第10話 アルバータのいちばん長い日〈5〉

 帝国暦五八三年九月二日 一四時五九分

 惑星アヴェンチュラ センターポリス上空

 護衛艦エトロフ ブリッジ


「こちらはアスファレス・セキュリティ艦隊。星系自治省の諸君、速やかに原隊に復帰せよ。帝国は君達の反乱行為を容認しない。今なら生命の保障はする。直ちに原隊に復帰せよ。コールマン准将からの戦闘停止命令に従い、秩序ある行動を望む。また、アヴェンチュラ独立運動派の諸部隊については、一時間以内に武装解除し投降しろ。生命の保障はする、繰り返す、生命の保障はする」


 柳井の投降勧告は、星系自治省の支援のもと、惑星全土にありとあらゆる周波数で放送されていた。エトロフを首都上空に降下させなくても出来ることだったが、首都には敵主力も多く、それらに対する威圧効果を狙ったものだ。


 たとえ旧式護衛艦といえども、自分達の頭の上に全長二〇〇m近い戦闘艦が浮いていると言う状況は、恐怖心を生むということを柳井は身を持って知っていたからこそ、エトロフの老体にむちを打つようなをさせていた。


「さて、これでどうなるか、ですな」

「従容として死に赴くなんてロマンチストで無いことを祈るだけさ」


 ニスカネンの言葉に、ホルバインが返すのを聞きながら、柳井はブリッジの望遠鏡を覗き込んでいた。柳井としては、この時点で敵が継戦の意欲があると見れば、直接攻撃も辞さないつもりだったが、その決意はわずか一分程度で杞憂に終わった。


『こちらは、アヴェンチュラ独立戦線、リーダーのキム・ヨンスンだ。我が部隊は貴官らに降伏する。繰り返す、こちらはアヴェンチュラ独立戦線、我々は降伏する』

「ほう、決断が早いな。確か独立戦線は裏がアヴェンチュラの右翼政治屋達だったはずだが」

「だからこそでしょう。支援していたことは今や明るみに出ているわけですから、無駄に抵抗して自分達も殺されるよりは、ということで」


 ホルバインの言葉に、柳井は頷いた。


「命惜しさに、か。それもまた良いだろう……回答は保留にしろ。まだ武装解除を確認していないし、他のクーデター軍の動きも見たい。首相官邸に通信は行けるか?」

「映像回線で出します」


 カネモトの操作で、首相官邸への直通回線が繋げられ、しようすいしきった様子のアルバータ星系首相モリソンの姿が映し出された。


『首相のモリソンだ』

「私はアスファレス・セキュリティ、運輸部課長の柳井です」

『君達が、外の部隊を鎮圧してくれたのか』

「首相、これは反乱部隊の自発的な投降です。詳しい話はそちらで直接したいのですが」

『分かった』



 一五時一七分

 首相官邸


「柳井君、君のお陰でアヴェンチュラ……いや、アルバータ星系は救われた、この星系に住まうすべての人達の代表として、礼を言わせてもらうよ」

「首相。問題はまだ解決していません」


 首相というよりは、人の良さそうな市役所の受付といった風体のモリソン首相に握手を求められた柳井は、それに答えつつもあえて緊張感を持った表情で言葉を発した。柳井はここまでの経緯、現在の宇宙の状況をモリソンに伝えた。


「帝国軍が来る!?」

「おそらく、あと数時間でこちらに到着するものと思われます」

「今から帝国政府に、クーデター鎮圧の報告を」

「帝国にとってはクーデターが起きた、という事が問題なのです。たとえクーデターが鎮圧されていたとしても、そのままだと帝国軍は攻撃を実施します。帝国と帝国軍というのはそういうものです」


 柳井の言葉に、モリソンは頭を抱えた。柳井がいなければ、泣きわめいていたかもしれない。


「では、どうすれば良いのだ!?」

「クーデターなど起きていなかったことにするのが、最善の策です」

「何?」


 モリソンは目の前に経つ優男の顔を二度見、いや三度見した。何を言っているのだ、コイツは、程度の感情を含んだ視線を受け流しながら、柳井は説明を続ける。


「つまり、政治、経済、市民生活の全てにおいて何ら異常がないということを帝国軍に証明するのです。証拠のない反乱行為をでっち上げたとなれば、帝国の統治体系に大きな傷跡を残すことになりますから、帝国軍は攻撃を行うことが出来ません」

