第36話ー⑤ 統括管理官・柳井義久

 帝都 ウィーン

 星系自治省

 応接室


 辺境から帝都へ舞い戻った柳井が、最初に尋ねたのは星系自治省だった。


「お久しぶりです、カーター政務官」

「どうも。柳井さん……あ、いえ、男爵閣下もお元気そうで嬉しく思います」


 カーター政務官は数年前、アスファレス・セキュリティ株式会社が展開していたアルバータ自治共和国の政庁にいた星系自治省の統括官である。あの後無事栄転して、現在は本省政務官となっていた。


「ピヴォワーヌ伯国防衛戦では、敵艦隊侵攻データをご提供いただき、感謝に堪えません。改めて、お礼申し上げます」

「そういえば、あなたが作戦の指揮をされていたとか。帝国に対する貢献華々しく、我々も模範としなければなりませんな――それで、今日はどういったご用件で?」


 いかな皇統男爵とはいえ、ポッと出の男爵位など、帝国省庁内の階級に比べれば吹けば飛ぶようなものである。ましてや民間軍事企業の部長など、灰燼扱いである。それでも柳井が政務官との面会を認められたのは、アルバータ星系において星系自治省の一部部隊の叛乱に参加した事実を揉み消すことに多大の協力をしていたからである。カーターが今の地位にいられるのは、星系自治省がアルバータの叛乱に現地部隊が参加している事実を、見て見ぬ振りせざるをえない状況に持ち込んだ柳井の手腕によるところが大きい。


「現在、我が社は第239宙域の全面放棄に関連し、ゲフェングニス349からの捕虜疎開に従事しておりますが、何分輸送力の確保が難しい……単刀直入に申し上げましょう。星系自治省の所有する輸送艦艇の一部を、捕虜疎開作業に借り受けたい」


 帝国軍以外で大規模な船団を保有する省庁など限られている。しかも国税省特別徴税局の徴税艦隊、国土省の交通機動艦隊は戦闘艦艇が主体で輸送艦艇は少ない。そこで柳井が頼ったのが、星系自治省治安維持軍だった。治安維持軍は大規模な輸送艦隊を持つことから、疎開のための船腹を確保するならここだ、と柳井は確信を持っていた。


「私の一存では決めかねます。すぐに結論を出すので……少々お待ちいただけますか」


 またこの男か、とカーターは複雑な思いだった。アルバータ星系において星系自治省治安維持軍が叛乱に加わったのは紛れもない事実で、本来であれば星系自治省の存続そのものが危ぶまれる大失態である。自分の首などいち早く飛んでいたに違いない。星系自治省など内務省の外局で十分という声は、長らく帝都ウィーンの口さがない内務官僚が言って憚らない台詞の一つだ。


 つまり、星系自治省にとって柳井義久は命の恩人というべきであり、彼の依頼を無碍に断るのはかなりの覚悟が必要だった。カーターはすぐに大臣室へ駆け込み、柳井からの要請を告げた。


「アスファレス・セキュリティの柳井氏の要求を無碍にすることはできない。彼がその気になれば、星系自治省は吹っ飛ぶ」


 星系自治相のフィオナ・ギデンズもその程度の認識は持っていた。彼女の前ではカーターが脂汗を流しながら自分の決定を待っている。しかし彼と自分とは一蓮托生であることを、彼女自身が一番分かっていた。柳井はアルバータ星系の叛乱事件について真実を知っている。それを揉み消した手腕に胡座を掻いて、星系自治省は事件を無かったことにすることで責任を回避した。そのツケがこうして回ってきている。


「私だ、治安維持艦隊の空いている輸送艦艇を――そうだ。資料は後で送る。手配を急げ。カーター君、柳井氏によろしく伝えてくれたまえ」


 ギデンズは治安維持艦隊に対し、アスファレス・セキュリティの要求する輸送艦艇の供出を命じた。もちろん柳井には星系自治省を吹き飛ばすようなつもりはないし、吹き飛ぶとも限らないのだが、省の命運を握られた人間達としては、楽観論だけを見つめているわけには行かなかった。カーターは早足で応接室へと戻り、大臣の決定を伝えた。


