案件05~葬儀委員・柳井義久

第37話ー① 葬儀委員・柳井義久

 アスファレス・セキュリティ

 ロージントン支社

 支社長室


 皇統男爵および第二三九宙域総督として、さらにアスファレス・セキュリティロージントン支社の支社長として多忙を極めていた柳井だったが、帝国暦五九〇年も年度末の三月――帝国の前身、地球連邦政府時代に統一された――に入ろうとしていた二月末、ロージントン支社のオフィスで雑務の処理に追われていた。


「常務、あのパラディアム・バンクが壊滅したって話、信じます?」

「拠点ごと特別徴税局が焼き払ったとかいうアレだろ?」


 完了した仕事の報告書を持ってきた戦艦ワリューネクル艦長、アルブレヒト・ハイドリヒ艦長の世間話に、柳井は報告書に目を通しながら応えた。


「そりゃ盛りすぎですよ。たまにはキチンと四大紙も目を通さないと」

「冗談だ。私がニュース・オブ・ジ・エンパイアしか読んでいないと思ってるのか」


 帝都新聞社発行、発行部数帝国最大のデイリー・エンパイア、帝国経済・工業新聞社発行、飛ばしも多いが経済面で充実したフィナンシャル、ウィステリア・タイムズ社発行、自称保守紙、やや右派寄り論調のショウ・ザ・フラッグ、ジャーナル・モルゲンゾンネ社発行、リベラル・左派紙を自認するペイ・アテンション。これらは帝国四大紙として称されている。これに加えて無数のブロック紙、専門紙が乱立するのが帝国の新聞業界であり、ピンからキリ、右から左、果てはアナキズムに分離主義までそろい踏みである。


 柳井のように辺境が主な任地の民間軍事企業業界にいると、軍事情報が豊富なミリタリー・ジャーナル社発行チェリーテレグラフが主な購読紙になるが、それに加えて五流ゴシップ誌と名高いが辺境ネタも豊富なパイオニア・テレグラフ社が毎週金曜日に発刊する週刊誌、ニュース・オブ・ジ・エンパイアなども目を通すことになる。


「それはともかく、常務がここにいるのは珍しいですなあ。最近は総督閣下として辺境にいる時間も長かったし」


 以前のように柳井がエトロフⅡに座乗して直接指揮する仕事は激減しており、ロージントン支社にいるときは事務処理のためというのが、ここ数ヶ月の柳井の勤務実態だった。


「まあな、時々自分が会社員と言うことを忘れる……」


 その時、柳井の机の端末が軽やかな電子音で着信を告げた。


「ハイドリヒ、宮内省からの通信だ。悪いが外してくれるか?」

「仰せのままに、男爵閣下」

「まったく……柳井です」

『宮内大臣、ヴァルナフスカヤでございます、閣下』


 ヴァルナフスカヤ宮内大臣は、今年で就任から六年目の大臣で、三〇代半ばという年齢と妙齢の女性らしい細面の割に、重厚感のある低めの声が印象深い。


『柳井男爵閣下、この度葬儀委員に就任して頂きたく、要請のご連絡を差し上げました』

「葬儀委員?」


 ヴァルナフスカヤ大臣の告げた官名に、柳井は思わず問い返していた。


『はい、葬儀委員でございます』

「どなたの葬儀なのですか?」

『これから訪れるであろう、帝国臣民最大の悲しみに送られるお方の』


 婉曲えんきょくな表現をしているものの、ある程度の年齢に達した帝国臣民なら、誰でもその一言でその人物と察しはつく。柳井も一瞬息を呑んでから、その人物の名を口にした。


「バルタザールⅢ世陛下の葬儀、ですか」


 当代皇帝バルタザールⅢ世は、今年で八六歳。人類の平均寿命が頭打ちになって久しいが、それでも男性八二歳、女性九一歳という保健厚生省統計を見ても、当代皇帝は男性としては十分に生きた部類に入る。


『別に不思議なことではありません。人間は誰しもいつかはその生命の終わりを迎えるもの。不老不死はいまだ実現していませんし、それは帝国皇帝といえど例外ではありません。一般臣民と異なり、帝国皇帝の場合、葬儀も規模が大きいので、事前に葬儀に関わる方を選定しておくのです』

