part 18


翌日はすぐにやって来た。


私が断ったので早朝からネーテが迎えに来る事はなかったが、クーダッケ邸に向けて午前中の内から歩いていると、市壁の門番には既に話が通っていたらしい。商人や貴族の使用人をはじめとした、様々な理由で市壁をくぐりたい人々が門番の前で列を作る中、私だけはその列を無視して門を通されたのだ。


身なりも汚い、いかにも田舎者と言った風体の小娘が、鍋を背負うだけで検査も許可証もなく素通りできるのだからして、門をくぐる最中は奇異の目に晒されたのは仕方ない事である。


えっちらおっちら、綺麗な石畳の上を鍋や包丁を持ってぽこぽこ歩く。


煌びやかな宝石を身に着ける貴族やお金持ちの市民が行き交う中で、私が歩いている様子はさぞや滑稽な姿だろうとは思ったのだが、そんな事を気にする余裕はなかった。


何故なら、今日はとうとうざらめさんが護送されてしまうのだから。


頭の中でアルコさんの語った「冗談」を何度も思い返し、今日私がすべき事を考える。


それはそれはもう、考えるだけで胃がぎゅっと縮んでしまうくらい、それくらい恐ろしい事を私はしようとしているのだ。鼻息も荒くなろうと言うものである。


「おはよう! ……あなた、どうしたの? 朝から興奮して」

「えぇっ、そんな風に見えますか?」


到着して早々。クーダッケ邸の前で道を掃いていた召使が私を見つけ取り次ぐと、すぐにネーテがやってきた。


「まるで決闘でも挑もうか、と言う顔じゃない! さしずめ、その大鍋と包丁は盾と剣なのかしらね」

「まぁ料理人なので、そうとも言えるかも知れませんね」


豪華な玄関の前には既に護送用の馬車が用意され、馬車には二頭の黒い馬が繋がれている。護送馬車は頑丈そうな鍵と扉で閉ざされた罪人を乗せる乗車スペースと、罪人を護送する兵が乗るスペースの二カ所に区切って作ってある。


巨大な箱に窓だけを付けたような形のため、ざらめさんが中にいるのかは確認できない。もしかして、既に乗っているのだろうか。


「出発の準備は整っているけれど、正午までまだもう少し時間があるわ。どうする? 彼女に会いたい?」


ネーテは心底どうでも良さそうに聞いた。何気ない雑談。他愛のない世間話のようである。

何故私がざらめさんに固執するのかわからないネーテにとっては、実際にその程度の事なのだろう。


「えぇ。ざらめさんは今どちらにいますか?」

「もう護送馬車の中だけど、それじゃあ鍵を開けて外に出て握手を、というわけにはいかないの。様子を見るための小窓があるじゃない? 顔も見られるだろうし、そこからで良い?」

「わかりました。充分です」


私は護送馬車の壁に取り付けられた窓に歩み寄る。男性の頭ひとつ分程度の窓で、鉄格子がはめられている。


「ざらめさん」


声をかけながら覗くと、中では手足に木製の枷をはめられたざらめさんが、座った体勢でうたた寝していた。


「……よく寝ていられますね」

「………えぇ? あぁ、おぉ。シオンじゃん」


私の声に反応し、ぱちくりと目を開けると、手足を封じられたまま肩と首だけを回して唸る。


「うーん……枕とか差し入れてくれたら助かる」

「その枕を使う頭が刎ねられるやもという時にまぁ。頭がついている内に差し入れしますよ」


私は鞄から布で包んだお菓子を取り出した。

私が何かしないよう見張っていた護衛が私の手を止める。それは何だ、と強い口調で責め立てられたのだが、私はひらりと手を振って弁解。


「やだな、単なる焼き菓子ですよ。料理人なので、今生の別れに料理を持ってきたんです」


疑惑の眼差しが晴れないので、私は護衛の手に何枚かある四角いそれを二つほど乗せる。


「クッキー、というお菓子です。ネーテ領主にお渡しできるほど上等な物でもなく、あくまで庶民のもので、流れの料理人が作ったものです。お口に合わなかったら申し訳ないとは思いますが、怪しい物でない事は食べてもらえればわかります」


