第36話ー② 統括管理官・柳井義久
ゲフェングニス349 低軌道
巡洋艦エトロフⅡ 大会議室
柳井が勅命を受け帝都から発つのと同時に、アスファレス・セキュリティロージントン支社の護衛艦隊はゲフェングニス349に移動しており、柳井はそこでようやく部下達と合流した。
ゲフェングニス349はK型主系列星を母恒星としており安定した気候を有する有人惑星だ。これを放棄するのは些か勿体ない……などと柳井は持ち前の貧乏性から感じていた。
「あと五隻くらい海賊を討伐して、インペラトリーツァ・クラウディア級で揃えたいところですね、常務」
軽口を叩いたのは、クルセイダー級巡航戦艦ワリューネクル艦長、アルブレヒト・ハイドリヒ課長補佐。彼の指揮する戦艦はアスファレス・セキュリティ随一の火力と機動力を誇るが、改装に次ぐ改装のせいで扱いづらい上、同型艦がいないので艦隊行動にも支障を来し、配置転換もままならないまま、ハイドリヒが一〇年以上艦長を務めていることで知られている。
元々帝国皇族の使用が前提とされていたインペラトリーツァ・クラウディア級クルーザーは、帝国艦隊で運用されるアドミラル級戦艦よりも上等な設備が整えられており、その一つがこの大会議室であった。エトロフⅡがロージントンのアスファレス・セキュリティ護衛艦隊に配備されて初めての大規模作戦行動ということで、護衛艦隊幹部達は、座り心地のよい会議室の椅子の感触を確かめていた。
「ハイドリヒ、それは自分でやってくれよ。我々まで巻き込んでくれるな」
アスファレス・セキュリティ護衛艦隊の数の上での主力たるH・U・ルーデル級駆逐艦アライドⅡの艦長、ガンボルト課長補佐が苦々しい表情をしているのには訳がある。彼は柳井の行う作戦に不信感を抱くことが少なくないからだ。今のところ彼は、柳井の作戦指示にも従順だが、それは結果的に柳井の作戦が成功を収めているからである。
「まずは何はともあれ非戦闘員の退避だ。収容所職員の家族や惑星上の商工業従事者を中心に避難させる。これが第一段階だ」
これにより、最悪の場合でも一般市民を戦いに巻き込むことはなくなる。万が一にも帝国臣民に犠牲が出れば、他の宙域の後退作業にも影響を与えかねないのだから、柳井としてはこのような作戦を立てるのは自明の理。会議室内の幹部達の意見も同意見だった。
「続いて第二段階でインフラ関係者の半数と行政局の職員。更に第三段階で収容所職員および捕虜の第一陣」
星系のインフラ維持のための人員は、最小限残しておかなければならない。行政局にしても、ゲフェングニス349が帝国の一惑星である以上、その業務を本来であれば一日たりとも滞らせることは許されないが、ギリギリのタイミングまで仕事をした上で、かつ余裕を持ったスケジュールで移送を開始する。捕虜の第一陣に選ばれるのは、主に帝国への帰化を望むもの、女性、二〇歳未満の年少者、病床者である。
「第三段階の人員数が突出していますね」
「ああ、ここが今回の作戦の山場となる。必要船腹数も跳ね上がるな。第四段階で全ての人間の避難を終わらせる。ここまでの予定日数は、約二一日を想定している。最終段階は我々と、インフラ関係者、残る捕虜、それに政庁関係者の残余だ」
柳井の言葉に、こればかりはとシムシル艦長、パン課長が腰を浮かす。僅か一ヶ月。人口二〇〇〇万人を超す惑星を丸々一つ空き家にするのに、たった一ヶ月しかないのである。それだけの人数を一度に積載できる単一の船でもあれば別だが、大型の輸送艦でも、多く見積もって五〇〇〇人がいいところだった。そして、この宙域に振り向けるだけの船腹数は限られている。
「一ヶ月で?! 余りにも短すぎませんか?!」
「幸い人口は捕虜収容所と星系首都に集中している。詳細は現地到着後、収容所や行政庁と詰めねばなるまいが、大綱は変わらん。また、星系内の工業施設の可能な限りの退避を行う。軌道工場プラットフォームや軌道都市群、発電プラント、その他引き上げられるものはブイの一個まで全て引き上げるぞ」
柳井の言葉に、一瞬会議室は沈黙が支配した。いずれの顔にも「またか」というあきれた感情が滲み出ていた。
「まるで夜逃げだな」
「言い得て妙だな、ニスカネン。すっからかんの惑星を見た辺境惑星連合の連中の顔が見てみたいもんだ」
「そりゃあいい。何なら草木の一本も残さず持って行きましょうや」
「あんたたちねぇ……」
ニスカネンとホルバイン、ハイドリヒが口々に言うのを見ていた駆逐艦クナシリⅡ艦長、ブラウン課長は頭を抱えた。
ニスカネン課長代理はエトロフⅡ砲雷長、ホルバイン課長は同艦長として、柳井をアルバータ派遣艦隊時代から支える忠臣とも言うべきスタッフだったが、彼らはいかんせん上司である柳井との接触が多いから、皮肉や軽口、嫌味や愚痴のレパートリーも似てしまっている。ハイドリヒはそれよりも後になって合流したのだが、元々の性向が柳井やホルバインと相性が良かったことから、あっという間に馴染んでしまった。
