第37話ー② 葬儀委員・柳井義久

 帝都旧市街

 ホテル・オーストリア


 柳井が連れてこられたのは、ウィーンでも五つ星のホテルと評判のホテル・オーストリアだった。皇統や各界著名人の結婚式などにも利用されることで有名だった。


「閣下、お待ち申し上げておりました」

「もう皆さんお集まりかしら?」

「はい、ご案内いたします」


 さすがは皇統侯爵ともなると、ホテルスタッフの方から駆け寄ってくるものか……などと感心しながら、侯爵のあとを付いていく。普段着に近い吊しの量産スーツで来てしまったことを柳井は後悔していたが、彼の自宅のクローゼットには同じようなスーツが五着と、休日用のカジュアルジャケット、もう数年単位で袖を通していないアスファレス・セキュリティの制服、冠婚葬祭時に着る礼服しかないので、極端なラインナップだった。


「こちらでございます」

「ありがとう。皆さん、遅れてごめんなさい」

「待ちくたびれましたよ侯爵。先にボトルを開けてしまおうかと思っていたところです」


 柳井なら間違いなく自分で入ることはない五つ星のホテルの、それも最上階、式典場として用いられるホールに三〇〇人ほどの老若男女が集まっていた。何人かは葬儀委員会の場でも柳井が見た顔だった。


 立食会の形式で、各所のテーブルにはホテル・オーストリア一流シェフが手がけた料理が並んでいる。


「そんなに畏まらないで柳井男爵。あくまで懇親会のようなものよ。我ら皇統と呼ばれはしても、普段は自分の生活で手一杯の一臣民にすぎない。血縁で繋がるものも少なくはないが個別のもの。たまに集まるのは葬儀と選挙の時くらい。せっかくの機会だし、我々も皇統として帝国に貢献する道を探ろうと、まあそういうざっくばらんな話をする懇親会よ」


 侯爵がホテルのスタッフに合図をすると、参加者各位にシャンパンが配られた。


「それでは、柳井男爵から乾杯の音頭を取って頂こうかしら」


 侯爵に言われては、柳井に断る理由は無かった。


「それでは……帝国の弥栄いやさかと皇統の皆様のご多幸を祈って」


 極めて無難な言葉と共に、懇親会は始まった。それは柳井の予想通り、オフレコであることを前提にした極めて突っ込んだ話題と、柳井自身が酒の肴になる時間の始まりだった。食事と酒を楽しみつつも、市井の報道に出ないような会話が交わされる。


「しかし柳井男爵は男爵に叙されてから活躍しっぱなしですな。総督代理の前はピヴォワーヌ伯国の参謀総長でいらっしゃる」

「なんの因果か、分不相応な仕事ばかりまわってきておりまして」

「柳井男爵は皇統として臣民やより高位の皇統からの信頼を裏切るようなことはしていない。皇統と名のつく者で、皇統らしい仕事をしている人間は数えるくらいなものですよ」


 皇統に官僚や元政治家、軍人が多いとはいえ、特に数の上で皇統の大半を占める男爵で公的な役職を与えられている人間は少ない。柳井のように総督代理などという役職を持つ皇統は数えるほどでしかない。


「ところで、柳井男爵は拡大派の皇統の方々と維持派の方々の政策のどちらを支持するのです?」

「……私に何を期待しておいでで?」


 何度目かの自分に対する問いかけに、柳井は意味ありげに微笑むアレティーノ男爵に問い返した。


「男爵のお考えの通りにどうぞ」


 なるほど、気遣い無用というわけか、と柳井はワイングラスに半分ほど残ったワインを飲み干して、ウェイターに空のグラスを渡してから、口を開いた。


「では、単刀直入に申しましょう。拡大派の掲げるFPU殲滅と領土拡大政策は、帝国臣民に対し、またFPU構成体市民に多大の犠牲を強いるもの。私としては到底支持できるものではありません」


 柳井が皇統社会においてハッキリと自分の立ち位置を示したのはこれが初めてのことだった。無論、ギムレット公爵に付き従い仕事をこなしているのだから自明のことだったとも言えるが、本人が公言すること、その理由が明らかになることはまた違う意味を持っていた。


「しかし、現状の国境宙域での水際防御にしても、帝国軍と辺境部の自治共和国市民に犠牲を強いている」


 アレティーノ男爵の意地の悪い質問に、柳井は頷いた。


「それも問題です。維持派の政策がただの現状維持であったとしたら、支持に値するほど聡明かと問われれば、否でしょう」

「わざわざそういう言い方をされるからには、ただの現状維持でない、と」

「さあ、それはどうでしょうか。私は一介の男爵にすぎません。維持派の領袖りょうしゅうの方々のご高察についてはなんとも」


 柳井はとぼけて見せたが、ギムレット公爵の真意を知る一人として、そしてその方針に影響を与えた人間として随分と安い演技をしたものだと自己嫌悪に陥りそうだった。それを誤魔化すために、柳井は目の前にならぶ料理に手を付けた。


