part 16

 クーダッケ邸に宿泊しろと言ったのはネーテからだったが、その理由もまたネーテらしい理由だった。

曰く、私の友人ともあろう者があんなボロ宿に寝泊まりするなんて! という事らしい。


アルコさんと毛布まで共有した事は内緒にした方が良いかも知れない。


屋敷の客室は年末などには満室になるそうだが、今の、特に竜が横切っていくような時期では全く使われないらしく、ネーテの口添えで一番良い客室に案内される事になった。


部屋の内装は凄まじいもので、私が知っていた部屋という言葉は今まで間違っていたのかも知れないとまで思えた。


しかし部屋に荷物を置くと、ゆっくり部屋を見る前にネーテがやってきて、私を部屋から連れ出してしまう。


「こっち! さぁこっちへ!」


日も沈み、あちらこちらで燭台に火が灯された廊下を楽しそうに進むネーテ。


どこへ行くんですか、などと聞いても無駄な事は既にわかっている。もう何度も聞いたのだから。


「昨年の誕生日に頂いた、私の宝物を見せてあげる!」


その宝物とやらは誰かに自慢したくて仕方ないらしく、私はクーダッケ邸の二階北側。特に豪華な意匠で造られた扉の前に、気付けば私は立っていた。


「さぁ! この部屋よ!」


 ネーテが懐から鍵を取り出すと、頑丈そうな鍵穴にさして回す。がちり、と重い音と共に扉が開けば、中には数多くの美術品が並んでいた。


宝物庫という部屋があるとするならば、おそらくそれはこういった部屋なのだろう。


「あぁシオン、そんな珍しそうな顔をしないで。恥ずかしい。大半は、がらくたなの。殿方の持つ浪漫というものの、更にその残滓に過ぎないの」


ネーテが部屋にいくつも並んだランタンに火を落とすと、薄暗かった部屋が明るく輝く。


煤で部屋を汚したり、倒れて美術品を傷つけかねない蝋燭を避けた結果がランタンなのだろう。


「ほら、見てシオン! この剣は雷竜フタガドの首を斬り落とした名剣! こっちは伝説の災竜ヘバナの巣が記された地図! このペンは古代ガルツ人が竜との交信に使ったという……! なぁんてね。どれもこれも、お題目だけは立派なものばっかり。どれひとつとして、真っ当な宝物だなんて言えないの」


確かに、どれもこれも立派な細工が施された物ばかりだが、何だか言った者勝ちな内容の物が多い。


絵画などの純粋な美術品も多数ある事から、この部屋にある物がどれも無価値という事はないだろうが。


「特に! この海竜王の角だなんて。お父様は本気でこれが竜の角だと思っているのか、一度聞いてみたいくらい! どう考えたって作り物じゃない。大体にして、海竜王というのがどれ程の竜かは知らないけれど、そんなとんでもない名前の竜から角を切り取ってこられるなんて信じられるわけないじゃない!」


そんな事を言ってしまっては身も蓋もない。


「そのヘバナの巣の地図だなんて、もっとひどい! だってそれを作った人は災竜の巣を見た事になるじゃない? そんな事をして生きて帰れるわけがないのに」


竜という生き物には、いくつか種類がある。ざらめさんなら詳しいのだろうが、どの種類も大きく違っており、見た目から生態、生息地や危険度まで、かなりの偏りがあるという事しか私は知らない。


だが竜の中でも、国から特別指定を受けた個体は分類に関わらず、その個体ごとに災竜と呼称される。

災竜の指定を受けた竜は未だ数匹程度だそうだが、この辺りの知識も怪物調理全集を読み解く過程で何となく知った知識に過ぎない。


「ヘバナって、おとぎ話に出てくる竜ですか?」

「おとぎ話と呼ぶには少し違うけど、シオンの故郷ではおとぎ話だったの? ちゃんと実在する竜で、古代ガルツ人の時代から生きているらしいって学者が言っていたわ。名前のある竜のほとんどは古代ガルツ人が名付けたもので、ヘバナは確か……えぇと……」

「ヘバナはガルツ語だと、別れ、という意味ですよ。この世とあの世、白い世界と黒い世界の間に生きるヘバナに出会った者は、愛する人と世界に別れを告げる。故にその竜の名を人々はヘバナと崇めし」


