案件02.5~公爵殿下の秘密指令

第17話 巡洋艦エトロフⅡ〈前〉

 帝国暦五八三年一二月一四日 九時五〇分

 軌道都市アウグスタⅠ イーストサイド・ポート

 アスファレス・セキュリティ株式会社 ロージントン支社


 アスファレス・セキュリティがとある探偵事務所からの奇妙な依頼を済ませてから数日後。いつものように事務仕事を片付けていた柳井をホルバインが血相を変えて呼びに来た。


「部長! 来てください!」

「なんだホルバイン。帝都でクーデターでも起きたか?」


 柳井も何事かと事務所の打合せスペースに置かれたテレビを見にいく。ホルバインが指さす画面を見た瞬間、柳井はその場で凍りついていた。 


『卿に皇統公爵の位を与えるとともに、近衛大将、近衛軍司令長官の職を命ず』

『勅命謹んでお受けいたします。私、メアリー・フォン・ギムレットは皇統公爵として、また近衛司令官として皇帝陛下の剣となり盾となることを誓約いたします』


 深紅の軍服にマントを羽織った、あの強気な女性海賊が、今まさに帝都のライヒェンバッハ宮殿、いばらの間で任命式を行うところだった。柳井達は知る由もないが、同じ頃、帝都のローテンブルク探偵事務所でも同じ光景が繰り広げられていた。


「我々はとんでもない人間と関わってしまったのかもしれんな……」


 ようやく言葉を発した柳井の顔からは血の気が引いていた、とホルバインは戦友ニスカネンに語ったという。


「ブラッディ・メアリー討伐に関する記録の類いは全て最重要機密事項に指定! 先の案件について箝口令を出す。取材等も全て断れ。本社にも緊急連絡!」


 柳井が矢継ぎ早の指示を下すと同時に、事務所の全端末に地球本社から同様の通達が送付されてきた。


「昨日付けの官報にも軍報はそんなこと書いてなかったんですが……」


 官報に目を通したホルバインが唖然としている。柳井も同様だった。民間軍事企業の仕事は、とかく帝国軍や帝国官公庁の人事にも影響を受けるから、官報や軍報に目を通すのはルーティンワークのようなものだった。しかし、ここ数日のものに目を通しても、メアリー・フォン・ギムレット公爵令嬢が近衛軍司令長官に就任することなど書いていない。特別徴税局という国税省の外局の実務部長に猫が就任したとか、北天軍管区の練習艦隊の名誉参謀にペンギンが就任したなどというジョークのようなことまで書き記すほどである。近衛軍司令長官の人事が官報に載らないことなどあり得ない、はずだった。


「どこの関係筋も漏らさなかったか、あるいは皇帝陛下の鶴の一声か……」


 少尉以上の軍人の配置転換、昇進などは官報や軍報で公告されるのが普通で、それに加えて大臣、長官、艦隊司令官クラスなどは公告以前に各メディアでニュースになる。数年前に近衛は高級幹部の収賄、脱税が明るみになり、司令長官は空席のまま皇帝直轄となっていた。そこへ来てのギムレット公爵の叙任と同時の司令長官着任である。誰であろうとこの人事は驚くものだった。


「……あとはあの船の取り扱いか」


 柳井は事務所の港側の窓から見える海賊船を見下ろした。


「部長! 東部方面憲兵隊司令部が出頭を求めてきていますが……」


 ホルバインの言葉に、柳井は露骨に嫌そうな顔を浮かべた。


「厄介ごとは足を付けて歩いてくるか……留守を任せる。戻ってこなかったら君がロージントン支社長だ」

「それはゾッとしませんね」


 ホルバインも露骨に嫌そうな顔を浮かべたのを見て少々気持ちが楽になった柳井は、アウグスタⅠの隣接軌道都市であり、東部方面軍憲兵隊司令部のあるロージントン鎮守府へと向かった。


 一二月一四日 一〇時三一分

 ロージントン鎮守府

 憲兵隊司令部


 憲兵隊は軍隊内部の規律維持のための組織で、帝国軍では万が一の場合領邦軍や自治共和国の防衛隊などを相手にしなければならないので独自の艦隊まで保有する大規模な組織である。それ故に柳井のような民間人を呼び立てることは本来ならあり得ないことだった。