ブラウン課長アライドⅡの艦長で、この三人とは同期であるが故に、彼らの思考は大体検討が付いていた。護衛艦隊随一の常識人である彼女の気苦労は、主にハイドリヒ、ニスカネン、ホルバインの場を弁えない軽口によるものが大きい。
「まあ、そう卑下することもあるまい。これにより、疎開した避難民も可能な限り移動先で前と同じ生活を取り戻すことが叶う」
柳井の言うことはもっともで、幹部達もうなずいた。
「しかし、護衛艦隊司令部だけでは作戦遂行は難しいのでは。事務処理だけでもかなりの重負担です」
アスファレス・セキュリティ護衛艦隊司令部は、僅か一年前に新設されたばかりの部署である。そしてアスファレス・セキュリティのような中小企業においては、帝国国防大学や民間の軍事アカデミーを出たような新卒者の採用は、遅々として進まないのが現状である。つまり、護衛艦隊司令部は慢性的な人員不足なのである。
「私が過労死覚悟で働いても無理だろうな」
柳井は国防大学を出て、東部軍管区兵站本部のスタッフとして、また軍歴の最後の二年少々は最前線の戦艦の副長という立場で従軍している。
特に兵站本部時代の能力は、アスファレス・セキュリティ第一艦隊司令官、柳井入社時には第一艦隊参謀長であったフェリーネ・アルテナ部長がそれを見込んでスカウトしてきたという経歴を持つ。
それだけに、今回のような輸送計画立案は彼の得意とすることであったが、それをもってしても、惑星一つを疎開させるには人員が足りなかった。現場に計画書だけ渡して全ての事が済むなら、中間管理職という人種はこの世から綺麗に消え去るだろう。
「現地では行政局や収容所のスタッフが割り当てられるから問題ない。本社側はマルコシアスとクリモフ指導将校が中心で動いてくれている」
「今頃マルコシアス辺りは難儀してそうですね。指導将校と、輸送艦を借りるなら及川部長の相手ですか。金が絡むならグジュラール経理部長も相手取るとは」
指導将校とは、帝国軍事企業に一名以上派遣される帝国軍将校である。帝国軍内では独立した指揮系統を持ち、艦や部隊が帝国に反旗を翻すことのないように監視すると共に、新任艦長や司令官、士官達のメンタルケアから教育まで引き受ける立場の将校である。帝国軍事企業に派遣される目的は、無論、軍事企業が帝国への反乱を企てたりしないようにするお目付役なのだが、これが決まって周囲の嫌悪を集める存在というのは、言うまでもない。
「それについては心配ない。あれでマルコシアスは根回し上手だ。指導将校も憲兵艦隊からの依頼となれば協力的だ」
柳井がロージントンの支社にいて、護衛艦隊の仕事も辺境宙域が中心になるにもかかわらず、柳井は護衛艦隊の事務部門を本社に残したままにしている。これについては幹部達は大方経費やら何やらの文句を言われたくないからだろう、と踏んでいたのだが、柳井の真意は別にあった。
つまり、本社にも護衛艦隊、自分の配下をおいておくことで、本社内でのプレゼンスを維持し続け、事あらば上層部への懐柔工作なども行わせようという腹づもりなのである。
「さすがは部長の事務補佐役といったところですね。権謀術数はお手の物、ですか」
ホルバインは賞賛を込めて言ったつもりなのだが、柳井とは昵懇の仲であるからして、その表現はひどく嫌みたらしいものになるのが常だった。
「戦闘指揮は君の仕事だよ? ホルバイン。私は地上のことでかかりきりになる」
「心得ています。侵攻してくる敵艦隊へ襲撃と言われても、今更慌てませんよ」
柳井は最前線の戦闘より、後方兵站の方を得意としている。対するホルバインは後方のこともある程度把握できて、なおかつ一八歳で入社してから常に最前線の艦艇勤務を続けてきた叩き上げの艦長である。この二人のコンビネーションは、社内においてはトップクラスの連携力と言われている。
「とにかく、敵艦隊の接近が考えられる。予定は繰り延べ出来ない。そして今回は、正面戦闘だけが仕事でないことも留意すること。各員の奮闘を期待する」
幹部達が立ち上がり敬礼し、柳井は答礼を返し、会議は終了した。
ゲフェングニス349
ユスティニウム一番街 帝国行政庁ビル
二四階 行政府
「第二三九宙域総督、柳井義久です。今回の疎開計画についても協力させて頂きます」
「ゲフェングニス349行政府長官のムスタファ・サイードです。短い間ですが、当惑星への赴任を歓迎致します」
皇帝直轄領の惑星を統治するのは、帝国内務省直轄の行政府であり、その行政効率を高めるために、下部組織も含めた全部署が一つのビルに集約されている。これは他の自治星系でも、上部組織の違いはあれど踏襲されており、メガストラクチャーを中心とした町作りは帝国植民惑星の特徴である。
