案件03~ピヴォワーヌ伯国における防衛支援業務

第21話 派遣・柳井義久

 これは夢だ。夢であればどんなに良かっただろう。


『我々を撃つな! 民間船への攻撃は、帝国航行法でも禁止されている!』


 切羽詰まっている様子の無線の声は、夢の中だというのに私のを明瞭にたたく。これは夢ではない、夢というのは、もっと現実味が薄れているような、そういうものでなければならない。


 これは記憶だ。私が意図的に封印し、同僚にも部下にも話さない過去の記憶。


「艦長、これ以上の殺戮さつりくは必要ありません。あれは非戦闘員を乗せた脱出船ではないですか、いきたいなら、いかせてやれば良いのです」


 戦艦アドミラル・ラザレフのブリッジで、私は副長席から立ち上がり、醜い肉塊と対峙していた。

 

「くどいぞ柳井。あれは皇帝陛下の玉名を汚した大罪人の船である。現にやつらは、賊徒共の艦に守られているではないか」


 なるほど、確かにこれは夢なのかもしれない。私はこのとき、ブリッジで丸々と太った肉塊、艦長のボルツマン大佐とたいする役回りだった。日付だって覚えている。帝国暦五七五年八月二〇日だ。


「沈めれば、辺境の臣民の感情を逆撫でし、帝国の統治の支障になると申し上げているのです。行きたければ行かせてやればいい。不穏分子を厄介払いするいい機会ではありませんか」


 ここで亡命する船舶を攻撃すれば、敵の思うツボなのだ。おそらく辺境惑星連合は、この船を撃沈されたあと、帝国軍の残虐行為としてこれを喧伝けんでんするだろう。


「ヤツらは逆賊だ。直ちに撃沈せよ! これは命令である!」


 なおも虐殺を行おうとするボルツマンの憎しみの満ちた表情に、ブリッジの中にいる私は、肉塊の軍服の襟をつかみ上げた。


「承服できません! 非戦闘員に対するこれ以上の殺戮を行うなら、私を殺せボルツマン! 殺してから殺戮を行え!」


 その声に、それまで戦闘中の報告と指示が飛び交うブリッジが静まり返っていた。ボルツマンと呼ばれた肉塊すら、二の句が継げずに数秒間硬直していた。無論、ボルツマンが彼を殺すことがないのを、私は知っていた。


「柳井、貴様の副長と航海長の任を解く、航海士、操艦! 陸戦隊ブリッジへ、このはんらん分子をブリッジからたたせ!」


「絶対に艦を動かすな! 砲雷長も、絶対に撃つな、撃ってはいけない!」


 相反する指示に、航海士も、砲雷長も困惑したまま動くことができないのが見えた。


「敵船に高エネルギー反応、潜行開始した模様です」


 私とボルツマンがにらうこと五分はっただろうか、通信長の報告に、ブリッジに張り詰めていた空気が緩み、ボルツマンもほうけたように床へとへたり込むのが見えた。だが私は、直立不動のままだった。この数年、副長として様々な局面でんできたものが、そうさせていたのだろう。

 帝国軍とは、有り体にいってしまえば地球帝国という国家の暴力装置に過ぎず、軍人はその装置の歯車としてのみ、その存在を容認されている。その歯車にかみ合わない私という存在は、切って捨てられる以外の何者でもなかった。



 その日を最期に、私の帝国軍軍人としての人生は終わりを告げた。



 帝国暦五八五年 九月一〇日 八時四八分

 帝都 メリディアン通り


「――――長、部長、柳井部長」

「――っ! ああ、すまない。寝ていたか」


 何度か呼ばれていたことに気づいた私は、ようやく意識を覚醒させた。そこは無機質なアドミラル級戦艦のブリッジでも、絶対零度の宇宙空間でもなく、質実剛健な内装のリムジンの後部座席だった。


