塔と同時に、小さな広告塔を帝国は必要としている。余は在位の間にそれらの改善を行ないたかったが、果たせずにいた……卿を叙するまでは」

「私を?」

「アルバータの叛乱未遂を止めた卿の手腕は、非公式ながら帝国中央に大きな衝撃を与えた。総督代理に任じたのも、卿が辺境の民に対して、中央官僚や軍人のような高圧的な態度を取らないことを、メアリーやオデットに教えられたからだ」


 一息に話し終えた皇帝は、一息ついたように再びグラスに口を付けた。


「卿を一種のはかりとして、皇統をより帝国の事業に参画させることを、次の皇帝には目指して欲しい、ということだ」

「私などが秤とは……」

「メアリーやオデットも言っておったが、本当に卿は自己評価が低いのだな。卿は立派に、総督代理の勤めを果たしてくれている。イステールの民から、叛乱後の復興も順調であり、卿を正式に総督として、あるいは開拓領主として任命して欲しいという嘆願も来ておるのだ。ゲフェングニス349の元住民からも、疎開に際し最大限の配慮をしてくれたことに感謝するという声も多いと聞く」


 柳井自身、自分に対する論評のうち、好評のものは否定的に捉える傾向があったので、皇帝自ら柳井を高く評価するようなことを言われて、ようやく素直に受け入れる気になった。彼の気質は真面目だが、不平屋で皮肉屋の一面もあり、これは彼の自己評価が低いことの裏返しでもあった。


「先ほども言ったが、余は優柔不断だ。拡大派、維持派の言い分もどちらにも利があると考えてしまう。だから、決断は余が死んだ後、皇統選挙で生者が行なうべきだと考えた。余は、もう随分前から精神的には死んでいる。皇后、余の愛した小さなクラインレジーナ……彼女を失ったときから、余は……」


 先ほどよりも激しい咳をした皇帝は、近侍の手を借りてベッドへと戻った。


「少々話しすぎた……卿と最後に話せて嬉しく思う。最後に……これだけは、伝えておく。余は、辺境の民に負担を強い続けてきた。次の代ではそれが少しでも改善されることをこそ、望む……」

「……陛下のご聖慮は、しかと胸に刻み、皇統に取り立てて頂いたご恩に報いるため、為すべきことを為しましょう。ゆっくりとお休みくださいませ」

「うむ……遠路ご苦労であった……メアリーとフレデリクに、よろしく、伝えて……」


 声が消え入るように途絶え、目を閉じた皇帝を見て柳井は思わず侍医を呼びに走るべきかと身構えたが、すでに近侍の者が伝えていたのか侍医が来て、非接触のバイタルセンサをかざして、ホッとしたように息をついた。


「お眠りになりました。随分話されたようで、お疲れになったのでしょう」

「そうですか……」


 柳井は近侍に促され、少し待つようにと応接間に通された。


「……いい景色だ」


 柳井は目の前に広がる草原と、その向こうの控えめな都市部を眺めていると、これらが数百年のうちに、入植した人類が人工的に作り上げた環境だとは理屈では理解していても、目にすると信じられないものだった。柳井が総督代理を担当している宙域にも、まだ入植どころか大気改造すら終わっていない惑星があるが、あれがこのような風景になるころには、自分は生きてはいまいなどと、感傷に浸っていた。


「……この絵は、ここから見たものか」


 柳井は壁に掛けられていた絵が、この屋敷から見える風景と同じだと気付いた。


「父が静養のためと領地に戻ってきたのは、この風景を眺めながら死にたいからなのでしょうね」


 突然後ろから声を掛けられて、柳井はハッとして振り向いた。プラチナブロンドのロングヘアが風に揺れている。


「柳井男爵閣下でいらっしゃいますね? お初にお目に掛かります」

「これは……グレータ様。お邪魔しております」


 グレータ・フォン・カイザーリングはバルタザールⅢ世の長女であり、四一歳のはずだが、柳井自身より一〇は若く見えた。父であるバルタザールⅢ世に代わり、一〇年ほど前からは領邦領主代行として伯国の経営を手がけている。


「母が亡くなったのは、もう二〇年以上前になります。領主公邸から見える景色が本当に好きな人で……その絵は、母が描いたものです」

「そうでしたか……」


 近侍の者がコーヒーを持ってきて、グレータが席を勧めたので、柳井はもう少しここに滞在することにした。


「父が、柳井男爵とお話しするのを楽しみにされていました。いつもならまだ起きていたのですが、話疲れたのでしょうね」 

「そうでしたか……」

「柳井男爵、葬儀委員への就任、ありがとうございます。父があなたを皇統として、より広い範囲で活動して欲しいと願っておりましたの。その一環です」

「期待にお応えできるよう、努めます」


 その後も最近の辺境情勢やら政談などをした後、柳井は領主公邸を辞去しようとしたが、グレータに見送られ玄関まで来たところで、近侍の女性が駆け寄ってきた。


「柳井様。先ほど陛下が一瞬起きられまして、こちらをお渡しするように、と」


 未開封の葵を入れた今時珍しい天然紙の袋を手渡され、柳井は思わず顔をほころばせた。


「あらやだ、それいつも飲んでいたウイスキー……新品とはいえ、こんな」

「グレータ様、私はいつもこれを飲んでいまして、陛下からの下賜品となれば、こんなに嬉しいことはありません。陛下のお言葉に甘えて、ありがたく頂戴致します」


 グレータがそれならば、と微笑み、それを背に柳井は領主公邸を後にした。



 実は、この柳井の拝謁がバルタザールⅢ世が、家族以外の皇統と最後に話した記録になろうとは、柳井も流石に予期していなかった。

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