第23話 参謀総長・柳井義久〈2〉

 帝国暦五八五年 九月一二日 一五時〇〇分

 政庁ビル四階 防衛軍第三会議室


「艦隊人事を戦時体制に組み替える。いろいろ思うところはあるだろうが、これが現状の最善だと思う。よろしいですね、長官」

「う、うむ……」


 司令長官はあい変わらずわたしに不審なものを見る目を向けているが、これを気にしても仕方ない。私とベイカーにより、にわか作りの防衛軍をひとまず組織として形を整えさせることにした。司令長官はダルキアン大将。軍医少将から異例の出世である。その下で防衛軍の指揮統率と作戦立案を私が参謀総長として遂行――この時点で私の階級は防衛軍中将と定められた――参謀次長はベイカー、異例の人事だが艦隊主任参謀のグリポーバル少佐を作戦参謀として置くことにした。事実上、防衛軍の主体は艦隊であるから、それでも問題はないと判断した形だ。


 艦隊司令官は総旗艦ジャンヌ・ダルク艦長のセレスタン・エマール大佐を少将に昇進させて代行させることにして、艦隊参謀長は防衛軍参謀総長、つまり私が兼任、その下に副参謀長としてベイカー、参謀長副官としてグリポーバル参謀。さらに艦隊の中・小型艦をいくつかの戦隊に分割し、それぞれ旗艦艦長が部隊長を兼任。


 ここまで見ても明らかなように、各部隊に司令官を別途充てられるほどの人員の余裕がないのが実情だった。だが、会社艦隊ではよくあることなので、私としてはそこは作戦立案でカバー、ということになる。とはいうものの、たかだか戦艦の副長と帝国軍兵站本部の参謀、それに小規模な企業艦隊の司令を務めた程度の人間に、果たしてそれが可能かどうか。根本的な問題を先送りにした形だが、ないよりはマシだろう。また、今回の会議は艦隊の作戦行動についてなので同席していないが、地上部隊と第一衛星シャンピニオンの防空師団の指揮官も別途置くことになっている。


「司令長官の出した作戦は一旦白紙に戻す。皆も十分に理解しているだろうが、この艦隊で敵に決戦を挑むわけにはいかない」


 私の切り出した言葉を聞いた指揮官達の顔は困惑、その一言に尽きた。


「敵に対して圧倒的に劣勢の我々は、起死回生の一撃をどこかに求めなければいけないのではないでしょうか?」


 セレスタン・エマール提督は三二歳。元々はタイタンディフェンステクノロジー社に務めていたらしいが、同社併設の高級指揮官養成アカデミーを卒業して、防衛軍に再就職を果たしている。


 少数兵力を分散配置するのは下策。集中運用すべし。


 これは帝国軍における軍事関係者の中では基本で集中配備が常道とされているが、この数と質で集中配備して決戦を挑んだとしても、敵の侵攻阻止は不可能だ。私には、エマール提督が教科書通りの戦闘を考えているように思えた。


「この戦いに起死回生の一撃などありはしません。それらは軍事的ロマンチシズムの産物です。我々が地の利を得られるのは、この星系、いやラ・ブルジェオンの極近傍にしかないのです。アスファレス・セキュリティや近衛、東部方面軍の増援まで持ちこたえるのが肝要です」


 アスファレス・セキュリティの会社艦隊にしても、戦力的に敵より圧倒的に有利というわけではないが、少なくとも経験の差は大きい。零細企業とはいえ歴戦の強者だし、装備もそれなりに揃えてある。だが、どこの民間軍事アカデミーを出たのか、エマール提督は頑として譲らない。士官学校出の士官も、民間軍事アカデミー出の士官も最初はこんなものだ。軍にいたころも、民間に移ってからもそういう人間を何人も見てきた。やがてそういった人間も、角が取れて円くなり、収まるべき場所に収まるのだが、今回それを待つ時間も無かった。


