第26話 参謀総長・柳井義久〈5〉

 帝国暦五八五年 一一月二五日 一九時〇四分

 政庁ビル 八階 伯国領主公邸


「君から申請のあった施設の徴用は許可する。すでに人員の退避は終わらせた、好きに使え」


 伯爵閣下へのその日の報告に来た私は、珍しく行政府最上階にある伯爵公邸へ招かれた。伯国領主として私邸は別にあるものの、彼女はここすうげつ、かなりの時間をここで過ごしているらしい。開拓惑星らしい合理的な複合ビルディングの中とは言え、さすが皇統貴族の住まいともなれば、それなりの設備と丁度品が揃られている。


「恐れ入ります。しかし、私のような者の指示を聞き入れてくれる将兵達のおかげで、戦備も整いつつあります」


 実際、たったの二ヶ月で私と実戦部隊の間に信頼関係が築き上げられたのは奇跡に等しい。艦隊司令長官エマール中将、首席参謀グリボーバル中佐――彼らはこの二ヶ月で昇進を果たした――をはじめとして、首脳部が伯爵の意をんで私に協力的だったのも、その助けになった。


「軍人というのはそういうものだろう。特にその指示が的確であればな」


 その日の戦果報告に来た私は、領主発行の書面を手渡された。領主たるピヴォワーヌ伯爵の署名と、ナノマシンを含むふうろうの朱色は、生々しい艶を放っていた。


「……伯爵閣下。何故、私をお選びになったのですか」


 ろうそくの炎が揺らめき、いたずらっぽい笑みを浮かべた伯爵が、私に向き直る。敵艦隊の襲来まであと僅か、その真意を問いただしておくのも悪くない。


「君は酒はたしなむか?」

「人並みには」

「少し付き合え。今日の勤務は一応終わっているのであろう?」


 作戦計画が定まっている現在、私の仕事はほとんどそれに沿った台詞せりふを吐くだけにすぎず、細かな艦隊運動などは前線部隊に任せておけばいい。いざとなればアルコール解毒剤を一服という具合で、それなりに動けるはずだ。私はしようしやな柄のソファに腰掛ける。


「あさってには敵がこの惑星に殺到しようというのだ。不安で夜も眠れんし、酒でもなければ覚醒剤でも投与したいところだ」


 机の上のしよくだいの光を映すワイングラスに、深紅の液体が注がれる。伯爵閣下所蔵のワインにありつけるとは、この仕事をしていた数少ない役得といえるだろう。しかし、ここに来て二ヶ月、伯爵が私と一対一で酒を飲むというのは初めてのことだ。


めつなことをおつしやいますな。アレはあまり良い気持ちのものではありませんよ」


 人類社会に常に存在する暗部。つまり薬物乱用による犯罪行為は撲滅されたわけではないが、同時に副作用の少ない覚醒剤も、科学技術の発展と共に生み出された。軍隊ではよく使用されるが、薬効が切れたときの気分の悪さといえば、悪名高いアルコール解毒剤の比ではない。


「では、今日のささやかな勝利を祝して」

「伯国の弥栄を祈って」


 グラスを軽く掲げて乾杯し、私は深紅の液体を口の中に含む。伯爵は謙遜して見せたが、私は帝都から持ち込んでいるウイスキー以外は安酒で済ませているから、あまりの違いに驚く。ほうじゆんな味わいが口の中に広がり、ワインとはこれほどまでにいものかと再認識せざるを得ない。


「こういうときでもなければ、私のような者が口にすることはない味です。ラ・ブルジェオン産ですか?」

「仕込まれたのは、ここがまだローデンヌⅧと呼ばれていたときだがな。五六九年モノは絶妙な仕上がりだ。せっかく気候に恵まれているのだ。酒でも造らねばディオニュソス神がお怒りになる。私も領主となったからには、これに負けないモノがこの星で生産されることを期待している」


 なるほど、確かにワインの一つも作らねばもったいない気候だ。帝国植民星は大抵地上は農耕牧畜を重んじるのが常だが、このラ・ブルジェオンはその点でも最高の惑星といる。


「閣下は、確かパイ=スリーヴァ=バムブーク侯国のご出身だとか」

「侯爵は私の大叔父おおおじだ。ギムレット公の祖父でもある。私の弟のパトリックがギムレット公の妹君の婚約者でもある。いとこ婚でね、かつて我が家とギムレット家は一つの氏族だったというが、はてさて、ホントのところはどうなのやら」