「まあ柳井さん、おかけになってください。別にあなたを収容所に送ろうとか、そういう訳ではありませんので」


 柳井を出迎えたマブフート憲兵大佐は、鷹揚な態度で着席を勧めた。やや不穏なジョークは彼の悪癖である。


「それは安心しました。帰り道で行方不明だけは勘弁願いたいところです」


 悪癖と言う事なら柳井も負けていない。デッドボールを狙ったつもりが見事に打ち返された憲兵大佐は、苦笑いを浮かべた。


「本題に入りましょう。本日お呼び立てしたのは、別にあなたを取り調べようというわけではありません。伝言を頼まれていまして」

「伝言?」

「今日、帝都標準時一〇時に近衛軍司令長官になった方からです」

「ギムレット公爵殿下ですか……」


 憲兵大佐は柳井の言葉に頷いた。


「はい。あなたの会社が拿捕した海賊船については、好きに処分して構わないとのことです」

「そうですか……船籍登録通るんですかね、あれ」

「さあ、私からはなんとも。ただ、もしお使いになられるなら、運輸局と軍管区政庁、航路局には根回しが出来ます。それと、報道各社への根回しは済んでるから、大手からの取材はないだろうと。まあゴシップ誌の類いはそちらで善処しろとのことで」


 なるほど善処か、と柳井は溜息を堪えるので必死だった。アルバータ自治共和国の件でも、結局否定したのにあちこちで勝手なことを書かれて迷惑しているのに、それに加えてこれか、と。


「なるほど」


 悪態の一つでもつきたい柳井だったが、彼はそれなり以上に自制心を備えていたし、それ以前に四〇を過ぎた大人の男である。全ての感情をなるほどの一言に詰め込み、その場は堪えた。


「最後に、近日中に帝都に呼ぶから、心積もりだけはしておけと」

「帝都に……近衛司令部ですか?」

「はい」

「……私の命の保証は誰がしてくれるんですか?」

「まあ、帝都で不審死を出すような迂闊な人ではないですよ。内務省もその点だけは保証してますから」


 形式的には海賊討伐の戦訓を聴取されたということで、柳井の身柄は無事解放されたが、柳井には何か見えない鎖のようなものが繋がれているような、嫌な感覚だけが残った。そしてそれは勘違いなどではなく、近日中に現実となる。


 一二月一四日 一二時一一分

 軌道都市アウグスタⅠ イーストサイド・ポート


 過日、アスファレス・セキュリティ護衛艦隊が請け負った海賊討伐の折にかくされた海賊船ブラッディ・メアリー号は、その処分が定まらぬまま、護衛艦隊の係留場所であるロージントン軌道都市アウグスタⅠ港湾区に、その深紅の船体を浮かべていた。


「結局、こいつの処分はこちらで、ということですか」


 元護衛艦エトロフ艦長、エドガー・ホルバインはろんな目で、船体側面の髑髏どくろを見つめていた。

 公式記録には一切残っていないアルバータ星系の反乱とその鎮圧作戦のあとホルバインはこの数ヶ月をロージントン支社付きの課長代理として過ごしていた。無論、この間にも様々な雑事をこなし、支社機能の構築に勤しんでいる。


「ああ、公爵殿下はそう仰せだそうだ。お言葉に甘えて使わせて貰おう。艦種別的には巡洋艦クラス。通信機器もこのクラスの艦艇としてはずば抜けているし、居住性も良いから、他の護衛艦の母艦にもなれる」


 柳井義久は護衛艦隊司令部長。アスファレス・セキュリティ部長代理。彼の指揮の下、護衛艦隊はアルバータ星系の反乱鎮圧に従事した。無論、これも公式記録にも、社のアーカイブにも記録されていないことである。


「まあ、これだけ手を加えられていたら、まともな市場では値がつきませんからね……状態は良いですから、少し整備すれば使えるとは思います。船体色はどうしますか?」


 このときホルバインは深紅の対ビームコーティング兼用塗装を見て、いささかめまいを感じていた。護衛艦隊技術中隊の調査の結果、この海賊船が皇室用重クルーザーのインペラトール・クラウディア級だと判明しており、軍事企業の所有艦艇としては高級すぎるものであった。戦艦クラスの主砲に加え、高度な通信設備はナンバーズフリート数個艦隊を指揮統率するのにも十分で、両手の指で数えられる程度の艦しか所属しない護衛艦隊にはオーバースペックだった。


「……このままで良いんじゃないか?」

「え? 真っ赤ですよ?」

「この艦を塗り直す費用があるなら、他の艦の整備に使いたい。ああ、髑髏くらいは消しておこう」


 柳井という男は、実用性を重んじる性格で、それ以外のことはあまりこだわりがなかった。仮にも自分が座乗する旗艦が極彩色だとしても、彼にとってそれはさほど重視する点ではないのである。第一、乗っていれば外装など見えないのだから。


