part 14
宿の部屋はアルコさんがケチったので、朝になっても窓から陽の当たらない部屋だった。
肌寒い朝の空気に身を震わせながら、昨日のうちに井戸から汲んで、部屋の隅に置いておいた水桶で顔を洗う。
アルコさんはまだベッドの中で丸くなっている。
「………」
私はどうしたら良いのだろうか。ふと、考えてみる。
私が村を出たのはこんな風に何かに悩むためでなく、何かに困るためでもなく、色んな所で色んなものを食べて、色んな料理を作るためだったはずだ。それが一体、どうしてこんな事になったのだろう。
唐突に。朝の静謐な大気をドアのノックが震わせた。
開けてみれば、宿の主人が何かに焦ったような表情で私を見ている。何か御用ですかと問えば、お客様がお見えです、と返された。
アルコさんのお客さんだろうかと思い、私がベッドに呼びに行こうとすると、主人は私を名指しした。どうにも、私に用がある誰かが来たらしい。
だが私を訪ねる人など、全くもって心当たりがない。
「どなたですか?」
怪訝そうな表情が伝わったのか、しかし宿の主人は何かに追われているように私を急かす。早く着替えてくれ出てくれと言うが、一体何をそう慌てているのだろう。
と、その時。
「シオーン!」
宿の玄関口から大きな声が響いた。
「シ、オーン!」
あぁ、そういう事か。などと納得した私は、宿の主人にすぐ行く旨を伝えると、部屋を出てもらってとりあえず身支度。
見苦しくない程度に整えると、私は宿の玄関へ。
「遅い!」
「こんな早くからどうしたんですか?」
青い瞳にめらめらと力強い輝きを秘めたまま、ネーテは宿の玄関で仁王立ち。
「あなた! 私の食事を作る約束があったでしょう!」
「確かにしましたけど……。まだ朝ですよ?」
「はぁっ? 朝に来なければ、私の朝食を作れないじゃない!」
「え、昨日の話って朝からの話だったんですか?」
「当たり前でしょう! さぁ私が自ら迎えに来たんだから、さっさと馬車に乗りなさい!」
ネーテは私の背をどすんどすんと叩いて催促。
押し出されるように、私はネーテの乗ってきた馬車に乗せられた。
「ほらほら、どこに座ってるの! もっとこっちに座りなさい!」
「えぇ? あれぇ?」
さすが領主の馬車と言った具合で、中は広く、数人がゆったりと座れるスペースがあったのだが、ネーテはぴたりと私の隣に座った。
「さぁ馬車を出して!」
その一声で馬車はごろごろと進み出した。
「ネーテ、たしか市壁の外に出た事もなかったんじゃ……」
「出たことないわ」
ふと私の手をとる。
「でも、友達を迎えに行くんだから、仕方ないでしょう?」
「ともだ……えぇ?」
「何か勘違いをされても困るけど、あなたのような出自の者はどうせ、私をネーテと呼ぶ事を許可したその瞬間から勝手に私を友達だと思い込むんでしょう? それなら! 私の知らない所でそんな風に吹聴されるよりも、先に私の方から許可してあげるだけの事。あくまでも領主として、貴族として、身分の低い者に高い者が歩みよるのは、その器がそれだけ大きいから。それだけの事だから!」
「はぁ……」
「だから、ほら!」
「なんですか?」
「あなたは、今日から私専属の料理人になるの!」
高らかに告げられた言葉を、私は聞き間違えなのではないかと首を傾げた。
「えぇ? どういう事ですか?」
「当たり前じゃない! 私の友人が野良の料理人なんて、そんなの釣り合わないもの。私専属の料理人でもまだ足りないけれど、野良の料理人よりはマシでしょう? 少しでも私の友人として振る舞えるように、私なりの配慮として……」
「あぁそういう事ですか。すいません、それは無理です」
「でしょう? あなたも喜ぶんじゃないかと思っ……。……今なんて?」
「いやいや、お気持ちはありがたいんですけど、私の旅は始まったばかりなので……。国中を旅して回って、私の料理が完成した時ならまだしも、今は無理です」
何でもない事を言ったつもりだったのだが、ネーテの瞳に暗い炎が揺れるのが見えた。
「……あなたはあなたらしく、はぁそうですか、とか、えぇわかりました、とか、そうやって暢気な顔をして受ければ良いものを……」
「うーん……。レシピで良ければ、可能な限り今の料理人の方にお伝えしますよ? お屋敷の料理人ならそれほど苦労せずに再現できるはずです」
「………私は欲しいものを諦めるつもりはないのだからね」
「諦めるも何も、私が直接作らなくても、お屋敷の料理人なら私と同じ物だって簡単に作れますよ? 私が作らなくても大丈夫ですって」
「そういう意味じゃ……。……あぁ、もう!」
もういい! と大声で怒鳴ると、ネーテはそれっきり馬車の外に目を向けて私を見ようとしなかった。しかし、ふと外の景色を見ていてネーテはつぶやいた。
