エピローグ 常務、柳井義久
帝国暦五八九年一二月二七日
帝都ウィーン
帝国議会議事堂
帝国議会下院第一委員会室
ヴィオーラ伯爵の言うとおり、柳井は自分の仕事をすべてロージントンに戻った部下達に振り分けて、自らは帝都で第239宙域総督として、もしくは皇統男爵としての仕事に駆け回ることになっていた。
この日の柳井は、帝国議会下院国防委員会公聴会に出席し、公述人としてゲフェングニス349の疎開に関する報告と各種質疑応答に対応することになっていた。
年末、今年最後の日程ということもあってか委員会室は傍聴の議員も含め満員御礼だった。
「ゲフェングニス349の放棄により第239宙域の突出部が消失したことは、国防上の大きな改善ではあります。しかしながら第239宙域そのものの重要性が消失したわけではありません」
第239宙域はイステール自治共和国はじめ四ヶ国の友邦が存在する。これらの防衛について帝国本国の注意を喚起するのも柳井の役目だった。
「しかし柳井総督、自治共和国にも防衛軍があるわけで、帝国軍そのものが進出していくのは戦力が過剰なのでは」
国防委員会に出席した議員からの質問に、柳井が挙手して応答する。
「自治共和国の軍備を縛っておいて、帝国軍の進出を減らすのでは辺境の防備を薄くするだけで、FPUの跳梁を促進するようなものです。兵力に見合った版図の再編成を行なうべき時が来ているのでは? 無駄な宙域を放棄し、領域防衛の効率化を考えなければいけません」
柳井の提言に委員会室には野次や非難の声が響いた。
「いやしくも総督、それも皇統男爵の地位にあるものが帝国の領土を放棄せよというのか!」
特に大きく響き、国防委員会中継のマイクに拾われたのは自由共和連盟の議員、アーサー・トール・タルポットのものだった。柳井はそれを意に介さずさらに続けた。
「私は元帝国軍人時代も含めれば、二〇年以上辺境で勤務しています。どこの辺境部も当初の開発予定から遅れていますし、その開発の妥当性についても疑問を抱かざるを得ません」
「帝国は今の版図に引きこもれとでも言うのか!」
政権与党の自由共和連盟のシンドゥ・マクドナルドの甲高い怒号にも柳井は眉一つ動かさず、委員会室のスクリーンに転送した資料の説明を始めた。ちなみにシンドゥ・マクドナルドとアーサー・トール・タルポットは委員会中の不規則発言の多さで帝国議会トップクラスの回数を誇る。
「現状、帝国版図内の開発は中途半端と言わざるを得ない状態です。セーガン・コロナイゼーション・インスティテュートの調査では、帝国領内の、それも比較的各軍管区の中枢宙域に属するような恒星系でも開発の余地がまだ残されていると言うのです。これらの惑星は外征に出たり、敢えて政情不安定な宙域に新たに植民惑星を設けるよりもより効率的かつ安全に開発可能です」
「委員長」
「内閣総理大臣、エウゼビオ・ラウリート君」
委員長に挙手して発言許可を求めたのは、首相のラウリートだった。
「柳井総督の提言、並びに植民計画シンクタンクの分析は興味深いものだが、総督には国防三文書と国土整備計画について意見する権限はない、ということはお忘れなく」
「もちろんです。私はあくまでここに参考意見を述べに来たまでです」
「総督におかれては疎開計画の遂行につき、帝国政府を代表して感謝を。戴いた意見は政府でもよく検討することとする。以上です」
「それでは、予定の質疑応答が完了しましたので、柳井総督にはご退出いただきますよう。長時間の質疑、ご苦労様でした」
カフェ・カイザーミューレン
「権限はない、か……まあそれもそうか」
帝国議会議事堂の中にあるカフェで、柳井はようやく人心地ついていた。ラウリート首相の最後の発言は明らかに柳井に釘を刺すものだった。柳井自身、現状は帝国の国策決定レベルまで介入しようなどとは考えていなかったが、もしギムレット公爵が帝位につくようなことがあれば、そうも言っていられなくなるのだろうと溜息をついた。
そうこうしている内に、各委員会が終わったのか議員達がカフェに雪崩れ込んできた。
「柳井総督、相席よろしいかな?」
「これは……ロドリゲス幹事長、どうぞ」
