第7話 アルバータのいちばん長い日〈2〉

 帝国暦五八三年九月一日 二〇時〇〇分

 巡航戦艦ワリューネクル 大会議室


「現状を整理しよう。ホルバイン、頼む」


 柳井に促され、ホルバインがモニターのスイッチを入れる。照明が落とされた会議室内の大型スクリーンには、アルバータ星系を中心とした通信網を模式的に表した映像が投影される。


「現在、本艦から本社への直通回線、ET&T(帝国電信電話株式会社)の一般回線を含むすべての通信回線が不通。これにより外部の状況が全く分かりません。このアルバータ星系内での通信以外がすべて遮断されています」


 通信網を表す細い実線は、アルバータ星系を出てすぐのところから破線になっており、そこから先に接続されていないことを示していた。


「状況は思ったよりも早く推移した、ということかもしれない。我々も決断が……つまり、本社と連絡が取れない場合に、我々は何をするべきか、ということだ」


 課長であり、この部隊の最高指揮官である柳井の言葉に、会議室にそろったほぼ全員が困惑の表情を浮かべた。その中で一人だけ、挙手をして発言を求めた者が居た。


「課長、ここは独自判断でも、すぐに星系を離れるべきではないでしょうか」


 ワリューネクル情報解析長のハンフリーズに会議室の視線が集まる。それを見た彼女の上司であるハイドリヒは、顔をしかめていた。


「やめないか、ハンフリーズ」

「ハイドリヒ艦長、これは我々の生死に関わる問題です。役職や所属は関係ありません」

「ハンフリーズ君、君の言うことはもつともだ……だが、我々がここにいるという事それ自体が、アヴェンチュラの分離独立派にとっては最後の足枷になっているのかもしれない」


 柳井の言葉ももっともだった。現状のアルバータ自治共和国内において、最大の火力を持つのはアスファレス・セキュリティの巡航戦艦ワリューネクルのみ。これ一隻で、改造船舶が束になってきても殲滅することは容易い。さらに言うならば、帝国民間軍事企業には努力義務として、領内の反乱などの鎮圧を防止することが課せられている。


「確かに。もしかしたら本格的な反乱発生前に、帝国軍が通信不通の事実に気づいてくれるかもしれない」

「そう言っている間に、我々が攻撃を受ける恐れがあるということです。課長、重ねて進言いたします。今すぐ撤退するべきです」


 ワリューネクル砲雷長のコルガノフの言葉を聞いてもなお、ハンフリーズは一貫した意見を主張した。彼女の言うことは正しい。会議室内の空気も、撤退の方向に傾きつつあった。


「我々の任務は船団護衛です。この星系が反乱を起こしたとして、それに対する責任はありません」


 護衛艦シムシル艦長のパン係長代理の言葉に続いて、会議室に詰めていた幹部たちは次々と口を開くが、混乱の度合いは増すばかりだった。


「アルバータ星系は辺境でもかなりの規模の自治星系だ。ここで本格的な武装蜂起など起きれば、辺境星域全体が不安定化する」

「それを鎮めるのは、帝国軍の仕事だろう」

「いや、だが帝国軍はうちの筆頭株主だぞ」

「今は株主会の話をしている時ではないでしょう。我々は、これだけの装備しか無いんだぞ」

「だが、少なくとも星系自治省の治安維持艦隊よりは優勢だ。賊徒の装備なら我々でたたつぶすことだって」

「待って、何で私達が武力行使に打って出る方向に?」


 自分達が極端に危険な状況に陥っているという認識が増幅され、ややヒステリックになりはじめた会議室内の空気を感じ取った柳井が、机を思い切り叩いた。


「会議は一旦休憩とする! 全員、頭を冷やしておけ! ガーディニアの星間通信局に行ってくる。ニスカネン、付いてきてくれ」

「はっ」


 常には聞かない柳井の厳しい声に、沸騰状態となっていた会議室も落ち着きを取り戻した。


「……しかし、柳井課長が何を考えてるのか、私には分からん」


 柳井とニスカネンが退室したのを見計らったようなタイミングで護衛艦アライド艦長、ガンボルド係長が発した言葉は、妙に会議室に響いた。柳井と比較的長い付き合いの運輸部が不安を感じているくらいだから、ハイドリヒら第二戦略部の人間が不安を感じないわけがなかった。


「砲雷長とハンフリーズはブリッジに戻れ」

「ハイドリヒ係長、ここは指揮官たる柳井課長を更迭すべきかと」


 ハンフリーズの言葉に、ハイドリヒは再び顔を顰めた。万が一、作戦遂行中に指揮官たる上長がその任に堪えない場合、その直下の役職者数名の合議による上長の更迭権が与えられている。そして、それはハイドリヒにも与えられている権限だ。


