第11話 アルバータのいちばん長い日〈完〉
帝国暦五八三年九月五日 一〇時三九分
地球
アスファレス・セキュリティ株式会社本社
大会議室
「――以上が、アルバータ自治共和国での本部隊の行動です」
アルバータ自治共和国での任務を終えて三日後、本社に戻った柳井は、本来部長級しか出席しない幹部会議の席にいた。無論、アルバータ自治共和国での事件の聴取のためだが、柳井が一通りの報告を終えると、幹部達はそれぞれに違う表情を浮かべていた。
「柳井。貴様は自分の勝手な判断で護衛艦を一隻使い潰し、現地派遣部隊の戦力を無秩序に動かしたのだぞ。その責任、何と考えているのだ!」
顔から湯気が立ち上るのではないかという上司、及川部長の追求を受けても、柳井は涼しい表情をしていた。
「処分は覚悟の上です」
「貴様、よくものうのうと……! これは明らかに内規違反だ! 即時解雇処分もやむを得ないのではないか!」
「しかしな及川、エトロフはもともとこの任務が終われば廃艦予定だし、そこまで目くじらを立てることはないだろう」
及川を
「しかし、直属の上司から許可も取らずに艦隊を動かしたのは統率面で問題が……ただ、処分となると……」
参謀本部長のフリートヘルム・ギュンター専務は頭を抱えていた。彼の仕事も、大まかにはネーグリ専務と同様である。柳井がアルバータ星系で発生しかけたクーデターを鎮圧したのは良いとしても、ナンバーズ・フリートの出鼻をくじくような真似をしてしまったのだ。だが、少ない手勢でクーデター鎮圧を行ったこと自体は称揚されてしかるべき事だと考えていた。
「柳井君は貴重な人材です。つまらぬ処分などするものではありません。解雇などもっての他」
総務部長のシードル・マトヴェーエフは、この問題を可能な限り穏便に済ませたいと考えていた。帝国全体で数千社しかない軍事企業の業界は、こうした社員に対しての処分というのは光速で
「これは派遣部隊の自衛措置と見るべきでは? 内規でも本社からの指示が無い場合、自衛のための戦闘行動は禁じていないわけで」
「自衛というにはいささか能動的すぎるだろう……ただ、何らかの処分を下すというのは、私も反対です」
第一、第二艦隊司令長官で第一戦略部部長のフェリーネ・アルテナは柳井に対して同情的で、臨機応変な柳井の対応を
「経理部としては、エトロフの廃艦費用が現地でのスクラップ買い取りで済んでるので特に問題はありません。派遣部隊の運行経費についても、まあ戦闘部隊ですし多少の増加も仕方ないですな」
経理部長のバグワン・ハルラール・グジュラールは費用面において経理部として言うことはないと言うだけだったが、柳井への処分については他の部長クラスと同様に反対だった。彼としては、柳井の処遇については特に興味はないのだが、無駄に事を荒立てる必要はないという点は、及川を除く他の部長と共通していた。
「帝国軍としての意見はどうなの? 同志指導将校殿」
「社内の人事権に干渉しないのが、我々指導将校のルールです」
アルテナから話を振られたアレクセイ・クリモフ指導将校――事実上の帝国軍からの監査役――は、長年唱えられている不文律を口にした。あくまで建前だが、彼自身も柳井に対して処分をすることに反対だということを表明したのに等しい回答だった。彼は帝国軍の代弁者でもあり、東部軍の決定も把握していた。つまり今回の件は不問に付すと言ったも同然である。
会議室の空気は、柳井に対しての穏便な処置、あるいは見なかったフリをしたいという流れに傾いていた。
「まあまあ、アヴェンチュラ派遣部隊は所定の任務を完遂して帰還した、ということで良いではないですか」
後方兵站部の大沢部長が、その場の雰囲気を代弁した。その表情は明らかに場を乱している運輸部部長、及川を疎ましく思っている感情が
将来的にこの二部署が統合される際、どちらの部長が首を切られるのか、あるいは閑職に回されるのかは、柳井を始め課長級には大きな興味を抱かせることだったが、今はそれを論じるときではない。
「しかし、命令違反は命令違反です。あまつさえ帝国軍の指揮系統を混乱させ、更には――」
