第36話ー⑥ 統括管理官・柳井義久

 行政府ビル

 二〇階 疎開計画司令部オフィス


『ビルに残っている職員は総員退避してください、繰り返します――』


 開拓完了から一五〇年。行政府ビルがついに放棄される時が来た。


 疎開計画司令部のオフィスに残る人間は柳井と統括補佐を含めても往事の一〇分の一。今、ここに残っている人員は最後に惑星に残った市民一万人、捕虜一二〇〇人、インフラ関係者及び行政府関係者九〇〇人の退避のための作業をしているところだった。


「皆、困難な計画をよく、ここまで遂行してくれた。計画は最終フェーズに入った。私は先に宇宙に上がり迎撃と退避の指揮を執る。君達は最終便で上がってもらうことになるから、そのつもりで」


 統括補佐と残りのスタッフが柳井に敬礼――行政府スタッフは軍人や警察官ではないのでその必要は無いのだが――したのを見て、柳井も答礼を返した。


「我々も、以後の指揮は宇宙港のオトイネップ6から執ります」

「宇佐美さん、よろしく頼みます」

「地上の指揮は私にお任せ下さい。一人残さず宇宙へ上げます」


 宇佐美統括補佐は最後まで折り目正しい礼を柳井に向けていた。



 ユスティニウム第一収容所

 応接室


「あなたとここで話すのも最後になるでしょうね」


 捕虜の残りと収容所の警備員を残した収容所で、柳井は幾度目かのマルテンシュタインとの会談に臨んでいた。


「そうだろうか? 辺境惑星連合に捕われて、今度は収容者と管理者が逆転していることもあるかもしれんよ?」

「ご冗談を。マルテンシュタインさん、あなたにその気が無いのは分かっています」


 柳井は自販機で買ってきたコーヒーをマルテンシュタインに差し出した。マルテンシュタインは微笑んでそれを受け取った。


「それはまた、なぜ?」

「捕虜達を統率して、破壊活動や妨害活動を行なわせなかったでしょう? 大規模なものでなくても、そんなことが起きていたら今頃我々は計画遂行が困難だった。そうさせなかったのは、捕虜の大部分とあなた自身に、辺境惑星連合に帰るつもりがないからだ」


 いかにも図星、という様子でマルテンシュタインは失笑した。


「我ながらつまらない質問をしてしまったな。失敬。次の収容所もここと同じくらい快適であることを祈っているよ」

「それは問題ないでしょう。今度の収容所はヴィオーラ伯国の宙域内です。環境が安定していることは折り紙付きですよ」


 柳井の回答に、マルテンシュタインは苦笑いを浮かべて了承した。



 ゲフェングニス349

 低軌道

 エトロフⅡ

 艦橋


 いよいよ敵艦隊が星系襲来という段になり、柳井は宇宙空間、地上での疎開作業を両方監督するために、エトロフⅡに席を移して指揮を執っていた。


「第五惑星のガス採取プラント、あと二三時間で移動可能です。第六惑星の鉱石採掘プラント、軌道都市群および機動造船所は現在超空間潜航のための最終航路調整中です」


 柳井がこの星系の疎開計画を立案した時点では、持ち運べる資産はブイの一つまで疎開する、というのが基本計画であり、柳井が立案・作成した資産リストにも、航路標識まで残らずリストアップされていたが、これはあくまでも冗談に過ぎず、現在進められている大型工業プラント群の移動が、資産疎開の最終段階であった。


「敵艦隊は?」

「既に本星系のカイパーベルト第一次防衛線に接触。機雷群と無人の防衛衛星で阻止していますが、いずれ限度があります」


 正確な超空間潜行を行い、安全に通常空間に復帰するには、外宇宙からいきなり惑星系、それも中心星に近い内惑星群に接近するのは危険すぎる。つまり、敵は一旦外惑星系の、中心星からの影響が少ない宙域に浮上するのが常道。しかも超空間潜航機関の冷却のため、ある程度の時間通常空間に居続ける必要があった。


