第8話 アルバータのいちばん長い日〈3〉

 帝国暦五八三年九月二日 〇四時三一分

 アルバータ星系 第一二惑星衛星軌道

 護衛艦エトロフ メインブリッジ


「来ました。護衛艦シムシルです。距離一二〇〇〇メートル」


 シムシルは通常空間へ浮上したときの空間の揺らぎを引きずり、星間ガスを励起させながらこちらへ近づいてくる。傍目はためには綺麗きれいなものだが、鋭敏なセンサーを使えば遠方からでも確認できるだろうから、軍用艦にしてみれば特に利点とはならないものだ。


 艦橋据え付けの大型光学望遠鏡――大昔の潜水艦の潜望鏡を思わせるノスタルジックな設備だ――を覗いていたホルバインが、ホッとした声で報告をしたのを聞いて、艦内の空気が若干和らいだのを柳井は感じていた。


「これで全艦集結だな……追撃は?」


 アスファレス・セキュリティ艦隊は、アヴェンチュラ離脱後欺瞞航路を取り、アルバータ星系第十二惑星ホーリンの軌道上に集結した。柳井がここを緊急時の退避先に選んだのは、輪の数と衛星の数が多く、かくみのに適していたからだった。


「今のところ確認されていません。航路欺瞞も念入りに行いましたし、しばらくは大丈夫でしょう」

「……アヴェンチュラの様子は」

「こちらです」


 柳井が通信士のカネモトに命じると、威勢のいいオーケストラ演奏の歌の前奏が流れ始めた。


『星々の海を渡る我らが同胞。圧政を破りいま立ち上がらん。響く我らの自由の精神。我らの星を今、取り返さん』

 

 勇ましいメロディーに扇動的な歌詞の歌はヴァリス・マリネリス解放歌。辺境惑星連合の国歌といえるもので、アルバータ星系内で受信できるすべてのテレビ、音声放送に流されていた。背景の画像は辺境惑星連合が使う共通の旗印の画像が映しだされているだけで、まるで放送事故のようだった。


「旋律はいいが、歌詞内容は手垢まみれだな」

「まあ、国歌の歌詞なんて国民の一割も本気にしないから問題ないでしょう」


 柳井とホルバインは暢気に解放歌の論評などしていた。


「ずーっとこの調子で歌ばかり流れてまして……まだ、見ますか?」


 ブリッジ内に流れる同盟歌が二番に差し掛かろうとして、柳井は映像を切るように命じた。妙に耳に残る歌だけに、聞いていると思考が傾きそうだと柳井は感じたからだ。


「……妙だな。とっくに新政権の放送でも入っていると思ったが」

「星系内ネットをあさっても、閣僚名簿も候補者も出ないですからね。徹底した情報統制を敷いているといえば、まあ分からなくもないのですが。それと、匿名の暗号通信を受信しました。通信というよりも、ビデオメッセージですが」

「解析できるか?」

「はい。暗号形式は、帝国官公庁が使用するものです……解析結果出ました」

『こちらは、アルバータ星系自治政府、首相のモリソンだ』

「自治政府首相……まだ拘束されていなかったか」

「タイムスタンプは四時間ほど前ですから、私達がガーディニアを飛び出した頃ですね」


 困惑した表情の首相の背後の窓には、黒々とした煙が立ち上り、アヴェンチュラのセンターポリス内でも暴動が起きていることが察せられた。


『誰か、この放送を聞いている人は、帝国本国に伝えてくれ。我々は現在、首相官邸に立てこもっている。各省庁の外は警察部隊と、反乱軍に与しなかった降下機動兵団の部隊が守っているがいつまで維持できるか分からない。誰か、誰か……こちらはアルバータ自治共和国、首相のモリソンだ。首相官邸ほか政府機関はまだ占拠されていないが、外を反乱軍に取り囲まれて身動きがとれない。外部への通信も、この首相官邸以外からは不可能だ。ただ、これだけは誓う。自治政府に独立の意思はない。市民もほとんどそれに賛成だ。しかし、一部の反乱軍がこの暴挙を』