「しかし、どうすればいい。センターポリスは、どこもかしこも戦闘行為が行われたようにしか見えんし……」


 未だ黒煙が立ち上る市街地を見れば、そこが尋常ならざる状況にあったことは容易に想像が付くということを、モリソン自身も認識していた。しかし、それに対しての柳井の回答は淡白なものだった。


「テレビ、ラジオ、新聞、ネットワーク上のありとあらゆる部分で、クーデターに関する一切の情報は報道禁止、一時的ですが個人通信にも情報検閲を掛けます。これは星系自治法の第二三一二条で定められている自治星系首相の権限でもありますから、議会の審議も必要ありません」

「なるほど……しかし、君の言ったことが本当なら、帝国軍はそれらの情報をチェックせずに攻撃に入るのではないか?」

「それは私にお任せください。政府はとにかく情報統制に全力を。本国でここのクーデター未遂が話題になることがまずいのです」

「君に、出来るのか?」


 自分より一回りは上の首相の視線を受け止めた柳井は、不敵な笑みを浮かべてみせた。


「帝国軍との交渉事は、ちょっとしたコツが必要なんですよ……首相官邸に星系自治省のスタッフを呼べますか?」

「星系自治省はすぐ隣のビルだ。すぐに呼ぼう」


 数分後、星系自治省アヴェンチュラ駐留部隊の政務部隊の長であるカーター政務官が柳井の前に現れた。


「これは現地部隊の勝手な行動であり、星系自治省の総意ではない!」


 カーターは柳井に向かって三分間にも渡り、自分達政務部隊が帝国本国に対する反抗の意思がないことを述べた。数年の赴任期間を終え、本省に戻れば出世が待っている。その安定航路を潰されてなるものかという気迫を、柳井は感じていた。


帝国大学経済学部卒のエリートだが、さりとて真のエリートの証である恩賜の銀時計を貰うことは叶わなかったことで、彼は出世レースにおいて一般大学の出身者と同様の出世レースを生き抜くことが運命づけられていた。


 その後もさらに自己弁護を続ける政務官の言葉を、柳井は黙って聞いておいたが、最後に結論だけ完結に述べた。


「つまり、星系自治省としてはこの不祥事を明るみに出したくない、ということで相違ないですか?」

「無論だ!」

「では、そういうことにしましょう。クーデターなど起きていない、週刊誌のバカげたホラ話だ。星系自治省アルバータ星系駐留軍は、何の異常もなく任務遂行中である、と本国へ返信してください」

「……本当にそれで良いのか?」


 カーターは間の抜けた返事をした。柳井は官邸スタッフが持ってきた、アヴェンチュラ特産の紅茶が入ったカップを殊更優雅に、上品に、余裕たっぷりに口元に運んだ。


「言い方は悪いのですが、自治共和国の一部隊のことなんて、中央はその程度の認識です。定時報告が上がってこないので不審がっているかもしれませんが、適当に母恒星活動活発化とか、超空間の乱流発生とかでしましょう」

「……自分の属する組織だが、外から言われるとなんとも不思議な組織だな」

「帝国の中央官庁なんて、どこもそんなものですよ」


 あつにとられた様子のカーターに、柳井はまたも淡白な返事をした。柳井はこの時点で、一企業の課長級がこのような判断を下してよいのかという疑問が湧いていたが、とりあえずアルバータ自治政府の陣容を見る限り、自分が交渉を行うほうが確実だと認識していた。


 そもそも、首相自身が中央に戻れば国務省の統括官クラスでしかなく、ただの事務屋の長として派遣されているに過ぎない。それを補うべき星系自治省の方も辺境勤務は魅力のない仕事で、カーター政務官のように出世前の定例人事のような状態で人物が居ない。


 帝国の辺境支配体制がこんな事だから、烏合の衆の辺境惑星連合などに手玉に取られるのだと悪態をつきたくなるのを柳井は堪えていた。


「首相と補佐官に必要な事項は伝達してあります。とにかく本国への報告だけは、先程のはず通り」

「分かった、君の指示に従おう」


 柳井はこの後、星系自治省の各省庁と通信、報道関係者との打ち合わせを行い、意外なほどあっさりと協力を取り付けることに成功していた。星系が消し飛ばされるという危機感による連帯感によるものだと柳井は認識していた。