「そりゃあ、これだけフワフワのリムジンの座席、眠くもなるでしょう。ワリューネクルの寝台とはわけが違います」


 今、私こと柳井義久は地球帝国帝都のメリディアン通りを、近衛軍司令部へ向かっている。


「君が各居室に市販のベッドを入れたのも分かる。あれはひどかったぞ」


 巡航戦艦ワリューネクルは、半世紀も前に帝国軍では運用されなくなった旧式艦で、アスファレス・セキュリティに来る前には他社で運用されていた実績を持つ。つまりそれだけ老朽化も激しいが、本社整備課による改造に改造を重ねた結果、最新鋭艦に見劣りしない火力と機動力を保持し続けてきた。反面、生活環境への配慮がおろそかで、高速航行時の振動は慣性制御システムでも吸収できず、備え付けのベッドは不愉快な微振動を常に感じるものだった。


 だったら本来の座乗艦であるエトロフⅡを使えばいいと言われるだろうが、ワリューネクルは本社のドックで法定定期点検と改修を行うため、どのみち帝都まで来る必要があった。


 一〇年も昔の出来事を、それも最上級に不愉快なものを夢で見せられたのは、多分ワリューネクルで寝付けなかったせいだろう。


「しかしまあ、いよいよ年貢の納め時かもしれませんなぁ、部長」

「何がだ」


 ワリューネクル艦長のハイドリヒが、ニヤつきながら私にいってきたものだから、思わずぜんと言い返していた。


「本社からの緊急呼び出しかと思えば、今度は近衛の司令部に出頭とは」

「実弾射撃訓練の的にでもされるのかな?」


 実際、民間軍事企業――帝国において、各種戦闘行為を受注する民間企業である――が正規軍の戦闘訓練のアグレッサーを務めることは珍しいことではないが、我が社にそんな仕事を依頼するとは考えにくい。


 現在の近衛艦隊司令長官であらせられる皇統公爵メアリー・フォン・ギムレット殿下は私とアスファレス・セキュリティの筆頭株主となり上層部を掌握し、数々の非公然な任務を実行させている。ここ一年、それらは私一人か、多くてもロージントン支社で行う小規模な仕事が主だったが、今度はなにを思い付かれたのやら。


 それとも以前のアルバータ星系での叛乱はんらんの事実や、メアリー・フォン・ギムレットの正体を知るものとして、いよいよ存在を抹消されるのではないか、とハイドリヒは懸念しているらしい。


「縁起でもない。まったく、速力最優先だってワリューネクルを出したのはともかく、俺までお縄に掛かるんじゃ話が違いますぜ」

「縁起でもないのは君だ、ハイドリヒ。人のことを犯罪者みたいにいうんじゃない」


 大げさに嘆いて見せたハイドリヒにしても、私の共犯者なのだ。私だけあの世か刑務所送りでは割に合わないというものだ。


 そもそも、公爵が私や私の部下が邪魔だと思えば、帝都まで呼びつける必要などない。内務省内国公安部などに命じれば、あっさり片がつく。


「ご家族にお伝えすることはありますか? 私がお伝えしますがね」

「だから何故なぜ私が拘束される前提で話すんだ」

「そりゃあ、前科百犯の部長なら、胸に手を当てればいくらでも思い当たることはあるでしょうよ」


 相変わらず、遠慮会釈のないやつだ。ホルバインがこの場にいたとしても――彼は私の留守居役としてロージントンに残してきた――同じようなことをいっただろう。


「人のことを国家転覆をもくろむテロリストみたいにいうな、ハイドリヒ」

「さあさあ、泣いてもわめいても、もう近衛軍司令部です。部長、墓碑銘はどうします?」

「堅実にして誠実な男、ここに眠るとでも掘っておいてくれ」

「墓碑銘にうそを書くのは感心しませんね」


 リムジンがまると同時に、ドアを恭しく近衛兵このえへいが開く。いつものことながら慣れない。どうせなら車内のシャンパンの一本くらい空けておいても、バチは当たらなかっただろう。気付け薬程度にはなったはずだ。


「まあいい。私がしょっ引かれるなら君やホルバイン、本社のネーグリ専務辺りも共犯だ。刑務所に顔見知りがいるのならそれでよしとしよう」

「やれやれ。男ばかりで寂しいもんですな。じゃあ私はここで。次が現世かヴァルハラかはさておいて、後ほど」


 ハイドリヒは別室へ通され、私だけが司令部のさらに奥へと連れて行かれる。銃を突きつけられていないから、まさか犯罪人としてここに来たわけではない、と信じたいところだが。