「こう見ると、この辺りの街並みはずいぶん雑多ね」
「人が集まって増える度に建物を増やしたらこうなった、ってアルコさんに聞きましたよ」
「アルコって、昨日の商人? まぁこれだけ家があると、人も多そうね……。これならもっと税金を課しても大丈夫なんじゃない? 税収が増えれば、それだけ色んな事をできるし、みんな喜ぶと思うの」
「うーん……」
「あら? シオンに政治は難しい話だったみたいね。ごめんなさい」
「税金はメシオーさんが領主をやっていた時と同じくらいの方が良いかも知れないです」
「……まさかあなたに意見されるなんてね。良いわ! 今だけ意見してみなさい。料理人のシオンには、さぞ素晴らしい意見を出せるのだと期待しているわ!」
「だって……皆さん、税金が高いからお金がないって言ってましたよ?」
「それは、平時から蓄えを用意しておかなかった者の声ね。無計画に、場当たり的に生活していた者がそう言うの。確かに税金の量を増やしたけど、あくまで領民の負担は少しでも減るようにしてあるわ。主に高額な税金は外から領内に出入りする人間にのみ課してるんだから。領内のお金は増え、領外にお金は出て行かない。集めた税収は公共事業や、様々な点で領民に還元しているわ。目先の事しか見えていないから、納税金額が少し高くなったくらいで不満が出るの。長期的に見れば、領民は以前よりも裕福になるはずなんだから!」
一気に言い終わると最後に、シオンには難しい話かもね、と締めくくるネーテ。
アルコさんの言うとおり、ネーテは領主としての教育をある程度しっかり受けたように見える。こんな事をこんな風に話す女性は、私の村はもちろん、川べりの村にもいなかった。
だが、アルコさんはこうも言っていた。
「外から来る人の課税を重くしたら、外から人が来なくなって、領内には物が入って来ない。だからお金があっても買えないし、それに税金も上がったからお金はどんどん出て行く。そうやって、物もお金もなくなっていく。……って、アルコさんが教えてくれました」
「なっ! ……あの、たかだか商人風情がそんな……!」
ネーテは窓の外にさっと指を向けた。
「見なさいシオン! こんなにも街は人で溢れかえっているじゃない! たくさんの人がこんな時間から出歩いて、賑やかに暮らしているじゃない! この状況を貧しいとでも呼ぶつもり?」
眉をきゅうっと釣り上げたネーテ。私が外に目をやれば、昨日見た街の雰囲気とさして大差ない様子だ。
昨日までの私なら、こんなに大勢の人が、と驚いてネーテに平謝りしていただろう。
しかし、そうではないのだ。
「これは……この街にしては非常に活気がない……らしいです。税金が上がる前はもっとずっと活気に満ちていた、と聞きました……」
「……っ!」
市壁の中は貴族階級だったり、お金持ちだったり、あまり外でがやがやと歩き回ったりしない。
ネーテは今日初めて市壁の外に出たという事だから、この街の様子を見て勘違いしたのだろう。
ネーテはそれっきり、機嫌を損ねた様子で黙って外を見つめ続けた。少なくとも、ネーテは私と話をする気を失ったようで、大きな門をくぐって市壁の中に入ってもクーダッケ邸に到着するまでは互いに無言だった。
c到着した早朝のクーダッケ邸は、美しいの一言に尽きるものだった。朝の静寂と静謐な空気を目に見えて感じられるようで、強大さと権威を誇りつつも優しさを忘れない、そんな印象を与える建物だと私は感じた。
昨日の時点では罪人として来たので恐ろしさしか感じなかったが、こう見てみると実に清々しい。
白亜の石でできた門も、朝露に濡れた植木も、幾度も修繕を繰り返してもなお立派な壁面も、メイドが今まさに磨いている汚れひとつない窓も、どれもクーダッケ領の力を誇示しているようだった。
「……ちょっと、シオン! 何を見ているの? 早く降りなさい」
「え? あぁ、はい」
馬車が止まると同時に、ネーテが急かすように言う。馬車から降りつつ、朝食をどういうメニューにしようか考えて、そこでまたも私は自身の調味料セットや怪物関連の食材を持って来なかった事に気づいた。
料理をするなら最初から言ってくれれば、と思いかけたが、たしかネーテは怪物を料理に使う事を良しとはしていなかったので、あってもなくても同じである事にも気が付いた。
だが、ともすればどうしたものだろうか。
「ネーテ、食べたい朝食はありますか?」
私は朝食を作りに来たのだから、開き直って当人に直接聞いた方が早い。
しかし、ネーテの答えは私の想像とは少し違った。
「朝食? まさか、あなたが作る気なの?」
「……ええ? だってそのために私を呼んだんですよね?」