若干劣勢の及川は、
そもそも、柳井を最前線送りにしたのも、自分に対しての柳井の度重なる意見具申を煩わしく思ったからに過ぎないということを悟られる訳にはいかないということも、この必死の応戦の理由だった。
「及川君」
「は、はい?」
「現地派遣部隊が勝手に武力行使、といったかね?」
アスファレス・セキュリティ社長であり、その戦力の総司令官であるシュテファン・シュコプの声に、会議室の視線が柳井からそちらへ移った。当の柳井自身は、年頭の訓示でしか聞かない生の社長の声に、表情こそ変えなかったものの驚いていた。
「詳細はこちらに」
「私が報告を受けていたのは、運輸部護衛艦隊は、アルバータ星系で各種船団護衛任務についていた、ということだけだよ」
アスファレス・セキュリティも第一艦隊までアルバータに派遣しているのだから、シュコプ自身がそんな報告しか知らないはずは無かった。
「しかし」
「君は何を勘違いしているのだね? 我が社はアルバータ星系において船団護衛しかしていない。これは社として、更には帝国軍としての見解でもあるのだよ? そうだな。クリモフ君」
シュコプは、視線を帝国軍から派遣されているクリモフ指導将校に向けていた。
「はっ、帝国軍の公式記録としても、アルバータ星系で何らかの反乱行為があったような記録はありません。帝国の平和は、保たれています」
クリモフは、事務的な口調でシュコプに返答した。彼自身は、帝国軍の公式見解を報告しているに過ぎなかった。
「この話は以上。関係ない話で会議の時間を浪費させるな……柳井、下がってよろしい。会議終了後、私の部屋に呼ぶからそれまで自席の片付けをしておけ」
身辺整理は、つまり本社から追われるということではないかと、柳井も会議室の人間も感じ取っていた。つまり、形式上は柳井に対する処分は行わないということにして、自己退職か、あるいは閑職へ追いやるかということである。
「失礼しました」
勝ち誇ったような及川の顔を見ながら、柳井はこれもまた会社員の定めと諦念混じりの覚悟を決めていた。
「課長……」
柳井が会議室を出ると、事実上柳井の副官と言っても差し支えないホルバインが立っていた。
「自席の片付けをしておけとのことだ。まあ、それだけの事をしたんだ。無理もないさ」
ホルバインは会議室に殴り込みをかけようかという空気を漂わせていたが、柳井はホルバインの肩を押さえて、落ち着いた声で諭すように続けた。
「会社員は、会社員なりの責任の取り方がある。どのみち、私が自分の判断だけで君達を動かしたのは事実なのだから」
ホルバインは承服しかねるという様子だったが、ここで彼が短慮を起こせば、彼自身の経歴に傷が付くことは避けがたく、柳井としてもそれは本意では無かった。
「君が言っていた、護衛部門の見直しを見届けることが出来なくて残念だが……いつか、君の口からそれを聞けることを祈っている」
そう言い残した柳井は、自席のある輸送部のオフィスへと歩いていった。
社内には既に柳井への処分が通達されているのか、柳井に対して声を掛ける者は居なかった。一年ぶりに戻ってきた運輸部のオフィスも、やや人員が入れ替わり、どこか他人行儀に思えた。柳井は狭苦しいエトロフのブリッジを懐かしく感じながら、自席の片付けを開始した。
自席を片付け終えるのと同時に、社長秘書から呼び出された柳井は、懐に退職願を忍ばせてから社長室へと向かった。
「柳井、入ります」
「アルバータでの仕事、ご苦労だった」
入社以来、数えるほどしか入っていない社長室は、会社の経営状況の割には綺麗に整えられていると柳井は感じた。仮にも社長室なのだから当然だといえば当然だったが、そのどれもが五〇年以上前から変わり映えしていないことも、あちこちからの
「この度の事は、全て司令官であった私の一存であります。私への処分はいかようにでも。しかし部下たちにはどうか寛大なご処置を」
「君は何か勘違いをしていないか?」
「……はっ?」
「私は君を叱責するためにここに呼んだのではない。もしそうだとしたら、そんなことはネーグリや及川にやらせる」