柳井は立ち上がって一礼して、恰幅の良い下院議員に席を勧めた。議事堂のカフェということもあり、各席は座れば衝立によりちょっとした個室のようになっていて、柳井と野党第一党の幹事長が茶飲み話していることは分からない。
「総督の質疑応答、非常に興味深く聞かせていただいた。ヴィオーラ伯国からこちらへ直行だとか。ご苦労様です」
「幹事長の前だと、歳を取って些か疲れました、などとは申せませんな」
柳井の言葉に、御年七〇歳というロドリゲス幹事長は年齢を感じさせない屈託のない笑みを浮かべた。
「五〇にもならない若者が何を仰る」
幹事長のもとにアイスコーヒーが運ばれてきた。幹事長は半分ほど一気に飲んでしまってから話を切り出した。
「実は、議会の超党派の国防族と開拓族の議員が、このあと旧市街の方で懇親会を開くことになっている。総督にもお越しいただけないかと思いましてね」
「懇親会、ですか?」
議員の言う懇親会は、その実様々な政治議論を行なうための隠れ蓑にすぎない。議事録が残らない私的な場で交わされる話題は、一般市民には噂レベルでしか伝わらない。
「総督は多忙なお方だ、こうでもしないと捕まえられないと思いましてな」
柳井は携帯端末でこのあとのスケジュールを確認した。幸い明日の昼にギムレット公爵の帝都別邸を訪問するまでは時間があった。
「それでは、末席を汚させていただきます」
「そうですか。では早速行きましょうか」
幹事長が立ち上がり、近くに居た給仕係に軽く手を上げた。政党要職ともなればこれだけで会計が完了して、政党本部に請求が行くらしい、と柳井は昔読んだ週刊誌の記事を思い出していた。
帝都旧市街
レストラン下田
レストラン下田は官僚や議員がよく利用することで知られている名店だった。最新鋭の防諜設備を備えていると噂されるセキュリティレベルの高い店で、普段の柳井なら自分から入ることは絶対にないと言い切れる高級店だった。
「いやいや、皆さんおそろいですか? 今日は柳井皇統男爵にもお越し戴きました」
族議員というのは旧世紀の頃から様々な国家の議会に存在した、各省庁、業界団体の利益代弁者もしくは専門知識を持つ議員の俗称だったが、柳井が週刊誌レベルで把握している知識では、少なくとも帝国議会の族議員は正しく帝国政府の行なう事業に対し、その知識を生かした政策提言などを行なう建設的なものだと認識している。
「柳井です、本日はお招きに預かり光栄です。皆様のお話を聞いて勉強させて戴きます」
柳井の推測通り、このあとは食事を挟みながらの政策談義に入っていた。柳井自身は皇統男爵であり総督という立場から積極的な発言は避けていたが、今日の公聴会の内容に入ったところで口を開いた。
「帝国は版図を無秩序に広げすぎました」
公聴会でも発言した内容だったが、懇親会参加者の多くは複雑な表情だった。
「しかし、かといって領宙を縮小するというのも、どうも……」
「価値のない宙域に貴重な戦力を貼り付けることに比べれば些細なことです。本質的に我々が版図と呼んでいるものは、大半が水素原子が希薄に浮かぶ空間でしかありません。そこに重要な植民惑星や資源惑星が無い限り、虚空を維持するために多額の予算をつけることになるのです。まあ地上での制海権も似たようなものですが、海底資源や漁業権、シーレーン防護という観点はあった。しかし宇宙は違います」
「柳井総督の言には一理ある。特に最近、皇統において一部の方々による帝国版図の拡大政策が支持されつつあるという噂も聞く」
ここで言う噂とは、非公式な発言のことをオブラートに包んでいるだけで、実際にそういった発言が為されたことは事実である。
「柳井男爵、お連れの方がお見えです。お通ししてもよろしいでしょうか?」
女将が控えめな声で
「連れ……? 名前は?」
「エリーザベト・ロットマイヤー様と」
柳井はそれがエレノア・ローテンブルクの偽名であることを覚えていた。
「通してください」
しばらくして、一人でフロイライン・ローテンブルクが会合の場に現れた。
「どうも柳井さん。お名前使わせて貰ってます」
「フロイライン……どうしてここに?」
「おお、ローテンブルクさん。お久しぶりです」
「幹事長。先週会ったばかりじゃないですか」
「いやいや、あなたのような