 地球帝国――今では帝国、と呼び習わされるのが暗黙の了解だが――を構成する主要要素は、地球にある帝国本国。本国宙域を取り巻くように存在するマルティフローラ大公国、フリザンテーマ公国、ヴィシーニャ公国、コノフェール侯国、パイ=スリーヴァ=バムブーク侯国、ヴィオーラ伯国、リンデンバウム伯国などの領邦。それにロージントンのような帝国皇帝直轄領。そして、アルバータのような自治星系。

 特に領邦は規模もさることながら、人的資源においても帝国の屋台骨を支えるものであり、私の目の前でワイングラスを掲げて見せた伯爵閣下も、その例に漏れない。


「先ほどの答えだがな」


 閣下は空になった自分のグラスにワインを注ぐと、唐突に話を始めた。


「候補には幾人かデータをもらっていた。東部方面軍、西部方面軍の経験豊かな老提督からエリートだけでなく、本国軍の新進気鋭の佐官クラスまでな。しかし東部方面軍の不正行為解明、アルバータ星系の叛乱鎮圧、まみれメアリー討伐……辺境の民ならよく知る、とある軍人と民間軍事企業の社員がした功績。これは軍事の知識や功績とは別種の魅力があった」


 まみれメアリーの討伐依頼をしてきたフロイライン・ローテンブルクもそんなことをいっていた。いや、随分前だが帝国軍艦政本部からの依頼でも、アルバータ星系での出来事を引き合いに出された。私としては、そんな大それたことをしたわけではないのだが。


「それは興味深い方ですね。私も会ってみたいものです」

「私はまどろっこしいやりとりは好かん。単刀直入に言えば、君の噂を耳にしていたのだ」

「血塗れメアリーの件はともかく、アルバータ星系の件は、ゴシップ誌があることないこと付け足しているだけですよ。私は何もしていません」


 社としての公式見解を、というか帝国軍も同じようにいってるのだから、私の立場上こう言うより他ない。実態としては、叛乱部隊である星系自治省治安維持軍の駐留部隊司令部を攻め落とし、惑星地表にいた叛乱勢力を威圧し投降させ、星系首相と星系自治省の政務官を言いくるめて事態が明るみに出るのを防いだ。さらに、叛乱鎮圧に来た帝国艦隊にも虚偽の報告を押し通し、はたには何もなかったということにした。全てが私の手の内というわけではなかったが、私があそこにいなければ、帝国軍はいつも通り、大規模な地表攻撃を伴う鎮圧を行ったはずだ。


「あくまでもそう言い張るか。まあよかろう」


 伯爵は私のグラスに目を落とす。先ほど口を付けてから、グラスの中身は減っていない。私は残ったワインを一息に飲み干すと、グラスを伯爵に掲げて見せた。


「なんだ、いける口ではないか。まあ飲め。どうせ私一人では飲み干せん」


 帝国皇統の伯爵に晩酌の相手をしてもらうというのは、中々の優越感だ。それも美人と来れば、男としては嬉しくないでもなかったが、相手が相手だけに、口に出すのは自重することにした。これがベイカーであれば、率直にいっても小突かれる程度で済むのだが。


「まあ、君がそうならそれでもいい。英雄というのは周囲の人々によって作り上げるものではないか」


 そういうと、伯爵閣下はグラスを掲げて、私に興味深そうな笑みを向けてきた。


「英雄だなんてとんでもない。いいところ、村の商人といったところですよ」


 変わり者の一族とは聞いていたが、なるほど私などが太刀打ちできるようなお方ではなさそうだ。


「それにアリーも君の名を推挙した。彼女のいう男なら間違いなかろうと思ったのだ」


 彼女の親はともかく、私以外でアレクサンドラ・ベイカーをアリーと呼ぶ人間に出会うのはこれが初めてのことだった。なるほど、彼女の性格は伯爵もお気に召したようだ。


 その後もささやかな酒宴は続き、いよいよ時計の針も二一時を指そうかというときに、ここに来ると決まった時点で気になっていたことを、私はぶつけてみた。


「閣下は何故、領邦の領主などお引き受けになったのです?」

「我ら一族は、帝国勃興時から惑星開拓にこそ、その人生を見いだしてきた。しかし、もっと魅力的な……正確にいうなら、興味を抱いたのだ。惑星を統治する、という権利にな。いや、この場合は一国家というべきか」