 私の悲観論を消し飛ばすかのように、私が連れてこられたのは他でもない、メアリー・フォン・ギムレット公爵の眼前だった。


「義久、久しぶりね。元気そうでなにより」


 東部軍管区に出没する辺境随一の宇宙海賊。ブラッディ・メアリーとは彼女のことだった。とある探偵事務所からの依頼でその捕縛に乗り出し、見事にワリューネクルがそれを成し遂げた。その際、私はこの公爵殿下、当時は海賊服に身を包んだ女船長と知り合った。


 その後、彼女は長期の極秘裏の留学を終えたという公式発表のあと、帝国皇統界に復帰。瞬く間に皇統公爵の地位を手に入れ、さらに近衛軍司令長官大将の大任をたまわったのである。今では親しみを込めて殿下から義久などと名前で呼ばれ畏れ多いにもほどがあると言うものだ。


「殿下におかれましては、ご機嫌麗しゅう」


 帝国軍時代に仕込まれた皇統貴族への礼儀作法を完璧に再生してひざまずいた私に、殿下は本気で嫌そうな顔をしていた。だからこそ、私は毎回この所作を欠かさないのだが。せめてもの嫌がらせもとい敬意の表現だ。


「そういうのはよしてちょうだい。毎回言ってるでしょ? あなたワザとやってない? まあいいわかけてちょうだいな、今コーヒーを持ってこさせる」


 待つこと三〇秒。準備でもしていたのだろうか、あっさりと私の眼前に、瀟洒しょうしゃなデザインのソーサーとコーヒーカップが置かれた。


「さて……あなたに新しい仕事を頼みたい」

「それはまた、どんな仕事で?」

「領邦の防衛。細かくいえば、その防衛軍の司令部に出向いて欲しい」


 帝国は地球帝国皇帝の統べる中央集権国家と考えがちだが、実際には、皇帝をひつする皇統会議があり、議会と官僚機構がその下にあり、さらに帝国直轄領、領邦国家、自治共和国などが連なって維持される連合王国のような体制になっている。領邦は皇統貴族、つまりは帝位継承権を持つ貴族が領主を務め、帝国の物心両面にわたる中核を占めている。辺境にある自治共和国全ての戦力や経済力を持ってしても、これらに対抗することはあたわず。つまり、帝国の屋台骨を支えるのが領邦である。


「……恐れながら、現在の領邦は私どものような零細が出向くほど、人材が払底しているとは思えませんが」


 だからこそ不可解だった。そんなところに軍事顧問として赴いても、近衛艦隊の依頼とは言え、単なる嫌がらせにもならない。吹けば飛ぶような零細三下のアスファレス・セキュリティに依頼する内容とは思えない。


「あるのよ、それが。人材が払底というか、育成のままならないまま戦火に焼かれようとしている国が」


 そこまで言われて、私はその国に心当たりがあった。


「東部軍管区、旧名ローデンヌⅧ。帝国第八番目の領邦、ピヴォワーヌ伯国ですか」

「その通り」


 公爵が分厚いこくたんで作られた応接机の上に指を滑らせると、その一角が持ち上がり、無機質なキーボードが現れる。海賊をしていたとは思えないほっそりとした指が、スケートリンクの上を滑走するフィギュアスケーターのように走ると、それまで近衛軍のしようを映し出していた壁面が大画面のスクリーンへと切り替わる。表示されたのは標準的なG5型主系列星に、五つの地球型惑星、二つの木星型惑星を持つ標準的、かつ人類移住に適したハビタブルな恒星系の軌道図。帝国の辺境開拓は、こうした恒星系を中核として行われていた。旧ローデンヌⅧは、その中でも最終段階に入る新興星系だったのだが、そこに久方ぶりの領邦誕生ということで、ロージントンの新聞でも、その名前が一面に出ていたことを思い出した。