彼女は何を言っているのだろうか、と少し悩む。もしかしたら謎かけの類を出されているのかも知れない、と私が考えた辺りでネーテは、わざとらしく大げさなため息をついてみせた。
「今からあなたが朝食を作って、出来上がるまで待てと言うの? こんな時間に今から? 冗談じゃないわ!」
そして何気なく、しかし何故だか足取り軽く歩き出す。
「ついて来なさい。既に朝食は用意してあるんだから!」
「それは……つまりどういう……?」
困惑しつつも、歩くネーテについて行くのだが、ネーテは屋敷の食堂ではなく庭の方へ向かう。
庭では朝露が輝き、草木の匂いが立ち込める美しい花園が広がっていた。何度見ても良いものである。そして、それを見渡すかのように置いてあったのは、小さめの白いテーブルだった。
同じく白い椅子が二脚置いてある。
「………?」
どういう意味なのだろうかと思案していると、召使の少年がテーブルの隣で細工の凝ったカゴのような物を用意していた。中は三段になっていて、それぞれ銀の盆と皿が数枚。皿には食事が盛られている。どれも二つずつだ。
「さぁ! 席につきなさい!」
ネーテは言いながら椅子に腰かける。ひらひらしたスカートが優雅にふわりと揺れた。
私は粗末な麻製のズボンから埃を払って、それから向かい合せに座る。
「外で食べるのは良いものだと、私に教えたじゃない。それと、一緒に食べる友人! こうして外で食べるなら、テーブルマナーは要らないし、それならテーブルマナーを知らないあなた、シオンでも落ち着いて食べられるでしょう?」
「はぁ……お気遣いどうも……?」
にこにこと笑みを浮かべるネーテ。
召使の少年ではなく、更にその脇に控えていた若いメイドが皿をとると、私とネーテの前に置いた。仔牛の柔らかい所を煮込んだスープに、胡椒をひとつまみ振ってある。
「さぁ! 頂きましょう!」
メイドが渡すスプーンを受け取り、一口。
非常に濃厚な口当たりと、強いが決して獣臭くも香草臭くもない食欲をそそる風味。朝からでも飲めるように配慮したのか、肉をメインにしつつも、すっきりとした後味はどうやって作っているのだろう。
端的に言って、この一皿はおいしい。
単純な料理に見えて、これは朝の慌ただしい時間に作れるような代物ではない。昨夜の内からしっかりとした入念な下準備が必要だった事だろう。
さらに本物の胡椒まで贅沢に使っているあたり、この一皿にかけられた本気具合が見受けられる。
少なくとも、同じ物を作れと言われても二つ返事で受ける事はできない料理である。むしろ怪物を使うなと言われたら、普通の食材でこのレベルの料理は私には作れない。
「どう? 昨日の意趣返しだと、うちの料理人が張り切っていたけど」
「……とてもおいしいです。何の意趣返しなのかはわかりませんけど」
「なら良かったわ。私の側に合わせた食事では高貴すぎて、庶民の出自を持つシオンには合わないのではと少し心配もしていたの」
ネーテは実に満足そうだった。ついさっきまで馬車での空気はどことなく険悪だったのに、もう機嫌を良くしている。それとこれとは別、という意思が言葉にしなくても伝わってくるようである。
私も食事を続けつつ、目の前で咲き誇る花々を眺めながら、主にネーテが一方的に話す形で談笑に興じた。
最近読んだ本だとか、好きな吟遊詩人の詩だとか、そういった他愛のない話がほとんどだ。
自己紹介さながらにネーテは自分の事について語るのだが、ネーテの友人などについての話が一つも出なかった事に関して、わざわざ何かを言うほど私も野暮ではなかった。
ひとしきり会話が終わる頃には、食事はとっくに終わっていて、互いのカップに注がれていた紅茶も尽きていた。
「そう言えば」
新しく温かい紅茶をカップに注ぐようにネーテがメイドに命じた辺りで、私は何となしに聞いてみた。決して昨夜のアルコさんとの会話を思い出したからではない。
「ざらめさんは元気にしていますか?」
「ざらめ……?」
「昨日、私と一緒にここへ連れて来られたんですよ。大きな斧を持った、背の高い女の人です」
「あぁ」
特徴を伝えると、少しだけ思い出す仕草の末にネーテは頷く。
「あの国家反逆の罪人! 彼女なら地下に一室設けた牢に閉じ込めているから、安心して。彼女に脅されていたのでしょう? 忌々しい。最低限の食事や水は与えているけれど、元気かどうかまでは知らないわ。今の今まで忘れていたくらいだもの」
「んー……」
少しだけ、何と切り出そうか私は迷ったのだが、言うだけならタダなのである。
「ちょっとだけ、ざらめさんに会えませんか?」
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