第18話 巡洋艦エトロフⅡ〈後〉
帝国暦五八三年一二月一五日 九時五六分
東部軍管区 リーファ74星系
巡航戦艦ワリューネクル ブリッジ
海賊船ブラッディ・メアリー号改め巡洋艦エトロフⅡの初演習の相手は、護衛艦隊随一の暴れ馬、巡航戦艦ワリューネクルが選ばれた。
巡航戦艦は、帝国軍の古い時代の艦種であり、装甲は薄いが火力は戦艦に並び、機動力と航続力は巡洋艦と同等である。アスファレス・セキュリティでも一、二を争う旧式艦だが、火力、機動力ともにチューンアップされた現在、その実態は帝国軍最新鋭の高速戦艦にも劣らないものになっていた。シールドジェネレーターの故障が絶えないという欠点を除いては。
「普段の恨みつらみをまとめてお返しできるチャンスだ。今日くらいは柳井部長の苦虫顔が見てみたいものだな」
ワリューネクル艦長、アルブレヒト・ハイドリヒ課長は三六歳。元々他の民間軍事企業の駆逐艦長だったのだが、五年前に転職してきてからはじゃじゃ馬なワリューネクルとの相性が良かったものの、艦そのものがどこの艦隊でも持て余すものだったため、鬱屈とした日々を過ごしていたこともあった。そして、このじゃじゃ馬に乗りたがる艦長もいないので、異動の予定もなかった。しかし、彼は、十分な活躍の場が与えられる今の仕事にもぼやきが止まらなかった。なぜなら、柳井義久という護衛艦隊司令部長は、とにかくワリューネクルを有効に――というよりも、かなりの重負担を強いて――使用していたからだ。
「普段の仕返しですか。大抵そういうこと
副長のミヨ・ハンフリーズ係長は、ハイドリヒのぼやきや愚痴に対して正論を述べる癖があった。
「やかましい! 電子妨害開始。接近して主砲を打ち込むぞ。相手は戦艦級の火力を持つということを忘れるな! 航海長、こちらは機動力でエトロフに勝る、ケツを取って絶対に離れるな!」
「やれやれ。あとが怖いなぁ、部長に泥をつけると」
航海長リベリオ・バレストラはぼやきが多く、その点では艦長であるハイドリヒに並び立つ人物として有名である。無論、操艦技術のほうも、ワリューネクルの特殊性とハイドリヒの無茶な指示について行くだけの技量を持つ
「ぼやくなバレストラ。我が司令と旗艦の勇戦に期待しようじゃないか」
帝国軍憲兵艦隊出身のユリアン・コルガノフ係長は、平均年齢の若いワリューネクル乗組員の中では最年長の四五歳。
「砲撃開始!」
同時刻
エトロフⅡ メインブリッジ
今回演習宙域として選ばれたのは、東部軍管区恒星リーファ74。大気がない鉱山惑星がいくつか浮かぶ星系で、最大にして唯一の惑星リーファ74aは木星型惑星でかつての衛星のなれの果てといえるリングと、薄暗く太陽光を反射する衛星グレーダが浮かんでいる。それ故に軌道都市やコロニー群、往来する船舶がないために、帝国軍や民間軍事企業がよく利用する演習場として有名である。ちなみに、この惑星系を所有するパイ・スリーヴァ・バムブーク侯爵家の収入源の一つとなっているのだが、良心的な利用料も幸いし、
『荷電粒子砲、本艦近傍を通過』
「容赦がないなぁ、ハイドリヒは」
エトロフⅡの人工知能は、先ほどから常に至近弾の警告音声を垂れ流しているが、さすがは最新型。旧式のエトロフと比べて柔らかな音声になっていると柳井には聞こえていた。ただ、多くの軍事企業所属艦では、警告音声はミュートされるのが常だった。
「部長、恨まれてるんじゃないですか? 敵陣に突っ込ませるから」
現在、ブリッジの中には旧エトロフのブリッジクルー、つまりホルバインと柳井以外にはニスカネン、カネモトしかいないわけだが、柳井以外の全員は、ホルバインの言葉にうなずいていた。
「そうかな……ニスカネン、いけるか?」
「火器その他、全システム正常作動を確認」