「いや、あなたからそういう言葉が出ることそのものが、ただの現状維持でないという証明になる。なるほど、我々皇統は帝国の弥栄を祈りつつも、その中で経済活動を行う納税者でもある。大増税が伴うような政策は、場合によっては不満を感じるものだ」

「増税となれば一時的な経済の落ち込みは無視できない。株式相場にも影響はでるだろうな」

「辺境開発がようやく進み始めたというのに、それでは振り出しに戻るぞ……」


 アレティーノ男爵の言葉に、他の皇統もそれに連鎖するように口を開いた。議論が議論を呼び、しばらくの間柳井は見物人を気取り、ホテル・オーストリアの一流シェフの料理に舌鼓を打っていた。


「柳井男爵は民間軍事企業の役員でもあるわけですが、それでも拡大派を支持できないのですか? 帝国軍だけで無く、民間も業績拡大のチャンスと捉えるのでは?」


 柳井がメインのターフェルシュピッツを食べ終えたころ、内務省の現役官僚であるサラ・アーデルハイト・フォン・シェルメルホルン皇統伯爵が柳井へ言葉を投げた。


「個人的には、私は自分も含めた部下達が侵攻の尖兵として消耗することは望みません。それに、大半の民間軍事企業の兵站は、せいぜい帝国外縁から数百光年までが限界でしょう。帝国領内における防御的な組織なのですよ、ほとんどの民間軍事企業は。それは帝国軍とて同様。輸送艦艇の船腹数の不足は目に見えています」


 柳井は自分の端末から、趣味で作成していた公表されている帝国軍の輸送艦の腹船腹のグラフを部屋のモニターに転送した。辺境惑星連合の領域とされる帝国国境宙域から先まで帝国軍が侵攻する場合、必要物資量に対して大幅に艦船数が不足していることが見て取れる。


「これに領邦軍を足したものがこちら。やはり大幅に輸送力が不足しています。これは東部方面軍はじめ帝国軍の基本思想が、国境宙域での水際防御までしか想定していないことが要因です。さらに、この必要数を満たすために、帝国軍が単独で輸送艦艇を増備する場合にどれだけの予算が必要か……飢えた軍隊が勝てるなら、地球の歴史は大きく変わっていたことでしょう」

「民間船を動員しても同じですか?」

「同じどころか、より悲惨な結果を生じます。辺境惑星連合は補給線寸断のために攻撃を仕掛けてくるでしょうが、これを完全に守るのは不可能。民間船に犠牲が増え出すと、国内世論も批判的なものに変わります」


 シェルメルホルン伯爵の質問を悉く叩き潰すような柳井の回答だったが、質問した当人は笑みを浮かべていた。


「本職の方から聞けるのは、また違うインパクトがありますね」


 どこからかそんな声が聞こえて、再び皇統達は近くの皇統同士で議論を始めたが、柳井はその場をそっと離れ、ワインを追加で貰い、休憩しようと会場の隅の椅子に腰掛けた。


「……言い過ぎただろうか」

「柳井男爵」

「これは……シェルメルホルン伯爵」


 シェルメルホルン伯爵はまだ若い。今年三二歳ですでに内務省政策統括官の地位にある官僚界の傑物とも評されている人物だった。


「先ほどはご高説拝聴し、感服の至り」


 シェルメルホルン伯爵はそう言うと、グラスを掲げて飲み干して見せた。


「伯爵、ワザとあのような質問をされたのでは?」

「読まれていましたか。あの場にいる皇統に方向性を示してやろうと考えていたのですが」


 ギョッとした柳井はこの会話が聞かれていないかと周囲を見渡していた。


「何かお考えあってのことだと思いますが……」

「ここが拡大派の支持者の集まりなら、最初から男爵にあのような質問を投げるはずもありません」


 伯爵の言葉に、柳井は自分の迂闊さ、あるいは蛮勇を呪った。


「私としたことが、もしここが拡大派の会合なら、帰り道が不安で仕方ないところでした」

「そうでしょうか? あなたならマルティフローラ大公殿下の前でも同じ事を言ってくれると期待していたのですが」


 伯爵が冗談めかして笑い、柳井は首を振った。自分への評価が些か過激な人間と思われているのでは無いかと、柳井は不安に感じていた。


「ご冗談を……しかし、維持派の集会では無さそうだ。中立、もしくは態度保留、というところですか」

「その通り。皇統はおおよそ一二〇〇人、大半は男爵ですが、この会合の情報は興味津々でしょう」

「この会合の会話はリークされている、と?」

「さあ。まあ維持派はともかく、拡大派の考えに同調しない方は、案外多いと言うことを柳井男爵には知っておいて貰いたいのですよ」


 内務省官僚であるシェルメルホルン伯爵は、なかなかの曲者だが、そうでなければ内務省で若くして局長相当の統括官までは出世しないだろう、と柳井は感心していた。マルティフローラ大公が特に内務省への統制を強めている事実からも、彼女が大公の目に付いていないわけがない。


「しかし、内務省の官僚と言えばもう少し壁のある話し方をする方が多いようですが、伯爵はそうではないのですね」


 柳井が知る内務省官僚はそこまで多くない。しかし、その少なくないサンプル数でも、内務省という帝国政府内でも絶大な権力を持つ官庁の人間としての優越意識を感じさせるような態度がありありと見て取れた、と柳井は記憶している。