「お待たせしました。星系自治省としてはあなたには返しきれない恩がある。喜んで協力しましょう」

「ありがとうございます。今後とも星系自治省とはよい関係を保ちたいものです」


 柳井は本心からそう思っていた。公爵殿下からの依頼がくれば、今までのように社内だけで案件を処理できる見込みは薄く、帝国官公庁を巻き込むことになるのは自明の理だったからだ。


 一方、言われた方はたまったものではない。カーターはいつまで柳井に心臓を捕まれていればいいのか、と自問自答した。次の依頼が来るのが来月なのか、来年なのか、それとももう無いのか。無ければいいななどとカーターは思っていた。



 近衛軍司令部

 

 ライヒェンバッハ宮殿に隣接する近衛軍司令部には、柳井もよく出入りをしている。そもそも普段から通信だけで済むことを、東部辺境から片道一日掛けて来させている公爵の趣味も、柳井はよく理解していたし、今回は自分から訪れた。


 超空間通信でほぼリアルタイムの連絡ができるとしても、敢えて顔を合わせることの重要性は帝国臣民の大半は理解していた。それに、帝国の端から帝都までは最速で三日、主要な軍管区首都星や領邦からは一日半。その程度の時間も許容されないほど余裕がない社会より、余程いいではないか、などと柳井は考えていた。

 

「皇統男爵、柳井義久。アレクサンドラ・ベイカー近衛少将との面会です」

「承っております。応接室でお待ちください」


 突然の面会申請、おまけに帝国民間軍事企業の人間が近衛軍将官との面会など、本来通るはずがない。しかし柳井には、ピヴォワーヌ伯国防衛戦後に押しつけられた皇統男爵の爵位があった。近衛は皇帝の身辺警護は当然だが、皇統貴族が不当な暴力に晒される危険がある場合の護衛も担当するので、柳井が急遽面会を申し入れても不審には思わなかったらしい。そもそも柳井は公爵殿下のお抱えであり、毎回面会手続きを取る受付の士官も、顔パスでいいというわけにもいかず、ただ事務的に手続きを行なうだけだった。


「お待たせして申し訳ないわね。義久」


 アレクサンドラ・ベイカーは元々東部軍管区兵站本部所属の参謀だったのだが、とある事件をきっかけに各所の参謀部で兵站参謀を歴任した後、統率力の高さと物怖じしない性格を買われてギムレット公爵の高級副官を経て近衛軍参謀長となっている。天才とも言うべき軍事的才覚を常人と異なる思考回路で編み出し、尋常ではない発言で発信するギムレット公爵の意図を、常人が理解出来る範疇に落とし込むことに掛けては銀河の中で柳井に次ぐものがある。


「参謀長閣下を直接お呼びたてして申し訳ない」

「遠いところからよく来たわね。私の部屋で話しましょう」


 重厚な造りの近衛軍司令部の造りは、私が普段いるアスファレス・セキュリティロージントン支社のプレハブの室内とは違い芸術性に富み、近衛軍司令部に相応しい雰囲気だ。


「ほぅ、いい部屋をお使いだ」

「あなたが公爵殿下のヘッドハンティング受け入れてくれてたら、ここはあなたの部屋だったでしょうね」


 ベイカーが小さなベルを鳴らすと、まだ若い従兵――少年にも見える――が部屋に入ってきた。従兵の人選に口出しするつもりは柳井になかったが、中性的な顔立ちで、彼女の趣味を垣間見た気がした。


「お客様が来たわ。コーヒーを二つ。濃いめでね。砂糖はいらないわ」

「かしこまりました」


 かつての同僚は従兵を使ってコーヒーを飲んでいるというのに、自身は普段インスタントコーヒーで済ませているというのは中々きつい冗談だと柳井は思いつつ、執務室の応接ソファに腰掛けた。


