第19話 公爵殿下の秘密司令

 帝国暦五八三年一二月一七日 一〇時〇〇分

 太陽系第三惑星 地球

 帝都 ウィーン 近衛艦隊司令部


 柳井はリーファ74での演習後、エトロフⅡの遠洋航海試験という名目で帝都を訪れ、近衛艦隊司令部に出頭していた。


「遠路はるばる済まないわね、柳井」


 柳井が公爵と顔を会わせるのは、これがはじめてではない。過日の海賊船拿捕作戦後、公爵の身柄を当局が引き取りに来るまで、ロージントン支社の支社長室で保護、というよりも監視させられていたからだ。その時点では、近衛軍司令長官に就任することなどはおくびにも出さなかったことが、先日の柳井達の驚愕にも繋がっている。


「公爵殿下のお招きとあれば、断る理由はございません。殿下に拝謁することが叶い、恐悦至極にございます」


 軍服に身を包んだ姿は、まごう事なき皇統公爵の位に相応しい風格だが、幼い頃から教育を受けた皇統貴族とは異なり、ざっくばらんな態度のギムレット公爵に、柳井は戸惑いをなんとか押し隠し、跪いた。


「ああ、やめてちょうだいそれ。嫌いなのよ、昔から」


 心底嫌そうな顔をしているギムレット公爵に促され、柳井は立ち上がった。


「はっ……それで、私をお呼びになったのは、どのようなご用件で」

「あなたに仕事を頼みたい」


 唐突なことに柳井は応答に一瞬間が空いた。


「公爵殿下の御意のままに……しかし、我が社の戦力で行える行動には、制限があります」


 アスファレス・セキュリティは全戦力を集めてもナンバーズフリートの二個戦隊程度にしかならない。それに対して近衛の司令長官が何を依頼するのか、この時の柳井には思い当たらなかった。


「今回の、というか今後しばらく頼む仕事はあなた一人、もしくは信頼できる部下数人で行えるものよ」

「それはいかなるものでございましょう?」

「東部軍管区の動静を、現場の人間の視点から分析してレポートとしてまとめてちょうだい。様式、内容はあなたに一任する」

「はっ。しかし何故です? 星系自治省なりに問い合わせれば済むのではありませんか?」


 星系自治省は文字通り自治共和国などを統括する官庁であり、各地の情勢は把握しているはずである。如何に縦割り行政、プライドの高い官庁の人間とは言え皇統公爵、近衛軍司令長官に問い合わせられれば、答えないはずはない。


掩体バンカーに籠もる連中に、大した分析なんか出来やしないわよ」


 星系自治省本庁舎は帝都にある庁舎の中で比較的新しい建造物である。その形状は遠目に見れば半円型のかまぼこ形。これを指して掩体バンカーと呼んでいる。また形状だけでなく、地下一〇〇mという異例の地下大深度に星系自治省治安維持艦隊の司令部が設けられていることも、この異名がついた原因でもある。もっぱら蔑称として用いられるため、星系自治省の人間に直接この異名を告げることは憚られるが、柳井は目の前の公爵殿下なら、面と向かって言いかねないと思っていた。


「私が欲しいのは生の現場の声。どうせ中央省庁のどこに頼んでも、様式から用語からガチガチの行政文書が出てくるだけでしょ」

「しかし私にお任せになるのは不適当なのでは」


 一会社員でしかない自分に、近衛司令長官が何らかの判断材料に使用する、もしくはそれに類するような情報を纏められるのかまったく確証がない柳井は、あくまでも固辞するつもりだった。


「あなた、自己評価もちゃんと出来てないの? 私だって伊達に辺境で海賊やってたわけじゃないわ。アルバータの叛乱鎮圧の手際を見れば判断くらいつく。あれは帝国官公庁、帝国軍、辺境の自治共和国、辺境惑星連合の行動や状況を正確に把握していなければできない行動よ。ボロ船と少数の陸戦隊だけで、ほぼ無血開城なんかできるもんですか」