「大理石の人間も、色々ということです。まあそういう人間が多いことは、内部にいる人間としても認めざるを得ないことですが」


 大理石とは、内務省本庁舎の正面玄関にそびえる大理石の巨大な門柱からくる内務省の徒名あだなで、頭が固く縦割り行政の権化と言うべき頑なな態度と、他省庁を見下す傲慢さから来るダブルミーニングでもある。


 柳井とシェルメルホルン伯爵はしばらく話した後、再び会場中央へと戻った。


「しかし、最近妙な噂を聞くのですよ。マルティフローラ大公国が国庫から良からぬ金を引き出してるという」


 ネルソン皇統子爵の言葉に、多くの皇統達が反応を示していた。


「そのようなことが? 柳井男爵は何かご存じなのでは?」

「噂ですよ」


 シェルメルホルン伯爵が柳井に聞くが、柳井は適当にはぐらかした。


「先ほども申し上げた通り私は一介の男爵にすぎません」


 この時点で、柳井はギムレット公爵経由で特別徴税局がそれらの調査を極秘裏に進めていることを知っていたが、調査が完全で無く、裏付けが出来ていないことも理解していたため、不用意な発言は避けた。


 その後も柳井は胃に穴が開くような思いで、時に痛烈な批判、時にやんわりとした同意などを使い分けながら皇統達との会話をこなしていった。



 ラインツァー・ティア・ガルテン

 ギムレット公爵帝都別邸


「まさか皇統公爵の別邸に素泊まりしようだなんて、あなたも中々太い神経してるわね」

「年度末が近いですから、長期滞在の人間が多いんですよ。どこもホテルは埋まっていますから。それに、ご報告したいこともあるので」

「なるほどね」


 柳井の隠された、いや隠しきれてはいない仕事の一つ、皇統選挙に至るまでにギムレット公爵の支持を固める選挙活動。その報告と、宿を求めるためにギムレット公爵の帝都別邸を訪れていた。彼女の本邸はパイ=スリーヴァ=バムブーク候国の首都星にあるのだが、皇統公爵、また近衛司令長官としての役得で、この地に別邸を築くことを許されていた。


「感触としては悪くない、と存じます」

「そう……あなたの言葉が彼らに届いたのならそれでいいわ」

「はっ、しかし気になる者が一人」

「誰?」


 柳井は立食会で出会ったシェルメルホルン伯爵のことを公爵に伝えた。


「あの一門は根っからの官僚一族だけど、サラ・アーデルハイトは少し毛色が違うのよね。多分、あなたの同類よ」

「私と? それはまた、因果な星の下に産まれた方で」

「彼女はただの内務省官僚じゃない。ただ、マルティフローラ大公も彼女のことは高く評価しているそうよ。今日、秦侯爵のパーティに参加したのも、内情を探るためかもしれないし」


 シェルメルホルン伯爵自身は明言しなかったものの、そういう密命を帯びてあの場にいたという疑念を、柳井は拭いきれなかった。


「だとすると、私の行動ははなはだまずかった、ということになりますが」

「いいのよ。あなたが私の意を受けて行動しているというのは公然の秘密でしょう」

「私の身柄は大丈夫なんですか? 内務省に睨まれるのは、あまり心地いいものではありませんが」


 内務省の仕事は多岐にわたり、本国の警察行政や臣民籍管理を含む一般行政を広く所轄するが、中には国家に害を為す政治思想犯やテロリスト予備軍の監視、もしくは暗殺も含まれている。


「私の子飼いの皇統に手を出して無傷でいられると思うなら、やってみればいいのよ」

「それで死ぬのは私なのですが」

「盛大な葬儀をしてあげるわ」

「そういうことではなくて」


 柳井は溜息交じりに首を振ったが、殺されるならとうの昔に殺されているだろうとも思っていた。本国や領邦より警備体制が緩い辺境に長期間いるのだから、その気になれば簡単に暗殺できるからだ。


「分かってるわよ。まあ安心なさい。内務省とか軍の情報部もバカじゃない。大公に忖度して好き放題殺し放題なんてことしたら、担当者や次官の首が飛ぶくらいではすまないわ」

「組織そのものが吹っ飛ぶ、と」

「ええ、盛大に吹き飛ばしてやるわ。それに私だって、あなたのように有能な同志を失って、すごすご引き下がるような人間ではないわ。あなたの仇はこの私が直々に討ってあげる」

「ですから、まず身柄の安全を保証して頂きたいところですが」


 固く決意表明をしてくれたことには感謝しつつ、柳井は直近の身の安全を訴えた。


「大丈夫よ。私でさえ、まだ殺されてないんだから」

「殿下はお強くていらっしゃる。私のような小市民根性の根付いた人間には真似できないことで」

「その割には、大分パーティでは熱弁を振るわれたそうじゃない、男爵閣下」


 その後、政治議論や皇統選挙の対策などを、日付が変わるまで続けた後、柳井は当分の間貸し出された部屋で身体を休めた。


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