「……シオン。料理人にしては博識じゃない」

「あぁいえいえ。おとぎ話ではそこまでセットで登場するんですよ。ちなみに、雷竜フタガドの意味はそのまま、暴力という意味です」

「あなた……古代ガルツ語がわかるの?」

「ええ? 違いますよ。これも単なるおとぎ話の知識です。私の田舎のおとぎ話には、よく竜が出てくるんです。田舎だから、きっと他に恐ろしい生き物を知らなかったんですね」


「す、すごいじゃない! 正直、あなたなんかじゃ災竜ヘバナの存在から説明しなきゃならないと思っていたけれど……。機会があったら私の教育係に問答を仕掛けてみなさい。もしかしたら、言い負かしてやれるかも知れないわ!」


昔、昔のそのまた昔、ガルツの民という人たちがいたそうだ。


王国が出来上がるよりも前の事なので、彼らが何者で、どこから来たのか、あるいは最初から住んでいたのを王国が追い出したのか、ほとんどの事がわからない。


現在の王国では竜を人類にとって最大の脅威であるとしているが、残された古代の文献から読むと古代ガルツ人はどうやら竜をさほど恐怖の対象としてはいなかったようで、一説では竜と交信し、共生していたとも言われている。


私は古代ガルツ語を解読したり話したりする事など当然できないが、村で語られる昔話にはよく登場したので、知っている単語がいくつかある。

もちろん、単語をいくつかという程度の知識なので、多分ネーテが思っているような大したものではない。


「……ま、お父様のがらくたコレクションなんてどうでも良いの。シオン、こっちへ」


隣に立つ古めかしい金属製の甲冑を指で弾くと、ネーテは部屋の一番奥の棚から、小ぶりの宝石箱を取り出した。


それを私の前まで持ってくると、自信満々の笑みでその蓋を開いた。


「さぁ見てみなさい! 私の自慢の一品で、めったに手に入る物じゃないんだから!」


金縁で飾られた黒い宝石箱で、蓋が開くと同時に箱の中からは白い煙のような物が溢れ出した。


煙は何故か上ではなく、下に向かって落ちていき、その煙に触れた足先がぞわりと震えた。


「こ、これは……?」


声が上ずる。こんな物を見たのは初めてだった。


箱から煙を噴き上げているのは、手のひらに収まりそうな、しかし宝石として随分と大きい、楕円形の真っ白い石だった。

その石が周囲の空気を白い煙に変化させており、そして不思議な事にその煙ははっきりとした冷気を持っていた。


そうつまり、その石は強力な冷気を発生させ続けているのだ。


「我が領内からは遠く、北のサンビシテ山から採れた、最高純度の氷結石よ! 存在する限り永久に冷気を産み出し、無暗に触れるものを凍結させる石なの!」

「触れる物を凍結させる、冷気の石……」


もしもそれが本当ならば、これは物凄い物である。


ネーテは何故こんな箱にしまい込んでいるのだろうか。この石があれば、おそらく、きっと……。


「触れられないから身に着けられず、観賞用としてのものだけど……。それでも、この石の価値は……」

「え、えぇ! 観賞用に? そんな、なんて事!」

「ばかね。いくら美しいからって、さすがにアクセサリーにしてしまうと私が凍ってしまうじゃない。残念だけど、あくまで観賞用なの。でもシオンにこの石の美しさがわかるの?」

「わかるなんてものじゃありませんよ……。なんて素敵な……」


「ふっふっふ……! そう。わかるの。いくら料理人でも、宝石の美しさはわかるようで安心したわ! 氷結石の石言葉は、不死なる想い。この宝石を見せたのは、それはつまり私があなたを認めたという事で、そしてそれは……」

「ね、ネーテ……」

「そうよ、シオン! つまり私はあなたとの友情をこの石に誓っ……」


「この氷結石、近い内にまた見せてもらっても良いですか?」

「……んん? いえ、まぁ別に良いけれど……。これは私とあなたの友情の……」


「ネーテ」

「なぁに?」

「あなたが友達になってくれて、本当に良かったです」


「そ、そう? まぁこんな宝石を持っている人間は王都にもそうそういないだろうし、ようやくあなたも私を特別扱いする気になったみたいね……! あの罪人よりも、私の方がずっと良いとわかったようで良かったわ!」