「お褒めにあずかり恐悦至極に存じます……」


 退路が塞がれていくのを感じながら、柳井は頭を下げるしかなかった。


「少なくとも、政府お抱えの諮問機関のジジイ共より役に立つ。もちろんタダとは言わない。近衛軍司令長官へのコンサルタント業務として、アスファレス・セキュリティにも報酬を支払うし、それがあなたの給与に反映されるように上層部には話を付けてあげる。悪くないでしょ?」

「はっ」


 もはや公爵は柳井に仕事を依頼することは決定であると暗に告げた。柳井はそれに対し、畏まるしかなかった。


「あと、近日中に貴方の会社の筆頭株主が、帝国軍から私に移るわ」

「……今なんと?」


 れっきとした株式会社であるアスファレス・セキュリティは、当然その業務も株主の意向が大きく働く。今までは帝国軍が筆頭株主、というより帝国民間軍事企業の大半は帝国軍が筆頭株主、もしくは主要株主であり、民間軍事企業を暴走させないための枷でもある。これが帝国軍からギムレット公爵個人に移るということは、アスファレス・セキュリティを事実上ギムレット公爵の私兵のような運用も可能とするものだ。とはいえ、実際には帝国民間軍事企業法などに基づいた制約は残るのだが。


「帝国軍の民間軍事企業運用には無駄が多い。あなたのところ位ならもっと機動的な運用が出来るはず。戦力比がどうとか御託並べたってしょうがない。ものは使いようだものね」

「はあ」

「さて……悪いけど隣の部屋でコーヒーでも飲んで待っててちょうだい。次のお客さんのお相手をしなくちゃいけないのよ。また後で呼ぶわ」


 近侍の者が柳井を恭しく隣の部屋へ案内した。逃げる事も出来ず、柳井は促されるまま、隣室でコーヒーを飲むしかなかった。

 この間、柳井はこれからの我が身と自分の所属する会社の行く末に思いをはせていた。それもある程度のシミュレートが出来てしまったあとは、恐らく無形文化財級の陶工が手掛けたカップは自分のスーツ何着分になるのだろうかなどと考えていた。その間も隣の部屋では何らかの交渉が行われているようだったが、若い女と男の声だった。


『東部軍本部は惑星ロージントンにある。彼に送って貰いなさい。もういいわよ、出てらっしゃい』


 ようやくお呼びが掛かったが、どうやら自分はタクシー業務もやらされるようだと柳井は扉の向こう側へと向かった。


「彼……?」


 キョトンとした表情でこちらを見ている女性に、柳井は見覚えがあった。突然ロージントン支社へ来訪したかと思えば、戦艦を借り出したいと申し出た探偵だ。


「お久しぶりです。フロイライン・ローテンブルク」

「あー、確かアスファレス・セキュリティの柳井さん? なぜここに?」


 柳井は彼女もまた、何か厄介な仕事を公爵殿下に押しつけられたものと考え、曖昧な笑みを浮かべた。


「なに、あなた方同様、わたしも帰る先が収容所になるかもしれないと脅されたもので」


 なるほど。公爵の秘密――公然の秘密かもしれないが――を知っている人間同士組ませたということか、と柳井は今後ローテンブルク探偵事務所に依頼する事が増えそうだと考えていた。


「あなたたちの調査結果を楽しみにしているわ。失望させないでね」


 そのときの公爵殿下の顔といえば、悪魔が人間の姿をして人心を弄ぶときの表情はこんなものではないかと想像してしまうほど、満面の笑みを浮かべているように柳井には見えた。とにもかくにも、フロイラインと助手をエトロフⅡに乗せ、一路ロージントン支社へと戻っていく柳井であった。