「我が星系は我が防衛軍艦隊により防衛する。それが筋というものです。艦隊の機動力を生かさないまま、浮き砲台としてこの惑星の軌道上に浮かべておくのは兵学上、下の下です」


 エマール提督の言葉は道理だが、いたずらな戦力投入は、ただ一度の会戦で艦隊をこの宇宙から消滅させる結果を招来する。彼らとしては外からやってきた私やベイカーの指示に従うのも、心情として苦々しい思いなのだろう。しかし、彼らの心中を察しているときではない。あまり使いたくはなかったが、私はワイルドカードを発動することにした。


「私はピヴォワーヌ伯爵から防衛軍の作戦実施にあたり統帥権を認められた者です。私の指示に従わないというのであれば、あなたを解任し、私自ら艦隊を率いてもいいのですよ?」

「それは……」


 栄えある防衛艦隊初代司令長官が更迭。しかも後任が臨時とは言え、外部の人間となれば防衛艦隊末代の恥。しかも艦隊首脳部の揃うこの場で、総司令部と艦隊司令部が反発しては士気に関わると悟ったのか、しばらくしてエマール提督はこちらの指示に従うことを承諾した。


 一五時四六分

 参謀総長執務室


「私がこのたび、ピヴォワーヌ伯爵の名により臨時の参謀総長を務めます。ベルクール准将、そちらの状況を教えてください」

『現状、シャンピニオンの防空師団は全力を発揮できると言ってもいいでしょう。元々帝国軍の駐留部隊が横滑りしていますので。艦隊がそうならなかったのが残念でなりませんが』


 ロジーヌ・ベルクール准将は五年ほど前、つまり伯国成立以前からラ・ブルジェオンの第一衛星シャンピニオンに配備された防空師団の指揮官を務めるベテランである。地上に降りさせる間を惜しんで、私は通信で彼女と面談することにした。


『師団とは言え、実戦力は正規の大隊規模です。航空機実働九三機、自走対空電磁砲二四門、近接防御の自走対空レーザー砲八両。あと艦隊が動けるようになれば、戦闘衛星が二ダースほど追加されます』

「なるほど。私は作戦立案と艦隊の指揮統率でほぼ手が離せない。防空師団のことは准将に任せっきりになると思いますが……」

『お任せください。伯国成立以前からの部下達です。練度も士気も高く、閣下のご希望に添えると思います』

「それを聞いて安心しました。ではまた」


「防空師団は頼れそうだけど、艦隊戦となれば的よ?」

「准将はベテランだ。そのあたりも分かっている上で準備を進めてくれるさ……あとは地上の陸戦隊か」

「現状の指揮官はアドルフ・カルメル中佐ね。こちらに呼ぶ?」

「ああ。彼には重要な任務があるのでね」


 一五分ほどでカルメル中佐は防衛軍オフィスに出頭した。


「カルメル中佐、出頭いたしました」

「ご苦労様です。まあ掛けてください」


 カルメル中佐は元々ローデンヌⅧと呼ばれていたこの惑星に駐屯していた降下揚陸兵団九八五二旅団の旅団長を勤めていたのだが、降下揚陸兵団は駐屯惑星が自治星系や領邦として独立した場合、部隊をそのまま防衛軍等に横滑りさせる伝統がある。これは当該惑星出身者が多いことと無関係でなく、中佐もこの惑星が故郷だ。


