part 13
言ってしまうならば、ネーテ嬢に作ったランチボックスは好評だった。
「外で食べるなんてどうかしてると思ったけど、これはこれで悪くはないじゃない!」
丁度、太陽が眠くなりそうな鈍い陽光を落とす昼下がりだった。
そよ風が花と草木を揺らし、私たちの隣をゆったりと駆け抜けて行く。
「それに、同じ食材でこんなにおいしく作るなんて! あなた大した料理人じゃない!」
「いやぁ……それは多分、外で食べるからですよ。調理場の様子を見てわかりましたけど、ここの料理人はさすが貴族様に雇われているだけの事があります。腕の良い料理人です」
「……外で食べると味が変わるの?」
「後は一緒に楽しく食事できる相手ですね。私じゃあ物足りないでしょうけど、それでも誰かと外で食べるお弁当は良いものですよ」
実はちゃっかり、ネーテ嬢のお弁当を作る過程で出た食材の余りなどを使って私の分も用意したので、私はもぐもぐやりながらネーテ嬢の話に頷いたり相槌を打ったりしている。
「にしても、この腸詰は素敵じゃない! これは花でしょう?」
「うーん……それはタコさんウィンナーと言って、呑舟蛸を可愛く模したつもりだったんですけど……。そう言えば怪物は見た事がないんでしたね」
「タコサンウィンナ? この、ぱぁっと開いている様子は花でしょう」
「……もっと練習します」
「あとはこれ! この林檎だなんて、皮が残っているかと思ったら、林檎のくせに兜を被っているなんて! 林檎が兜なんて生意気だけれど、林檎がやると可愛いものね!」
「あ、いや、兜じゃなくてウサギのつもりで……」
「うさぎ? 生きているのは絵でしか見た事ないから知らないわ。そんなものより兜の方が似ているじゃない。お父様が使いもしないのに蔵に並べてあるのと、そっくり!」
お弁当の中は、鶏肉の唐揚げや卵焼きから始まって、腸詰を焼いたものや果物など、そう珍しい料理を並べたわけではなかった。
せめて少しでも物珍しいかと食材に細工をしてみたのだが、ネーテ嬢にはそれが非常に喜ばれている。
「こんな事をしようなんて、誰が思いつくでしょう! あなた! すごいじゃない!」
機嫌良さそうに、少しずつお弁当を食べ進んでいる。
どの料理にもひとつひとつ反応をしてくれるので、作った方としては嬉しい反面どこか気恥ずかしい。
「このパンに直接色々な物を入れるのも素敵!」
「ホットドッグやサンドイッチにすると、手が汚れませんよね」
「あと、あと、この茶色の丸! なぁにこれ! 見た事ない!」
「コロッケです。お芋を潰して、油で揚げるんですよ。あぁ、そう言えばこれは本来は植物怪魔の章に載ってるんだっけ」
「こっちのは!」
「獣魔の章に載ってますね。怪物がいないので普通の家畜のお肉ですが、ハンバーグというものですよ。材料の関係とお弁当用なので色々変えてますけど」
ネーテ嬢は食事そのものは静かなのに、一口食べる度に食器と手を置いて大声で話すので、その食事風景は静かなのか賑やかなのかわからなかった。
どうやったらそんなちぐはぐな食事の仕方になるのか私にはわからなかったが、後になって考えれば、領主の娘として育てられたネーテ嬢は食事のマナーも徹底して育ったのだろう。それを初めて外でお弁当を食べたものだから、それは室内でのテーブルマナーと、マナーらしいマナーのない野外での食事が混同した結果だったのかも知れない。
「あなた!」
しばらくしてお弁当を空にすると、ネーテ嬢は私を正面から見据えて、一際大きな声を出した。そして立ち上がる。
仁王立ちで、腰に片手を当て、もう片方の手で私の額の辺りを見下ろすように指している。
「ねぇ、あなた!」
「……はい?」
「私の名前は、ネーテ・クーダッケ!」
「え、知ってますよ」
「………」
「………」
「もう! じれったい! 気の利かないんだから!」
「えぇっ、そんな理不尽」
ネーテ嬢はそこで初めて私から視線をそらした。
「あなたの……。あなたも! あなたも、名乗りなさい! この私だけに名乗らせるつもり!」
機嫌の悪そうな表情で言う。何となくネーテ嬢の考えている事はわかったが、お腹の膨れた私は特に深く考える事ができず、聞かれた事にだけ答えた。
「シオンです」
「シオン!」
「え、はい」
「その……あなた、えっと、その……。あ、明日も私の食事を作りなさい!」