「あらお上手」
どうやらすでにこのグループとギムレット公爵は繋がっているらしい、と柳井は把握した。公爵がエレノアに大公派の皇統などを探らせていたことは柳井も招致していたが、ここに来たと言うことは、彼女は公爵の使いとしてだろうということも推察できたからだ。
「柳井総督はエレノア・ローテンブルクさんとも面識があったんですか?」
幹事長に問われ、柳井は曖昧な笑みを返した。
このあとエレノア・ローテンブルクの持ち込んだ新情報や怪情報――どれも表沙汰になれば真偽はともかく政権そのものが大ダメージを受ける――を議論しつつ、会合はお開きとなり、柳井は常にはない疲労を感じながらレストラン下田を後にすることになった。
「柳井さん、このあとのご予定はありますか?」
「いえ。ホテルでも取ろうかと思っていたんですが……」
政府の公聴会への対応や準備、総督としての仕事、会社員としての仕事、会合への飛び入り参加と山積みになった仕事を処理するだけで手一杯になっていたからだ。
「では、ちょっと私とデートしませんか?」
「デート?」
ラインツァー・ティア・ガルテン
マルティフローラ大公帝都別邸
「いやフロイライン。ここはさすがに」
「いやぁ、私帝国騎士くらいの爵位しかないし、ここに入りたくても入れなかったんですよぉ。ハンスは別件で居ないからパートナーがいないと気まずいし」
「しかし園遊会と言っても、招待はされていませんが」
「皇統ならフリーパスですよ。よほどのことがなければ受付で皇統男爵の爵位略綬見せればすぐ入れてくれますし」
爵位略綬は皇統、帝国問わず爵位を持つ者の身分証のようなもので親指大のバッジになっている。内部に超小型の生体認証装置が仕込まれていて、着用者がその爵位を授与された当人であるかどうかは当然識別されている。
「今日の園遊会は特に、帝都にいる名士や有識者が多く参加されてますし、柳井さんも顔を売っておいたほうがいいんじゃありませんか?」
「……なるほど、公爵殿下の差し金ですか?」
「差し金なんてとんでもない。閣下も皇統となれば、皇統同士祝儀不祝儀の挨拶くらいは済ませておきませんとね」
「どういうことです?」
「マルティフローラ大公にご息女がお産まれになったことはご存じですか?」
「そんなニュースもありましたが……」
「実はその時、奥様はお亡くなりになられまして。今日は喪明けの振る舞いでもあるんですよ」
「そうだったのですか……」
柳井はしばらく目を伏せた。所属する派閥としては敵対することになってしまった大公だが、彼自身の人間性やその家族に大して恨みがあるわけでもない。
「これは私が無神経でした。ぜひ伺うとしましょう」
マルティフローラ大公の帝都別邸は、さすがマルティフローラ大公国の帝都別邸という佇まいで、規模としてはギムレット公爵の別邸の数倍はある。警備詰所でIDと略綬を見せただけで、柳井達は門の奥へと通された。
「ね? 言った通りでしょう?」
「まあ、私は個人的に大公殿下と何事かのトラブルがあるわけではないですが……ギムレット公爵も来ておられるとは」
「表向きは帝国を支える重臣として、互いを助け合っているということになってますからね」
「表向きは、ですか」
重厚な造りの玄関を抜けると、別邸内はすべて園遊会の会場となっていた。領主本人のプライベートスペース以外の応接間や食堂、中庭、談話室などはすべて開放され、皇統や経済界の重鎮らの対話の場となっている。
「柳井閣下? 珍しいですね、帝都の園遊会に出られるとは」
デイジー・マッキンタイヤーは宮内省官房長を務める女傑。今日はスーツ姿だったが、既にシャンパングラスを片手に他の来賓と談笑していた。
「これはマッキンタイヤー官房長。ご無沙汰しております」
「第239宙域総督として活躍されているそうで……まさかローテンブルク探偵事務所の方をお連れになるとは」
「その節はどうも」
「男爵閣下もまだまだお若いですねえ」
「ああいえ、彼女とはそのまあビジネスパートナーのようなものでして」
「探偵さんを連れてこられるとは、中々どうして、閣下も食えないお方で」
柳井は内心では気まずい思いで笑みを返した。