ニスカネンは、旧エトロフで一〇年近くを過ごしていたが、エトロフⅡの火器管制システムをはじめとする各種コンピュータの立ち上がりの早さに驚いていた。艦隊旗艦としても運用できるスペックを持つ艦だからこそできる芸当である。
「ハイドリヒのことだ、再接近して後方に回り込んでけりをつけるつもりだろう」
柳井も護衛艦隊司令部長として、所属艦の艦長の癖くらいは把握していた。アルブレヒト・ハイドリヒ課長補佐率いるワリューネクルの基本戦術は、機動力を生かして敵を翻弄し、戦闘艦で最も武装と装甲の少なくなる後方艦尾側から接近し、一気に戦闘力を奪うというものである。戦闘機のような機動ができるワリューネクルと、乗艦の性能を正確に把握した艦長、それに追随する操艦・火器管制を行うクルーとの人馬一体となった、彼らならではの戦法である。
「前方リングに針路を取れ。開けた空間でワリューネクルとやり合うのは分が悪い。よろしいですね、部長」
もちろんホルバインにしてみれば、相手が有利な状況に付き合う必要はない。同僚とはいえ模擬戦形式。同じ船乗りとしても、新しい乗艦の初戦としても負けるわけにはいかない。
「艦長の判断に任せる。今回私は、ただの荷物に過ぎんよ」
クッションの効いたソファのような指揮官席で、柳井は悠然と応えた。実際、柳井は帝国軍で戦艦副長、アスファレス・セキュリティで戦艦艦長を勤めた経験があるとはいえ、本職の艦艇指揮官としての経験は浅く、ホルバインに実戦指揮は全て委ねている。アルバータ星系でも、基本的な方針こそ柳井は指示こそすれ、実際の指揮はホルバインが執っていたのである。
「それはどうも。我々がワリューネクルを沈めた暁には、給与査定にも良い影響があると信じてますよ」
「それはもちろんだとも。逆なら、ハイドリヒ達の給与査定が上がるだけのことさ」
柳井とホルバインのにこやかな会話を、残りの二人はうんざりした顔で眺めていた。
一〇時二〇分
巡航戦艦ワリューネクル ブリッジ
「艦長。エトロフ、リングの密集帯に針路を取りました」
航海長の報告に、ハイドリヒは
「まあ、そうくるだろうな。しかし
「高速・高機動の相手に対して、それを殺すのは戦いの基本です。ホルバイン艦長は、基本に忠実なお方ですから」
「俺が基本から外れた規格外品みたいな言い方をするな! あと基本に忠実なのは悪いことではないぞ。堅実というんだ、それは」
「みたいというより、その通りだと申し上げているのです。堅実さでいえば、ホルバイン艦長は艦長と真逆ですね。クルーも安心して乗っていられるでしょう」
「やかましい! 俺の指揮に不安があるのか!?」
「これも給料のうちと納得しています」
「言うに事欠いてなんてことを言うんだお前は!」
ブリッジクルーは、ハイドリヒとハンフリーズのやりとりを漫才のようだと思いつつ、各々の職務に集中していた。いずれにせよ、リングの密集帯では索敵効率も落ちるうえ、早くにリングに突入したエトロフのほうが地の利を得ているといえるからだ。
「艦長、追撃はなさいますか?」
「当たり前だ! ホルバインのやつ、こざかしい
「セリフが悪役のそれですね」
「うるさいっ! エトロフの追尾はできているな?」
「はい。リングを直進してより低軌道のエリアに抜けるつもりのようです」
「よし、最短ルートで距離を詰める」
一〇時三二分
巡洋艦エトロフⅡ メインブリッジ
「ワリューネクル、リングに突入しました」
カネモトの報告に、ホルバインはワリューネクルのブリッジの様子を想像していた。血の気の多いハイドリヒの性格を、ホルバインはよく理解していた。
「ハイドリヒのやつ、ムキになってるのかな。ニスカネン、砲撃準備は?」
リングの大きな氷塊を
「できているが、リングの粒子が邪魔で主砲は有効弾が出ないぞ」
「構わない。副砲、電磁砲用意。