「これは極秘のものですか?」

『いえ、明日付の官報で公示されます。本日のご連絡は内示、ということで』


 前日に連絡してきて内示も何もないだろうと、そしてまた兼任の公職が増えていくと柳井はやや憤慨していた。


『陛下より直々に、柳井男爵に加わって欲しいと仰せでありました』


 こう言われると皇統の地位を持つ者は断る言葉を持たない。しかしながら、誰にでもこういうことを言っているのではないか、と柳井は邪推した。


「承知いたしました。不肖の身ながら、尽力いたします」

『ありがとうございます。早速ではありますが、一週間後の一二時から典礼庁庁舎において、葬儀委員会の第一回会合がございます。ご出席くださいますよう』


 通信を終えると、柳井は深い溜息を吐いた。


「皇統男爵、常務に参謀総長に総督、つくづく身に余る光栄だな。溺れてしまいそうだ」


 追加の書類を持ってきたハイドリヒに、柳井は愚痴をこぼした。


「それで溺れられるような単純な方であれば、気苦労も少なくていいでしょうなぁ」

「ハイドリヒ、君にも何か役職を付けてやろうか? 帝国男爵くらいなら宮内省に紹介状を書いてやるぞ」

「いえいえ。常務にも劣るこの無能者には過ぎたることでして、はい」


 無精髭面でニヤニヤと笑いながら、ハイドリヒは恭しく、芝居がかった所作で頭を下げた。


「まったく……しかし帝都まで来いとは」

「迂遠なことをするもんですなあ、やんごとなきお方というのは」

「まあ、一日二日の出張日程すら組めないような窮屈な世の中ではないしな」


 それから二時間ほどして、柳井の個人端末に着信があった。


『柳井、葬儀委員就任おめでとう。シャンパンでも開けちゃう?』


 相手は近衛軍司令長官、メアリー・フォン・ギムレット皇統公爵元帥だった。


「不謹慎ですよ殿下……」

『まあ、あなたもいい歳なのだから国教会葬の礼法くらい身についてるでしょ? 皇帝の葬儀といっても、あなたのような男爵位の人間がやるのは、受付と、喪明けの振る舞いの席での挨拶回り。簡単なものよ』

「そうですか……」


 軽く言ってくれるものだと柳井は溜息を吐きたくなったが堪えた。


『葬儀そのものの組み立ては典礼庁が中心になって行なうし、儀式で派手にテレビに映し出されるのは私達皇統公爵や大公のような領邦領主よ』

「殿下の美貌が全帝国津々浦々に放映されるとは、結構なことですな」


 実際ギムレット公爵はかなりの美貌を誇り、黙っていれば男なら誰でもなびきそうなものだが、柳井のように枯れた人間からすれば、その内側にある野心や周囲の人間を巻き込んで突き進み、あらゆる障害を破砕する持続する超新星爆発のようなパワーのほうが目につくのだった。


『何それ嫌味? まあいいわ。ともかく、まだ先のことになる……かどうかは分からないけど、万が一の時は葬儀前日までに帝都へ帰還できるような腹づもりでいて頂戴』

「しかし、私の職場はロージントンです。そんな急に」

『万が一ご危篤になられたら、宮内大臣が記者会見をする。そのタイミングで戻ってきて貰えば間に合うはずよ。それに、急死となればそれに合わせて、葬儀日程も余裕を持ってスケジュールが組まれる。気に病むことはないわよ」

「そうですな。では、来週帝都でお会いしましょう」


 標準的な貨客船でも、ロージントンからなら三日、軍用艦艇なら二日あれば中央にたどり着く。そのことを考えながら、柳井は恭しく一礼して通信を切断した。


「……礼服を仕立て直した方がいいのだろうか」


 宿舎に使っている賃貸マンションのクローゼットに眠る、帝国軍仕官時代に仕立てた礼服の存在を思いだし、柳井はぽつりと呟いた。



 一週間後

 帝都 ウィーン

 典礼庁


 典礼庁は宮廷と皇統の儀式一切を所掌する宮内省の外局である。皇統子爵までの皇統、帝国貴族の叙爵や紋章と爵位継承の管理なども行なう。


 その会議室に柳井はいた。



 第一会議室


「本日はお集まり頂きありがとうございます。典礼長官のマリオン・オードリーです」


 オードリー長官は、前任のナシノフスカヤ長官が高齢を理由に退任したのに合わせて新たに任命された長官で、柳井も面と向かって顔を合わせるのは初めての相手だった。


「葬儀委員長は慣例によりマルティフローラ大公殿下が務められることとなっております。ご多忙の身につき、私が代理として殿下に会合の子細はお伝えすることになりますので、ご承知おきください」


 このあと行なわれた会議内容は、葬儀委員の紹介、葬儀に関するいくつかの確認事項、儀式の進め方など多岐にわたるが、規模が大きいだけで基本は一般庶民と同様。柳井としても特に気を張ることなくオードリー長官や他の葬儀委員の話を聞いていた。何せ皇統男爵だけでも五〇名、皇統子爵一〇名、皇統伯爵五名、皇統侯爵一名が参加していれば、柳井が何も発言しなくても自然と議論は形成されていく。不用意なことを口走って仕事が増えても仕方がない……などと柳井は考えていた。