「お気を悪くされたのでなければ良いのですが。実はローテンブルク氏と宮内省はいささか因縁がございまして」
「とある皇統の方の件で、ですよ」
「おっと、そのお話はそれ以上なさらぬほうが身のためですよ」
「ええ、分かっております。今後ともよしなに」
官房長は意味ありげに微笑んで、一礼して会場の奥へと消えていった。
「公爵殿下の皇統社会復帰の件で、以前ちょっとしたバトルをしてたんですよ」
エレノアは事も無げに言うが、柳井としては冷や汗ものである。そもそも柳井自身も海賊兼諜報員として帝国辺境で活動していた公爵の一件に関わっているからだ。
「ご安心ください。内務省じゃあるまいし、宮内省は黙ってればなにもしませんよ。今までだってそうでしょう? 公爵殿下の海賊時代の仕事についての回顧録は、うちの事務所が権利を持ってますからね。何十年後かになるかわかりませんけど、ガッポリ稼げるかも」
「……強い人だ、あなたは」
柳井は溜息を吐いて、別邸の奥へと足を進めた。
「おお、柳井男爵。卿が我が家に来て貰えるとは嬉しいな」
「突然のご無礼お許しください。大変賑わっているようで、さすがは大公殿下のお人柄、といったところでしょうか」
「それもあるが、実は今回は私が主役ではなくてな……私の娘だ」
ドレス姿の女性――乳児の乳母らしい――が抱えた子供を、大公が抱え上げた。
「私の子供のリーヌスだ。今日で六ヶ月になる」
「私としたことが遅くなりましたが、お祝い申し上げます」
見慣れない人間が多いせいかやや戸惑うような素振りを見せたリーヌス嬢は、それでも柳井に向かって手を伸ばしてきた。
「卿がイステールなどの整理に当たっている間に産まれたのだ。無理もない。この子もいずれは私の後を継いで皇統の役目を担うことになるだろう。卿のような聡明な人間に、教師役を頼むこともあるかもしれんよ」
「それは畏れ多いことで……しかし、奥様のことは残念でした。重ねてのご無礼、お許しを」
試しに柳井は人差し指を小さな手に伸ばしてみた。思いの外力強く握りしめられて、自分も子供を得る機会が、どこか人生の選択が違えばあったのだろうと少し寂しさを覚えていた。
「元々身体が弱かった。私が無理をさせてしまったのだろう……今日は我が家の喪明けの振る舞いでもある。存分に楽しんでいってくれ」
「はっ。大公殿下ご息女のご多幸をお祈りいたします」
周囲の来賓達が、口々に歓呼の声を上げてグラスを掲げた。柳井は大公が子供を連れていく後ろ姿に、皇統にも人間としての生活が伴うという当たり前の事実を目の当たりにした気がしていた。
「親に似ず、可愛い赤ん坊だこと」
突然後ろから聞こえた声に、柳井は慌てて振り向いた。
「殿下……驚かせないでください」
いつもの軍服姿で来ていたギムレット公爵は、悪びれる様子もなく手にしていたシャンパングラスの中身を飲み干した。
「あなたにしてはセンチメンタルな表情をしていたから」
「私の意外な一面をご覧頂けたのなら何より」
「可愛くないわねえあなた。領邦領主ともなれば親の死に目には会えないなんて昔から言われるけど、大公は奥さんの最期にも立ち会えていないのよ」
「そうでしたか……人間相手の政治闘争というのは精神を苛むものですね。賊徒相手に砲撃戦しているほうが気が楽ですよ」
「奇遇ね、私もよ」
柳井はまた冗談で言っているのだろうと公爵の表情を窺うが、公爵にしては珍しく、何事か考え込んでいるような表情をしていたので、話を混ぜっ返すのは止めた。
「さあさあお二人とも。せっかくのリーヌス様のお披露目の日でもあるんですから、もっと明るい顔をしてください」
しばらくいずこかへ姿を消していたフロイラインが、シャンパンをボトルごと持ってきた。柳井と公爵は苦笑いを浮かべ合って、空になったグラスをフロイラインに差し出した。
「さあて、それじゃあ皆様の前途を祈りまして、乾杯」
ウェイターにボトルを渡したフロイラインが、自分のグラスを高々と掲げると同時に、周囲の者も唱和して乾杯が連鎖する。柳井は当分は何事もなければ良いななどと、あまり現実味のないことを考えながら自分のグラスの中身を飲み干していた。
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