第6話 アルバータのいちばん長い日〈1〉

 帝国暦五八三年九月一日 九時二三分

 アルバータ自治共和国 首都星アヴェンチュラ 静止衛星軌道

 巡航戦艦ワリューネクル メインブリッジ


『高速質量弾接近。数一二〇〇〇。相対速度秒速一・九キロメートル』

「対砲撃防御! 防御幕をとっととバラ撒くぞ!」

『発射母艦と思われる輸送船、天頂方向、距離六五〇〇〇メートル』

「放っておけ。近付いてくるなら威嚇射撃。エトロフは?」

「すでに防御幕展開、潜航準備を開始しています」

「さすが動きが速い。こちらも潜航準備」


 いつも通り、高速質量弾で輸送船団へ攻撃を仕掛けてくるのは帝国内に巣くう分離独立派、帝国政府側の呼称は『賊徒』である。帝国の軍事企業であるアスファレス・セキュリティ株式会社の戦艦ワリューネクルを始めとするアルバータ星系派遣部隊は、それらから輸送船を守ることを命じられていた。


「こちらが護衛艦を増やした所で、やはり相手が物量を増やしてくるだけか」


 巡航戦艦ワリューネクルは、元々第二戦略部管轄の第三艦隊から引きぬかれた艦艇であり、現在は運輸部の指揮の下、護衛任務を遂行していた。


『ハイドリヒ艦長、こちらは先に潜る』

「殿はお任せを……砲撃開始、けんせいでいい、当てるなよ」


 モニター越しの輸送船団司令であるアスファレス・セキュリティ運輸部課長の柳井に、大雑把おおざっぱな敬礼をしたワリューネクル艦長のハイドリヒ係長は、敵艦へ向けて牽制射撃を命じた。


「まだ撃沈許可は出てないんですか?」


 砲雷長のコルガノフ主任は、他の乗組員と同様にその事を常々疑問に思っていたが、本社はいまだこの星系での本格的な戦闘行為を禁じていた。こちらが手を出さないのを良い事に、相手は油断しきっているのではないかとハイドリヒは考えていた。むしろ、以前発生した戦艦強奪事件のような、帝国のことをめきった行動に出るのではないだろうか。それはワリューネクル艦内のみならず、アルバータ星系派遣部隊の総員が感じていたことだった。


「今はこれでいい。本社から戦闘許可が出ないのなら、こちらは攻撃を防ぐしか無い」


 撃って収まるならそれで良いともハイドリヒは考えていたが、それに対して分離独立派のみならず、善良な一般臣民達が嫌悪感を示す恐れもある。次は自分だ、と思った時、今まで大人しかった自治共和国の市民が敵になることは十分あり得る。だから本社も安易な撃沈許可を出せないのだろう。そして、アスファレス・セキュリティ株式会社の参謀本部や艦隊司令部に、それが決断できる人間は居ない。もしアルバータ星系で動乱が起きた時、帝国から鎮圧のために、アスファレス・セキュリティの全戦力をたたむことを命じられかねないからだ。そうなれば、取締役会から現在の上層部の解任が要求されることは必至だ。もしくは、反乱の火が燃えさかるこの星系からおめおめ逃げ出し、帝国正規軍に救援を求めるか。そうなれば、その後の仕事の受注は絶望的だ。


「艦長、全艦潜航完了しました。コローニア・ガーディニアまであと五時間」

「毎度思うが潜行時間が長いな」

「仕方ないですよ、輸送船もコストケチってますからね。足回りが弱いんですよ」


 航海長のバレストラ係長補の言葉にも、諦めのような疲労が見えていた。どの乗組員も、長時間の護衛任務に疲労が見え隠れしていた。


「まったく、いつまで続くんだか」


 ハイドリヒのつぶやきは、本人が思っているよりも若干ボリュームが大きかったのか、ブリッジ内の全員に届いていた。わざとらしくせきばらいをしてその場を離れるハイドリヒに、ブリッジ要員は艦長の疲れを感じていた。



 一六時四五分

 コローニア・ガーディニア 港湾区

 巡航戦艦ワリューネクル 会議室


「今日もご苦労。幸い今回の輸送船の被害は無く終えられた。クライアントのご機嫌も上々だ」


 アヴェンチュラと恒星アルバータのラグランジュ4に形成された軌道都市、コローニア・ガーディニアは、他星系への港、民間に開放された港湾、星系自治省の治安維持軍司令部が置かれるアヴェンチュラへの玄関口だ。その港湾区に係留されたアスファレス・セキュリティ巡航戦艦ワリューネクルの会議室には、このアルバータ星系に派遣された艦隊の指揮官達が集められていた。