「は、それで御用とは……?」

「中佐、まず聞いておきたいのですが、敵陸戦隊がある惑星上に降下した場合、どのように対処すべきと心得ていますか?」

「はっ? それは当然、敵揚陸部隊の阻止でありますが……」

「その通り当然のことです。しかし、このピヴォワーヌ伯国はそうではない。この意味は分かりますか?」

「敵推定戦力との差でしょうか? 正面切っての戦闘では勝機はありませんから、ゲリラ的戦術をとることになるでしょう」

「その通りです。しかしこの惑星の住民はゲリラ戦による消耗に耐えられると思いますか?」

「思いません。彼らはまだピヴォワーヌ伯国ではなく、ローデンヌⅧの住民という感覚が強いでしょう。ゲリラ戦術を取れば、多くの市民が犠牲になることが考えられます」

「では、中佐……あなたの任務とはなんですか?」

「参謀総長も意地が悪いですな。我々は外側の敵ではなく、内側の敵をこそ警戒せよと仰るのでしょう?」


 気を悪くしたかと不安になったが、中佐は苦笑しつつも私の期待通りの答えを返してくれた。


「はい。今のところ市街地は平穏ですが、反戦思想の住民はいるでしょうし、すでに辺境惑星連合の工作員が市中に潜入し、それらを扇動することも考えられます」

「そうすると、統治機構が未だ貧弱な伯国は、内部から倒れる……我々陸戦隊は、それらの不穏な動きを早めに鎮圧し、炎が燃え上がらないようにしなければならない」


 陸戦方面の人間というと血の気が多い人間を想像しがちだが、少なくとも中佐は冷静な判断が出来る一線級の指揮官のようだ。任せておいて不安はない。


「一〇〇点満点の回答がいただけて安心しました。私やベイカー准将は、艦隊側の作戦で手一杯になることが考えられます。地上部隊は中佐の指揮に委ねたいと思いますが」

「はっ。承知しました」

「くれぐれも、市中での行動は公正かつ穏便に済むよう希望します。今の段階で市民から反感を持たれるようでは、敵侵攻前にこの国が潰れます」


 かつていくつもの国家の軍隊、特に市民と直接対峙する陸戦部隊が高圧的に市民を弾圧し、殺傷してきたかは論じるまでもなかった。とはいえ、これは言うは易く行うは難しの典型である。ピヴォワーヌ伯国には当然警察も存在するため、陸戦隊が直接市民を検挙ないし制圧することはないだろうが、これだけは陸戦指揮官の独断専行で越権行為に及ぶ可能性を潰しておきたかったために、私は彼との面談を行なったわけだ。


「わかっております。軍法に則った行動を徹底させます」


 二一時〇六分

 レストラン ラ・グランメール

 

 政庁ビルから歩いて一〇分。政府要員の宿舎からほど近いレストランで、私とベイカーは一〇年振りの再会を祝して、ささやかな酒宴の席を設けていた。


「再会を祝して」

「お互いの変わらぬしぶとさに」


 ワイングラスを軽く掲げて一口。中々上品な味わいのワインだ。こんな時でもなければ、もう数本は開けてもいい気になる。


「でも、危急存亡ってときにこんなことしてていいのかしら?」

「慌てても事態は好転しないし、聞いてみれば司令部スタッフはほとんど缶詰状態だったらしいじゃないか。そんなものではいざというときに使い物にならない。今は体と神経を休めておかなければ」


 組織として成り立っていないばかりに、各々の判断で勝手に業務を進めていた結果、司令部員はここ一ヶ月は職住一致を続けていたらしい。防衛軍司令部のオフィスの一角は野戦病院の様相であり、それではいざというときに倒れてしまう。私は司令長官に許可を得て、全ての司令部スタッフに、二〇時までにはある程度の業務を切り上げさせ、宿舎へ戻らせた。本格的な作戦行動が開始されるまでは、とりあえず必要最小限のスタッフで交代制を続けつつ、業務を遂行することになるだろう。


「……それにしてもベイカー。お前兵站本部にいたんじゃなかったのか?」


 私は少尉任官当時、兵站本部のスタッフとして配属され、三〇手前まで在籍していた。もし前線に引っ張り出されるようなことがなければ、今頃そこで中佐くらいにはなっていたかもしれない。


「あなたが軍を辞めてすぐに、私も近衛艦隊への転属が決まったのよ。その前の年に川井閣下が退役したでしょ? 後任のマルチネス本部長があるか分からない面倒ごとを嫌ったんでしょ」