「しかし、君の机の上は相変わらずだな」


 柳井は執務机の上に山積みとなった報告書の束を見て苦笑いを浮かべた。かつて兵站本部で肩を並べて仕事をしていたころも同じ状態だった。付け加えるとするなら、柳井の机も同じである。


「どこも人材不足でね。あなたが居てくれたらもっと楽を出来たのに」

「よせ。俺は中小企業の最前線で細々仕事をしてる方が似合ってたのさ」

「そうかしら? 私が参謀長なんて席にいるのも、あなたが居ないからよ」

「さあ、どうだろうか……で、君の貴重な時間を割いてもらっているんだ。本題に入らせてもらってもいいだろうか?」


 頃合いを見計らったかのように、従兵がベイカーと柳井にコーヒーを差し入れる。ミルクしか入っていないコーヒーをすすった柳井は、兵站本部時代によくベイカーが差し入れてくれた豆と同じ味だという記憶がよみがえっていた。


「第239宙域の全面放棄の話は聞いているか?」

「ええ、うちでも話題でね。以前の攻勢で終わりかと思ってたけど」

「その中の一つ、ゲフェングニス349の捕虜疎開が、敵侵攻に対して間に合わないことが想定されている」

「またやっかいな場所の仕事を引き受けたものね、あなた」

「そこでだ、船を貸して欲しい」

「どのクラスを?」

「シアトル型輸送艦とマダガスカル級強襲揚陸艦。出せるだけ出してほしい」


 シアトル型輸送艦は、帝国軍で運用される最大規模の輸送艦である。全長一〇〇〇メートル、幅四〇〇メートル、高さ二〇〇メートルの巨大な艦体には、アドミラル級戦艦四隻分の物資を積み込むことが可能で、船倉は可動式の間仕切りで二層から最大二〇層まで細分化することが出来る。これにより人員輸送時にも艦内容積を最大限活用できる。


 マダガスカル級は第一一次統合整備計画で配備された強襲揚陸艦で、帝国軍、降下揚陸兵団で運用される。一隻当たり一個大隊規模の完全武装の歩兵と装甲戦闘車とそれに付随する各種物資を運搬できる。柳井はこの点に着目していた。


「そう来たか……艦艇の動員は私ではなくて公爵殿下の決裁がいる。少し待ってて貰えるかしら?」

「ああ。それなら私も行こう」

「本気? 態々大公殿下のオモチャにされることはないでしょう?」

「なに、その位は必要経費だ」



 司令長官執務室


「あら柳井男爵、三週間ぶりね。元気そうでなにより」

「公爵殿下におかれましてはご機嫌麗しゅう。私もお目通りがかない光栄の極み」

「やめなさいよ。これっぽっちも思ってないくせに……で、何?」


 柳井の型どおりの挨拶を、ギムレット公爵メアリーは気味が悪いものをみたように手で制した。


「現在私が憲兵艦隊より依頼を受けている任務について、近衛の協力をいただきたく参上しました。資料はアリーが」

「こちらです、殿下」


 ベイカーが提出した資料を一瞥して、深い溜息をついた。


「ふーん……畏れ多くも陛下を守護する近衛軍に、運送屋やれなんて言いに来た人間は、帝国史でもあなたが最初でしょうね、義久」

「畏れ入ります。栄光ある近衛の歴史に我が不肖の名が刻まれるとは光栄の極み」

「褒めてないわよ。輸送艦と揚陸艦出せるだけ貸せだなんてどういうつもり?」

「提出した資料の通りです」

「やはり一ヶ月で移送計画をこなすには無理が出るか……近衛が地方収容所の撤収に手を貸す根拠は?」

「帝国においては、臣民ならびに捕虜も、陛下の恩寵を受ける資格がございます。また、捕虜は陛下の名において拘束されていることになっておりますれば、移送計画の遅れを放置し、いたずらに危険にさらすのは帝権の弱体化を示すようなもの。賊徒を勝ち誇らせるのみです。それに、内務省、憲兵艦隊はもちろん、東部軍管区、国防省、国土省と商工省、天然資源省、ひいては現政権に対して貸しを作るのは、殿下の今後にも色々と役立ちましょう?」


