第36話ー① 統括管理官・柳井義久
低軌道リング
第一三〇工業区 新倉橋
アスファレス・セキュリティ本社
社長室
柳井は久々の本社社長室で、無表情な社長と対面することになっていた。
「柳井、辺境勤務ご苦労だった。いや、男爵閣下の御献身に帝国臣民として感服の至り、というべきか?」
アスファレス・セキュリティ社長のシュテファン・シュコプは柳井を前にしてわざとらしい最敬礼をとって見せた。その際も、シュコプ社長は眉一つ動かさない。柳井としてはこれが社長なりのジョークなのか、それとも本気でそう思っているのか謀りかねたが、前者として解釈して対応することにした。
「社長、お戯れを。私は社内においては部長に過ぎません」
「常務だろう。忘れてもらっては困るぞ」
「ああ、そうでした……」
柳井の役職はギムレット公爵からの依頼を受ける度に昇進するのだが、第二三四宙域の総督代理として赴任した時点で、柳井の社内での役職が常務になっていた。社内での仕事よりも皇統男爵としての仕事の方が従事する時間が長かったが、それでも出世していく。
六年前、アルバータ自治共和国に赴任した時点では運輸部の課長でしかなかったのだから、戸惑うのも当然と社長も考えていた。
営業成績という点では、柳井がギムレット公爵から押しつけられる仕事はかなりの収益をアスファレス・セキュリティにもたらしているので、柳井本人が考えているほど分不相応というものでもない。
「君の進言通り、社内編成が大幅に変更されていることは知っているな?」
「運輸部が無くなって後方兵站部に吸収されたとか」
「君の元上司、及川君は本社参謀本部に転属だ。本人としても現場仕事より向いているだろうな」
「……」
柳井はこの点については言葉を発しなかった。かつての上司である及川部長に対して、柳井は好ましからざる感情を抱いてはいたのだが、かといってあからさまに閑職へ追いやられることを喜ぶ気にもなれなかった。
もはや柳井としては社内の些細な仲違いなどにかかずらうことが出来ないほど、役割が拡大していたからだ。
「それはともかく、君のところの艦隊を増備する。第一、第二艦隊の統合、第三艦隊の廃止に伴い余剰艦が出ているので、一部艦艇を君のロージントン支社に回す。戦艦ユーパロベツ、ユジノ・サハリンスク、巡洋艦サックルベツ、クッタリウス、クスリサンベツ、サルサルベツ、シモオキウスの全部で七隻だ」
アスファレス・セキュリティには元々三個艦隊――帝国軍標準編成の三分の一程度――を持ち、それに加えて柳井の指揮下にあるロージントン支社の護衛艦隊に艦艇が割り振られていた。このうち、第一、第二艦隊は統合され主力艦隊とされ、第三艦隊は廃止され所属艦艇は主力艦隊に吸収される筈だった。
「それだけ公爵殿下が君に任せる仕事が大きくなっていると言うことだ。私達は公爵殿下、まあうちの筆頭株主なわけだが、そこからの要請に従っただけだ。実際にどんな仕事が回ってくるかは、我々は知らない」
本来、帝国の民間軍事企業の八割近くは国防省が筆頭株主になっているが、アスファレス・セキュリティではどういった手練手管を使ったかは定かではないにせよ、株式の六割がギムレット公爵によって所有されている。残りもギムレット公爵の根回しにより、筆頭株主の提案を追認するので事実上、アスファレス・セキュリティそのものがギムレット公爵の私兵と言っても過言では無かった。
「そうですか……」
新たに配備される艦艇の乗組員用宿舎や艦長クラスのための事務所のスペースの準備などを考えつつ、柳井はユーパロベツの名前に懐かしさを感じていた。
戦艦ユーパロベツは、柳井がアスファレス・セキュリティ入社直後にフォーマルハウト支社として使われていたもので、柳井は研修終了後にユーパロベツ艦長を拝命していたからだ。その頃のクルーはほぼ居なくなったとはいえ、一〇年以上前の記憶を手繰っていた。
「ところで……社長は、私が公爵殿下の仕事を受けることをどうお考えなのですか?」