 すべての打ち合わせを終える頃には、センターポリスは日の出も間近になっており、エトロフに戻った柳井は仮眠を取るため、エトロフの自室へと戻った。


 帝国暦五八三年九月三日 〇七時三九分

 アヴェンチュラ 低軌道ステーション

 護衛艦エトロフ ブリッジ


 柳井が休息を取っている間、エトロフは再び宇宙に上がり、アヴェンチュラの低軌道ステーションへ入港していた。


「機関長、どうです」


 柳井は起床後、直ちに懸念事項の一つを機関長に調査させていた。その結果は、柳井の事前の予想を上回ることは無かったが、下回ることもなかった。


「ダメですな。竜骨の歪みが規定値を超えました。通常航行の安全は保証できますが、超空間潜行は潜れたとしても浮上と同時に分解なんてことになりかねません」


 地上すべての反乱部隊の鎮圧を見届けた柳井達は、アヴェンチュラの低軌道ステーションの港で地球本国帰還のための準備を進めていたが、機関長兼整備班長のオットー・バーデンの報告は、その旅路にこのエトロフが追従できないことを告げた。


「まあ、老艦最後のご奉公ってとこでしょうな。帝国艦隊で防空戦闘をして、各惑星系の防衛艦隊を渡り歩いて、最期の最期で帝国のために働けたなら、エトロフも本望でしょう」


 バーデンは今年で六〇歳の定年組、このアルバータ星系派遣任務が完了次第退職する予定だったようだが、彼自身と同じくらいの年寄りであるこのロートル艦をこよなく愛していた。それだけに、この艦の最後を自分がったというのは、彼自身の職歴にとっても最良の事だった。


「分かりました。業者の手配を進めてください」

「了解」


 バーデンは少し寂しそうな目をしたのも一瞬、普段の職人らしいせいかんな顔つきに戻って、ブリッジを出ていった。


「カネモト、艦内総員に退艦準備をさせておけ。そろそろうちの第一艦隊がアヴェンチュラに到着するだろうから、輸送艦を一隻こちらに回すように連絡を」

「了解しました」

「ホルバイン、下の様子はどうだ?」

「こちらの要請どおり、テレビ番組他メディアは反乱未遂事件のことは一切報じていません。しかし課長、情報検閲も永遠には出来ません。いずれはネットやテレビでクーデター未遂の報道はなされるでしょう」


 ホルバインの言うことは尤もだったが、柳井はその点について特に心配はしていなかった。


「帝国軍は一度収めた拳を、取って返して振り降ろすことはしないさ。クーデターなど無かったと一度認識すれば、公式記録には一切それらの行動は残らない。よしんば欺瞞がバレたところで、自分たちがだまされたことを認めたくないから、なおさらこの事実はす」


 軍に居た頃から、柳井はそういった場面をいくつも見てきた。無論、証拠隠滅のための強行策も行われていたが、おそらくアヴェンチュラでそれが行われる恐れは無いと踏んでいた。


「……帝国軍というのは、予想以上にお役所仕事なんですね」

「軍隊は、お役所以外の何物でもないさ。ただ少々腕っ節が強いだけだ」


 ため息混じりのホルバインの言葉に、柳井は苦笑を浮かべていた。


「帝国のすべての惑星は、皇帝陛下の御下で平和を享受しているというのが、政府の公式見解だ。他の自治共和国での反乱も、基本的には最重要機密で、世の中にはそうそう出てこない。公式記録にない辺境での戦闘なんて、私が知る限りでも両手足の指の数以上に行われているよ」


 柳井が手元のモニターに映し出した帝国領域図には、柳井自身が独自にプロットした政局不安定な星系が赤く点滅していた。いずれも、アメーバのような帝国領域の縁に位置するものばかりだ。


「まあ、総攻撃の線はこれで消えたが、クーデター関係者の暗殺くらいはやるだろう。そのニュースは帝国本国に届く頃には、薄まり間延びして、良くあるうわさばなし程度になっているよ」


 柳井自身がその対象になるのではないか、とホルバインは不安だったが、目の前で悠然と安っぽいインスタントコーヒーを啜る上司の姿を見ていると、その程度のことは回避してのけるのではないか、とも思っていた。