「ハンフリーズ君は、うちの課長が心神耗弱していて指揮の任に堪えないと、そう言いたいのか?」


 運輸部の係長であり、柳井に最も近い位置にいる係長のホルバインからしてみれば、ハンフリーズの言葉は侮辱に等しかった。

 

 普段は冷静で落ち着いた彼の顔にも、若干の怒りが浮き出ている。ただならぬ気配を察して、席を離れていた幹部達が着席して、そのやり取りに聞き耳を立てている。ハイドリヒはこの時、自分の返答次第でこの部隊の統率が崩壊することを悟った。


「柳井課長が優れた管理監督者であることは否定しません。しかしそれはあくまで平穏な時の話です。今、このアルバータ星系で我々が生き残るには、前線での経験が豊富なハイドリヒ係長のほうが適しているといえます」


 ハンフリーズの言うことはこの場にいる全員が分かっていた。運輸部は戦闘を経験しているとはいえ、所詮後方宙域での仕事が大半だが、第一、および第二戦略部の艦隊は多かれ少なかれ帝国の敵対勢力との大規模戦闘を経験している。


 アルバータ星系で起きている異常に対して、どちらがより適した対処を出来るかは火を見るより明らかだと、ハンフリーズは言外に匂わせていた。本社の指示を待たずして撤退をするという決断を柳井が下さないのであれば、それもやむを得ないという空気に流れるのには大した時間がかからないことを、誰よりもハイドリヒは自覚していた。


「ハンフリーズ。お前は俺に、課長に対して反旗を翻せと、そう言っているのか」

「そう取っていただいても構いません。本社との連絡は付きませんが、事後報告でも認められています」

「……それは出来ない。あくまでこの任地は運輸部の管轄で、我々は増援として回されたに過ぎない」


 自分自身にも言い聞かせるようなハイドリヒの口調に、会議室に居た幹部クラスの緊張が解けていく。ハイドリヒは、いわば外様とざまである自分の立場ならなおこと、自分の発言が運輸部の幹部の判断に影響を与えかねないことを分かっていたからこそ、彼は注意深く言葉を紡いでいた。


「本社と連絡が取れないというだけで動揺が広がっている。混乱や短慮を引き起こすこともあり得る。ただでさえ不安定な今、そんな愚は犯せないだろう」


 ハイドリヒの言葉に、ハンフリーズはホルバインに申し訳ないと頭を下げて自分の席に戻った。


「皆、落ち着いて聞いて欲しい。今の今まで、本社と連絡が取れなくなるような作戦行動なんて、いくらでもあるはずだ。今更何も珍しいことじゃあない。とにかく、本社と連絡が取れるまではかつな行動はできない。柳井課長が戻るまで待とう」


 ホルバインに促されて、くたびれた顔をした幹部達は、コーヒーを飲む者、近くの者と話す者、一旦自艦に戻る者に別れた。

 そんな大会議室に、ワリューネクルの一角にある事務室に詰めているはずの事務員が港湾近くのコンビニで買ってきたスナック菓子を抱えたまま飛び込んできたのは、柳井がワリューネクルを出て一〇分ほどした時だった。


「た、大変です! 柳井課長とニスカネンさんが、星系自治省駐留部隊に連行されました!」


 肩で息をしながら、若干パニックになりつつも事務員が状況を話し始める。


「突然銃を持った連中が、二人を取り囲んで……ガーディニアの星間通信局に行く途中で!」


 さらにワリューネクル整備班長の横井が飛び込んできたのはそれとほぼ同時だった。


「アヴェンチュラでクーデターだ! おまけに星系自治省アルバータ星系治安維持軍は、アルバータ星系の独立を支援すると声明出してるぞ!」

「テレビ! テレビをつけろ! リモコンは!? どこにしまい込んだ!」


 ハイドリヒが慌ててテレビをつけると、星系内の国営チャンネルがすべて同じ放送を流していた。映像が妙に荒いのは、おそらく放送回線に強制介入をしてこの放送を流しているからだと会議室内の全員が気づくのに、それほどの時間は要しなかった。そんなことが出来る装備を持っている部隊は、この星系内では限られている。


『我々星系自治省アルバータ治安維持軍は、この星系の独立を目指す勇士達に合流し、アルバータが真の独立国家として帝国と対等の地位を手に入れる戦いに、賛同するものである!』


