part 15
どうしてあんな罪人に、わざわざあなたが! などとネーテが驚いたのは数分前の事。
私が牢に入ったざらめさんに、ここぞとばかりに恨み言のひとつふたつを言いたがっているのだと何故か勝手に解釈したネーテは、すんなりと私を地下牢へと案内してくれた。
せっかくだし都合が良いので、肯定はしていないが特にその勘違いを否定してもいない。どういう理由であれ、一度ざらめさんがどうなっているのか確認しておきたかった。
地下室のドアはネーテの持つ鍵で解錠されると、それを受けて一人の看守が地下に続く階段を上がってきた。
無表情で無口な、小柄だが筋肉の発達した頑強そうな体の看守は手持ちの燭台に蝋燭を三本ばかし立てると、私とネーテを先導する。
くり抜いた地下を石造りに補強して作った空間は意外にも、かび臭かったりジメジメしたりしてはいない。それなりに乾いて清潔そうな地下室だった。
階段を下りると狭い一本道になっており、一定間隔で壁がくぼんでいる。くぼみにはそれぞれ獣脂の蝋燭が一本ずつ立てられていて、ゆらゆらと私たちの影を躍らせる。
蝋燭の灯りがあるとは言え、それでも薄暗い地下室は陰気な場所に思えた。
「さぁ! 着きましたわシオン」
ふとネーテと看守が同時に足を止めた。
そこは一本道の終点で、開けた円形の空間に出る。
半円に、看守の座る木製の椅子とテーブル、それから蝋燭や掃除道具などの必要な雑貨がまとめてある。看守の作業スペースという事だろう。
そしてもう半円は、床から天井まで伸びる巨大な鉄格子で区切られており、その向こうで一人の背の高い女性が、静かに目を閉じてあぐらをかいて座っている。
「ざらめさんっ……!」
私は駆け寄る。ざらめさんは別に鎖に繋がれていたり、縄で縛られている様子もなかった。手錠がかかっているわけでもない。
簡素な囚人服を着ているだけで、特に変わった様子は見受けられなかった。怪我もしていない。
例の斧は牢の中ではなく看守側のスペースに置いてあるが。
「大丈夫ですか? ざらめさん」
鉄格子に手をかけ、呼びかける。すると、ゆるゆるとその目が開く。
「……シオン?」
声に覇気がない。束の間そう思ったが、よく考えるとこの人の声に覇気が宿っていた事など一度もなかった事を思い出してほっとする。
牢に閉じ込められた罪人と言うからには、どんなひどい目にあっているのだろうかと心配していたのだが、思ったよりも元気そうである。
「無事で良かったです……。ご飯は食べていますか? 困った事はありませんか?」
「ご飯は普通」
「また会えて良かったです。私にはざらめさんが必要なんですもん」
「なんで?」
「それはもちろん、怪物を……」
「ちょっとシオン! あなた、その人に無理やり脅されていたんじゃないの?」
会話を遮るように、突如背後からネーテの声。
つかつかと足早にやって来ると、ざらめさんを見下ろすように睨み付けた。
「罪人のあなた。よく聞いておきなさい。シオンは既に、わ、た、し、の、友達なのだから気安く名前を呼ばないでちょうだい。身分も立場も、もう大きく違ってしまっているの!」
「……。でもシオンはシオンだし、これから何て読んだら?」
「あぁ嫌だ! あなたがシオンの名を呼ぶ必要など、今後もう二度と起きる事はないのに、なんて図々しい! さぁもう帰りましょう、シオン! 安否も確認できたし満足でしょう!」
ネーテが私の腕を引く。
ここだ。ここで保釈金の話を認めさせるようにとアルコさんには言われている。
だがしかし、これはどうにもネーテの機嫌が悪そうで、上手く話をまとめられる自信がない。なんと切り出すべきかも思いつかない。
「ね、ネーテ……。あの、その……」
「なぁに? 何か言いたいのなら言えば良いじゃない。私は理由もなく怒らないから、何でも言うだけ言ってみなさい」
「えーと……」
私を見るネーテの目は確かに怒気を孕んではいるが、それは私ではなくざらめさんに向けられている様子である。
私を見る目はそこまでキツい目ではない。これならあるいは、と私は言葉を絞り出す。
「ほ、保釈金って……いくらぐらいになりますか?」
「……ほしゃくきん?」
何を言っているのか、という表情のネーテ。
ほんの数瞬だけ悩んだ様子だったが、すぐに私の言葉を飲み込んだネーテは言葉を続けた。
「国家反逆の罪人に、保釈金制度が使える訳ないじゃない。そんなのが許可できた前例なんて聞いた事もないし。……まぁ、我が領で国家反逆罪の人間が捕まった事が初だけど。でも、仮に認めたとしても一個人が払える金額にはならないでしょうね」
当たり前、と言った様子でネーテは言った。
ざらめさんも特に気にした様子もないのだが、それでは困るのだ。保釈金を認める権利をネーテが握っている以上、せめて許可だけでも引き出さなければ話にもならない。
