第36話ー③ 統括管理官・柳井義久

 二〇階 疎開計画司令部


 行政府ビルの二〇階フロアは、疎開計画の司令部として再編成されていた。本来統括監理官などという役職は行政府にないはずだったが、机の上に浮かぶ表示はすでに書き換えられていた。


「統括管理官補佐を務める宇佐美と申します。本職は収容所の監理部長を仰せつかっておりますゆえ、疎開計画の捕虜方面の調整なども、私にお任せいただければと思います」


 宇佐美統括補佐は柳井より四つほど上の男だったが、宮内省の典礼官と見間違うほどの礼式に乗っ取った敬礼を施され、柳井は思わず直立不動になっていた。


「よろしくお願いします……それほど畏まらなくてもよいのでは? 私はこちらへ出向している身です。こちらこそご迷惑を掛けなければいいのだが」

「皇統男爵とお聞きしておりましたので、失礼がないようにと思ったのですが」

「お気になさらず。私もその方が助かります。第一、帝都に戻れば皇統男爵など路傍の石ですよ」

「かしこまりました」


 そういった割に、宇佐美統括補佐の所作に変化はない。元々上司や年上にはそういったコミュニケーションのプロトコルなのだろうと納得した柳井は、机の上の端末に指を走らせた。


「私は疎開計画の統括管理官に任命された柳井だ。経歴は各々興味があれば調べておいてほしい。統括とでも呼んでくれ」


 柳井に貸し出された人員は五〇〇人を超え、その中から中間管理職だけ抜き出しても一個小隊ほどになる。いちいち集めて話すのでは効率が悪い。柳井はフロア内の放送設備で一気に説明をするつもりだった。


「ともかく今やるべきは、住民と捕虜脱出の為の船腹の算出と手配だ。私が現状持ってこれる数少ない船のデータはすでにインプットしてある。君達には残りの住民、捕虜、星系内設備で持ち出せるものの搬出にどれだけの船腹が必要か割り出し、手配して貰う。住民の疎開日程の編成、乗船日時の通達なども、関係各所に手配してくれ」


 端末に読み込ませたデータを、すぐさま居並ぶ官僚達が閲覧し始める。その後継を見渡した柳井は、これなら自分の仕事は少なくなりそうだと楽観的な感想を抱いた。そもそも頭は硬いかも知れないが高等文官試験を突破した帝国のエリート層が揃っているのだから当然と言えば当然で、防衛大学校出の自分では彼らの半分ほどの能力もないだろうとも思っていた。


「期限は一ヶ月後だが、最低でも帝国国籍をもつ民間人の大部分は、退避を半月後を目処に終えるつもりでいく。万が一敵侵攻速度が早まると、陛下の赤子を賊徒の捕虜として差し出すことになる。捕虜についても、帝国が捕虜を奪われたなどという不名誉を甘受できるほど寛容でないことは、皆も知っての通りだ」


 近場のデスクの官僚と目が合う。不敵な笑みを浮かべた栄えある初代――そして最後であってほしい――司令部のスタッフは再びデータの精査に入ったようだった。


「よって、ミニマムサクセスを捕虜も含めた人員の完全退避、フルサクセスとして星系内持ち出し資産の完全退避、エクストラサクセスとして持ち出し不可能な星系内インフラの破壊となる」


 柳井が話している間にも、すでに中間管理職達同士で役割が分担され、必要な仕事に取りかかり始めていた。柳井の手元の端末にはリアルタイムで各種の報告やチーム編成が送られてきている。


「インフラ破壊については帝国軍工兵隊の仕事で諸君の考慮するところではないが、我々が仕事を早く終えれば、それだけ星系内の焦土作戦も進められると言うことだ。あとから来る工兵隊の連中の残業代を削ってやることにしよう」


 柳井のジョークに周囲の職員が苦笑いをしていた。そのために今後自分らに課せられる残業代は爆増することが分かっていたからだ。


「栄えある初代の、そして願わくば最後の疎開計画司令部員として、各自の手腕に期待する。ではかかれ」



 ユスティニウム一番街 帝国行政庁ビル

 八九階 収容所管理局


 総員訓示の後、細かな調整を中間管理職達とするため昼食をかねた会議を終えた柳井だったが、収容所管理局のオフィスで、とある男からの面会を申し込まれていることを告げられた。