 それを見越して、アスファレス・セキュリティと憲兵艦隊は外惑星系に多数の防衛衛星と機雷を敷設していた。超空間から浮上する反応があり次第、自らも超空間潜行により敵艦隊至近に浮上して追尾して起爆するのでかなり厄介なものである。これにより、敵の侵攻は押しとどめられていたが、突破されるのは時間の問題である。


「敵艦隊、潜行開始。監視衛星のデータによれば、恐らく第五惑星近傍に現れるものと。予測浮上時刻は今から三時間後」

「遺憾ながら資産撤収作業はここで中断する。現在移動出来ている物だけ作業を続行し、残りは敵艦隊接近と同時に自爆させる。作業員の撤収を急がせよう。長官、それでよろしいですか?」

『ああ。作業要員の被害を出すのは避けたい』


 行政長官が頷くと、柳井はすぐさまかねてから実施予定の作戦を実行に移すことにした。三時間の間に撤収できたプラットフォームは予定の七割程度だった。


 柳井はその成果に満足するとともに、敵艦隊の戦力を少しでも削るために小細工を弄することにしていた。


「さて、これが役立つかどうか」

「敵の目的が橋頭堡確保なら、十分に考えられます」


 しばらくして、第五惑星の近傍に敵艦隊が浮上したと監視衛星が警報を発した。


「予測通り来てくれたか。真面目な指揮官だな」


 ゲフェングニス349付近での本格的な戦闘を前に、小休止を取っていた柳井が艦橋に戻ってきた。


「そうですね。常務とは大違いだ」


 艦長席で仮眠を取っていたホルバインも大きく伸びをして、柳井に軽口を浴びせた。


「私が真面目ではないなんて、君も酷いことをいうものだな、ホルバイン」

「いやなに、一兵卒ならともかく、指揮官クラスは真面目なだけでは務まりませんから」

「敵艦隊の映像は出せるか?」

「付近の監視衛星からのものです」


 辺境惑星連合の艦艇らしく、独自改造と現地改修が繰り返された統一感のない艦影が、第五惑星に留置した工場群に接近していく。


「敵艦艇が接舷しだい爆破しろ」


 予め柳井の指示により設置されていた爆薬が、エアロックの開放などに反応して爆破が開始された。動力源である反応炉の燃料保持機構が破壊され、漏れ出した反物質が周囲のあらゆる物と対消滅反応を起こして大爆発を起こす。


「敵艦数隻を道連れに出来たようです」


 監視衛星からの映像には、爆発に巻き込まれ船体を叩き折られた艦艇や、散り散りになって回避運動に入った艦隊が見えた。


「敵もこちらの動きに気づいているはずだ。とっとと逃げるぞ」


 行政局側の退避が終わるまでの時間、柳井は焦れたように何度も時計を見ていたが、それから二時間ほどですべてのシャトルが軌道上に上がってきた。しかし、それと同時にエトロフⅡの艦橋に警報が鳴り響いた。