柳井は社長に対して、初めてする質問を投げた。
「どうも思わん。君のところが仕事を持ってくるのか、うちの参謀部が帝国軍や自治共和国から仕事を持ってくるのか、その違いでしかない、ただ――」
社長は柳井の顔を、普段の能面のような無表情な顔で見据えた。
「正直公爵との窓口が君で良かったと思っているよ」
言葉と連動しない社長の顔を見つめて、柳井は苦笑いを浮かべるしかなかった。
帝都
ライヒェンバッハ宮殿
本来柳井が地球帝国本国まで戻ったのは、ライヒェンバッハ宮殿、皇帝の居城を訪れるためだった。しかし、それは伺候のためではなく、あくまで実務上の必要性からだった。
「柳井男爵、第二三四宙域の総督代理の職、上手くやってくれているようだな」
「ははっ、皇統として当然の義務を果たしているだけでございます、殿下」
柳井は楡の間――皇帝の摂政、宰相が執務を行なう――に足を踏み入れていた。現在の部屋の主はマルティフローラ大公国領主、フレデリク・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼン大公その人だった。
「本来なら陛下が直々にお話ししたいとのことだったが、何分陛下もお体の具合がよろしくない。よって、私で申し訳ないが、変わって卿に申し渡す」
「はっ」
「柳井義久皇統男爵、卿に第二三九宙域総督の任を申し渡す。これは第二三四宙域を第三四二宙域と統合、新たに第二三九宙域として再編したものであり、卿はこれら宙域の政治、軍事、経済政策等を関係諸機関からの報告を受け、監督すること。代理の文字も外す。以上だ」
大公の読み上げた勅書の内容に、柳井は目を見開いた。
「はっ……!? それはどういうことで……?」
「卿は旧第三四二宙域に関する噂を聞いているか?」
「賊徒の艦隊が侵攻してくるというものですか」
「どうやら噂では済まなくなったようだ……これを見たまえ」
楡の間の大型スクリーンに、旧第三四二宙域、新第二三九宙域の宙域図が映される。その中には柳井が訪問していたイステール自治共和国の文字もあった。
「旧第三四二宙域は帝国軍のハーキュリーズ作戦の結果、誕生した宙域の一つだ」
ハーキュリーズ作戦は、帝国暦三七六年から三七八年にかけて行なわれた作戦で、辺境惑星連合の勢力圏に大きく進出して賊徒勢力圏を分断するために行なわれた。しかしながら、賊徒勢力圏が帝国軍の想定よりも広大で分断が不可能と判断され、各軍は進出宙域までを防備する形で皇帝直轄領を設置。これが新たに設けられた辺境宙域となり現在に至る。
「これと、私の総督としての任務に何の関係が?」
「この宙域を維持することは、帝国として些か費用対効果が薄い、と国土省と商工省が結論づけた」
「なるほど……」
「また、皇統会議でもこの宙域の放棄と縮小を主張する者もいたのでな。この機に開発が進んでいる第二三四宙域と統合し、国境宙域を整理しようというわけだ」
「お話は分かりましたが……」
「細かいことは、この計画の発案者に聞くがいい」
「はっ……どなたです?」
「卿もよく知る者だ。車を用意させてある」
柳井が宮廷仕官に連れられて部屋を出た後、大公は笑みを浮かべていた。
「これで成功すればよし、そうでなければ計画発案者の汚点になる……見せて貰うぞ柳井、卿の実力を」
近衛軍司令部
司令長官執務室
「やはり、殿下でしたか」
柳井が連れてこられたのは、この数年ですっかり見慣れた近衛軍司令部庁舎だった。
「我が愛しの参謀総長、お元気だったかしら?」
満面の笑みを湛えた近衛軍司令長官にして皇統公爵、メアリー・フォン・ギムレットに柳井は苦笑いを返す。
「その呼び方はピヴォワーヌ伯だけにしていただければ……」
元々ピヴォワーヌ伯国首都星、ラ・ブルジェオン沖会戦を含むピヴォワーヌ伯国防衛戦のあとに、伯国領主のオデット・ド・ピヴォワーヌ・アンプルダン皇統伯爵がそう呼び始めたのだが、公爵がそう呼ぶときは大抵柳井を茶化すときだった。案外子供っぽい人だと柳井は感じている。