「名指しで私との面会を? 辺境惑星連合に親戚友人は居ないつもりでしたが、どこかで飲んだことでもあるのだろうか」


 柳井家は代々帝都極東管区日本の横須賀に住んでいる一族が本家筋であり、辺境惑星連合はおろか、辺境宙域に進出した親類が居ない、というのが柳井の認識である。


「統括、あまり物騒なことを言わないでください」


 柳井と共に座るタチアナ・コルガノヴァ憲兵大佐は、疑念を孕んだ目を柳井へ向けている。とうの柳井はそれに対して肩をすくめてみせるだけだった。内務省管理下にある直轄領で不穏な発言をすれば、今後の彼の生活に監視が付くことも考えられたからだ。


「アルツール・マルテンシュタイン、統括も名前は聞いたことがあるのでは?」


 収容所警衛参事官、ユースフ・イドリースは一枚の合成紙を柳井に差し出した。写真には切れ長の目、細い顎、シルバーグレーの頭髪、美男子と言っていいパーツが揃っている男が自信に満ちた笑みを浮かべていたが、年齢は柳井の三つ上の四六歳だった。その顔と名前を、柳井は兵站本部時代、その後の第一二艦隊勤務でも知識として、また戦訓としても記憶していた。


「帝国軍第一二艦隊を、僅か一二隻の巡洋艦で翻弄した名将。帝国軍の戦術教科書の最新版にも彼の名前は載っている。そのマルテンシュタインが、統括に面会を申し込んでいるのですか?」


 憲兵大佐も不思議そうに収容所側の資料に目を通していた。


「ああ、統括がこの惑星に来た直後にだ」

「辺境惑星連合切っての名将からのご指名とあっては、断るわけにもいかないでしょう」


 憲兵大佐も参事官も、柳井のあっさりとした決定に驚いている。捕虜とはいえ、帝国軍に対して煮え湯を飲ませた宿将。そして柳井の軍歴を把握しているからこそ、所長も憲兵大佐も驚きを隠せないのである。


「では、日程を調整し――」

「今からにしましょう。後ろにずらすと、時機を逸することもあるかもしれないし」


 悠然とした柳井の態度に、憲兵大佐と参事官は顔を見合わせた。見た目からはうかがい知れない何かを、この男は隠し持っているのでは無いか、と。


「では、お車を用意します。ロビーにてお待ちください」

「お願いします」



 ユスティニウム第一収容所 

 面会室


 柳井の予想に反して、面会は収容所の応接室、ネオ・インペリアリズム様式の洒落た部屋で行われることになった。しかも、監視はカメラモニターのみ、音声は切っているという。柳井はそのことを憲兵大佐に告げられたとき、若干の不安を感じていた。今から面会するアルツール・マルテンシュタインという男は、何を考えているのだろう、と。


「彼の希望で、今回は直接対面です。万が一があります、護衛の憲兵をお部屋に」

「その必要はありませんよ。どうせ外からモニターしているのでしょう? 私が殺されそうになったら、すぐに助けに来てくださいよ。大佐」


 憲兵大佐は柳井に対して、まだ何か言いたげな顔をしていたが、やがてそれも諦めたかのような苦笑に変わった。差し出した銃も受け取らない柳井を、タチアナは変わった男だと思うと同時に、ただの民間軍事企業の人間とは思わないことにしていた。


「……分かりました。では、どうぞ」


 重厚な惑星マルケルス産の紫檀の木で作られたドアの向こうには、服装こそ捕虜用の煙管服ながら、その佇まいはどこかの貴族でも連想させる優雅なものだった。足を組みソファに悠然と座る男は、ティーカップを掲げて見せた。


「私が柳井義久です。アスファレス――」

「アスファレス・セキュリティ護衛艦隊司令、ロージントン支社支社長で常務、皇統男爵、第二三九宙域総督、疎開計画統括監理官……そして、帝国軍戦艦アドミラル・ラザレフ元副長、元兵站本部長副官殿」