「重力波検知。敵艦隊、間もなく浮上してきます」


 カネモトの報告に、柳井は神経を戦闘態勢に切り替えた。


「対空監視を厳に。なんとしても残りの船の離脱は邪魔させるな。うちの工兵隊の撤退状況は?」

「間もなく最後の班が地上の爆破処置を終えて引き上げます」

「急がせてくれ。もう猶予はないぞ」


 了解、と答えて各所への通達を始めたカネモトから、視線を艦橋正面のモニターに切り替えた。


「敵艦隊浮上! 位置は第三衛星の裏側です」


 ニスカネンの報告に、手元の宙域図に視線を落とした柳井は顔を顰めた。


「数が多いな……憲兵艦隊の動きは?」

「既に敵艦隊迎撃の準備を整えつつあります」

「劣勢だな……」


 重力波測定の結果を見た柳井が呟いたのと同時に、カネモトが柳井に呼びかけた。


「憲兵艦隊旗艦パリャードクより通信です」

『統括。撤退状況はどうですか?』


 憲兵大佐は焦燥感を感じさせない落ち着いた雰囲気だった。


「輸送船が地上に一隻、軌道上に船が二隻、シャトル二三機です」

『分かりました。なんとか抑えますから、出来るだけ早く離脱してください。もっとも完全な保証はできかねますが』


 通信が切れたあと、柳井に向けてホルバインが不安げな視線を向けてきた。


「彼我戦力差は一対五ですか」

「言っても始まるまい。ともかく全輸送船の撤収を急がせるぞ」

「司令! 敵艦隊より全周波での降伏勧告です!」


 カネモトの報告に、柳井は頷いた。


「聞くだけ聞いてみよう」

「音声のみです。出力します」

『我々は辺境惑星連合、第1123解放突撃戦隊。この星系は我が辺境惑星連合の管理下に置かれている。互いに無駄な血を流さぬためにも、降伏しろ。命は助けよう』

「パリャードクからも同じく全周波、返答する模様」


 憲兵艦隊側からの通信は、映像付きだった。


『こちらは帝国軍憲兵艦隊、第239方面管轄艦隊、旗艦パリャードク。憲兵大佐のタチアナ・アンドレーエヴナ・コルガノヴァです。現在もこの星系は帝国による統治下にある。帝国領へ不法に侵入した船舶へ告げる。我々の警告を無視し、侵攻を続ける場合は憲兵艦隊は全力を持って迎撃を行うものと知れ』

『我々の警告を受け入れられないことを遺憾に思う。砲火を交えて交渉の妥結を期待するものだ』


 そこまで聞いてから、柳井は最後まで地上に留まり、残余の人員を収容している輸送艦に通信を入れた。


「地上のオトイネップ6と通信繋がりました」


 ここ最近のピストン輸送で休暇返上、時間外労働が続いているムラーノ艦長が髭面のまま画面に現れた。


『ソラでは何やってるんですか。地上の通信機まで不調で』

「敵艦隊が来た。早く逃げんと仲良く辺境へ島流しだぞ」

『そりゃ大変だ。なるべく急ぎますから、そっちは任せましたよ、常務』

「憲兵艦隊旗艦パリャードクより通信」


 ラフな敬礼をしたムラーノ艦長の髭面が消え、今度はカネモトが憲兵艦隊旗艦からの通信をモニターに出した。


『柳井部長、捕虜疎開の件、あなたにおまかせしま――には私の同期のオリヴィア・カタリ――す。我々――闘記録は――さい』


 すでに戦闘態勢を取っている憲兵艦隊からの通信は、超空間通信を以てしても途切れ途切れだった。


「パリャードクより航行日誌、および戦闘記録転送されました!」

「コルガノヴァ大佐! こちらもある程度なら持ちこたえる、無茶は禁物です!」

『民――業に任せて戦――、憲兵艦隊の名――もう少しだけ持たせてみせますよ。離脱を急いで下さ――』

「電波妨害です。通信途絶」


 死ぬ気だ、と柳井は悟った。五倍の艦艇を相手に小細工無しの正面決戦を挑もうなどと、帝国艦隊の軍人なら考えないだろうし、民間軍事企業なら尚更だった。しかし憲兵艦隊はその点、任務に忠実に過ぎた。


「輸送艦、シャトルが後方より接近! 敵艦隊、一部がこちらに向かってきます!」


 カネモトの報告に、柳井は顔を顰めた。すでに艦隊戦を始めている憲兵艦隊の方角から、いくつかの光点がこちらに向かってくるのが見えた。


「憲兵艦隊は残りで片付くということか……シャトルを収容、急がせてくれ。それが完了次第、全艦最大戦速! 敵艦隊中央を突っ切り、そのまま潜行開始!」

「しかし部長、それでは狙い撃ちです!」


 ホルバインの悲鳴にも似た抗議に柳井は泰然としていた。


「どのみち速度の遅い輸送艦を連れていくんだ。逃げたところで捕捉される。だったら敵を打ち破るしかあるまい」


 柳井はそう言うと、アームレストの通信マイクを取り出した。全周波で発せられた声は、敵にも聞こえる。


「私は当宙域の捕虜護送責任者の柳井です。我が艦隊の輸送艦には、辺境惑星連合の捕虜および捕虜収容所職員が乗艦している。願わくば、砲火を交えることなく、傍観してもらえるよう希望するものである」