演習弾は、飛翔特性や砲弾質量などは実弾同様に調整されているものの、着弾する弾頭部は樹脂製で、仕込まれたマイクロチップが着弾した艦艇のセンサーに着弾したことを検知させる仕組みになっている。
「榴散弾ではワリューネクルの装甲は抜けんが、いいのか?」
「いいから……部長、デコイの制御お任せしてすいませんが、もうしばらく頼みます」
「ああ。構わないさ」
ニスカネンが火器管制、ホルバインが操艦、カネモトが索敵と通信を担当するということは、手の空いた人間はブリッジ内で柳井のみであった。ホルバインはリング内を抜けるまで主機関を停止し、姿勢制御用の低温ガスジェットと慣性航行を組み合わせた操艦を自分で行い、柳井にデコイの制御を行わせていた。その様子を見ていたカネモトは、柳井が悠々と指揮官席に収まっているのを、ホルバインはいたずら心から作業に引っ張り出したのではないかと考えていたが、その真意を知るのはホルバイン本人のみである。
「では、行こうか。ニスカネン、攻撃はじめ」
「了解! 各砲座、撃ち方用意……撃てっ!」
同時刻
巡航戦艦ワリューネクル
ブリッジ
「天頂方向より砲撃!」
珍しくハンフリーズが声を張り上げたので、ブリッジ中が副長席に振り返った。
浮遊する岩塊や氷塊は、ワリューネクルの姿をすっかりと覆い尽くすように展開しており、それだけでなく、細かな粒子も多いリング内に対して、荷電粒子砲を用いた砲撃は拡散してしまい、有効弾を得るのが難しくなる。
「対砲レーダーに感あり。電磁砲弾、あと一〇秒で着弾」
「リングの外からだと?! 正面の反応は……」
「しまった、デコイです! 同一反応を本艦上方、距離一二〇〇〇に確認。敵砲弾着弾……さらに敵砲弾、続けてきます」
実体弾によるエトロフⅡからの砲撃は榴散弾を主体としている。非装甲の船舶やミサイルなどへの迎撃に使用される弾頭だから、有効弾を与えるには至っていない。そのことを
「艦長、エトロフの動きがよくわかりませんが、何か策があるのかもしれません」
「だとしても、狙いの甘い実体弾とデコイで何ができる」
逆に問いかけられたコルガノフは、答えることができない。ただ、これは彼が無能だからというわけではない。ハイドリヒの二倍ほどの軍歴を持つ彼だからこそ、勘というものが働いていた。
「回避運動取りつつリングを抜ける。リングを出次第最大加速だ。一気に距離を詰めて、一撃で決めるぞ」
艦長は熱くなりすぎている。ハンフリーズはそう感じたが、言ったところであまり効果はないだろうしと、気の進まない指示を実行に移した。
一〇時三四分
巡洋艦エトロフⅡ
メインブリッジ
「部長、デコイの制御はまだ生きていますか」
「ああ、そろそろワリューネクルの真後ろに回り込ませられるが」
「はい、ではそのまま最大加速で突っ込ませてください。迎撃されて起爆すればそれもよし、これでチェックメイトです」
ホルバインは今までタランタル級などという、対空護衛艦に乗せられていたので、きちんとした装甲、砲撃力を持った艦に乗り込んだことで張り切っている。今回彼は少々手の込んだ作戦を立てていた。ワリューネクル最大の武器である機動力を殺したことで、艦長のハイドリヒはかなり苛立つであろう。あえて姿をさらして、効果のない砲撃を繰り返すことでさらにハイドリヒを挑発。同時に散弾で岩塊や氷塊を破砕し、ワリューネクルの目を潰す。デコイは現在でも稼働中で、これをワリューネクル背後から突入させることで打撃を与えようというのがホルバインの作戦だ。
「しかしまあ、お前はハイドリヒに個人的な恨みでもあるのか?」
見事に策に
「今まで護衛艦隊の火力リソースはワリューネクルだけだっただろう? でかい顔はさせておけないからな」
「護衛艦隊の先輩としての意地か?」
「まあ、そんなところだ」