できるだけにっこりと笑って見せて、仏頂面の怖い顔を見ないようにクッキーを渡した。そして鞄から更に取り出し、ついでとばかりに周りのメイドや召使にも配る。護衛馬車の御者にも配った。


ネーテは何か言いたそうな顔をしていたが、あくまで領主に献上する程のものではない庶民の料理であるため、欲しいとは言えないらしい。


ネーテを除くその場にいた者にクッキーが行き渡ると、私は最後に鉄格子越しのざらめさんに渡した。


「どうぞ。アルコさんに言ったら、何も言わずにただで材料をくれたんです。ざらめさんには、もし次にまた会えたなら僕の胸へと駆け寄ってくれ、と伝言を預かってきました」


「えぇ? それってさ、もしかして……」

「はい。そうです」


私の言葉に無言で頷くと、ざらめさんは鉄格子越しに口でクッキーをくわえて受け取った。


後ろ手に枷をはめられているためだが、器用に口でくわえたままで一向に食べようとしない様子が見えた。


伝えたかった事が伝わっていると思いたい。


「では。あまりお邪魔しても何ですし、私はこれで」


ぺこんと頭を下げて、護衛の兵にもう一度頭を下げて、私のクッキーを驚いたような顔でおいしいと言ってくれるメイドさん方にも頭を下げて、私はネーテの元に戻る。


「ずいぶん淡白な別れね」

「仕方ないです。あまり長く話をしても、それだけ悲しくなってしまいます」

「最後の言葉は何? 僕の胸へ、だなんて。大罪人を相手に愛の言葉?」

「えぇ。情熱的ですよね」


何となく腑に落ちないような表情のネーテだが、今のやり取りについてネーテが追及する事はできない。

ネーテには違和感の元となる根拠がないからだ。


「さぁさ、行きましょうネーテ。少し早いけど、出発の準備はできたんですから」

「……そう? じゃあ行きましょうか……」


そうして、国家反逆の大罪人を乗せた護送馬車は、三人の護衛と一人の御者。それにネーテとその世話係が一人と、私。計七人で、何人もの使用人の見送りに手を振られながらクーダッケ邸を後にする事となった。


ちなみに、ネーテが王都へ行くため半月近く留守になるわけだが、その間はメシオー前領主が一時的に領内の政治に受け持つ事になっているという。

しかしその内容はネーテの政治路線を維持するだけに留まるそうなので、税金は変わらない。


馬車は石畳に蹄と車輪の音を響かせて、快調に車輪を回し始めた。ネーテの馬車を御者が馬に引かせ、その後方で護送馬車がそれに連結して引かれている。


二頭の馬だけで二台の馬車を引いているのだが、力の強い種類であり、急ぐわけでもないなら二頭いれば充分だと言う。


「シオン。さっきの……皆に配っていたのは?」

「あぁ、クッキーと言って、植物怪魔を使ったお菓子ですよ。ネーテは庶民と同じ物や、怪物は食べないと言っていましたから、ネーテにはわざわざ配りませんでした」

「……そう。いや、でも、もしも、よ? あくまでも、もしも、だけど、もしも渡されていたとしたら、それは食べていたと思うわ。だって、せっかくシオンが用意してくれた物を無下にするわけにもいかないじゃない?」