 ゲフェングニス349は内務省管轄の帝国直轄領であり、収容所の所轄は憲兵艦隊にあった。本来防衛任務に当たる東部方面軍軍管区と国防省、星域放棄の決断を下した商工省、天然資源省そして現政権すべてに恩を売れるという提案に公爵はいたずらっぽい笑みを浮かべた。


「前半は優等生の回答で面白みがないけど、後半は癪だけどいい読みね。各所への貸しっていうのは悪くないし魅力的でもある……いいでしょう。一〇〇点満点とは行かないけど、八〇点の回答だわ。アリー、近衛全軍を出すわよ」


 さすがにこの指示にはベイカーも柳井も目を剥いた。


「あら? どうせ全輸送艦艇を出すなら護衛艦艇もそれに見合う数出さなければならないわ。だったら数隻の戦艦や空母を省く手間が面倒だわ」

「豪勢なことで……」

「義久、この借しは高くつくわよ」

「おや? 私としては、過日のピヴォワーヌ伯国防衛戦において、殿下のご到着まで戦線を維持しきった分を請求させていただいているつもりでしたが」


 イタズラっぽい笑みを浮かべた公爵に、柳井は珍しく満面の笑みを浮かべて返した。


「……皇統男爵と儀礼階級授与程度じゃ足りなかったか。皇統伯爵にでもして惑星一つつけておけばよかった。まあいいわ。あなたはあなたの為すべき事をなさい」



 ゲフェングニス349

 行政府ビル

 二〇階 疎開計画司令部


「こちらはどうか」


 僅か一日の帝都滞在の後、柳井は再びゲフェングニス349へと戻ってきた。ホルバインからの細かい報告を受けつつ、すっかり自分の名代も務まるようになった彼の顔を、柳井は安心した表情で見ていた。


「近衛軍差し回しの輸送艦のおかげで、捕虜第一陣は完全に引き上げられました」


 近衛軍は演習のために各地に部隊を展開していたが、そのうちのいくつかを、公爵は早速ゲフェングニス349に回していたようだった。


「残る第二陣は、星系自治省の輸送艦、住民避難は近衛艦隊でなんとか……よく星系自治省と近衛を動かせましたね」

「私の血肉を賭けた成果だな……どうした?」

「いえ、部長にしては珍しい、感傷的な表現だと思いまして」

「ホルバイン、君は私の頭の中に、数字と権謀術数しか流れていないとでも思っていたのか?」

「そんなことはありません。我が上司が人並みの感傷を持ち合わせているのだと安堵しただけです」

「全く、最近私に対する評価が辛いのではないか? まあいい」


 そこで柳井は言葉を句切ると、デスクのモニターにガントチャートを映し出す。


「第三陣までの出発は予定通りでいけるとしても、連中の進撃スピードに追いつけるかな?」

「正直微妙なところですね。ガンボルトからの報告だと、敵は途中の星系を無視してこちらに来ています」


 柳井は不満げに唸りながら仕事をしているだろうガンボルトの不景気な顔を思い浮かべていた。


「飛び石か。まあそう来るだろうとは思っていたが……ガンボルトには追尾を中断させて、こちらに戻るように伝えてくれ。それと、外惑星軌道に警戒衛星を増備する。確か行政府の所有するものがまだ二ダースほど残っているはずだ。憲兵艦隊に応援を頼んでも構わないから、できるだけ遠くまで見通せるように配置しよう」

「はっ」

「それと、憲兵艦隊と迎撃戦について打ち合わせをしておいてくれ」


 ホルバインがラフな敬礼で乗艦に戻っていくのを見送りながら、柳井は不在中に溜まっていた仕事を処理することに専念した。

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