 通信を入れたのは多少でも状況を混乱させるためであり、指揮官の意志決定にわずかでも遅れを生じさせるためだった。柳井は敵がこれで見逃してくれるなどとは考えていない。


「カネモト。敵通信の発信源サーチを忘れるなよ」

「はっ!」


 柳井の通信から一分ほどして、同じく全周波での通信がエトロフⅡでも受信できた。


『こちらは辺境惑星連合第1123解放突撃戦隊、戦艦ミハイル・ゴドネフ艦長のマリク・ラビンです。貴官の職務に対する責任感は、我々としても感心するものがあるが、みすみす我が同胞が帝国の悪しき手に落ちたままで見過ごせるほど寛容ではない。捕虜を渡していただければあなた方まで沈めることはない』


 生真面目そうな声の持ち主だったが、だからといって柳井は捕虜を引き渡すようなことはしなかった。


「捕虜の返還は、帝国軍の捕虜との交換によってのみ行われる。ここで我が身可愛さに渡してしまっては、それこそ連合に囚われた我が帝国臣民に申し訳が立たない。残念だが、我々は砲火を交え、実力を持って問題を解決するしかないようだ」

『残念だ。貴官らの勇戦に期待する』


 柳井の挑発的な回答にも関わらず――普段から柳井の軽口には慣れているホルバインが目を剥いたほど――相手は冷静に応えた。


「オトイネップ6、状況はどうなっている?」

『現在シャトルからの乗員移乗を進めてます。あと一〇分ってとこですね』

「なるべく急いでくれ。できるだけ時間は稼ぐ」

『了解!』


 艦隊後方の輸送艦オトイネップ6には、地上から飛び立ってきたシャトルが鈴なりになっている。艦にある乗員用ハッチをフル活用して移乗を進めて、シャトルそのものは投棄しているが時間はまだ掛かる。ここが踏ん張りどころと柳井は各所に指示を出し始めた。


「オトイネップ6ワリューネクルを呼び出してくれ」

『こちら切り込み隊長、敵艦隊までの砲戦距離まであと五分』


 いつも通りの無精髭面は、戦闘前でも特に慌てるでも緊張するでもない表情だった。


「自分の仕事がよく分かっていて助かるよ、ハイドリヒ」

『そりゃあどうも……しかし敵艦隊は戦艦四隻でしょう?』

「こちらもユーパロベツとユジノ・サハリンスクがいる。ピヴォワーヌ伯国防衛戦のときよりも楽なはずだ」

『そりゃあそうでしょうがね。敵旗艦はわかったんですか?』

「今からデータを送る……ホルバイン、頼む」

「了解しました。全艦砲撃戦用意! ニスカネン、派手にやってくれ」

「指示の仕方まで柳井部長に似てきたな、ホルバイン」


 火器管制コンソールについているニスカネンが、苦笑いしつつホルバインの方を向いた。


「つべこべ言うな。敵艦隊中央に攻撃を集中。ワリューネクルの突入口を作れ。巡洋艦、駆逐艦は輸送艦の対空防御を支援。ユーパロベツとユジノ・サハリンスクは敵艦に牽制射撃を加えつつ、輸送艦を連れて離脱しろ」


 護衛艦隊各艦からの応答が返ってくるのとほぼ同時に、攻撃が開始された。


「オトイネップ6、聞こえるか。こちらは最大加速で敵に突っ込む。その隙に脱出しろ!」

『無茶を仰る……了解! 超過勤務手当に危険手当も期待してますよ!』


 今回の戦いは帝国側は撤退、賊徒側が惑星の占拠と船団捕捉が目的であり、防衛戦のような長期戦にはなりようがなかった。


「ホルバイン、エトロフから統制射撃。先ほどの通信をもとに敵艦隊旗艦に火力を集中しろ」


 戦力差を覆すには指揮系統の寸断が手っ取り早いと判断した柳井の命令に、ホルバインが頷いて各所に必要な指示を下した。そもそも柳井が挑発的な抗戦意志の伝達を行なったのもこのためだった。