「……閣下は帝国皇帝を疑似体験してみたい、とおつしやるのですか?」


 なんとも壮大なことを言い出すほうだ。めいていしているようには見えないが、酔っているときでもなければ、特に私のような小心者には口に出すのもはばかられることだ。


「我がアンプルダン伯爵家の使命は果たされつつある。帝国領域内の開拓は最終段階に入った。それ以上に、もはや一つの家が一つの職能という時代でもあるまい。惑星開拓庁に全てのノウハウは蓄積されたのだから、いよいよ私達も、帝国皇統として国家統治の大権に手を伸ばしてみようか。とまあそんなところだ。まあ、実態として私は行政府の長に過ぎん。帝国皇帝とは及びもつかぬものさ」


 帝国皇帝は唯一無二の存在。そして領域内に帝国皇帝に並び立つ権力者は存在しない。だからこそ、帝国皇帝は五〇〇年で十数人しかいないのだ。


「君はどう思う? 帝国皇帝というのが即位して、もう五〇〇年を遙かに超えた。その制度、その正統性とは何に担保されている」

「帝国皇帝の正統性、ですか。それは帝国憲法によって――」


 帝国憲法第一条に、帝国は、帝国皇統たる諸侯より選出された皇帝が統治する、と記載がある。これが五〇〇年を超えてなお、帝国の統治体制を形作ってきたものの根幹をなしている。


「そのようなつまらん答えを返す人間なら、私はここに君を招かん。正直に申せ」

「帝国皇帝の正統性は、帝国臣民の信頼によってのみ担保されているものに過ぎません。法律や憲法でのみ塗り固められた地位など、人間の感情の前には、あっけなく崩されるものです。それが帝国の象徴たる皇帝の在り方です」


 果たしてこんなことをいって、あとで憲兵にでも引き渡されたらどうしたものかと思ったが、グラスを傾けつつ話を聞いている伯爵にその気配はない。


「つまり、帝国皇帝への臣民の信頼が揺らいだとき、帝国皇帝は臣民の上に立つ資格はなくなります。それは帝国という国家そのものに対する信頼が揺らぐということです。そのとき帝国は、群雄割拠し、戦いの絶えない地獄がよみがえる。星をも砕く反物質兵装を使い、文字通り人類文明の破滅へと突き進むことでしょう」


 帝国皇帝が、今までの人類史における皇帝と異なる点があるとすれば、五〇〇年の長きにわたって権勢を維持し続け、なおかつ悪政を敷いたことのない一点だろう。これは諸侯当主から人格・技能を基準として、最も優れた者を即位させ続けるシステムが功を奏したといる。臣民の信頼を得るために、皇統貴族はその立ち居振る舞いの一つ一つに正統性を持たせる。政治、経済、軍事、芸術、大衆娯楽を始めとした、知勇美を兼ね備えた万能人間。それが帝国皇帝となるための必須条件なのだ。そして、多少の得意分野の違いはあれど、これまでの帝国皇帝は、その条件を満たし続けてきた。


「ふむ。だが帝国の本当の強さはそこではない。皇帝という、いわば偶像を据えることで目をらせ続けているが、広大な版図を維持し続けてきたのは帝国の官僚機構だ。うそのような話だが、これは比較的良好な自浄作用を持ったシステムとして、五〇〇年間帝国を維持してきた」


 巨大化した官僚機構が腐敗し崩壊するのは人類史の常であった。それもたかだか一〇〇年もあれば腐り落ちる。国家とは誕生直後から、この不治の病との闘病を行っているといっても過言ではない。


 帝国がこの病から解放されたのは、国家として裕福であることとは無縁ではないし、皇帝という神聖不可侵な存在に対しての絶対の忠誠。さらには皇統貴族、世俗貴族らがノブレス・オブリージュを本気で信じているというのも大きい。当初はその名のとおり義務だったかもしれない。ただの社会制度だったかもしれない。しかし、メリディアンⅠ世の精神は、五〇〇年経った現在でも帝国に息づいている。