「船団の被害は、連続六四回被害ゼロ。記録更新だ」


 ワリューネクル配備後のアヴェンチュラ派遣部隊は、業績を僅かずつではあるが改善しつつあった。ワリューネクル追加配備による経費増があしかせになっているとは言え、ワリューネクルの火力のおかげか、敵も不用意な攻撃は避けている傾向があり、襲撃がない日もあった。

 しかし柳井の表情は言葉に反して暗く、会議室に詰めていた幹部達は顔を見合わせていた。


「本題に入る前に、今回は良い知らせと悪い知らせが一つずつある。どちらから話そうか」

「悪い知らせで」


 柳井の問いかけに真っ先に答えたのは、ワリューネクル艦長のアルブレヒト・ハイドリヒ係長だった。柳井はおもむろにうなずくと、手元のリモコンを操作してモニターのスイッチを入れる。


「エトロフの竜骨にゆがみが出ている。修正は不可能だ。ついでに機関部の不調も大分増えてきた」


 元々、タランタル級重コルベットは、最終艦の配備から半世紀近くつ。実働艦も少なくなってきた中、ついにエトロフにも余命宣告の時がやってきたのである。


「近々廃艦となるだろう。とりあえずこの星系での仕事をしているうちはそのままだろうが」


 その言葉を聞いたホルバインの顔は、若干悲しげなものだった。彼は入社してからの長い時間を、エトロフで過ごしてきた。それだけに、この決定には複雑な心境なのだろうと、周囲の幹部達は察していた。柳井にしても、一年以上穴蔵のような艦内にいれば、愛着の一つも湧くというものだった。


「良い知らせとは?」


 その空気を入れ替えるようなハイドリヒの問いに、今度は打って変わって柳井の表情は明るくなる。


「アルバータ星系での護衛任務が、来月で完了となる。本国に戻れるぞ」


 柳井の言葉に、会議室内の全員が歓喜の声を上げる。最初から護衛部隊として派遣されていた護衛艦エトロフの乗組員は約二年。途中から指揮官として派遣された柳井や、ハイドリヒをはじめとする巡航戦艦ワリューネクルの乗組員にしてもすでに一年近くが経過していた。


「しかし、急ですね? 他でもっと良い仕事でも見つけてきたのか、あるいは……」


 ガンボルト係長の言葉は、これからこの星系が辿たどるであろう道の一つを思いやってのものだった。


「キナ臭いところに自社の艦隊を置いておくと、後が面倒、ということですか」


 ガンボルトの言い様に比べて、ホルバインのそれはより直接的なものだった。依頼にない戦闘行動は、会社の利益に寄与きよしないばかりか、装備や人員の喪失につながる。だからこそ今までアスファレス・セキュリティは攻撃を仕掛けてくる不審船の撃沈をしていない。


「星系の自主独立を求めるクーデターの恐れ、か。厄介なものだ」


 柳井がモニターをテレビモードに切り替えると、市街地のデモ行進の映像が映し出される。デモの目的はただ一つ、この星系の独立についてだ。


 帝国というのは単一の国家ではなく、地球から半径一〇〇〇光年程度までを帝国本国とし、その周囲に七つの領邦国家、そしてアルバータ星系のような自治星系をまとめたものを指す。


 自治星系は自前の防衛軍も持っているが、アルバータのそれは財政状況の都合で地上にわずかばかりの陸戦兵を持つのみ。


 基本的に対外勢力からの武力攻撃については星系自治省治安維持艦隊が一応の責任をもっており、政治経済の面では帝国本国や、管轄の軍管区、隣接する領邦国家からの干渉を受けやすいのだから、完全な分離独立をもくむ人間が出てくるのは不思議ではない。


「前の帝国艦艇強奪の一件もありますし、分離独立派の勢いは強まりつつあります。万が一暴発すれば、何が起きるか分かりませんね」


 ハイドリヒの不安はこの会議室内の全員が感じていることではあったが、改めて状況を確認すれば、今までアスファレス・セキュリティが無事に営業をしていられたのも奇跡に近かった。