「領邦の新設は、パイ=スリーヴァ=バムブーク公国以来でしたね」


 コーヒーを飲んで、私はすっかり心の平静を取り戻すことに成功していた。


「ここまで来るのに大分苦労したわよ。石頭の宮内省と星系自治省を納得させるのは骨だった」

「ほう、殿下の海賊稼業はこのためでしたか」

「腐っても皇統貴族。私は帝国の弥栄いやさかのためには骨身を惜しまないのよ。覚えておきなさい」

「心得ておきます」

「いずれ近隣の自治共和国をいくつか合併させ、伯国の規模は拡大させる。でも、現状ではそれまでこの国が持つかは怪しい」


 海賊行為はあくまでもカモフラージュ。辺境の自治共和国や辺境惑星連合、それに東部軍の情勢把握や帝国本体では行えない裏工作の数々は、私も殿下の話しぶりからある程度把握はしていたが、実際に形になって表れているのだから、このお方の政治的手腕も只者ではない。


 帝国最初の領邦は、次代皇帝とうわさされるフレデリク・フォン・マルティフローラ・ノルトハウゼン殿下が現領主のマルティフローラ大公国。その後帝国の拡大発展と共に領邦は定期的に増え、現在はフリザンテーマ公国、リンデンバウム伯国、ヴィシーニャ公国、コノフェール侯国、ヴィオーラ伯国、パイ=スリーヴァ=バムブーク侯国の六つの領邦が続けて建国された。ピヴォワーヌ伯国はその列に加わったわけだ。


 これで地球連邦時代に火星に存在した恒久都市の名前から領邦国家の名前を取るのも最後。次はどうなるのやら……などと益体もないことを考えていた。


「ピヴォワーヌ伯国の防衛軍は、文字通りにわか作り。もちろん伯国建国の前から準備が進んではいたけれど、東部方面軍のホーエンツォレルンのジジイの邪魔が入ったのよ」

「ホーエンツォレルン元帥の、ですか?」


 帝国東部軍管区の司令官人事は元帥が充てられるのが普通で、ホーエンツォレルン元帥も、三〇年の長きにわたり、その地位職責を全うしておられるお方。その元帥をジジイなどと呼ぶのは、帝国広しといえども公爵殿下くらいだろう。


「ここからは彼女が説明するわ」


 公爵殿下が振り向いた先には、さらに見覚えのある女性が立っていた。


「どうも、柳井さん。お久しぶりです」

「フロイライン・ローテンブルク。帝都に戻られていましたか」


 ローテンブルク探偵事務所は、こともあろうに海賊にふんして辺境を荒らし回っていたほうとう娘の皇統公爵殿下を連れ戻すために、我が社へワリューネクルを借りに来た探偵事務所だ。公爵殿下も大概だが、フロイライン・ローテンブルクも相当の変わり者だ。


 その後、私もいくつかの懸念事項の調査を彼女に依頼をしていたが、彼女も最近は公爵殿下案件の調査に掛かりきりのようだ。


「まあ、私とホーエンツォレルン元帥の関係は察してちょうだい。先祖代々のいがみ合いってヤツ」

「はあ……」


 しかし、この公爵殿下のたたずまいは、おおよそ世人が想像する皇統貴族とはかけ離れている。ざっくばらんで皇統以外への不遜な態度などかけらもないというか、公爵殿下であれば皇帝陛下の御前でもあくびをして見せるだろう。いや、不遜といえば不遜で、それは全人類に対してのものだろう。


「で、フロイライン・ロッテンマイヤー、続きを」

「殿下、意地がお悪うございます」


 ロッテンマイヤーはフロイラインが偽名としてよく利用している名前だ。その名前で呼ぶときに、公爵殿下は心底うれしそうな顔をしていた。


「ホーエンツォレルン元帥は近年、帝国中央政府への不満を募らせているという情報があります。また、東部軍そのものにも現地判断優先の傾向が目立ちます」


 フロイラインから差し出された調査書には、最近の東部軍上層部の動きが事細かに記されていた。これは確かに東部軍管区が軍閥化していると思わせる内容だ。私が軍にいた頃からその傾向はあったが、最近はさらに悪化しているようだった。しかし、それは中央と現場の認識の違いがもたらすもので、私としては東部軍が本当に軍閥と化しているかは疑問だったが。