比較的低層階を占める行政庁オフィスに出頭した柳井は、そこで先行していたタチアナ憲兵大佐と、この惑星の統治責任者、ムスタファ・サイード行政長官兼収容所所長とそのスタッフ達と第一回目の会議を行なうこととなった。
「――以上が、私が提案する疎開計画案です」
柳井はゲフェングニス349に到着するまでの間、簡素な疎開計画を作成していた。無論、詳細は現地のインフラや利用可能な船舶、軌道都市の運用状況などを見なければ分からないので、いわば骨子である。
「妊産婦、傷病者、未成年の子供を優先しますが、撤退完了寸前までインフラなどは維持しなければなりません。商工業従事者も同様です。無秩序に撤退はさせられないので、順位付けは大雑把にしかしていません」
「それはそうでしょうね。災害対策の避難順序を使い回すことになるでしょう。住民にはすでにそのように通達は出しています」
柳井はコルガノヴァ憲兵大佐に目線を向けた。
「大佐、いかがです」
「大枠は問題ないと思います」
「柳井さんから質問のあった軌道都市のほうも恐らく動かせるとのことです。問題は捕虜収容所ですが」
行政長官は窓の外に広がる広大な市街地と、その向こうに
「当収容所の捕虜は、ほとんどが自主的に投降した敵兵ばかりです。他の収容所より、帝国への帰化を望むものの比率も高い。疎開に乗じた騒乱などの恐れは低いと考えています」
「ならばよかった。荒くれ者揃いだったら、私の計画はもう少し修正が必要でしたから」
「むしろ市民の方が問題ですわ。すでに行政庁には私産の持ち出し量で苦情が入っているとか」
「収容所惑星とは言われていますが、市街地は他の惑星と変わらないものですし、家財もありましょう。正直住民の方々には申し訳ないと頭を下げるしかない。しかし個々人のわがままに付き合っていられるほど、状況は楽観視できないものと思いますが」
内務省の官僚の割に、サイード長官はものの見方が柔軟だと柳井は感じた。少なくとも、内務省の役人が個々人の心情に配慮する姿など想像したことがなかったからだ。中央と辺境で官僚というのも変わるものだと感心していた。
「私物の持ち出しについては、船腹が決まらないことには判断が難しい。まずはそこを詰めましょう。住民の乗船名簿は行政庁で纏めてくれますか?」
「無論です。すでに用意しています。多少の増減はあるでしょうが」
たとえ疎開計画が始まっても、人は産まれるし死んでいく。人の営みはいかなる政治情勢も軍事的脅威も関係なく続くわけだと、柳井は場違いな感傷に浸っていた。実際問題として、妊婦については早く移送したいところだ。ギリギリのタイミングまでこの惑星に留まらせると、脱出行の間に貨物船の中で出産と言うことになりかねない。そのための医療スタッフや設備まで整えるのは困難と言わざるを得ない。柳井は要注意点として手帳にペンを走らせた。
「まあそのあたりは行政庁にお任せします。私は船腹の手配と、万一の場合の防衛計画を詰めることにしましょう。タチアナ、それでよろしいですか?」
「ええ。それと柳井さん、あなたの役職名を決めておきましょう。行政府内部で動くには、行政府内部の役職が必要ですし」
またか、今度はどのような分不相応な役職を仰せつかるのかとと柳井は溜息を堪えた。しかし仕方の無いことだ。
本来第二三九宙域の総督としての柳井には監督する権利はあっても、何かしらの命令を下したり予算を動かす権限は無く、行政府や自治政府に助言を与える程度までが許されることだった。
しかし疎開計画においてはそれだけでは間に合わないし、煩雑で迂遠。そこで本国内務省の許可を得て、柳井には行政府内における役職が与えられることになっていた。柳井がピヴォワーヌ伯国防衛軍参謀総長に就いた時と同じパターンだった。
官僚達は首を捻り、一つの案を思い付いたらしくモニターにその名を表示した。行政長官と憲兵大佐は満足げに頷いた。
「統括監理官。なかなかいい響きですね。では、柳井統括監理官、よろしいですか?」
「構いません」
司令部長、参謀総長、皇統男爵に総督に統括監理官。なんとも身分不相応な役ばかり仰せつかるものだと、柳井は溜息を堪えるので必死だった。
「行政府のスタッフとオフィスを一フロアほどつけますので、統括の下で使ってください」
統括、と略されるのは悪くないなどと考えた柳井だったが、その余韻に浸っている時間はなかった。二〇〇〇万の市民を資産と共に疎開させるには、周辺宙域どころか、帝国中の船舶をかき集める必要がある。残された時間はあまりに限られていた。
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