「敵艦隊の動きが鈍りました!」

「直ちに潜行! 戦艦とエトロフを盾にしろ!」


 柳井の指示により、敵艦隊の砲火が一時的に弱まった隙をついて超空間潜行に入った。輸送艦が全て潜行したのを確認してから、エトロフも至近距離への砲撃を浴びながら超空間奥深くへと消えた。


「部長……潜行直前のデータですが、パリャードクの識別信号が消失したのが確認できました」


 カネモトの報告に、柳井は胃の辺りにズンと冷たいものが流れ込んだような感覚を覚えた。


「誤認ではないのか。ジャミングもかけていたし」

「光学観測でも、撃沈を確認しています」

「そうか……」


 柳井が目を伏せたのに気付いて、カネモト、それを見ていたホルバインとニスカネンも黙祷を捧げた。



 ヴィオーラ伯国

 首都星ウィットロキア近傍宙域

 巡洋艦エトロフⅡ

 艦橋


「全艦浮上完了。ウィットロキア航路管制局との情報連携開始」

「ようやくだな……」


 二日の航海の後、エトロフⅡ以下ゲフェングニス349を最後に脱出した船団が疎開先のウィットロキアにたどり着いた。


 実際のところ、移住者はウィットロキアから、さらにヴィオーラ伯国内の植民惑星に分散して居住することになる。住み慣れた土地を追い出され、財産を捨てさせられ、場合によっては友人や親族とも引き離される臣民が多発するだろう。


 そのことを思えば、疎開計画はほぼ完璧に遂行されたとはいえ、とても手放しでは喜べないと考えている柳井の表情は暗かった。



 センターポリス宇宙港


「柳井総督、大任ご苦労様」

「これはヴィオーラ伯爵、お出迎えとは畏れ入ります」


 センターポリス宇宙港に降り立ったエトロフ以下アスファレス・セキュリティ護衛艦隊は伯国領主と、この宙域を担当する憲兵隊の出迎えを受けていた。


「柳井閣下、ヴィオーラ伯国駐留、第二四方面艦隊司令のオリヴィア・カタリナ・ヴェルレーヌ憲兵大佐です」


 生真面目そうな中年の女性が、柳井に敬礼した。柳井も答礼を返して、スーツの内懐からデータチップを入れた封筒を取り出した。


「コルガノヴァ憲兵大佐より、航海日誌と戦闘記録を預かってきました」

「ありがとうございます……彼女とは同期で、得難い親友でもありました。彼女が任務を全うしたことが知れて、幸いです。捕虜の移送につきましては現時刻をもって我々が引き継ぎます」

「よろしくお願いします」


 憲兵大佐は敬礼してその場を立ち去ったが、その背中が少し寂しげなものに見えて、柳井は胃痛が増すのを感じた。軍人と言えど、親友を失うことは堪えるものだという、当たり前の事実を受け止めて、柳井は憲兵大佐を見送った。


「さあ柳井総督、帝都への復命を済ませましょう。領主公邸においでなさいな」


 柳井は伯爵に促され、伯国領主用のリムジンに乗り込んだ。



 伯国領主公邸

 領主執務室


「――ここに、我が第239宙域、惑星ゲフェングニス342疎開計画の完了を報告いたしました」


 復命式は多分に儀礼的なもので、柳井が先ほどまで口頭で報告したような内容は全てデータとして帝都に送付してあった。しかし、口頭で報告し、皇統貴族のうち時間のあるものは聞くことが不文律となっている。