 その名前が流れた一瞬、会議室の全員が凍りついて動けなかった。その中で、誰よりも早く再起動を果たしたのはホルバインだった。


「帝国星系自治省の現地部隊が謀反だと……各艦は第一種警戒態勢のまま待機! 二時間して課長達が戻らなかったら全艦発進。第十二惑星軌道まで移動して様子を見る。陸戦隊は市街戦装備で待機、残りの社員にも拳銃の携帯を!」

「課長たちを見捨てるのか!?」


 ホルバインの指示に、ハイドリヒは思わずにらみつけるような目線を向けていたが、そうだ、と一言で済ませたホルバインの言葉に、あの二人の信頼関係が筋金入りだということをハイドリヒは感じていた。


 二〇時三二分

 星系自治省治安維持軍 司令部


「……向こうも今頃大騒ぎかな」


 周囲に聞こえるか聞こえないくらいの柳井の呟きは、隣にいたニスカネンの声にかき消されて誰も聞くことはなかった。柳井達はガーディニアの星間通信局なら状況が分かるかもしれないということで外に出たものの、その道中でこの星系自治省治安維持軍に連行されていた。二人は一応客人としての扱いを受けているので手錠もされなかったが、その後ろには小銃を構えた衛兵が常に柳井とニスカネンの後頭部に銃口を向けていた。


「つまり、アルバータ星系は現在、クーデター軍の管理下にある、と。そういう事か」

「クーデター軍ではない、我々は独立義勇軍だ」

「それを一般的にはクーデター軍と言うんだ!」

「なんだ貴様。我々を支持できないと、暗にそう言っているのか!」

「暗にも何も、堂々とそう言っているのだ。かしこくも皇帝陛下にお預かりした兵器と兵士を使い、帝国に反旗を翻すのはあんた達帝国軍人のやることではないだろう!」

「我々は帝国軍ではない、星系自治省治安維持軍だ!」

「お前達はもう治安維持軍ではない! 帝国に反旗を翻した賊徒だ!」


 星系自治省の治安維持軍は自治星系の監視部隊のような立場なのだが、これがクーデターに参加することは、このクーデターがより大規模な物になることを意味していた。


「第一だ、貴様らのような装備の貧弱な部隊など、帝国軍ナンバーズフリートの敵ではないぞ!」

「すぐに同志達の艦隊も到着する。帝国軍が来る頃にはこの星系は完全に我々の統制下に置かれる」


 柳井は普段、こういう時にはホルバインかハイドリヒを連れてくるのだが、彼らには万が一の場合の指揮官として部隊を指揮する役目があるので、同列のニスカネンを連れてきていた。


 ニスカネンの口撃に乗ったクーデター軍の大尉は、柳井の予想以上に自分達の手の内をしやべってくれていた。ニスカネンは若干煽あおり過ぎの感は否めないが、これは彼の性格上の問題かもしれないと柳井は納得していた。


「我々はアルバータが、正統な独立星系としての道を歩むために協力しているのだ。現在の帝国は建国当初の理念、つまり諸星系の自治は尊重しつつ同じ皇帝旗を仰ぐという事を忘れ、いたずらに自治権への介入を進めているではないか!」

「自治権介入されているのは政情不安の星系だけだ。辺境の独立星系連合を呼び寄せたりするからではないか! 大方帝国軍艦の強奪も、貴様らが協力していたのだろう」

「貴様、我々を侮辱するか!」

「申し訳ない、部下がご無礼を」


 げきこうした治安維持軍の大尉が拳銃を握ろうとしているのを見た柳井は、ニスカネンの肩を押さえて座らせる。それを見ていた司令官のコールマン准将は、まるで柳井とニスカネンを懐柔するような口調で話し始める。


「……何とか協力してもらえないだろうか。我々の独立の暁には、君達にも特別の地位を約束するよ」

「そうですね……一度、社に戻って検討させていただきましょう」


 柳井の場の空気にそぐわない口調と言葉に、准将は明らかに苛ついていた。柳井はそれをさらに煽るように、儀礼的に出されたコーヒーに口をつけた。帝国軍を中心に官公庁に納品されるインスタントコーヒーの安っぽい苦みが、この際柳井にはほどよいと思えた。


「今ここで、結論を出していただきたいのだが」

「准将。商談は、急ぐと元も子もなくしますよ」

「何?」


 腰に下げた拳銃吊りに手を伸ばしかけた准将を尻目に、柳井は普段と変わらないゆったりした動作で立ち上がる。


「ニスカネン、帰るぞ」

「はっ」


 あまりに自然な動作なので、衛兵も准将も大尉も、誰も身動きが取れなかったが、柳井が懐から取り出した握りこぶし大のボールが、しゆりゆうだんの類だと駐留軍の人間が気づいて飛びかかろうとした時には、床にたたけられたせんこう弾がその場を真っ白に染め上げた。柳井とニスカネンは出入り口を固めていた兵士を突き飛ばして、部屋から逃げ出す。