柳井は能面のような目の前の社長の顔を見て、その真意を測りかねていた。
「輸送船団の護衛、それが君達の任務だということは理解しているだろうが、それは帝国領内の航路の安全を確保し、貨客輸送の安全を実現するための手段の一つにすぎない」
社長は手元のパネルで、壁面にかけられたモニターの電源を入れる。帝国中に網の目のように張り巡らされた航路図が表示される。
「もし、帝国辺境とは言え、自治星系で独立運動の炎が大きくなれば、それはいずれ帝国領内の奥深くにまで飛び火することも考えられた……つまり、君達があそこで未然にクーデターを阻止したのもまた、航路の安全、ひいては帝国の平和の確立のために役立ったということだ。だとしたら、私が君を罰することはありえない」
「しかし、私は社の装備と人員を危険に
「軍事企業の仕事なんぞ、いつも危険と隣り合わせだよ」
シュコプは、そこで初めて表情らしい表情を浮かべた。柳井はそれを笑顔だったように見えた、と後に回想している。
「君のレポートは読ませてもらった。大規模艦隊による惑星攻略戦や大艦隊との決戦仕様だけではなく、より細かな戦隊レベルでの編成が必要なのは、私も考えていたところだ」
課長級以上の社員が不定期的に提出するレポートは、部長以上の社員で共有されているが、まさか社長がきちんと目を通しているなどと思っていなかった柳井は内心驚いていた。
「既に帝国の版図拡大が止まって一世紀。現実的に統治できる惑星系の数と範囲に達していると、今回の任務で感じました。今後、護衛艦隊のような従来の艦隊未満の、自由に動ける戦力が役に立つ局面が来ると考えています」
突然話を切り替えられて、柳井は頭が混乱しかけていたのを、自分の提出したレポートの内容を思い出しながら答えを返す。
「まあ、すぐにどうこうというわけでもないが、うちの艦隊規模では受注できる仕事も限られてくる。アヴェンチュラのような中小惑星での護衛任務を主幹とする業務形態も、考えて行かなければな」
「はっ」
「さて……会社員は会社員なりの責任の取り方がある。君には、十分にその責任を全うしてもらおう」
おもむろに切り出した社長の顔から目をそらすことのなかった柳井は、差し出された紙を凝視していた。そこには、以下のように記されていた。
『運輸部課長 柳井義久殿』
『辞令 帝国暦五八三年九月五日』
『運輸部課長アルバータ方面戦隊司令の任を解く』
『変わって、ロージントン支社支社長および同支社護衛艦隊司令部長を命ず』
一〇時三九分
護衛艦隊司令部本社オフィス
柳井が席の片付けを命じられたのは、新設された護衛艦隊司令部の本社オフィスへと移動をするためだった。いつの間にか柳井の私物は、社長直属の秘書課部隊により綺麗に新設のオフィスへと並べられており、社長から直々に渡された辞令を見て、柳井は複雑な表情を浮かべていた。
「面倒な仕事を押し付けられた気がしてならない」
「まあまあ。それはそうと、部長代理昇進、おめでとうございます」
護衛艦隊司令部の事務長として配属されたのは、本社総務部のエンリケ・マルコシアス課長補佐だ。柳井自身が東部軍管区の首都星ロージントンのどこかへ置かれる支社、そしてその指揮下にある護衛艦隊の司令官として前線へ出ずっぱりになるだろうことを見越しての人事であり、これで膨大な書類を相手にせずに済むと言う点で、柳井は
本社運輸部課長時代に柳井の下についていたスタッフもかなりの人数を引き抜いて護衛艦隊事務部隊に配属替えされていたらしく、柳井は、自分がここに帰ってくる前からこの構想が決定事項にあったことに気がついた。
「事務部隊は本社にて支社の事務処理を担当します。柳井部長の下でなら、喜んで手足になりましょう」
マルコシアスは本社でも有能な部類の人間で、柳井はその配下のスタッフ共々、信頼が置けると判断していた。支社自体は護衛艦隊の司令部機能が重要であり、しかもその配下の艦艇はアルバータ派遣部隊が横滑りしている。
「ヴェルナー・ホルバイン課長以下各艦艦長四名、護衛艦隊への着任のご挨拶に参りました」