 そこまでいって、ビデオメッセージは途切れた。強制的に遮断されたか、それとも通信機が破壊されたか、どちらかだろうがここからでは推測でしかない。


「ここまでです」

「この軌道からなら本社にも連絡できるはずだ。バレないように繋げられるか?」

「可能です」

「よし、準備を進めてくれ」


 本社への直通回線への接続作業を始めたカネモトが柳井を振り返った。その表情はただただ困惑しているというもので、柳井はコンソールをのぞんだ。


「馬鹿な。なぜうちの第一艦隊がこんなところに……第一艦隊は今頃惑星カルカノの賊徒迎撃に……まあ良い。繋いでくれ」

『柳井君、お疲れさま。あなた前線に出てから少し痩せたかしら?』

「お久しぶりです、アルテナ部長。まあ、それは、色々ありまして」


 柳井の顔を画面越しに見ている第一戦略部部長であり、現在はの第一艦隊の長期陣頭指揮に出ていたらしいフェリーネ・アルテナ部長は口調とは裏腹に緊迫した面持ちだった。


『今、本社も含めてアルバータ星系のことで大騒ぎよ。帝国軍第一二艦隊が、先程アルバータ星系に進発した』

「ナンバーズフリートがもう動いているのですか?」


 ナンバーズフリートとは、帝国軍の根幹をなす第一から第一四艦隊までを差す俗称だ。


『ええ。おまけに対惑星攻撃用の戦略編成だと言うから……今、そちらにデータを送った』

殲滅せんめつ戦の用意ですか」


 アルテナの表情に、柳井はただならぬものを感じていた。通信を聞いているカネモトやニスカネンも、その言葉の意味に気がついたらしく、顔色が若干青ざめていく。リストに映し出された艦艇はヴェスヴィオ級重爆装艦をはじめ、昨今お目にかかれない重火力の物ばかりだった。


『しかも、我が社にも戦闘参加の命令が来た。明後日には帝国艦隊の攻撃が始まるから、早くそこから逃げて、こちらに合流しなさい』


 通信にノイズが乗り始めたのは、明らかにこちらの通信が敵に気が付かれている証拠と気がついた柳井は、アルテナに手短に礼を述べながら、通信士席に向かって首をき切るジェスチャーをして見せた。その意味をんだカネモトが直ちに回線を遮断したのを確認してから、柳井は次の指示を下した。


「各艦の艦長を、ワリューネクルに集めてくれ」


 〇五時〇一分

 巡航戦艦ワリューネクル 大会議室


「惑星オストラント駐留の帝国軍第一二艦隊、軌道航空軍の東部方面戦闘隊第三一爆撃隊、同第一二九制空隊、更にうちの第一艦隊、それに近隣の星系自治省治安維持艦隊、対する敵方は辺境惑星連合の二個艦隊がアルバータ星系に進発。どちらも本気で事を構える体勢だな」


 アルテナ指揮する第一艦隊から共有されたデータを見て、簡潔に感想を述べた柳井は会議室のモニターを編成表からアルバータ自治共和国周辺宙域図に切り替えた。


「到着が一番早いのは辺境惑星連合の二個艦隊ですが、本社情報部のデータによると、つるしの安売りフリゲートが主力のようですからこちらの火力で蹴散らせるでしょう。問題は帝国側の艦隊が到着したあとです」


 ホルバインが不安げに言うと、帝国軍第一二艦隊の編成表を見た幹部全員があんたんたる表情になった。


「アルバータ星系が独立しようものなら辺境惑星系の政情不安も一層増すだろう。それに対する見せしめだよ、これは」


 ニスカネンは怒りを押し殺したような声音だった。民間人も含めた星系内無差別攻撃は、非公式ながら幾つかの辺境星系で行われていると言うことは、今まで彼自身は半信半疑だったのだが、今こうしてその現場になるかもしれない場所に居るとなれば、信じるより無かった。


「だからと言って星系内賊徒に対する武器の無制限使用なんて……」


 護衛艦クナシリ艦長のブラウン係長の声は、消え入るように小さくなっていった。帝国軍の第一四艦隊まではナンバーズフリートと称される帝国軍の主力中の主力であり、装備も軍事企業のものと比べ物にならない高火力の物が揃えられている。帝国の民間軍事企業の社員としての基本教養として、彼女もそのレベルがどの程度のものかは把握していた。


「都市の一つや二つは吹き飛ばしてみせるってことなんだろう」


 ハイドリヒが、血の気の引いた顔で言うのも当然で、帝国軍の装備はそれだけの火力がある。アドミラル級戦艦やアムステルダム級巡洋艦ですら、地球型惑星なら軌道上から地表までを精密射撃することが可能だし、ヴェスヴィオ級重爆装艦は地殻貫通型光子魚雷を搭載し、地殻ごと都市を吹き飛ばすことも可能だ。

通常の艦隊戦ではまず投入されない装備で、同級が編成に組み込まれたということだけで、帝国の作戦が読み取れる。


「つまり、何とか帝国艦隊が到着するまでに星系内の反乱勢力を、政権交代の前に降伏させなければならない。そうでなければ帝国の航路図からアルバータ星系の名前が消えてしまうことにもなりかねない、ということですか」

「少なくとも、宇宙の部隊さえ黙らせれば、地上の部隊などたかが知れている。星系自治省の治安維持艦隊も動き出せば、帝国軍の出る幕ではない」


 ホルバインの言葉に、柳井は頷いた。この時柳井は、ガーディニアから出港したその時から抱いていた決意を、全員の前で吐き出すことに決めた。


「……ここからは、正規の社命ではない。私はアスファレス・セキュリティの課長として、皆の生命と会社の資産を守る義務がある。この小さな惑星系にかかずらうことで、その義務を放棄することは、あってはならないことだ。だが、この小さな惑星系も、同じ帝国臣民の住まう場所」