「拘束しろ! 逃がすな!」


 目の前に飛び出してきた兵士の足下に、再び柳井が閃光弾を投げつける。新星が眼前に現れたような通路で、完全に視界を奪われた星系自治省の部隊はまともな統制も取れない。その隙に柳井達は司令部の通路を駆け抜けていった。


「民間企業の人間だからと、拘束も所持品確認もしないからこうなるんだ」

少々無茶むちゃをし過ぎではないですか!?」

「どうせ星系自治省のガワだけの連中だ。撃てはしないさ」

「居たぞ、撃て! 撃て!」


 通路の影から飛び出してきた警備兵が、慌てた様子で拳銃を発砲する。銃弾がニスカネンの足元の床を砕き、柳井の後ろの照明を破壊する。


「撃ってきたじゃないですか!」

「いやぁ、意外と骨のある連中だな」


 柱の影に身を隠した柳井とニスカネンは、銃撃が途切れたタイミングを見計らって再び走りだす。衛兵達も殺害を目的としているわけでは無いので狙いが定まらず、足止めをすることは出来なかった。


 ニスカネンは、普段の柳井の雰囲気から計り知れなかったごうさに驚いていた。この状況でも、ひるむこともなく突き進む上司の姿に、今の状況が現実のものか分からなくなっていたところで、彼の動揺を感じたように、柳井は不敵にほほんでみせた。


「本社勤務の、ただの事務屋だと思っていたか?」

「い、いえ、そんな」


 ニスカネンはそう答えるのが精一杯だったが、その反応が柳井に対するニスカネンの印象を如実に表していた。しかし柳井はそれに気を悪くするでもなく、そういうものだとニスカネンの肩をたたいた。柳井自身も自分が事務屋に過ぎないと考えていたが、部下の手前、強気に見せただけのことだ。


「港の方は、保ってあと一〇分だろう。こんなところで雑魚と遊んでる暇はない。急ぐぞ」

「はい!」


 後ろから追いかけてくる衛兵達の姿をちらりと見ながら、ニスカネンはいつもどおりホルバインが付いて行けば良かったのにと考えていた。


 二一時〇三分

 巡航戦艦ワリューネクル メインブリッジ


「課長達はまだ戻らんのか」

「はい、司令部方面で散発的に発砲音が聞こえるので、そろそろ戻ってくるはずですが……」


 ハイドリヒは、窓から見える岸壁に続々と集まりつつある治安維持軍の部隊を見て、いらいらとしながらブリッジ内を歩き回っていた。治安部隊の装備でどうこうなるような艦では無いにせよ、いずれ制圧戦を挑んでくることは明らかだったからだ。


『うちの陸戦隊はいつでも動かせますが』


 そんなハイドリヒの様子が伝わったのか、ワリューネクル陸戦隊長のザイチェフは、すでに市街地用の近接戦闘装備に身を包んでいた。


 ハイドリヒは、モニターに映るその姿を見た瞬間に反射的に首を横に振っていた。艦長として彼らの戦闘力をよく把握していただけに、出撃すればここが主戦場になりかねないことも分かっていたからだ。


「少なくとも、帝国軍事企業の人間を殺せばどうなるか分からん連中ではないはずだ」

「ま、それはそうですがね……あっ、課長達帰ってきた!」


 ブリッジの窓から双眼鏡で司令部の方向をのぞいていた航海長の声に、ハイドリヒは反射的に指示を出していた。


「課長たちを援護!」


 同時刻

 護衛艦エトロフ ブリッジ


「ハッチ開けろ! 対空レーザー、敵歩兵部隊前面に演習用最低出力で撃て!」


 所謂いわゆる見た目だけのレーザーは、網膜に直撃でもしないかぎり人体に何ら影響は加えない。しかし、突然艦砲から撃たれたと勘違いした星系自治省部隊は、逃げ惑うばかりで柳井達を捕縛することも出来ない。


「艦長。課長達、ハッチに入りました」


 エトロフの通信を管轄するカネモトは、対空レーザーの手動照準射撃などと言う、今まで使ったこともない機能を見事に使いこなしていた。照準スコープから目を離した彼の報告と同時に、ホルバインは隊内無線のスイッチを入れた。