 川井閣下は、当時准将で私の直属の上司だった。彼の元で私は帝国軍の補給戦略のなんたるかをたたき込まれ、同時に人の上に立つ者の心得を教え込まれた。自分が艦長命令に背いて軍法会議にかけられたあとのことまで気にかけていなかったが、まさかそんなことになっていようとは。今更ながら、多方面に迷惑をかけたものだと恥じ入るしかない。


「まあ、事件の報告書は私も読んだけど、あなたも災難だったわね」

「軍人としてはあるまじき行為だ」


 私の軍歴の最後のページは、帝国軍第一二艦隊所属の戦艦アドミラル・ラザレフの副長だった。私は乗艦の艦長であるボルツマン大佐と意見が対立。命令不履行で軍法会議にかけられ、軍を追われた。辺境の一惑星から辺境惑星連合へ亡命しようとする民間人が乗った船を沈めろという命令に対して、私は反抗した。あの時、艦長命令に従っていれば、違う未来もあっただろう。


「まあね……あなたらしい辞め方だわ。そのほうがずっと義久らしい」

「おいおい。俺が跳ねっ返りの悪童だったような言い方はよしてくれ」

「そうね、悪童はともかく、夜撃ち朝駆けの柳井というのは有名だったわ」

「そんなことをいわれた覚えがないが」

「そりゃあ当人は知らないでしょうね。あたしの部屋から直接出勤してるんだもの。バレないほうがおかしいわ」

「君が俺の家から出勤してるのもバレバレだったらしいぞ」

「知ってるわよ。ホッパー中佐とか、あの辺りからいつも遠回しにいわれてた」


 無論、一夜を共にするだけのただれた関係だったわけではなく、一〇日泊まれば七日は兵站についての議論だった。まあ若気の至りということと、お互いに理解している。久々の再会に、昔話の花も咲く。レストランの閉店に併せて宿舎に戻った私達は、そのまま次の日に備えて、早々と就寝と相成った。



 九月一三日 九時五四分

 政庁ビル三階 防衛軍総司令部 参謀総長執務室


『柳井、元気そうね』

「そう見えたなら何よりです。こちらへの増援を進言してくださったのは部長でしょう? ありがとうございます」


 通信相手はアスファレス・セキュリティ第一艦隊司令長官、フェリーネ・アルテナ部長。私がここに再就職したのは彼女のスカウトあってこそで、そのころから頭の上がらない人物だ。 


『戦力が多いに越したことはないでしょう?』


 本来、ギムレット公爵殿下からの依頼では私と護衛艦隊だけの派遣だった話が、ピヴォワーヌ伯国に着くころには第一、第二艦隊の動員まで決定していたのは彼女のおかげだ。我が社の参謀本部も、ピヴォワーヌ伯国が不利とみている証左だろう。


「それはそうなのですが、そちらは大丈夫ですか? アルターリング戦線はかなり派手にやっていると聞いていますが」

『賊徒の襲撃は相変わらず。数が多くて大忙しよ。うちの艦隊はあと二ヶ月くらいで担当宙域が片付いて、そちらに向かえるわ。社長が二つ返事で承認してくださって助かった』


 広大な帝国の版図を取り囲むように存在する辺境惑星連合の領域。その中でも、ひときわ目立って戦闘が繰り広げられているのがアルターリング戦線だ。恒星アルターリングとその周囲の微惑星を巡る戦いは、相手にとっては帝国版図へのきようとう確保、帝国にとってはその阻止ということで、負けられない戦線である。とはいえ、帝国軍だけではその侵攻を抑えるのには不足し、結局我々のような民間軍事企業も参戦している。


「……間に合いますか?」

『この私の指揮を疑うの? 損害は大したことないわ。あなたこそどうなの? ぜひピヴォワーヌ伯国防衛軍参謀総長閣下のプランを聞いておきたいのだけれど』


 小なりとはいえ民間軍事企業艦隊の最前線で指揮を執る彼女に、大なりとはいえ帝国軍の戦艦副長程度の経験しかない私が、戦術プランを高言するのはいささか勇気が必要だった。超空間回線経由で送ったデータをいちべつした彼女は、苦笑を私に向けてきた。