 柳井の言葉を聞き逃さないようにと、幹部全員は静まり返っていた。柳井は会議室内を見渡して、自分の決意を伝えた。


「私は、この星系を見殺しには出来ない」

「しかし課長。我々の任務外です、これ以上は」

「分かっている! そんなことは分かっているんだ、だが……ここでアルバータ星系を見捨てることは、私には出来ない」


 ガンボルト係長の言葉に対して、柳井は懇願するような口調だった。

 会議室にしばしの沈黙が流れた後、唐突にハイドリヒは口を開いた。


「課長。もし帝国軍の総攻撃からこの惑星系を守ったとして、我が社にいかなる利益があるのですか?」

「我々は護衛任務でここに来ていただけですよ、ハイドリヒ艦長」


 ハイドリヒの言葉に、ハンフリーズの言葉が継がれた途端、ある種の悪知恵が会議室の全員に共有された。


「そうだったな。ここで我々が何をしようが、我々は船団護衛しかしていない。課長、そうでしょう?」

「そうですね。万が一、船団がクーデター派に捉えられでもしたら事ですし、これは我々の仕事でしょう」


 ハイドリヒの問いに、ハンフリーズは平然と答えた。二人の茶番劇とも言える会話は、ある意味でこの場にいる全員の逃げ道を作った形になった。


「……君達には私を更迭する権利もある。それを行使してもらって、地球へ戻るという道もある」

「何をおつしやるのです。私たちは、船団護衛のためにここに居るだけで、課長を更迭するような理由は無いですよ」


 ハイドリヒの言葉に、残りの幹部達は頷いた。ガンボルトやパンもそれに続いた。それを見た柳井はホッとしたような表情を浮かべて、再び顔を引き締めた。


「作戦案は私に考えがある。二時間後までに共有する。作戦開始は六時間後の一一〇〇とする。それまでに皆を休ませておけ」


 一糸乱れぬ敬礼と共に、幹部達は自分の乗艦へと戻り、出撃時間までに仮眠や準備をすすめていった。



 〇七時二一分

 護衛艦エトロフ 司令室


 作戦案を各艦に送信し終えた柳井は、仮眠前にホルバインの訪問を受けていた。


「課長、決行に異存はありませんが、既に本社艦隊に情報が行っているということは、我々がこれから行うことも……」

「もちろん本社も知ることになるな。後からフライトレコーダーを見たら大慌てだろう」


 各艦の作戦準備が完了したことを確認した柳井は、自室で休息を取っていた。向かいに座るホルバインの不安げな表情を見て、柳井は殊更おどけたような調子で答えてみせた。ホルバインは会議中は不安げな声も表情も表には出さないが、自分と会話している間だけは本音が出るというのが、柳井の観察による結論だった。


「大丈夫でしょうか?」

「向こうの戦力は大したものではない。戦闘は何の心配も要らないさ」

「いえ、私が心配しているのは、むしろ事が収まった後です」

「私のことなら心配してくれるな。私が全部背負っていくんだから」

「ですが」

「考えても見ろ。この作戦が成功してもなお、帝国軍がアルバータ星系を焼き払うと言うのなら、うちの第一艦隊がその目撃者になるんだぞ? 帝国臣民の生命と財産を守るはずの帝国軍が、そんな暴挙に出るものか」


 柳井が除眠剤を頓服したのを見ていたホルバインは、一瞬上司の判断に隙がある事が気にかかった。


「うちの会社は、帝国軍が筆頭株主で、帝国の会社です」

「軍が記録を消去しろと言ってくるか、箝口令かんこうれいを敷いてくるか不安だと言うのだろう?」


 ホルバインの言わんとしていることは、柳井も承知の上だった。思考を先読みされたように感じたホルバインは、上司に倣ってグラスを空ける。


「実際にクーデターが終結していたあと、それでも情報操作をするのと、何もなかったことにするのはどちらが楽だ?」

「……後者ですが、それは帝国政府の事なかれ主義に付け込もうということですか」

「第一二艦隊のグライフ提督は、どちらかというと官僚的な人だからな。問題が発生していないという事になれば、そちらを取るだろうさ」


 ホルバインは、柳井が着任する前に彼の経歴を一通り見ていたが、少佐で退役した割に実情を知りすぎているように思っていた。むしろ帝国軍というのがそれくらいの魑魅魍魎ちみもうりよう跋扈ばつこする場所で、このくらいの事は当然のように知っていなければ務まらない場所なのかもしれないとも感じた。


 自分のような高等実科学校卒で民間軍事会社入社のたたげには分からないし、知りたくもない事だとホルバインは思考を切り替えることにした。柳井は相変わらずの生真面目な部下の姿に安心して、ウイスキーボトルを掲げてみせた。


「無事仕事を終わらせて、本国へ戻ろう。作戦が終われば、残りで祝杯だな」


 ホルバインはそんな上司を見て、自分の不安はゆうに終わるのではないかと安心することにした。


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