「しかし東部軍の防衛戦略については、東部軍司令部に一任されておりますし、統合参謀本部では判断が付かないことを、いちいち指示を仰ぐわけには行かないでしょう」


 元東部軍軍人としては、そこは言っておかねばならないことだった。


「それもそうね。でも帝国中央軍とも事務連絡レベルでさえ滞りが目立ちはじめているのは看過できないわ」


 確かに、ここ数年険悪と言われていた中央軍と東部軍の関係は今年明らかな形となっていた。合同演習や戦術会議も、賊徒襲来にかこつけて延期に次ぐ延期が続いている。


「まあ、これは今日の本題とは関係ないんですが、一応気にとめておいて頂きたいもので……」


フロイラインの操作で、それまで東部方面軍管区を映し出していた画面がズームアウトされ、帝国の領域全景になる。アメーバのような不定形の領土の外縁には、辺境惑星連合が支配する未踏宙域が広がっている。差し渡し二万光年。オリオン腕からサジタリウス腕にまで至る帝国領は、銀河系のごく一部でしかない。果たしてこの領域外には何があるのか。その想像をするのはあとにして、私はフロイラインの次の一言を待った。


「で、これはまた別件。帝国軍情報部の内部情報なんですが、最近辺境惑星連合に大規模な戦力移動が確認されています。遠く西部軍管区に接する星系から、東部軍管区側まで移動した部隊もいるようです」


 アメーバの縁を艦隊を示すシンボルが移動していく。かなりの数であることは分かるが、詳細は掴めていないようで、それ以上の情報はないようだ。


「ここからが問題なんですが、東部軍管区は、これに対してすでに防衛体制を取りつつあります。一両日中には、東部に展開する全ての軍事企業にも出動要請が出るでしょう。すでに敵先鋒と東部方面軍は戦闘状態に入っています」

「で、最初の話に戻るわけ。ピヴォワーヌ伯国防衛について。新しいとは言え帝国の領邦よ? 奴らにしてみれば、デカいエサが目の前にぶら下がっているのと同じ」

「つまり、東部辺境とは言え領邦を落とせれば、辺境惑星連合にとっては帝国本土を蹂躙じゆうりんしたのと同じ政治的および軍事的プレゼンスが期待できると」


 私の回答は、公爵殿下とフロイラインを満足させるものだったらしい。二人して顔を見合わせ、うなずいていた。


「そのとおりです。さすが柳井さん話が早い」

「東部軍には私からも再三増援を回すようにド突き回してるんだけど、あのジジイ、のらりくらりとその要請をかわし続けているのよ」


 言い回しだけの話か、それとも物理的に担当者を小突いているのか分からないが、この公爵殿下なら自分で出向いてサーベルでも突きつけそうだと、私は本気で考えていた。事実、彼女に面と向かって叱責を受けた者は官公庁にも多いらしい。


「……お話は分かりました。であればこそ、なおのこと。私共にこのお話を持ちかけられるのは不適当です。我が社に東部軍の帝国軍ナンバーズフリートと同じ戦力を期待しておられるのですか?」

「バカね、そんなわけないでしょ」


 あまりにあっけらかんとした答えに、間を持たせるため手にしたコーヒーカップを取り落とすところだった。このカップ一つで、自分のつるしのスーツなら何年分か買えるだろうと思いつつ、公爵から目をらせさずにテーブルにカップを置き直す。


「ようは時間稼ぎよ。東部軍が動かないなら、私自ら近衛艦隊を率いて向かう」


 さすが皇族将官が自ら軍勢を率いるという一言は、重みがあった。ここ数十年はそんな事態は起きていないだろう。


「ただ、近衛艦隊はあくまで皇帝陛下直属の護衛部隊でしかない。軌道上に浮かぶ艦隊も、この近衛司令部に駐屯する陸戦兵も、私の意のままに動かすことはかなわない。だけれど、それは時間をかければ解決できる問題よ」


 だからこそ、メアリー・フォン・ギムレットは近衛艦隊司令長官に選ばれたのではないか。猛獣にはむちが、飼い犬には首輪が必要なように、彼女にも何らかの職責とかせをつけることで、彼女の行動を封じたのではないか、などと邪推がしたくなるところだ。裏を返せば、猛獣に牙を与えたとも言えなくもないのだが。