「艦名登録は、エトロフⅡで申請しておいてくれ」


 この海賊船の新たな名前を決めたときの柳井の思考は、ともにアルバータ星系に赴任していたホルバインとしては、瞬時に察するところだった。


「先代にあやかり、ですか?」


 船乗りという人種は縁起を担ぐもので、縁起のいい艦名を引き継ぐというのは不思議なものではない。


「そうだな。先代の運の強さに期待しよう」


 護衛艦エトロフは、柳井がホルバインと出会う以前から困難な現場への投入が続けられており、ホルバインが艦長を拝命するよりも前から生き抜いてきた歴戦の古強者ふるつわものであった。それを意識したことは、決して柳井やホルバインの考え方が特異なわけではない。ただし、二人の脳裏に去来するのは、直近の事件のことであった。


「今度の仕事場は、アルバータのような事態にならなければ良いのだが」

「さあどうでしょう。厄介事は足をつけて向こうから歩いてきますから」


 結局のところ、この二人の組み合わせというのは、柔軟性と合理的思考が重合し、程よい規律と開放感を隊内にもたらす結果となったのである。


 一五時五一分

 エトロフⅡ ブリッジ


 運輸局などへの登録が済んだ後、晴れてエトロフⅡはアスファレス・セキュリティロージントン支社所属の巡洋艦として就役した。拿捕したときに出来た被弾箇所の補修と髑髏を消した以外は、ほぼそのままである。


「ブリッジも前に比べて広いな……」


 所狭しとコンソールが詰め込まれた旧エトロフに比べると、容積で一〇倍近いブリッジである。まるで演劇の舞台のような指揮官卓は、本来の用途であれば皇統貴族が座ることを想定している。


「通信設備はアドミラル級戦艦の旗艦仕様に準じていますから、その気になれば三個艦隊くらい統括指揮できますよ。武装もそこらの戦艦には負けません」


 先に火器システムなどの調査をしていたニスカネンが、ため息ともにブリッジ内のフローティングモニターに艦載火器の一覧を映し出す。


「主砲が全部で四基、副砲が二基、ミサイル発射管が一二門? 海賊船としても結構な重武装か」


 皇室クルーザーとはいえ、万が一のときには自力で敵の攻撃を撃退し、味方の勢力圏内に逃げおおせる力が必要とされている。これは人類が太陽系の狭い範囲内だけで生活していた頃の名残であり、現在の帝国で皇室クルーザーが直接敵の砲火にさらされるようなことはないが、慣例としてこういった重武装が当然のものとされていた。


「ニスカネン、巡洋艦級の火器管制の経験は?」

「これでもエトロフの前は第一艦隊のタウシュベツで砲雷長をしてたんです。任せてください」


 旧エトロフ副長兼砲雷長のダニエル・ニスカネンはこの年三一歳。ホルバインと同い年である。ちなみに柳井が四〇歳である。ホルバイン同様、ニスカネンもアスファレス・セキュリティ叩き上げの係長補としてエトロフ砲雷長を務めていた。通常、帝国軍の巡洋艦クラスのブリッジクルーは部署長一人に対して三人ないし二人の部下が配属され戦闘中のコントロールを行う。しかし、民間軍事会社では人員数の都合がつかない例も多く、ほとんどは部署長とは名ばかりの単独管制が主となる。これは帝国艦隊に比べて戦闘を行う回数が少なく、かつ長期戦になることが少ないことも関係している。移動時など当直に一名居れば現代艦船は問題ない。


「艦が大きくなる分、追加のスタッフも欲しいところですね」


 エトロフⅡのクルーは、大半が廃艦となった旧エトロフのクルーを横滑りさせていた。エトロフの属していたタランタル級重コルベットは五〇年以上前に設計された小型艦だが、それでも基本的な戦闘行動に二〇人は必要とされていた。一方最新型の装備と洗練された設計のインペラトール・クラウディア級は、さらに整備と制御の簡素化されたシステムを持っており、最少人員三名というのが公式スペックになっていた。しかし、民間軍事企業の巡洋艦として戦闘を行うにはまだまだ人員が不足気味ともいえる。


「とりあえず増員要請を出しておくが、しばらくはホルバイン、ニスカネン、それにカネモトで動かしてもらうことになる」


 通信士のジュリアン・カネモトは現在通信室にこもりっきりで整備部と合同で会社艦隊所属艦としてのシステム更新を行っている。ホルバインやニスカネンのように、目に見える部分での活躍は少ないものの、護衛艦隊旗艦の通信士として、隊内の通信、敵の動向の傍受などは彼がいなければ成り立たないのである。