「課長、帝国軍第一二艦隊以下、帝国軍諸部隊が浮上しました。課長のことを名指しで呼び出していますが」


 カネモトが通信席から青ざめた顔で柳井に報告をするが、当の柳井は特に動揺した様子も無かった。


「帝国の情報部は動きは早いな」

「護衛に何名か付けますか?」


 ホルバインの言葉を聞いてから、柳井は帝国艦乗務の標準的な陸戦隊員数を思い浮かべた。旗艦ともなれば二個中隊は乗せているだろうし、こちらが陸戦隊を連れていっても、無意味に相手を刺激するだけだと柳井は判断した。


「私と、随員に一人……そうだ、シムシルのブラウンを呼んでくれ」

「は、ブラウンをですか?」

「ああ、そうだ。私を迎えに来るように伝えてくれないか」

「はっ」


 流れるように再び上司がブリッジを出ていき、ホルバインが格納庫に連絡を入れるのを見ながら、ニスカネンは接近しつつある帝国艦隊をレーダー画面で眺めていた。


「相変わらず、威風堂々たるもんだなあ、帝国艦隊は」

「威風堂々たるだけかもしれんぞ。実際はどうだろうな」


 ホルバインの言葉に、ニスカネンはめつなことを言うものではないと言うのを忘れなかった。



 〇八時〇三分

 クナシリ艦載艇


「課長、本当にいいんですか? ニスカネンやホルバインでなくて」


 護衛艦クナシリ艦長のブラウンはこのアスファレス・セキュリティ護衛艦隊の中では古株に当たる人間で、ホルバインやニスカネンとは同期入社だった。


「美人が居ると、案外相手も強く出れんものさ」

「は、はあ」


 ブラウンは、この課長らしからぬ発言を聞いたような気がしたが、綺麗どころと言われて悪い気はしなかった。副操縦士席の柳井は、いつもどおりの柔和な顔だったが、ようやくブラウンは、柳井が本社の事務のお局方に人気だという理由が分かった気がした。柳井という男は、下心がまるで見えないのだ。上品ささえ漂わせる辺りも、艦隊勤務の男性社員にありがちな血の気の多さも無く、ただの堅物と思わせない柔軟さも見て取れた。


「どうした、ブラウン」

「いえ、なんでもありません。ブリッジ、出発するのでハッチ開放よろしく」

『了解』


 エトロフの狭い格納庫から内火艇を滑り出させたブラウンは、目の前に展開する第一二艦隊に進路を向けた。戦艦級だけで一〇隻を数え、中小艦艇は数えるのをためらわせるほどの数だった。背景の星かと思っていたものは、近づくに連れて、それぞれが地中貫通弾や光子魚雷を搭載した軌道航空軍の爆撃機だ。これが全て、背後に浮かぶ惑星の都市という都市を消し飛ばすためだけに遠征してきたのかと思うと、ブラウンは背筋に嫌な汗が流れた。


「遠路はるばるご苦労なことだな。まったく」

 

 柳井の声には緊張感のかけもなかったが、その表情は先程までのものとは違う、苦々しいものが浮かんでいたのをブラウンは見逃さなかった。



 〇八時四三分

 帝国軍 第一二艦隊

 旗艦アドミラル・メドベージェワ 

 長官執務室


 帝国軍第一二艦隊は、辺境惑星連合防衛のための最精鋭であり、東部軍管区の辺境惑星オストラントを拠点にしている。その旗艦は、量産艦のアドミラル級戦艦ではあるが、旗艦として十分な格式と容積を持つ司令長官執務室を備えていた。


「アスファレス・セキュリティ株式会社、運輸部課長の柳井と申します」


 エトロフの司令室とは比べ物にならないアドミラル・メドベージェワの長官執務室に通された柳井とブラウンは、第一二艦隊司令の面前に立たされていた。


「帝国軍第一二艦隊、司令長官のグライフだ」


 グライフ自身は気付いていなかったが、柳井はグライフの事を覚えていた。柳井が軍を追われた時、グライフは柳井の所属する艦隊の司令長官だった。もちろん、その時点での柳井の階級は少佐であり、グライフは既に中将の地位にあったから、互いに顔を合わせたことはなかったのだが。