 分離独立派は、帝国系企業に対して幾度と無くテロ攻撃を仕掛けており、アスファレス・セキュリティはそれを妨害する邪魔者でしかない。事実、護衛任務以外での航行中に攻撃を受けることもあったし、アヴェンチュラの市街地に降りていた社員がデモ隊に取り囲まれたということもある。


「……課長、我々が撤退した後、この星系はどうなるのでしょうか」


 ホルバインの不安げな声に、会議室内の雰囲気も重苦しくなる。本気でアルバータが独立を唱えだせば、二日と経たずに帝国軍の軍事介入を呼び込み、武力制圧されることは疑いようがないからだ。


 もし、分離独立派が賊徒を呼び寄せ、反帝国派の辺境惑星を巻き込んで抵抗するなら、本格的な衝突も起きかねないし、そうなればどれだけの犠牲が出るか見当もつかない。


「我々が居ようと居まいと変わらないさ。事が起きるなら、たった今起きるかもしれないし、一〇〇年経っても起きないかもしれない……ただ、事態は切迫しているように思う。本社には撤退期日の繰り上げを進言しておく」


 この日の会議はこれで終わったものの、出席者、それにその報告を聞いた全員に何かしらの不安を覚えさせるものになった。


 一九時四五分

 護衛艦エトロフ 司令官室


「大丈夫なのでしょうか」


 不安げな表情をしたホルバインの言葉に、柳井はテーブルの上に置かれたグラスの中に目線を落とす。ただでさえ貧乏所帯のアスファレス・セキュリティの、そのまた更にアルバータ星系派遣部隊ともなると、専用の宿舎を借りる予算は降りない。護衛艦はエトロフの他に四隻、それに加えて巡航戦艦が居るとなると、港の使用料だけでもかなりのものになる。二年に及ぶ派遣中、社員は乗艦での生活を余儀なくされていた。


 司令官室とはいえ、エトロフのそれは艦長室と大して変わらない。部屋の奥行一杯に広がる執務机、壁を繰り抜いたようなベッドスペース、天井に壁、床まで収納スペースに使われていて穴蔵の中に一応の居住空間を演出する。壁の中に折りたたまれているテーブルを出せば、部屋の主と、もう一人くらいがグラスを傾ける程度のスペースは出来上がる。


 旗艦をエトロフからワリューネクルに移せば少しは状況は変わったかもしれないが、あちらは第二戦略部の所属だから、別部署の課長が乗り組んでくるのは避けたいところだろうと、柳井はエトロフから指揮座を移さなかった。


「分離独立派によるテロも起きているようです。先日は、アヴェンチュラの衛星軌道ステーションで爆弾テロ……」

「宇宙にまで進出した人類が、やる事は数世紀を経ても変わらないなんて救いが無いな」


 歴史の教科書をひもけば、旧世紀の紛争地帯はテロの歴史と言っても良かった。しかしそれは、この帝国領内でさえ起こっていることだった。


「デモはともかく爆弾テロは余計だ。普通の市民の感情をさかでするだけだろうに……だが、これでようやく帰る事ができる。地球に戻れば、まった休暇の消化も出来るだろう」


 しかし、この時柳井は自分の言葉に違和感を覚えていた。そんなに事がうまく運ぶだろうか、と。それを感じたかのように、ホルバインも不安げな表情を変えなかった。


「……ホルバイン、さっきから減ってないぞ」

「課長もですよ」


 柳井もホルバインもお互いの胸中に気づいているのだが、口に出した所で始まらないと気持ちを切り替えてグラスの中身をあおる。柳井が地球から持ってきたスコッチ・ウイスキーの瓶は、残り僅かとなっていた。


 一九時五四分

 巡航戦艦ワリューネクル 食堂


「こんなややこしい情勢の現場だ。無事に終わるとはとても思えん」


 柳井やホルバイン同様、ハイドリヒもこの状況に不安を覚えていた。何度か領土係争中の惑星系に出向いた経験が、アルバータ星系の状況を冷静に見極めさせていた。


「すでにテロやらデモやらがひっきりなしとなれば、分離独立派が実際に動き出す日も近いだろう。そうなれば、どうすると思う?」

「軍事行動に打って出るのか?」


 整備班長の横井が丼飯をかき込みながら答える。その声にはじんの動揺も不安も感じられず、ハイドリヒを若干苛いらつかせた。


「問題は辺境の賊徒の介入だ」


 この時横井は、ハイドリヒが貧乏ゆすりをしていることに気づいていた。彼がかなり苛ついている証拠だということは、同期だからこそ知っていることだった。ただ、その原因の一端に自分が加わっていることには気づいていなかったが。