「なるほど。そのための捨て石になれ、と」


 普段の調子で私が放言すれば、公爵はコーヒーが気管に入りかけてむせている。


「そう悲観的にならなくてもいいでしょうに。義久、あなたはアルバータ星系で我の戦力をはるかに凌駕りようがする叛乱軍の鎮圧を成し遂げた。その手腕に期待したい、とまあそれは私の建前。本音はね、顔見知りに頼みたかった」


 その一言をいう瞬間だけ、公爵殿下は、その辺りにもいるごく普通の、二〇代の女性に見えた。帝都を長く離れていた殿下には、意外と帝国貴族社会の付き合いが少ないのかもしれない。だからといって、私のようなやからを頼っていていい道理ではないのだが。


「毎回あなたやフロイラインに調査を依頼しているのを見てもらえば分かるでしょう? 以前にも言ったけれど、私は帝国軍やそこに連なる機関も、全面的に信用しているわけではないの。というか中央軍の腑抜けっぷりを見た後じゃ、中央幕僚をピヴォワーヌに送るなんて言えたもんですか」

「それはごもっともですな……」


 中央軍は帝国本土を防衛する文字通り帝国最後の壁となるものだが、いかんせん辺境の各方面軍と比べて実戦経験がなきに等しい状態とあっては、実戦経験最優先の公爵殿下のお眼鏡にかなう人材は少ないのだろう。


「先方もあなたならば、と乗り気よ。自信を持ってちょうだい」

「ところで作戦が成功したあかつきには――」

「それもいつものこと。あなたの会社には相応の報酬を支払う。今度はいつもの調査よりも大きい仕事だから、あなたにも個人的な褒美を用意するのはやぶさかではないわ」


 公爵殿下からの依頼に関わり出してから、通常の給料とは別に特別手当が支給されていたが、個人的な報償については初めてだった。


「参考までに、どのような褒美を頂けるのか聞かせてはいただけませんか?」

「そうねえ……帝国皇統貴族の称号なんてどうかしら。廃絶してる家名の爵位相続なんて手もあるし、領邦を守りきったのなら、新たに皇統を増やすのもやぶさかではない。叙爵を陛下にお願いするわ」

「……冗談と受け取っておいてもよろしいのですか?」


 皇統貴族の爵位相続とは、つまり見たままそのまま、受け継いだその人間は、その代から皇統として、帝国統治階級の仲間入りというわけだ。何世代かあとには、実際に帝国皇帝を輩出することも、可能性としてはゼロではない。もっとも、男爵以下の皇統はそれほど希少種というわけではない。皇統男爵だけ集めても、一個大隊くらいにはなるだろう。


「帝国皇統は常に新しい血を注ぎ続けることで、より広範な帝国を支配するに足るものとなるといったのは、初代皇帝のメリディアンⅠ世だったかしら」


 実際、帝国皇統には常に新しい血が加わり続けている。旧来の支配階級と異なり、メリディアンⅠ世は世襲をよしとせず、生涯独身で子供もおらず、皇帝の代替わりは続けて同じ皇統家が続かないことを暗黙のルールとしてきた。そこに一滴、私のような市井の人間が加わったところで、大差ないというのが本当のところだろう。


「というか、さっきアスファレス・セキュリティには正式なルートで、この依頼を送ってるのよね。すでにあなたの上司達たちはやる気満々って感じなんだけど」

「……では、何故なぜ私をここにお呼びになったので?」

「決まってるじゃない。やんごとなき身分の人間の暇つぶしよ。近衛からも一人、腕利きの参謀を派遣してるから、と一緒に防衛計画を立ててちょうだい」

「はっ。全力を尽くします」


 別室でのんにコーヒーを飲んでいたハイドリヒと合流すると、帝都滞在も一時間足らずで本社へ出頭。命令受領など済ませたあと、一路ピヴォワーヌ伯国へ向けて、乗り心地の悪い巡航戦艦ワリューネクルで向かうこととなった。


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