「……よくご存知で」

「柳井さん、あなたの名前は我々にもよく届いている。いい意味でも、悪い意味でも……申し遅れた、アルツール・マルテンシュタインだ」


 立ち上がる所作にも無駄が無く、折り目正しい辺境式の敬礼に、思わず柳井は帝国軍式答礼を返していた。


 智将マルテンシュタインといえば、東部軍管区に居たことのある帝国軍人なら誰でも聞いたことのある指揮官であり、柳井もその名はよく耳にしていた。帝国軍東部方面軍の主力たる第一二艦隊に辛酸を飲ませ続けた名将として知られる。


 柳井もまた、その名を帝国軍人としての基礎知識として知っているのだが、まさか目の前に居る男が、その張本人であることに些かの驚きを持って対峙していた。


「……なぜ、私との面会を?」

「理由は二つある。一つ目は、あなたが私と直接砲火を交えた事がある点」

「……帝国軍時代でしょうか」

「その通り。こちらに来てから帝国軍の戦史記録を漁っていて分かった。君が兵站本部参謀時代、臨時に指揮を執った護衛戦隊が私の指揮する艦と交戦していた。一泡吹かせられたので、仇敵と相対することができて光栄だ。二つ目は、アルバータの事件だ」


 マルテンシュタインが掲げたのは、チェリー・テレグラフだった。柳井は苦笑いを浮かべた。公式発表でもなんでもないゴシップ紙の方が正確な情報だと思われているのはさておいても、まさか辺境惑星連合の智将にまでその名を覚えられているとは、むず痒い思いだったからだ。


「収容所でも、新聞やら情報ネットのニュースは見られるのでね。我々の同志によるアルバータ星系での解放作戦を阻止した張本人に会ってみたかった」

「私は、あの場にいただけで何もしていませんよ」


 柳井の答えに、マルテンシュタインは微笑を浮かべたまま肩をすくめてみせた。マルテンシュタイン自身、目の前にいる優男がそれを為したというのは事実であり、彼が何と言おうと、そこまで問題ではないと考えていた。


「なぜ、アルバータを放置しなかった?」

「放置、ですか」


 柳井はその可能性についても考慮していた。放置すれば、辺境惑星連合とアルバータの反乱軍が手を結び、その後で到着した第一二艦隊により、惑星アヴェンチュラは徹底的に焼き尽くされていただろう。だからこそ、柳井は放置という選択肢を選べなかったのである。


「あの場に居たとしても、あなたにそれを阻止する責任はない」


 マルテンシュタインの言うことは至極当然のことで、柳井はその点については頷かざるをえない。自社の機材と人員を危険に晒さずとも、帝国と帝国軍にその責任は求められるのだ。しかし、柳井はそのことを分かっていてもなお、見捨てることはできなかったのだ。


「だが、放置すればあの星は、帝国艦隊の総攻撃を受ける」

「それは、帝国軍、ひいては帝国の下した決断だ。別にあなたに非があるわけではない。だというのに、あなたは危険を承知で、いわば博打のようなことをした」

「勝算はありましたが」

「では、なぜ見捨てられなかった。勝算があるとしても、自社の機材と人員保全に気を配るのが、民間軍事会社の指揮官と聞いたが」

「あなたは私に、何が聞きたいのです」


 柳井はこのとき、自分の根幹にある思想を見透かされた気がして寒気を覚えていた。マルテンシュタインからして見れば、帝国本国の意向に沿わない動きを取った柳井という男の本質を見抜こうとしていた。


「すまない、遠回し過ぎたな。では単刀直入に聞かせてもらおう。帝国と辺境惑星連合は、このままだとどうなる」

「どう、とは?」

「あなたの主観で構わない」


 数秒、この男が何を考えているのか推測しようとした柳井だったが、諦めて思考の奥底に沈めていた理屈をひもとき始めた。


「……辺境惑星連合が、公にその姿を現してすでに三〇〇年。その間、大規模な会戦もあったが、直近半世紀は小競り合いに終止ししている。帝国はその広大な版図を防衛するための戦力を確保し、辺境惑星連合は、広がりすぎたネットワークのせいで、機能不全を起こしている」