外宇宙での任務を共にした戦友達が無事に昇進しているところを見て、柳井は
「堅苦しいことを言うな。アヴェンチュラ派遣部隊がまるまる横滑りしただけだろう。なあ、ハイドリヒ」
「第二戦略部第三艦隊より参りました。アルブレヒト・ハイドリヒ課長補佐であります。運輸部護衛艦隊の栄えある創設メンバーとして、恥ずかしくない働きをできるよう精進いたします」
一人だけ、何とも複雑な表情を浮かべたハイドリヒは、わざと堅苦しく着任挨拶の口上を述べた。
「まあお互い知らん仲ではあるまい。全員、休暇を終えたらロージントン行きだ。今後の仕事も、おそらく地味で、地道で、
艦長一同、そしてマルコシアス他事務員達の敬礼に、柳井も折り目正しい答礼した。
一九時三九分
「課長、まだ帰られていなかったんですか?」
大方のスタッフが帰った後、柳井は一人デスクに向かっていた。本社に残す事務部隊との打ち合わせや、他部署との摺り合わせ――及川運輸部長は苦虫顔だった――などに忙殺され、肝心のロージントンに置く支社のオフィス選びなどのために残業していた。なお、課長以上になるとアスファレス・セキュリティでは残業代は支給されない。
そこへ、社有艦ドックから帰社したホルバインの声に、柳井はホッとしたような笑みを浮かべていた。
「オフィス選びにエトロフの代替艦選定があるからな。護衛艦隊旗艦はホルバイン、君に任せようと思っているんだが」
「それは願ったり
二年という短い間に、柳井とホルバインの間には信頼が生まれていた。出入りの激しいこの会社では珍しいことだが、たまにはそういうのも良いと、柳井は感じていた。
「しかしエトロフの代替艦は、ロージントン支社に移ってからしばらくかかってからの配備になりそうだ」
「そうですか。それではしばらくはガンボルト達の戦いを高みの見物ですか」
「エトロフのクルーは、しばらく他艦の増援だ。君は支社のほうで参謀役をしてもらうからそのつもりで」
「はっ。しかし代艦といっても、またフリゲートか駆逐艦ですか?」
「そこだがな。巡洋艦クラスを充てたいところだ」
「予算が下りれば良いのですが」
その後しばらく、柳井とホルバインは代替艦選定の基本方針を確認しあったが、それも終わると、話は護衛艦隊設立についての話題になる。
「思ったよりも早く、護衛艦部隊編成のことを社長が再考してくれたのは
「はい、私も
「しかしまだだ。君の言っていた会社の花形部署にするまでにはまだまだ時間が掛かるだろう」
「ええ、そうですね……ですが、課長、いや部長のお陰で、私も貴重な経験をすることが出来ました。ありがとうございます」
「礼を言うのはこちらだよ。君が私をしっかり支えてくれたからさ」
「私は当然のことをしたまでですよ……そうだ、これを」
ホルバインが差し出したのは、今時珍しい紙箱に入ったウイスキーだった。銘柄は、いつも飲んでいたブレンデッドのスコッチで、この辺りでは中々売っていない銘柄だった。
「あちらで飲ませて頂いた分をお返ししないとと思いまして」
「わざわざこの時間に買いに行ってくれたのか」
「まあ、また向こうでも飲ませて貰うことになるでしょうしね。では、私はもう上がります。明日からはせっかくの休暇です、ゆっくり休んでください」
「ありがとう。君もな、ホルバイン」
護衛艦隊司令部のオフィスに再び一人になった柳井は、ホルバインから渡された紙箱を見て、とりあえず今日の晩酌は一人なのかと意外な寂しさを感じていた。
「まあ、また船に乗れば……か」
しばらく代替艦の候補を絞り続けていた柳井だが、とりあえずの候補を一〇隻ほどに絞り込み、残った仕事はとりあえず休暇明けに消化することにして、柳井はオフィスの電気をすべて消し、会社を出た。
一年ぶりに帰る我が家に待つ人はいない。その間取りより、エトロフの司令室を思い浮かべていた柳井は、自分の居場所が一つ出来たということに、若干の幸せを感じながら家路へとつくのだった。
<案件01~アルバータ自治共和国における船団護衛業務 完>
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