 一六時二九分

 格納庫


「格納庫も広いし、これなら航空隊運用でもできそうですね。どうです? 一個航空隊くらい積んでみませんか?」

「本社が首を縦には振らんだろうな」


 ホルバインの提案に、柳井は本社にいるグジュラール経理部長の能面を思い浮かべていた。

 戦場の差し渡しが光速ですら数分となる現在の宇宙戦闘では、反応炉を搭載した戦闘艦同士の戦闘が主流である。かつての海戦のように、一時期は戦闘攻撃機が主流となった時期もある。それが衰退したのは、艦載機に超空間潜行能力、対艦用の大口径砲などを搭載した挙げ句、小型戦闘艦と区別がつかなくなったのが一因だ。現在の艦載機部隊の任務は、主として惑星低軌道から大気圏内における制空権維持、もしくは極近距離での艦隊戦における攻撃である。維持運用費の高さから、現在では帝国軍や、民間軍事企業でも余程大手でなければ、いくつもの機動部隊を持つことはない。アスファレス・セキュリティでは、第一艦隊や第二艦隊のような戦略編成の艦隊に一隻ずつの戦闘母艦が配備されているだけである。


「私はね、いやな予感がするんですよ。強襲揚陸艇でも積み込んで、この艦だけで降下作戦とかいいかねませんし」

「それは杞憂だよ。ホルバイン」


 遠くを見つめたままほうけているホルバインに肩をすくめて見せた柳井は、そのまま自室となるであろう部屋の整理へと向かった。


 一七時一九分

 艦長室


「ホルバイン、探したぞ。元の船長室を使わんのか」


 正式に旧ブラッディ・メアリー号がアスファレス・セキュリティ巡洋艦エトロフⅡとして艦籍登録が終わったあと、他艦の増援として配置されていた旧エトロフクルーの引っ越し作業が行われた。元々のクルー数が少ないのと、無駄なものを運び込まないことを信条にするホルバインの指揮により、わずか一時間で完了した作業だが、せっかくの広い艦長室と司令官室――元の船長室――は空き部屋のままとなっていた。


「あの部屋は広くて落ち着かないんですよ。それをいうなら部長も侍従武官室でしょう。部長こそ船長室を使えばいいのに」

「あんな作り付けの調度品ばかりでは、汚すんじゃないかと気が気じゃないよ」


 ホルバインが自室として使用しているのは、この艦が皇統の座乗艦となるなら平参謀クラスが使用する部屋で、艦長室からはグレードが落ちるのは否めなかった。旧エトロフ時代と同じ様子の室内に柳井は奇妙なあんかんを覚えていた。艦長、そして課長としての庶務のため、部下には整理整頓を心がけさせていても、本人の部屋はどうしても雑然としてしまう。


「お互い、すっかり巣穴ぐらしが長くなってしまったな」

「これでもエトロフの倍はありますからね。他の艦のクルーが羨ましがっています」


 タランタル級重コルベットの乗組員室は、標準設計で七平米程度の広さであった。シングルサイズのベッドは、船体外殻にそった丸みを帯びた形状の壁際に配置され、飛び起きれば頭を天井にぶつけることも珍しくない。エトロフをはじめ、タランタル級に配備された人間が最も早く覚えるのは、ベッドからの起き上がり方だという帝国軍運用中のジョークも船乗りの間では広く知られている。


「旗艦乗組員の特権か」


 それが現在、ホルバインの使う艦長室は二〇平米程度の部屋であり、シャワールームも設けられている。柳井が使用する元の侍従武官長室に至っては三〇平米。ミニキッチンまでついてくる。一般乗組員にも一五平米程度の個室があてがわれ、居住性は大きく改善された。


「まあ、柳井部長直轄ですからね。危険手当込み、ということで」

「それはどういう意味だ」


 ホルバインは肩をすくめて見せて、マグカップを柳井に手渡した。部屋がグレードアップしようとも、エトロフ時代から変わらない安さだけがウリのインスタントコーヒーの味が、柳井にはほっとする味わいだった。


「艦の整備状況は?」

「とりあえず物資搬入は完了。元の整備状況が良いので、あとは艦の習熟航行を残すのみというところですね」


 海賊船というのは、もっぱら整備は共食いや応急処置で済ませることが多いが、この艦は消耗部品も正規品でそろえられており、アスファレス・セキュリティ側で行ったのは先の戦闘での損傷箇所を補修する程度だった。


「そうか……どこで行うかな。演習相手はワリューネクルにやってもらうか」

「そうですね。演習宙域の選定も進めておきます。他の艦にも、この艦相手の演習をさせますか」 


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