 一二月一八日 九時三〇分

 軌道都市〈アウグスタⅠ〉イーストサイド・ポート

 アスファレス・セキュリティ ロージントン支社


 柳井が帝都から戻って数日、アスファレス・セキュリティロージントン支社の支社長室で――未だ荷解きもされていないコンテナが山積みである――本社に残した事務長の、モニター越しの渋面と対面していた。


『……柳井部長、私はあなたの部下ですから、あなたの命令とあらば帝国軍の最新鋭戦艦だって調達するくらいの覚悟はありますよ? ですが、事情はどうあれ、これがワークステーション程度ならわかりますが、仮にも戦闘艦を買い換えろというのは』


 超空間通信の状況はクリアで、彼の眉間のしわの一本一本までが、高精細なモニターに映し出されている。


「わかっている、わかっているさマルコシアス。君の苦労はよくわかっている」


 柳井が依頼したのは、護衛艦隊のタランタル級重コルベットを全て入れ替えできないか、ということについての検討だった。


『そう返されたら、私が文句を返せないじゃないですか。とりあえず、ロージントンの辺りで手配できそうな艦艇をリストにして、明日の昼までには送付します』

「頼んだよ、マルコシアス」


 わずかな画面の揺らぎのあと、通信を終えたモニターには、アスファレス・セキュリティの社章が映し出されるだけになった。


「マルコシアスも大変ですね。うちの会社で艦艇新規購入が通ったのは、部長がジャンカイ級の輸送艦を入れて以来だから、一〇年近くっていますが」

 

 同席していたホルバインはため息をついていた。


 柳井は、先日の演習である事実を認識せざるを得なかった。エトロフⅡとワリューネクルはともかく、残る護衛艦シムシル、アライド、クナシリの三隻は、ほぼ戦力外となるということを。


 そもそも、これらのタランタル級重コルベットは、数十隻からなる輸送船団の外郭防衛線を担うピケットで、数を揃えてこその艦艇。わずか三隻しか配備されていないアスファレス・セキュリティの現状では戦力としては物足りない。柳井としてはほぼ戦力として計算できないと結論づけていた。現状は小規模な依頼ばかりで、襲撃してくる敵もチンピラに毛が生えた程度とはいえ、それでも限界は見えている。だからこそ、早期に戦闘力の充実した艦艇に一新しなければならないというわけだ。


 一二月一九日 九時〇〇分

 支社長室


 翌日、柳井に送られてきた報告書は、柳井も顔をしかめるような内容であった。


「おいおいマルコシアス。今更タランタル級のフライト4とジブラルタル級のフライト1なんて冗談だろう。予算からして、最低でも駆逐艦が手配できるはずだ」


 タランタル級重コルベットフライト4は現状維持以外の何物でもなく、第二案のジブラルタル級フライト1は、星系自治省治安維持艦隊など、本格的な対艦戦闘を行わない場所で使用されるものだ。戦闘力の限定的な小型艦では、この先の業務拡張にも対応できない、と柳井は考えていた。


『本体の入手価格だけでなく、それを我が社の艦艇として使えるようにする予算も込みだと、このくらいしか……』


 申し訳なさそうに目を伏せたマルコシアスに、柳井は自分の言葉が適切でなかったことを察した。アスファレス・セキュリティは現在の経営陣になってから業績は改善しつつあるとはいえ、帝国の数ある民間軍事企業の中では弱小零細のらくいんは避けられないもので、潤沢な資金の投入される大手とは状況を比べるべくもないのだ。


「いや、私のほうこそすまない。だが、なにもセンチュリオン級の重戦艦を欲しがっているわけじゃないんだ。経理部に掛け合って、もう少し増額できないか」


 帝国軍艦政本部の傑作。センチュリオン級は帝国軍ナンバーズフリートの現役こそ退いたものの、民間軍事企業の艦艇としては現在でも高い人気を誇る。購入するとなればそれなりの出費が伴うことも柳井は把握していたから、そんなことをいうつもりは毛頭なかった。だが、続いたマルコシアスの言葉に、柳井は耳を疑った。