 帝都宮殿にいるのはマルティフローラ大公とギムレット公爵のみだが、皇帝も療養先で聞いているし、他にも五〇〇人に及ぶ皇統が柳井の復命を聞いていた。


『柳井総督、ご苦労だっ――』

「なお――」


 報告が終わり、大公が復命式の終わりを告げようとした時、柳井はさらに続けた。


「この疎開計画を遂行するに当たり、当該惑星住民に対し多大の負担を強いたことをここにお伝えせねばなりません。家を捨て、財産を捨て、運べぬものには自ら火を放ち、工兵の手により爆破されたものも数知れず。職を失い、将来の生活に不安を抱くことも想像に難くありません。しかしながら、前述の事情にも拘らず我々の計画に協力を惜しまず、住み慣れた土地を離れ、疎開に臨んでくれたことに対し、深い感謝を示すと共に、帝国として格別のご配慮を賜らんことを切に願います」


 柳井の言葉に、通信画面に、写し出された大公らは神妙な顔をしていた。


『柳井総督、卿の言葉、しかと受け止めた。疎開民への補償は帝国として強いた負担に相応しいものとなるよう、最大限配慮する。ご苦労だった』


 大公の言葉で復命式は終了した。その直後、柳井の傍らから小さな拍手が聞こえた。


「大公相手にもの申す皇統なんて、あなたの他にはギムレット公爵くらいのものだわ。よく言ってくれました、柳井男爵」


 ヴィオーラ伯爵は柔らかな笑みを柳井に向けていた。


「我々皇統の行う事業は、時として臣民に負担を強いるものになる。我々皇統はその事を忘れてはならない、ということね」

「はっ……」

「やはりさっさとあなたにはもっと高い地位に就いてもらう方が良さそうだわ」


 伯爵の冗談めいた言葉に、柳井は首を振った。


「ご冗談を。男爵でも荷が勝ちすぎていると存じます」

「まあ、いずれ実現することを論じても仕方ないことだわ。それよりも、今は仕事を終えたことを喜びましょう。五六七年の赤がいい出来になっているの」


 伯爵が年齢を感じさせない身のこなしで、部屋の片隅に置かれたワインセラーからボトルを取り出した。柳井はそれを見て、執務室の戸棚からワイングラスを取り出す。


「では、総督閣下のご偉業に感謝を」

「払われた犠牲に哀悼の誠を」


 グラスに注がれたワインが、全滅した憲兵艦隊の将兵の血のようにも見えた柳井だった。


「ところで……柳井男爵、あなたには常々聞きたいことがあったのだけれど」

「なんでしょうか?」

「あなたは何故、公爵殿下の無茶振りに応え続けるのかしら?」


 唐突な老貴婦人の問いかけに、柳井は返答に詰まってしばらく考え込んだのちに、グラスに残ったワインを飲み干してから答えた。


「誰かがやらねば、別の誰かが同じ事をさせられるでしょう。そんな不幸な人間は私だけで十分です」

「自己評価が高いんだか低いんだか……」


 伯爵は困ったような笑みを浮かべて、孫のような年齢の柳井を見つめていた。


「私の見立てでは、あなたなら領主程度簡単に務められるわよ」

「ご冗談を」

「そうかしら? メアリーは私以上にあなたのことを評価している。それでは評価として不足?」

「身に余る光栄ではありますが」

「それに、あのメアリーの相手を他人にさせられないだなんて、殊勝を通り越して高慢ですらあるわね。メアリーが放り出さないだけでも、あなたの能力は希有ね」

「そうでしょうか」

「伊達に皇統貴族を半世紀やってる訳ではないのよ? もっと信用して貰いたいものね」


 伯爵は皺の刻まれた顔にイタズラ好きの少女のような笑みを浮かべて、ワイングラスを空にした。


「さあ柳井男爵、あなたにはまだまだやるべきことがあるのよ? 帝都へ戻ったら忙しいわよ、覚悟なさい」

「はっ……お言葉、肝に銘じます」


 ヴィオーラ伯爵の発破に柳井が頷き、伯爵は満足げに頷いて応えたのだった。

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