「……しかし典礼長官。毎度のこととはいえ、葬儀委員会が招集されるということは、陛下のご体調が大分お悪いのかな?」


 葬儀に関する議論が一段落したタイミングで、この場に居る人間が誰しも気になることを切り出したのは、文化庁長官、教育科学大臣を歴任した元下院議員の秦海結しんかいけつ皇統侯爵だった。彼女は御年八三歳で、先帝ナディアⅠ世の葬儀でも葬儀委員を務めており、今回の葬儀委員会でも様々なアドバイスを行なっている。前回の国葬は半世紀も前であり、彼女のような経験者は少なくなってきた。


「リンデンバウム伯国でご静養中なのは変わらずです。公然のことではありますが、陛下は臓器移植や延命措置については一切拒否されております。ご年齢のこともありますし、少し早いかとは存じますが、招集を掛けたという次第です」


 オードリー長官も慎重に言葉を選んでいる様子が柳井からは見えていた。そもそも、バルタザールⅢ世の体調不良は老化による体力低下が元となっており、人工臓器や投薬でどうにかできるものではない。


「ご無理が祟ったのでしょう……お労しいことだ」


 深刻な面持ちで頷いたのは、コスタンツォ・アレティーノ皇統男爵。東部軍管区の大規模鉱山開発企業、EPRICOエプリコのCEOで、皇統男爵としては若手の三二歳。


「まあ、代替わりは高度に政治的な案件ですから」


 柳井が迂闊にも口を開いたことで、話の種が皇帝から柳井に移った。何せギムレット公爵の推挙を得て叙爵され、それも企業経営者や元議員、軍高官、高級官僚でもないサラリーマンとなればその経緯に興味を抱かない者は居なかった。


「そういえば、柳井男爵はギムレット公爵殿下と随分親しいとお聞きしましたが、あの方は皇統選挙に出馬されるのかな?」

「さあ、どうなのでしょう。殿下は帝国皇帝の忠実な剣と盾の任務を全うされておりますし」


 大胆に切り込んできた秦皇統侯爵の質問に、柳井はいささかズレた回答をしておいた。


「対抗馬が居ない皇帝選挙は盛り上がりに欠けるものよ。政策議論がなされないから。まあナディアⅠ世の崩御後に行なわれた皇帝選挙は、既定路線の追認、陛下への信任投票だったのだし、今度は対抗馬が擁立される気がするわ」


 皇帝本人の病状悪化を労る気持ちも当然持ち合わせているとはいえ、やはり自分達の仕事に影響するとなれば次の皇帝選挙を気にしないわけにはいかないのが皇統貴族で、侯爵の発言は特に次の代替わりの性質を見抜いたものだった。


「葬儀の議論はキリも付いたことですし、今回の会合はこのあたりでキリを付けられては?」


 柳井は議論に花が咲く皇統達を横目に、そっと自席を離れて典礼長官の後ろに回り、耳打ちした。


「あ、ああ、そうですね。皆様、次回会合の日程は追ってお知らせします。本日はお集まりいただき、ありがとうございます」



 典礼庁ロビー


「しまった。ハイヤーでも取っておけば良かった……」


 柳井はケチというわけではないが、帝国軍に勤務していたころから質素倹約が身に染みついている。多くの皇統がハイヤーや自家用車で典礼庁まで来たのに、柳井は最寄りのトラムの駅から歩いてきた。


 なぜ柳井が後悔したかというと、典礼庁正門前には数は多くないものの、ジャーナリストが何か話を聞き出せないかと陣を張っていた。今回の葬儀委員会の内容自体は非公開だが、葬儀委員会が招集されたことは少々中央政界の動きを見ているものなら気付かないはずもない。


「柳井男爵。お迎えは?」


 秦皇統侯爵に声を掛けられて、柳井はハッとして一礼した。


「これは侯爵閣下。いや、お恥ずかしいところを……実は、トラムで今日は参りましたもので」


 苦笑いする柳井に、秦侯爵は面白いものを見たように微笑んだ。


「あら? 手頃な運動にはちょうどいいわね。質素倹約は軍隊経験者のさがかしら。せっかくですから昼食でもご一緒にどう? うちの車で出ていけば、ジャーナリスト連中も巻けるでしょうし」


 車寄せに音もなく進入してきたリムジンに、柳井も同乗することとなり、どこへ行くのかも分からないまま柳井は典礼庁をあとにした。



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