もらったデータを見る限り、効果は限定的でしょう。うちの作戦部がこんな案出してきたら減給ね』


 自分でも分かっていたことだが、改めて酷評されるとさすがの私も落胆の色を隠せなくなる。


「時間稼ぎにはなると思うのですが」

『まあ、さっきの評価はうちで仕事する場合。そちらの現状考えられる最善という点では満点よ。私達が辿たどくより前に敵がピヴォワーヌ伯国を制圧するのは、なんとか防げるでしょう』


 そう、いくら酷評されようが、現有戦力で取り得る最善を取るしかないのが私の立場だ。今までも、これからも。


「アルテナ部長、今から高速艇でこちらに来られませんか? 近衛少将相当官の地位と共にお譲りしますが」

『あなたにしてはデキが悪い冗談ね』


 冗談のつもりでいってみたのだが、返ってきた声に私はしまった、と後悔した。いわゆるアルカイックスマイルというヤツか。目が笑っていないアルテナ部長の顔を見た私は、首を横に振って見せた。


「あいにくジョークの質も落ちておりましてね。作戦立案に全神経を傾けているものですから」


 肩をすくめてごまかして見せると、アルテナ部長は吹き出してしまった。お互い、真剣な議論を交わすには相手の性格を知りすぎていた。


『ともかく、あなた一人でどうこうなる問題ではないでしょう。私達の到着まで、そちらにご迷惑をかけないようにね』

「子供じゃあるまいし、その程度はわきまえていますよ。では、二ヶ月後」

『ああそれと、そっちにクリモフ指導将校がいったから。来週には到着するからく扱いなさい』


 通信を終えてから、私は二ヶ月という時間の重さを再認識していた。ピヴォワーヌ伯国を守るには、あまりに長すぎる時間だった。それと、最後に付け加えられた指導将校の取り扱いについても課題として私に押しつけられたのだった。



 九月一五日 二二時三二分

 超空間内 エトロフⅡ


「で、参謀総長閣下。威力偵察はいいですが、全軍の事実上の責任者がここで戦死したらどうするおつもりで?」

「私は軍務で連中とやりあったことがあるし、ここに再就職してからもそうだ。因果応報というやつだろう」


 私はエトロフⅡとワリューネクルを動かして、威力偵察に出ていた。帝国軍が情報を渡してくれないならば自分の目で調べようというわけだ。目的宙域は、敵艦隊が補給のため立ち寄っているという辺境の褐色矮わいせいだ。


「縁起でもないですね。我々のような善良な帝国臣民を巻き込むとは」

「ホルバイン、君は自分の胸に手を当てて問い直したほうがいいのではないか?」


 私の言葉に、ホルバインは冗談めかして右手を左胸に当てて見せた。


「まあ我々は連中が存在することで、その存在が認められているわけですからね……とすると、帝国が本気で辺境惑星連合を滅ぼそうとするなら、民間軍事企業は果たしてどちらの味方をするのかな」


 ホルバインの言葉に、私は一瞬その先にある展開を考えようとしたが、くびを振って不吉な予想を振り払う。


「あー、参謀総長閣下ぁ、そろそろ敵艦隊の真正面に出るはずですが」


 ホルバインと良い、ニスカネンと良い、何故こうもわざとらしく閣下などと呼ぶのか。これは普段の行いの所為か、と自省する機会なのかもしれない。


『参謀総長閣下! 切り込み隊長はいつでも……おや、お体の具合でも悪いのですかな? 参謀総長閣下』


 そしてトドメがワリューネクル艦長のハイドリヒのこれだ。さては連中、私が分不相応な立場に置かれていることを面白がっているのではないか。


「なんでもない。ワリューネクルに続いてエトロフも浮上、敵艦隊に最大加速で突っ込んで情報収集のあと、直ちに潜行、離脱する」


 本来であれば、威力偵察といえば巡洋艦や駆逐艦を揃えた戦隊レベルの仕事だが、何せ防衛軍の装備にそれらが整備されていない以上、あり合わせのものでやるしかない。幸いエトロフⅡもワリューネクルも単艦任務が多いので、アスファレス・セキュリティに配備されてからセンサー類はかなり充実させてある。問題は、敵戦力に比してこちらが少なすぎるという点だが。