「ご明察だ。すでに辺境惑星連合は、共同した動きを取れずに居る。ピヴォワーヌ伯国攻略戦の失敗の原因でもある。だが、帝国とてそれは同じだ」

「軍管区ごとに司令部を置いて、大部分の決定を現地部隊に委ねている以上、帝国全軍での行動が取れない、と言いたいのですか?」

「その通り。数だけの話なら、辺境惑星連合のそれと、帝国軍のそれは一軍管区においては拮抗し始めている」

「その拮抗が崩れる前に、本格的な攻勢を仕掛けるのが、帝国の戦略です」

「果たして、そうかな?」

「何です?」


 マルテンシュタインが悠揚とコーヒーを飲んでから、柳井を見据えた。


「帝国が我々を賊徒と呼称していることは知っている。そんな相手に、捕虜交換などという取り決めを律儀に守っていることも知っている。闇ルートではあるが、通商があることも公然の秘密だ。では、この状態で我々と帝国が争い続けるその理由はなんだ?」

「理由……?」

「帝国の政体転覆などという革命はもう起きない。帝国の政体は盤石で、その治世は常に穏やかだ。だとしたら、そこに我々が攻撃を仕掛ける理由はなんだ?」


 マルテンシュタインの問いに答える前に、柳井は出されていたコーヒーを口に含んだ。


「それは、理想でしょう」

「理想?」

「人民の、人民による、人民のための政治……そんな使い古され手垢がついた謳い文句が形骸化し、民衆が政治を自分とは無縁のものだと思っていた当時の帝国の現状を憂いたのが、あなた方のご先祖だ。彼らはいつしか、辺境の過酷な環境の中で、自らの理想を実現し、帝国に再び共和制民主主義国家を回復させることを目論んだ」

「そうだな、設立当初はそうだったろう」

「その建前はもはや一般臣民には浸透しない。いわば、独りよがりだとも言える」

「言いにくいことを言ってくれる」

「辺境惑星連合内部にしても、すでに組織としてのテーゼは崩壊し、ただ単に帝国にちょっかいを出し続けるならず者、いや、チンピラと言っても言いが、その状態の連合の存在意義……それは、帝国内の反乱分子、いや、夢想家達の理想郷ユートピアだ」

「そうだ」

「つまり……帝国が、それを理解していれば、このままの状態が続くでしょう。反乱分子は常に居るものだし、独立した人口構造を持っている辺境惑星連合なら、余程のことがなければ、そのまま勢力は維持できる。帝国としては、常に外敵が存在することで、帝国と帝国軍の存在を、民衆に対して正当化出来る……私の言ったことは、間違っていますか? マルテンシュタインさん」


 一息にまくし立てた柳井は、一息おいてたった一人の聴衆の反応を求めた。


「及第点だな。もっとも、国防大の政治史のテストなら、後で呼び出しを食らうだろうが」

「帝国はその全戦力を持って、完膚なきまでに辺境の反乱分子を鎮圧する、というのが表向きの姿勢ですから」

「柳井さん、あなたはその思想をいつから持っていた? 今私の目の前で思いついたものでもあるまい」

「……私は、辺境惑星連合の掃討を良しとしていません。むしろ連合側が節度ある態度、つまり帝国領内での狼藉さえなければ、併存することも可能だと思っている」

「ほう……まあ、政治学の議論はまた機会があればやろう。柳井さん、あなたは中々興味深い人物だ。帝国へ投降して身の振り方をどうするか迷っていたが、帝国というのも中々まだまだ面白い国ではないか」


 柳井はここで得心がいった。マルテンシュタインは帝国に帰順するかどうかの判断基準に、自分を用いたのだ、と。これはマルテンシュタインなりの思考的遊戯と、自分という男の見定めだったのだろうと理解した。


「次は捕虜疎開の件についてお聞きしたいことがある」


 本来そちらが本題だったのだろうと柳井は頷いた。


「現地責任者としてお答えするなら、順調に予定は進行しています」

「私は、辺境惑星連合の指揮官だ。だからこの後のこともだいたい想像がつく。君達はこの惑星に敵が殺到するのを一ヶ月と算出しているが、それはもっと早まる」

「……こちらの偵察でも、その傾向は認められていますが」

「私ならあと半月も掛けない。まあ今のこの方面を誰が指揮しているかは分からんが……残されている時間は然程多くないと思っておきたまえ」

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