ニスカネンの問いかけに、ホルバインはさわやかに笑って答えた。
「ニスカネン、デコイが起爆したら距離を詰めるから一撃で決めてくれ」
「……部長といいお前といい、またそういう無茶をだな」
アルバータ星系での一件以来、完璧に柳井と似てきたホルバインの指示を、ニスカネンはなんとか実行に移すべく、コンソールのキーボードを叩き始めた。
一〇時四一分
巡航戦艦ワリューネクル ブリッジ
「まもなくリングの密集帯を抜けます」
「リングを出次第最大戦速! こちらのほうが射程は長い。アウトレンジで決めてやる」
「艦長、後方から急速接近する物体……エトロフⅡのデコイです!」
「まだ生きていたのか! 迎撃!」
ハイドリヒの判断は至極もっともだったが、相手がホルバインと柳井のコンビだということが、彼の不運だった。
「デコイに直撃」
ハンフリーズの報告を聞いたハイドリヒは、この時点ではまだ、自分の勝利を確信していた。デコイに目が向いていなかったのはともかくとしても、チェスでいえばチェックメイト。デコイに直撃でもされようものなら話は別だったが、ミサイルほどの加速もしないデコイごときに落とされるワリューネクルではない。
しかし、彼はホルバインという男が、今までと同じ人間と思い込んでいた。彼は柳井義久という人間に感化された状態ということを認識していなかった。柳井の思考ルーチンを、ホルバインは戦術レベルに応用してくる人間になっていたということを。
「レーダー、センサー、使用不能。電磁パルス弾頭を仕込んでいたようですね」
「エトロフの砲撃がぶっ飛んでくるぞ!
ハンフリーズの報告で、ワリューネクルの全索敵機能が停止したことを認識したハイドリヒは、矢継ぎ早の指示と悪態を吐き出す。高機動艦艇の艦長職には必須のテクニックではないが、ハイドリヒは悪態と的確な指示を同時に出力する特技を持っていた。
「戦闘に卑怯もなにもないと思うのですが」
「やかましいっ!」
同時刻
巡洋艦エトロフⅡ メインブリッジ
「ジャミング弾頭、
ホルバインはデコイにジャミング弾頭を仕込み、ワリューネクルの目と耳を潰したのである。
「回避運動を予測に入れたうえで砲撃」
「あいよ。主砲、副砲一斉射撃用意、てぇっ!」
いくらワリューネクルが高機動とはいえ、正確な状況判断を欠いた回避運動は、有効性を欠く。ましてエトロフⅡは、数百隻に及ぶ艦の姿勢制御スラスタの一つ、CIWSの一つに至るまでを統括制御できるような計算能力を持つメインフレームが搭載されていた。ワリューネクルの機動はそれらにより計算された予測のうちの一つから外れるほどのものではなく、放たれた主砲の演習用レーザーは、過たず回避運動に入った巡航戦艦の機関部に直撃判定を与えた。
『敵艦、航行不能判定』
人工知能の音声が事実を伝える。ワリューネクルも同時のその判断が出たのか、回避運動のための盛大なプラズマ噴流を一切停止し、慣性航行に移っている。
『一本取られた。だがホルバイン、お前性格悪くなってるぞ。誰のせいだ』
「さあ、誰のせいだろうな」
「君らはホルバインの戦術から出る性格が、誰か特定人物のせいで悪くなったとでもいうのかな?」
『さあ、それは部長の思い違いというものですよ。なあホルバイン』
負けてすがすがしい笑顔を浮かべているハイドリヒという男は、裏表のないはっきりした人物である。ただ、この会話を聞いていた人間はこうも思っただろう。ハイドリヒも、徐々に柳井義久という男の影響を受けつつある、と。
「さて、ワリューネクルは落としたが、どうする? ブラウン、ガンボルト、パン。君らは束で掛かってくれても構わないぞ」
各護衛艦の艦長達は、このあとエトロフⅡ相手に完敗の憂き目にあった。
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