「俺は治安維持軍が不安だね」

「星系自治省の治安維持軍が? どう言う意味だ」

「こんな冷や飯ぐらいの辺境任務だ。いっそ同調してやろうなんて馬鹿が出ないとも限らないだろう?」


 馬鹿な、とハイドリヒは一蹴しようとしたが、しかし考えようによっては有り得る話だ。更に横井は中央政府に反感を持つ地方派遣の正規軍というのは珍しい話ではない、とハイドリヒの思考を先読みしたように続ける。


「現地治安維持軍ならアルバータ星系出身者も大勢いる。士官、兵卒クラスになればもっと居るだろう」


 星系自治省は帝都にあって、帝国中の辺境惑星の統治機構を担う各自治共和国の行政を支配している。だから自治共和国の首相は基本的に中央から派遣された官僚が勅任を持ってその職に就く。


 その下に配される高官も同様だが、一般職員クラスになると自治共和国で現地採用されることがほとんどだった。さらに、治安維持軍となると現地人員だけで司令官から一兵卒まで固められても不思議ではない。これは治安維持軍が警察同様、現地の土地勘を必要とするからだ。


「感情に流されて、自分が仰いだ旗を裏切る、と」

「俺だって、ハイドリヒがここで本社にはんらんを起こすって言ったら同調するぞ」

「馬鹿言うな。俺は会社に従うだけだ」

「硬いねえ、お前は」


 夜食なのにパフェという悪魔的な代物に手を付け始めた横井に対して、ハイドリヒは同じく夜食のラーメンを一啜すすりもしていなかった。伸びきった麺が丼の中を満たしていても、ハイドリヒは箸を持とうともしない。


「硬い……?」

「だからさ、もっと気楽に構えなさいってことだよ。お前がピリピリしてると、ハンフリーズとか、バレストラさんもピリピリしてくるだろう。少しは柳井課長を見習えよ」


 ハイドリヒは、同期とはいえ部下に自分の緊張を見破られた気まずさを隠すように、ようやくラーメンに箸をつけた。食堂には、麺をすする音と、デザートの器とスプーンの触れる音だけが響いていた。


「艦長、ブリッジからお電話です」


 静寂を破るようなベルの音に、食堂のスタッフの声が続く。


「誰からだ?」

「ハンフリーズさんです」


 休憩時間だというのにブリッジに詰めているのは彼女の勤勉さを示すものだが、同時に休めるときに休んでくれないものだから、いざというときに動けなくなることはないのか不安になるのがハイドリヒの立場だった。しかしハンフリーズ本人はそんなことなど意に介さず、問題無いと答えるから、するに任せられていた。


「俺だ。飯くらいゆっくり……本社との連絡が取れない?」


 ハンフリーズの報告にオウム返しをしてしまい、こちらを不安そうな目で見る食堂のスタッフに聞こえないよう、ハイドリヒは声のボリュームを落とした。


「どういう事だ。本社が債務超過で営業停止にでもなったか?」

『本社だけではありません。近隣星系との通信も遮断されています』

「近傍をはぐれブラックホールが通過したとかそういうことは?」


 超空間を介しての通信は、とかくそういった高重力天体などに影響を受けやすい。銀河中心核の大質量ブラックホールに放り投げられた恒星やブラックホールが、高速で銀河辺境に飛んでくるというのは現象としてわずかな確率だが、ゼロというわけではない。


 そもそも銀河系内には、いまだ確認されていない高質量天体など掃いて捨てるほどの数があるとテレビに出ていた天文学者が言っていたのをハイドリヒは覚えていた。


『アルバータ航路局は、星系周辺の主星を含む天文事象に異常は無いと言っています』

「とにかく、あらゆる周波数帯と回線で本社と連絡を試みてくれ」

『了解しました。あと、柳井課長がワリューネクルの会議室に幹部を集めるから、用意をして欲しいとのことです』

「了解」


 乗組員の休憩スペースとしても使われている大会議室の現在の状況を頭に思い浮かべながら、ハイドリヒは食べかけのラーメンの丼を返却口に突っ込み、艦内手空てすき総員に第一種清掃体制を発令した。


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