「帝国には一〇〇〇を超える自治星系がある。それらに住まう臣民の中には、帝国の意にそぐわない者もいる。それらを帝国軍が掃討するのは、何の権利があってのことだ?」

「自治星系の主権は、帝国皇帝によって認められているものです。それは帝国に従順であることのみを要求しており、それ以外は対等な関係です。だからこそ、従順ならざる者に対しては、帝国軍による平定を行うのです」


 帝国と自治星系の間に、明文化された地位協定はない。ただ、お題目として対等な関係であり内政干渉をしないというのは、帝国創建当時、まだ人類が太陽系のみを生活圏としていたころ、火星自治政府が誕生したころから言われていることだ。


「ほう、この期に及んでもまだお題目を唱えるか? 賊徒共の船を見逃した君らしからぬ答えだと思うが」

「私の経歴、どこまでご存じなのですか?」


 そう、私が軍を辞めた理由。東部方面軍管区、惑星ルクラの反帝国暴動鎮圧で、私は辺境惑星連合へと亡命しようとする一団を乗せた船を、戦隊司令の命に背いて逃がした。危うく銃殺刑になるところを回避して退役させられた事件の詳細は帝国軍の人事記録や報告書を読めるものなら誰でも知っていることだ。だが、わざわざ伯爵がそこまで目を通しているとは、正直思っていなかった。


「私は帝国軍と君の会社がくれた資料のみしか見ていない。それで分かることは、君が思っているよりも多いぞ? 軍務に付かぬ身でも、それ相応の知識は備えているのだからな」

「貴族のたしなみ、というヤツですか」


 私の言葉に、満足げにグラスをあおる伯爵だが、そのペースは徐々に速くなっているように見えた。


「私は感じてみたいのだ。国を統治するというのはいかなる気分なのか」

「閣下は、それすらも自己体験したいと?」

「うむ。我がピヴォワーヌ伯国が、いずれ帝国に敵対する賊徒となるか、それとも帝国の領邦として安定した歴史を築くか……どうだ柳井よ、賭けをしないか? 私が生きている間に叛乱が起こるか否か、中々壮大な賭けだとは思うが」


 恐ろしいお方だと、私はこのとき感じた。一種の破滅願望といっても良い。おそらくこんなこと、他の誰にも話していないだろう。いや、話していては困る。聞かされたほうはたまったものではないだろう。


「私はギャンブラーでも予言者でもありません。先のことは分かりかねますが……閣下がご統治されている間は、大丈夫でしょう」

「なるほど。我々のあまりに短い一生では、賭けの結果が見られんか。私や君の子供に結果を託すこともできようが」


 君の子供、という言葉に、私は苦笑いを返すしかなかった。軍を辞めた直後、せっかく嫁に来てくれた女性を、私は半ば三下り半を突きつけたようなものだからだ。それからというもの、自分に伴侶というものを持つ資格はないのだと、半ばになっていたのではないだろうか。


「あいにく、私には子がおりません。男やもめになんとやら、というやつですよ」

「何、それはもったいないな。これほどの良い男を放っておくとは」

「社交辞令でもうれしく存じます」

「私の夫となるか? 」


 美人にそう言われるのは男としては名誉なことだったが、私は首を振った。


「本気で仰られているとしたら、そろそろアルコールの摂取量も度が過ぎているというもの。明日も閣議が早うございます」

「ふっ、身持ちの堅い男だ。ピヴォワーヌ伯爵家と縁組みすれば、君も一代で帝国皇統に取り入ることができるというのに」


 本気なのか冗談なのか、先ほどからの言動を聞いていると否定しきれなくなるというのが恐ろしい。なるほど、確かに興味深いが、命より優先するわけにはいかない。


「その前に首と胴体が泣き別れです。せんの者が野心を持っても、寿命を縮めるだけでしょう」

「野心というのはせんなものだ。まあ今日のところはこの辺りにしておこう。次の機会は、わが国に勝利が訪れたときに。明日の閣議も頼むぞ、柳井。私も今日くらい、自宅で休むとしよう」


 タイミングを計ったように、迎えの車の運転手が部屋のドアを開けてきたのを見て、私はこの部屋が完全防音、外部からの盗聴は不可、というのが建前だったのではないかと不安になったが、深くは考えないことにした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る