払えないだろう金額と言われても、実際に払えないだけの金額を言い渡されるのと目標額すら提示されないのでは、それは全く違う事だ。
「あの、仮に認めたとしたら、いくらぐらいに……」
「シオン」
「……なんでしょう?」
「あなた、この人を保釈して欲しいの?」
ネーテは何か考えているような、複雑な表情を浮かべている。
「えぇ……まぁ」
「やっぱり脅されたというのは嘘だったのね。……いいえ、そう言えば脅されたなんて、最初からあなた自身は一言も言ってなかった」
さも私がそう言っていたかのようにアルコさんが周囲に言っただけである。
無論、それは私の事を思って言ってくれた事ではあるが。いずれにせよ、私の口からはっきりとそう言った事はない。だって、私はざらめさんに脅されて一緒にいたわけではないのだ。
「違うと言わなかったのは誠実さに欠ける……けどまぁ良いわ。どんな意図があったのかは、ある程度察しがつくし」
「じゃあ……」
「シオン。私はあなたを私の料理人にするためなら、多少のわがままを聞いたり、欲しい物をあげたりしても良いと思っていたの」
口ではそう言いつつも、ネーテの表情は浮かないものだった。まるで私にがっかりしたような顔である。
「でもねシオン。彼女はあなたにとって、高額な保釈金を用意してまで助けたいような人なの?」
すーっと目を細めて、ネーテは私を試すように言う。
そうです助けたいですと正直に私が答え、頷くと、ネーテはくるりと身を翻して反転。
「そう。でも、シオンにとっては残念だけど保釈金なんて認めてあげられないの。具体的に何をしたのかは私も知らないけれど、国家反逆罪で指名手配の罪人なんて、外に出せる訳ないじゃない。……誤解のないように言っておくなら、こればっかりは意地悪でも何でもなくて、本当にそんな事を許可する理由を作る事ができないの」
「ざ、ざらめさんは別に悪い事をしたんじゃなくて、それは、その……」
「何を言われたかも知らないけど、事実として指名手配されている人の話を鵜呑みにしたの? あなたらしいけど、物事には限度というものがあるの。残念だけど、諦めてちょうだい」
それっきり、ネーテは残念そうな表情を浮かべたまま、私の話を聞いてはくれなくなった。
ざらめさんを助ける事が、私にはできなかったのだ。
ざらめさんに面会した後、私はネーテの用意してくれた馬車で再び宿に戻る事になった。
今朝にネーテが乗っていた馬車とは違うが、それでも充分すぎるほど立派な馬車で、すれちがう街の人々は誰が乗っているのかと視線を向けた。
クーダッケの紋章がついた馬車に、みすぼらしい小娘が一人で乗っていれば目立つのもわかる。誰もが事情を知りたそうにしていた。
「た、ただいま……」
「別にここは君の家じゃないけど、おかえり」
宿の前で降りた私は、近くの馬小屋で馬の世話をするアルコさんを見つけた。
馬小屋の隣には空の荷馬車があり、どうやらアルコさんの馬車は無事に戻ってきたらしい。馬もブラシで体を擦られて嬉しそうにしている。
「……で、どうだったの」
クーダッケ邸では何故か昼食まで出されたので、既に時刻は夕方になっている。アルコさんは、ぎらぎら輝く夕日を眺めつつ、手近な木製のバケツをひっくり返して座って、私に訊ねた。
「ざらめちゃんの保釈金、いくらになった?」
だが私は首を振る事しかできない。
「保釈は認めてもらえませんでした……」
「ふーん……そう。じゃあ、仕方ないね」
淡々と言うと、うーんと唸りながら大きく伸びをひとつ。
「シオンちゃんが馬車に置きっぱなしだった鍋とか小さい鞄とか、そういうのは宿の部屋にもう置いてあるからね。俺の荷物が全部そのままだったから大丈夫だと思うけど、一応シオンちゃんも後で何かなくなってないか確認したら良いよ」
「……はい」
「で、これからどうするか決めた?」
アルコさんと一緒に旅を続けるか、ざらめさんを助ける方法を残って探すか。
後者の可能性はネーテに否定されたばかりだし、そもそも保釈金を用意するアテもないので成功は限りなく不可能に近い。
現実的に言って、アルコさんと共にクーダッケ領を後にするのが正しい。
そんな事はわかっているのだ。しかし、ざらめさんを諦めるのはあまりにも嫌だった。何故って、彼女は私にとっても大きな意味を持つからだ。
「まぁどうするにしたって、どうにもならないんだけどね」
「それは……どういう?」
組んだ脚の上に頬杖をついて、何かおいしくない物を無理やり食べたような顔でアルコさんは言った。
「実はさぁ、しばらくは街を出られないんだよね。領内は全面封鎖だよ。今日の昼くらいかな。その辺りから、そういう話が回ってきた。………いや、話題の税金問題じゃないよ。もっと単純な話。商人には絶対にどうにもならない、単なる自然災害だ」