「つれないのね、あなたを男爵にしてやったのはどこの誰かしら?」
「制度上は畏れ多くも皇帝陛下にございますれば、殿下」
「まったく……大公から話は聞いているわね?」
「ええ、まあ、大雑把には」
「ではこれを見なさい。この賊徒の領域に張り出した部分にある有人惑星から、全住民を退去させたい。惑星ゲフェングニス349が該当するわね」
楡の間で見せられたものと同じ宙域図だが、さらに細かな情報が表示されていたのを、柳井は注意深く見ていた。
「規模は……いかほどに?」
「二日前の段階で、捕虜三万二八四五名、更に収容所職員とその関係者、および星系インフラ維持の民間人合わせて二二三三万七九〇三名、まあ死んだり産まれたりで多少増減はあるだろうけど」
人口二〇〇〇万は辺境の惑星にしては大規模なものだった。
「二〇〇〇万を超える惑星を疎開……時間は?」
「既に賊徒の艦隊が集結しているという情報がある。本格的に編成を整え、第二三九宙域に侵攻開始するのは一ヶ月と見られている」
「一ヶ月で、惑星一つ丸々疎開させろと?」
「一ヶ月? あなた民間人を敵艦隊前面で避難させることが可能なの?」
「実質三週間程度、と」
「そういうこと……疎開した民間人は主にヴィオーラ伯国へ移住させる。インフラに余裕があるし、なによりもヴィオーラ伯国の国力増強に繋がるし」
「フリザンテーマ公やコノフェール候がよく許しましたね」
「それよ……内々の話だけれど、ヴィオーラ伯爵が引退を申し出ている」
柳井はヴィオーラ伯爵ナタリーの顔を思い出していた。上品な老貴婦人も、年には勝てぬということだろう、と納得して、もう一つの重大な点に気がついた。
「後任は誰に? まさか、殿下が?」
「内々の話よ。聞いたからには秘密は守って貰うわ」
「なるほど、殿下の腹が読めました……引き継ぐ国の国力を、今のうちに増強したいと」
これは帝国の防衛に関わる問題でもあり、皇統上層部の政争でもある。いよいよ自分もそういう面倒な事案に巻き込まれるのかと、柳井は溜息を吐きたいのを堪えるので必死だった。
「そういうことでもある。ただ、第一は当該惑星の住民保護よ。ピヴォワーヌの英雄柳井参謀総長の手に掛かれば、惑星の一つや二つ守ることは容易いだろうけど、生憎帝国はあの惑星に艦隊を派遣してズタボロにされるのは避けたいようね」
「私にも向き不向きや選択権が……」
「そんなもの、皇統になった時点でないわよ」
「承知しております……」
ぴしゃりと言われて、柳井は不承不承といった様子で頷いた。
「もちろん、これだけの事業、増強したとは言えあなたの艦隊だけじゃ無理よ。捕虜収容所のこともあるし、憲兵艦隊が増援に付くわ。入ってちょうだい」
隣室に控えていた帝国軍服、それも白襷と金モール付きの憲兵大佐が折り目正しい敬礼をして柳井の前に現れた。
「憲兵艦隊第二三九方面戦隊司令、タチアナ・アンドレーエヴナ・コルガノヴァ憲兵大佐です」
鋭い目つきと黒に近いグレーのショートカットはいかにも憲兵艦隊の士官という風格だと、柳井は帝国軍時代の記憶からそう感じ取った。
憲兵艦隊は帝国軍内部における秩序維持や警察業務を行なう部隊だが、地球帝国の場合、帝国軍の叛乱行動が発生した場合の掃討まで任務に入っている。独自の艦艇を所有しているため、憲兵艦隊と呼ばれているのだ。
「叔父が閣下の下でお世話になっているとお伺いしております」
「ああ、ワリューネクルの砲雷長のコルガノフか。彼の姪御さんだとは」
柳井は憲兵艦隊出身のユリアン・セルゲーイヴィチ・コルガノフ課長補の名前を覚えていた。若いクルーが多いワリューネクルの抑え役として信頼の置ける人物だと認識していた。
「あとのことは二人と、現地の行政府に任せるわ。期待しているわよ」
ギムレット公爵の笑みに、柳井と憲兵大佐は敬礼を返した。
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