『直近半年で。中古戦闘艦の本体入手価格が高騰してるんですよ。特に戦闘力の充実した巡洋艦クラスから、年式の新しい駆逐艦クラスで』

「……中古戦闘艦の市場が高騰している? 何かあったか」


 需要と供給という概念がある以上、中古とはいえ戦闘艦の需要が高くなれば、当然供給側は値段をつり上げてくる。ただ、去年までは大きな変動がないことも、柳井は認識していた。帝国軍は定期的に古くなった艦艇を民間軍事企業に売却しているし、大手民間も同様に、不要になったものを市場に放出し、安定供給がされている。それに目に見えた変化があるということは、何らかの情勢の変化があったと見るべきだ。


『辺境事情は部長のほうがお詳しいでしょう。最近領邦軍が防衛艦隊を強化してるとかで、状態のいい中古艦が減ってるんですよ』

「ああ。妙に物々しいとは思っていたが」


 領邦軍はもちろん、同業他社の軍備状況は、柳井のようにへいたん事務などを専門としていた男でも目を通しておくのが、この業界で生き抜く人間の常である。ただし、東部方面軍管区に限っても、活動している軍事企業は百を超え、自治共和国は千を超えるので、全てを詳細に把握できているわけではなく、雰囲気で感じ取っているに過ぎない。


『こちらでも調べてみましょうか?』

「辺境事情ならロージントンのほうがわかる。君に苦労は掛けないよ」

『何を今更。また変化があれば連絡しますよ』


 本社内での護衛艦隊の政治的プレゼンスを維持するために、柳井はあえて主だった事務部門を東部から遠く離れた帝国本国に残している。その部署を預かるマルコシアスの苦労は、柳井をして自分なら辞退したいというものである。護衛艦隊司令部発足の際、柳井からの要請を受けて総務部から籍を移したマルコシアスへの苦労を減らしたいというのは、柳井の本音だった。だが、マルコシアスのほうもそれは理解しながら、軽口を叩くことも忘れない。

 とにもかくにも、護衛艦隊は現状を維持するにとどまらず、戦力を増強すべきという認識が、社内の総意として認識されるには、まだ時間が掛かりそうだと、柳井は一人溜息をこらえていた。


 一二月一九日 二三時三〇分

 イーストサイドパレス・アウグスタ

 603号室


「……東部軍管区の平穏は保たれている、か」

 

 アスファレス・セキュリティロージントン支社から徒歩で二〇分、共用自動車なら五分と掛からない位置に、柳井は現地での居を構えていた。本国の低軌道リングにある自宅同様に、殺風景で生活感が見られないのは彼の趣味趣向によるものだが、彼自身が自宅で行うことが限られているからに他ならない。


 つまりは、人間に必要な最低限の生理欲求である食事、睡眠の他、読書、そして帝国領内で起きる大小様々な事件・事故の類いのチェックだ。その一環として、彼は東部軍管区の公式サイトを見ていた。管区内渡航情報を見る限り、紋切り型のメッセージが映し出されているだけだが、仮にも帝国軍の実戦部隊の経験を持つ柳井としては、それを額面通りに受け取るわけにはいけかない。


「殿下が現場の声が欲しくなるのも、うなずけるな」


 ギムレット公爵による採用試験とでも言うべきレポートの資料をまとめながら、柳井は独りごちた。


「さて、どうなることやら」


 神ならぬ身では、この先の帝国の歴史がどう動くか見通すことはできないにしても、何らかの厄介ごとは大小関わらず起きているのだから、考えるだけ無駄というものだ。厄介ごとは足をつけてこちらに近寄ってくる。そういったホルバインの言い草を、柳井ははんすうしていた。


「全く、近寄ってくるなら美人の女性くらいにしてほしいものだ」


 柳井は、手元のグラスに注がれたウイスキーを飲み干すと、ワークステーションの電源を落としベッドへと向かうのであった。

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