「自然災害って……。別に大雨でも嵐でもありませんし、最近の天気は良い方ですよ?」
「あぁそうか、シオンちゃんだと土砂崩れとか川の氾濫とか、そういうのを想像するのか。いやいや違うよ。それくらいなら道を選べば出発できる。そうじゃなくて、この街の人は誰も外に行けないんだ。というか、行かないんだよ」
話がいまいち読めなかったのだが、アルコさんは片手を猛禽類の鉤爪のように歪めて見せると、苦笑して言った。
「この近くを火竜が飛んでるらしいよ」
「えぇ!」
驚き、思わず口元に手を当てた。
巨大な翼と体躯を持ち、天と地を駆け万物を殺傷する、破壊の象徴。ざらめさんが強力な武器を持っている事は知っているが、それにしたって一度でも実物を見た者は口を揃えて無理だと言うだろう。あれは戦士が百人単位で戦うのが相応な、破格の存在だ。
雄叫び一つで恐怖を刻み込まれた私は、何度だってあの恐ろしさを思い出せる。
「それって、ど、どうするんですか? 逃げるんですか? 逃げられるんですか? いえいえ、今すぐ逃げましょう! あぁどうしよう、ネーテやざらめさんにも伝えないと……」
「落ち着いてくれ。何もこの街を襲いに来たわけじゃない。毎年の事さ。この街から離れた所を通り過ぎるだけだ。シオンちゃんは知らないだろうけど、こういう田舎には竜の飛行ルートが重なっている地域もあるんだよ。竜ってのは時期と場所を一定の間隔で移動するそうで、この時期は丁度ここに来るタイミングだったみたいだね。まぁ来るって言っても、ほとんど通り過ぎるだけらしいから、何日かしたら動けるようになるよ」
怖がるような事ではない。そうアルコさんは私に告げるのだが、それでも火竜を実際に見た事のある私はまるで生きた心地がしなかった。
竜の気持ちが少しでも変わって、街の人々をむしゃむしゃ食べに来ないだなんて、そんな事はどうして言えるだろう。
「近くとは言っても、この街は飛行ルートから結構な距離がある。丁度この街の南側で、毎年飛んで行くのが遠くに見えるって話だ。だからそうだなぁ……あと二日もしたら北側から出発しようかと考えてるよ。二日も間を置けば十分遠くに竜も行くだろう」
困った様子ではあるが、旅をしていると度々こんな事に見舞われるのだろうか。アルコさんはそれほど重大な事だとは認識していないようである。
「だから二日経ったら、もう一度聞くよ。別に俺はシオンちゃんが俺と来るのは歓迎するけど、来ないならそれもそれで仕方ないとは思ってるし、好きにしたら良いさ」
私はその時、ざらめさんを助ける事に二日の猶予が与えられたように感じた。
しかし、アルコさんは間違いなく、気持ちの整理をつけるための二日間という意味で私に言っている。
「それと、宿は同じ部屋をそのまま使えるように話をつけといたよ」
「あ、それはどうもありがとうございます」
「……気にしないんだね。いや、俺も気にしないし、シオンちゃんも気にしないならそれで良いけど、何というか田舎娘ってすごいね」
「……何の話ですか?」
「いやいや……。年ごろの女の子がどこの者とも知れない男と、同じ部屋の同じ毛布で寝るってのは……。普通は嫌がるものだと思ってたんだけどね。まぁ宿代を出したのは俺だし、もし嫌だと言ってもシオンちゃんの方に外で寝てもらってたんだけどさ」
「あぁ。その事ですか」
昨夜、私は確かにアルコさんと同じ毛布で寝ている。
一人部屋に無理やり二人で泊まったのでベッドも毛布も一つしかないし、夜は寒いし、アルコさんさえ良ければとしか思っていなかったのだが、アルコさんはアルコさんなりに思う所があったらしい。
気まずい思いをさせてしまったようだ。
「だってアルコさんが私に何をするって事もないじゃないですか」
「そりゃあ、わざわざシオンちゃん相手に何をするでもないけどさ」
「そうでしょうとも」
「変な噂が立って俺の評判が落ちるのは避けたいからね」
「む、それじゃあまるで私が変な女みたいじゃないですか」
「はっはっは、シオンちゃんにも冗談が言えるなんてね」
そんなどうだって良いやり取りをした後に私は、ですがと続けた。
「ご心配は無用です。今日の所はとりあえず、自分で泊まる所を用意しておきました」
「えぇ? そんな訳が……いや、もしかして……。……おいおい、いくら何でも、まさかだろう? だって、保釈金の話は却下されたんじゃないのかい?」
「さすが、察しが良いですね。そして、それとこれとは別の話なのです」
「なんてこった……。今度からは俺も貴族への献上品に、弁当箱をひとつ用意しておく事にしよう。こんなのあんまりだ」
商人の察しの良さに驚きつつも、私は部屋に私の荷物を回収しに向かう。実は何を隠そう、ネーテから屋敷に泊まっていけと言われているのだ。
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