「まもなく通常空間へ出ます……出ました!」


 通信士と航海士と砲雷士を兼任するカネモトが叫ぶと同時に、目の前に漆黒の宇宙、赤黒く光る褐色矮わいせい、さらに敵艦隊が現れる。


『接近中の艦艇! 所属を明らかにせよ! 返答なき場合撃沈する!』

「なんと暢気なことを。ここは敵地という意識が薄弱だな。こんなところで、こんな機動で接近するものは敵しかいないだろうに」


 敵地とはいえ、宇宙空間には明確に領域を示す目印があるわけでもない。敵艦隊が熟練兵ばかりとも限らないのだから宜なるかな。動員された敵兵への同情を禁じ得ない。お互い碌でもないことで命を賭けることになって、なんとも不幸なことだと溜息を吐くしかない。


「最大戦速! 針路このまま! ニスカネン、主砲用意いいか?」


 ホルバインが叫ぶと同時に、エトロフⅡは最大加速で敵艦隊に向かう。敵はといえば、のんびり補給中だったのか、いずれの艦にも補給艦が接続されていて、戦闘機動は取れそうになかった。


『レーダー照射を確認。識別、火器管制用と推定。対抗手段発動』


 エトロフⅡのAIが、旧エトロフと大きく変わったのは、AIの報告がより細かくなっていることだ。これのおかげで、我々は巡洋艦クラスでも、最小三人で稼働させられる。無論、被害対策班や整備班などを載せておかなければ、長期戦を戦うことはできないのだが。


「攻撃用意、ニスカネン、時機任せた」

「了解……撃ち方用意、てっ!」


 敵艦隊との最接近点に達する直前、ニスカネンが主砲を発射した。ギリギリまで近づいての砲撃とは言え、一斉射では戦艦はおろか巡洋艦も落ちはしない。ただ、直撃したのは見て取れた。


「……最大加速中だというのにこの乗り心地。さすが皇室御ようたしのクルーザーといったところか」


 指揮官卓に置きっぱなしにしていたコーヒーカップの液面は、小揺るぎもしない。前のエトロフであれば今頃慣性制御で吸収しきれない振動で、カップごと床に落ちていたかもしれない。


「ほらほら、のんに乗り心地の評価なんてしてないで、参謀総長閣下はデータ見ててくださいよ」


 敵艦隊の最接近時から現在に至るまで、エトロフⅡのセンサーには多種多様な情報が流れ込んでいた。これらの分析が、私の当面の仕事となる。


「分かっているさホルバイン。まったく、参謀総長閣下というなら、それ相応の扱いもしてくれないと割に合わんな」

「ま、そうはいっても中身は柳井部長ですからね。精々崇あがたてまつられてくると良いでしょう」


 最大加速中とはいえ、針路そのまま速度そのまま、砲撃もしないので暇を持て余したニスカネンが、こちらを見て笑っている。さすがむっときて、私はニスカネンを睨みつける。


「自分が当事者でないと気楽そうだな、ニスカネン。何なら今からでも防衛軍参謀総長次席副官とか役職を付けてもいいんだぞ」

「いやぁ、私はエトロフⅡの艦橋から死ぬまで出ないと決めてますんで」

「まったく……ハイドリヒ、そちらはどうだ」


 後方の望遠映像には、艦首や側面部に小さいながらも破孔をこしらえたワリューネクルが見える。しかし、艦長のハイドリヒ以下、クルー達はけんこうといった感じだ。


『多少直撃食らいましたが、まあたいしたことはありません。お先に潜ります』

「こちらも潜ります。よろしいですね、閣下」

「ああ、勝手にしろ」


 再び超空間内に潜った我々は、そのままラ・ブルジェオンへの帰路についた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る