「こちらエトロフ、課長とニスカネンを収容した。直ちに全艦発進」


 ホルバインの指示と同時に、エトロフを始めとするアスファレス・セキュリティの護衛艦が桟橋から次々に離れていく。ここで艦を沈めればガーディニア自体が崩壊することもあり得るのだから、双方ともに手が出せないままだが、むしろ危険なのは港を抜けた後だということをホルバインは把握していた。


「港を出たら最大戦速」

『港外にフリゲートを確認。沈めるか?』

「警備艇くらいなら無視すればいい。最悪ワリューネクルではじばしてやってくれ」


 ハイドリヒからの通信にホルバインの下した指示は、それを聞いていた者達の動きが一瞬止まるようなものだった。


『……分かった、任せろ!』


 一瞬、ニヤリと画面の向こうで笑ってみせたハイドリヒに、ホルバインは軽く手を上げて見せた。


「さて、今回は少々荒っぽいぞ。後続にもその旨伝えておけ。欺瞞ぎまん航路を取りつつ各艦、最終浮上宙域は事前の取り決め通り」

「はっ」


 カネモトの返事と同時に、ブリッジ後方の扉が開く。いつもどおりのスーツ姿がそこには立っていた。


「すまない、遅くなってしまった」

「ご無事で何よりです。安全距離を取り次第潜行、第一二惑星ホーリンの近傍で浮上する指示を出したところです」

「よろしい……やれやれ、これからが厄介だ。どうしたものか」


 言葉の割に、柳井はさして困った様子でもない。しかもこの状況で汗一つ流していないのを見て、ホルバインは改めて上司の意外な一面に気付かされた。一緒に同行していたニスカネンが青息吐息なのと比べてもそれは明らかだった。本社の事務屋という隊内の下馬評が、あっという間に塗り替えられているだろうことを、ホルバインは感じ取った。


「まもなく港口を出ます」


 ホルバインは自分の目に狂いはなかったのだと、この場に似合わない満足げな顔で、カネモトからの報告に神経を正面に向け直した。


 二一時一二分

 巡航戦艦ワリューネクル メインブリッジ


「最大戦速で突っ切るぞ! 正面シールド出力最大。各部署、対ショック体勢」

「主砲、撃ちますか?」


 砲雷長の言葉に、ハイドリヒは首を振った。


「発砲待て」

「あくまで流血は最小限に。すっかり艦長も柳井派といったところですか」


 航海長のボヤキも、今では若干の好意が混じっているようにハイドリヒには聞こえた。戦闘を生業とする軍事企業ではれいごとかもしれないが、撃たなくて済むならそれに越したことはない。それを全員が感じていても、なかなか言い出せなかったのに、柳井課長は平然とそれを行うのだから当然というものだ。


「俺達は、戦争のプロであって、戦争狂ではないからな……ハンフリーズ。ガーディニアから離れたら短距離超空間潜行になる。周辺の乱流がないかを調べておいてくれ」

「了解」


 港口から艦尾が抜けた瞬間、ワリューネクルは急加速を開始した。艦内の慣性制御装置で相殺できない程の加速度は、旧式とはいえ巡航戦艦の名に恥じないものだとハイドリヒは場違いな感心をしていた。


「正面。ジブラルタル級フリゲート、発砲!」


 艦首シールドが鈍く発光するのは、フリゲートの主砲が着弾している証拠だが、ハイドリヒは必死で火線を浴びせてくる警備艇を鼻で笑った。


「警備艇ごときに沈められるものか……こちらアスファレス・セキュリティ、巡航戦艦ワリューネクル。そこの警備艇、どかないと土手っ腹をぶち抜くぞ!」


 全周波数で流されたハイドリヒの言葉が通じたのか、警備艇は防御砲火を上げながら回避運動に入る。


「とまあ、こんな具合ですかね、課長」

『ご苦労、ハイドリヒ。このまま潜るぞ』

「はっ!」


 後方を映し出すモニターを見れば、すでに護衛艦群は超空間潜行を開始していた。励起された惑星間ガスが淡く光るのを見ながら、ハイドリヒも指示を下す。


「超空間潜行開始。急速潜航!」

  

 一際派手なワリューネクルの航跡が宇宙空間に拡散して消えると、ガーディニアの周囲は水を打ったように静かになった。星系自治省の部隊もアスファレス・セキュリティ艦隊の追撃を試みたが、複数隻がバラバラの方向に散った為、航跡追尾の証拠となる重力波が乱れて困難を極めた。


 結局追撃は一二時間後に打ち切りとなり、星系自治省治安維持軍改め、アルバータ解放軍は、星系内の鎮圧行動に移行することになった。

 

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