「でもそれだと嫌々食べる事になるんですよね? なら、ネーテには配らなくて正解でしたね」

「そうなのだけど、そうなのだけどシオン。あぁもう! 全部私に言わせるつもり?」

「いえいえ。言いづらい事があるなら、言わずとも口を塞いでしまいましょう。クッキーは如何ですか?」

「……ま、シオンが私に渡す物を無下に断ってしまうのも気が引けるわ。本来なら竜でもない限りは怪物など口には入れないけど、今回に限りは不問にしてあげる」

「これはこれは。私が無理に勧めてしまったようで、すみません」


そんなやり取りをしながら、ネーテに布で包んだクッキーを何枚か渡しながら街の様子に目をやる。


おそらく、計画が上手く行けばこの街を見る事は二度とない。ざらめさんを少々強引な方法で解放したら、後はそこから逃げ出して街には戻らないからだ。

もちろん、失敗したその時にはネーテに連れられて私はここに戻ってくる事になるのだろうが。


ネーテは市壁の外に出たのは初めてだと先日言っていたので、市壁どころか街の外に出るのも初めてに違いない。それが領地から更に外に出て、王都まで馬車で行くとなれば、果たしてどんな心境なのだろうか。

クッキーをカリカリとかじる様子を見つつ、私は市壁の門をくぐった時にそう思った。


馬車の中は世話係の女性が一人と、私とネーテの三人だけ。

私は小窓から覗く御者の様子をちらちらと伺いつつ、じりじりと焦る胸を押さえつつ平静を装う。壁の中にいる内は余裕を持っていられたのだが、見える景色が壁外の街並みに変わってからは少し事情が変わってきたのである。


というのも私がざらめさんを助けるために打った手は、時間の指定がおおよそでしかできないのだ。一応、北門を通り抜けてから事が起きるようにしたつもりだが、もしも街の中でそれが起きた場合には計画失敗という事になる。やり直しはない。


「どうかした?」

「えぇ? いえいえ。どうもしてませんよ」


ネーテは変に勘の良い所があるので、どうにも気を使う。

私は冷や汗が額に滲むのを感じつつ、改めて計画の無茶ぶりを噛みしめていた。


立てられた計画というのは、非常にシンプルなものである。


ただ単純に、監視している護衛の兵と馬車を引く御者を無力化し、その隙にざらめさんを開放して逃走するというだけのもの。アルコさんの発案で、まさに冗談と呼ぶにふさわしい内容だ。

計画成功の鍵は、アルコさんからもらった食材にかかっている。


「これは通称、魔睡の実。正式には確か長々とした学名があるんだけど、どこへ行っても魔睡の実で通じる。これを使って、まず兵士には動けなくなってもらおう」


昨日そう言って、こそこそと私に黒い植物の実を渡したアルコさん。


魔睡の実はかじるだけで全身が痺れ、飲み込めば昏倒してしまう代物である。それなりに希少だが、どこの森でも自生するため、一日探し回れば見つけられる。


アルコさんは特に探し回ったというわけではないそうだが、旅の道中に見かければ採取していたという。


「実を水でふやかして、それから絞れば魔睡の毒液を用意できる。狩人は濃い毒液の抽出方法を秘伝にしてるそうだけど、相手が人間なら薄めただけでも威力充分。これを、更に薄めて薄めて、こっちの安い毒消しと一緒に混ぜると、体の自由を奪う遅行性の毒になる」


手慣れた様子で私に説明するアルコさん。


「かと言って、いくら薄めても独特の匂いがあるし、味も悪い。これをそのままどうぞと渡して飲む奴もいないだろう。味と匂いをごまかすために酒に混ぜて出そうにも、これを酒に混ぜると変色するんだよ。だから強力で安価な毒ではあるけど、暗殺者なら使わない。使い道と言ったら矢に塗って狩りに使うか、薄めた物を紙に染み込ませて不眠症の治療に使う事がある程度。……でも、君は料理人だろう?」


悪い顔をして、アルコさんはそう言ったのだった。



かくして私は、毒薬と化したクッキーを御者と兵士に配る事を提案されたわけである。もちろん、周囲のメイドや召使、ネーテやざらめさんに渡すのは普通のクッキーだと。


「そんな事……」


「料理人としての矜持に反するだろうね。だから俺は、こういう事ができるよ、という提案しかしない。どうするかは君次第、というわけだ」


「それは………」


アルコさんは私がこの計画を嫌がると踏んで、わざと断念させるために話したのだった。

昨夜私は、大いに悩む事となった。

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