「この星系でクーデターが起きたとの情報があった。我々はこれからこの星系のクーデター鎮圧を行わなければならん」


 渋面でこちらを見やるグライフの顔に、かつての軍務時代を思い出していた柳井は、本題を切り出した相手の言葉を注意深く聞いていた。


「君達は星系から脱出する船艇を撃沈せよ。これより星系から脱出するのはクーデター派のもので――」

「クーデター? グライフ提督、私の見ている範囲ではクーデターのクの字も見えませんでしたが」


 覆いかぶせるような柳井の言葉に、グライフは眉間のしわを一層深くしていた。


「東部軍情報部は、君が自治政府首脳と非公式に会見を行ったことは掴んでいるのだぞ」


 執務室のモニターには、柳井が首相官邸に入る姿や、星系自治省の政務官と話している姿が映し出されている。柳井は、ここまでできる割には帝国軍の動きが遅すぎることに溜め息を吐きたくなった。


 帝国軍は恐らくクーデターが起きることも事前に察知していたのだろうが、ここまで放置していた。つまり、帝国軍はここでクーデターを起こすことを半ば容認し、その後で攻撃し、他の自治星系に対しての見せしめにするつもりだったのだろうと、柳井は推測した。


「市街地はいつもどおりの様子ですし、首相はキチンと政務をこなされているのです。これのどこがクーデター勃発中の星系なのですか?」


 グライフは柳井のことを先程変わらない表情で見据えていた。値踏みされているような感覚を覚えながら柳井は続ける。


「不確実な憶測で、帝国軍は皇帝陛下の星系全土を焦土と化すおつもりですか?」


 グライフの眉が一瞬動くのを、柳井は見逃さなかった。そもそも第一二艦隊の作戦行動は東部軍管区司令部の指示によるもので、グライフ自身が積極的に今回の制圧を主張したわけではないのだろう。内心の動揺をすぐに押し込めたグライフは、続けて柳井を詰問する。


「しかし星系自治省の部隊も反乱に加わったと聞いている。君自身が治安維持軍司令部と独自に停戦協定を結んだとの情報もあるが?」

「星系自治省に問い合わせてみては? それに当地に展開する民間軍事企業の人間が、治安維持を担当する部署と連絡を取るのは、珍しいことではありませんでしょう? それに――」


 柳井は一度言葉を区切り、次の言葉を発する心の準備をした。些か勇気が必要だったが、言わなければこの場は収められないと、腹をくくった。


「帝国軍が罪のない星系を無秩序に攻撃するような事があれば、辺境星域はより混乱を増し、ひいては帝国の屋台骨を揺るがしかねません。辺境鎮ちんのグライフ提督らしからぬお言葉。私の聞き間違いであると信じたいところです」


 柳井はそこまで言って、一度口を噤んだ。柳井の次の一言を待つように、グライフも、周囲の幕僚や衛兵も硬直している。柳井はここでとどめの一撃を繰り出すことにした。


「……閣下は帝国の友邦たる自治共和国の数億の罪なき臣民を虐殺し、女子供を対消滅の閃光の中で一瞬にして消し飛ばし、我ら帝国の民が血と汗と涙を流して開拓した惑星を原初の姿に還すだけでなく、帝国の盤石な平和を崩し、いたずらに陛下の玉名を汚されるおつもりですか?」


 グライフだけでなく、この部屋にいる第一二艦隊幕僚、銃を構えた陸戦兵が硬直したのを柳井は見逃さなかった。グライフも、そこまで言われては迂闊な事が出来ないと自覚していた。皇帝が国家統合の象徴という広告塔のポジションに収まって久しいが、まだまだその威光に陰りはない証左である。


 仮に柳井が言うように、この星系でクーデターなど起きていないのに総攻撃を掛ければ、無実の住人数億人を虐殺した張本人ということにもなるし、仮にクーデターが起きていたとしても、地表を見れば既に鎮圧済み。そしてそれをしたのが目の前の男だと分かっていればこそ、グライフに総攻撃を決断することは出来なかった。


「一つだけ聞きたい。君は一体何者だ」

「ただの民間企業の課長ですよ」


 ブラウンは、グライフと柳井の会話に割って入ることも出来ず――入る気は毛頭なかったが――そのやり取りを見て居た。柳井の回答に、ブラウンは吹き出すのをこらえるので必死だった。


 この後、第一二艦隊情報部からの形式的な事情聴取を受けた柳井は、一時間ほどで解放され、特にトラブルもなくエトロフへと帰還。その頃にはほとんどの引っ越し作業は完了しており、柳井は指揮座を輸送艦ベルタルベに移し、地球本国帰還の途へついた。

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