「あぁ、なんて素敵な石でしょう……」


つやつやと白くランタンの光を反射し、氷のように溶け出す事もなく、永久にしゅわしゅわと冷気を産み出す様を、私は穴が空くほど見つめてしまった。


この石が私の手元にあったらどれだけ素敵な事だろうかと考えるだけでも楽しかった。


ちなみに一体いくらするのだろうか。到底手に入る金額ではないのだろうが、これは買えるものなら是非買いたいものだ。


氷よりも冷たいが、氷ではなく石であるため、溶ける事がない。原理不明で、まるで魔法のように周囲を凍結させ続ける石。

こんな素敵なものが存在したとは、旅に出て大正解だった。


まさかいくら私でも、ネーテを相手にこれを譲ってくれと言うわけにはいかない。だが、少しくらいなら貸してくれないだろうか。


ほんの数時間ばかしでも貸してもらえれば充分なのだが。


「さぁ、この話はこの辺りで終わり。今日はもう休みましょう。興味があるなら、この部屋にはまた近い内に案内してあげるから」


ネーテによる夜の宝石自慢は、そこでお開きと相成る。

だがランタンの灯りもそのままに、ふとネーテが思い出したように言った。


「そう言えば、あの国家反逆罪の彼女。あの人は明後日の正午に護送する事になったのだけれど、あの大きな斧は元から彼女の所持品だった物? 珍しい品物だから、もしかしてあの商人から奪った物かも知れないと看守が言っていたの。もしそうなら返さないとね。あなた何か知らない?」


何気ない世間話でもするように、ネーテはそう言った。


「……え?」


あの斧はざらめさんの持ち物で間違いはないのだが、その前に、そもそも、今ネーテは何と言ったのだろうか。


「……護送は明後日なんですか?」


「そうね。だって国家反逆罪なんてここで裁いて刑罰を科すわけにもいかないし。どうしたって王都へ護送するのは決まっているのよ。本当ならすぐにでも護送する予定だったのだけれど、ほら、今は火竜が近くを飛ぶ時期だから。通り過ぎるのを待って、明後日に護送する予定にしたの。そう言えばシオンにはまだ言ってなかったかしら」

「そんな……」

「もしかして、まだ保釈して欲しいなんて考えてないでしょうね?」

「………」


「シオン……。わかっていると思うけど、それは絶対にありえない事なの。私個人としては、別に死刑になって欲しいとまで思ってはいないわ。でもその私情で彼女を保釈するなんて、領主として絶対にできないの。もし一人でも私情で釈放するなんて認めれば、それが前例になってしまう。それも国家反逆罪なんていう大罪を」

「そう、ですか……」


あからさまに意気消沈した私を見て、ネーテは少し困ったように優しい声色で言う。


「気を落とさないで……。せめて、そう、せめて別れの言葉くらいは言えるように配慮するから。馬車が王都へ向けて出発する前に、私が……」


すると、何かを思いついたような表情で、ぱっと顔を明るくさせた。


「そうだ! 一緒に王都に行きましょうよ!」


一瞬、自分が何を言われているのか考える必要があった。どういう意味で、どういうつもりで言っているのだろうか。


「シオンは王都までの旅を終えるまで腰を落ち着けるつもりがないんでしょう? なら! 私が旅を終わらせてあげる! 護送には私とあなたも同席して、そのまま王都へ行くの! あなたは王都で目的を果たしたら良いし、私は領主としてあちらこちらに挨拶もできるし。良い事ずくめじゃない!」

「えぇ……?」


突拍子もなかった。


「ねぇ! そうしましょう! あぁ、それが良いわ。明後日までに旅支度ともなると、忙しくなるでしょうね。さぁ、そうと決まれば今日はもう休みましょう? 明日からは着ていく服を選ばないと……!」


ふふふ、と嬉しそうに、楽しそうに笑ってみせるネーテ。


何だか、私に関する出来事の全てが、私に関する出来事なのにどんどん私を置いてきぼりに動いているような、そんな錯覚を感じる。


旅という奴はこんなにも目まぐるしいものだったとは、田舎娘には今まで想像出来ていなかった。

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