怒ったように言うと、ぷんとそっぽを向いてしまう。
それから、召使の少年に敷物やティーポットなどを片付けるよう命令して、その場から大股で立ち去ろうとする。が、数歩行った所で唐突に立ち止まり、首だけを半分回して横目で私を見る。
「ネーテ」
「はい。……え?」
「明日からは、ネーテで良いから。どうせあなたの生まれなら、この私をそんな風に呼んでしまうのでしょう? だから無礼に当たる前に先に許可してあげる」
そうして。私は単にお弁当を一つ作っただけなのだが、どうやらたったそれだけの事でネーテに気に入られたようだった。
「と、いう事がありました」
「えぇ……んなバカな……」
ネーテと別れてから、私はアルコさんを訪ねて外周の街にある宿の一室にいた。
「よくもまぁそんな事……」
言葉もない、といった様子のアルコさん。
「確かに私も、まさかお弁当ひとつで仲良くなれるとは思ってませんでした」
「そこじゃないからね。俺が驚いたのは、シオンちゃん。きみの怖いもの知らずな度胸にだよ」
「え、私なんかしました? お弁当ひとつ作っただけで……」
「……いや、そういや君は山奥で自給自足な超ド級の田舎者だったね……。なら言うだけ無駄か。領主様を相手に、お抱えの料理人を追い出して、自信満々で普通の弁当箱ひとつ渡して、更には庭に連れ出してゴザ敷いて座らせて、あろう事か隣に座って自分も弁当を食うなんて、そんな事は君にとっては大した事ない話だったね……」
アルコさんは盛大にため息を吐き出した。ここまで言われてもどれほどの状況だったのか未だにぴんと来ないのは、やはり私が田舎者だからなのだろうか。
アルコさんの疲れた顔が、ランプの光に照らされている。
この部屋は外周の街の宿ではあるが、内装や造りは貧民街のものに近いらしい。安価な獣脂のランプが部屋の天井から吊ってあり、ベッドは川べりの村の村長のベッドと同じくらいだ。
季節的には平気だが、隙間風が時折ひゅうひゅうと音を鳴らし、板張りの床を小さな鼠が駆け抜けていくのが見える。
壁も板張りで、隣の部屋に宿泊客はいないが、もしいたなら会話は筒抜けだろう事が予想できた。
「それじゃあ明日は、またクーダッケ邸に行くわけだ」
「そうですね」
「俺はあの村に俺の馬車を取りに行くから、明日は別行動だけど……。大丈夫なの?」
「大丈夫って何が……あぁ、大丈夫ですよ。道は覚えてますし、お屋敷は大きいので市壁の中に入ったらすぐに見えます」
「……いや、俺も道に迷う心配はしてないよ。何か粗相してどうにかなっちゃうんじゃないかと、そういう事を心配してるわけ」
「やだな、そんな事しませんよ」
「ざらめちゃんを無罪放免にしろと騒いで共犯者扱いされても、俺は助けられないんだからね」
「あー……」
「だから、くれぐれも慎重にね」
「あー……」
「え、返事をしておくれよ。そんな事しませんよ、とか言ってくれないのかい?」
「いやー……まぁー……」
「いやいやいや、冗談じゃないよ。俺は単に行きがかり一緒になっただけの、無関係の身ではあるけどさ。それでもシオンちゃんまで捕まってしまうのは避けたいな、くらいには思ってるんだ。これは俺が得をするからだけじゃなくて、そういう気持ちもちゃんとあるからだよ。領主と繋がりを作るのは悪い事じゃないけど、シオンちゃんの場合は正直すぎるから、ほどほどにして出発した方が良い」
「何言ってるんですか。ざらめさんが捕まったままですよ」
「そりゃあ、俺もかわいそうだとは思うけどさ……。何をやったか知らないが国家反逆罪の罪人で、しかも俺たちと一緒にいたのは一日か二日そこらの話。シオンちゃんは初めてだから納得もいかないだろうけど、旅は一期一会だよ。たまたま偶然に、同じ道を歩いていただけの相手が、実は犯罪者だった。ただそれだけの話じゃないか」
「むっ! アルコさん、あなたって人は!」
「勘弁してくれ……。俺は薄情者なんじゃなくて、むしろ義理人情は大切にする方だ。だが、俺が彼女をどうこうする得がひとつもないじゃないか」
「あぁやだやだ! これだから商人は嫌なんです!」
私はべちべちと備え付けの小机を平手で叩いてみせる。
「アルコさん……。損得でなんて言いたくはありませんが、あなたの言う所の、得ならありますよ」
「……へぇ。どんな得があるんだい?」
「それはざらめさんが助かったら教えてあげます。でも誓って、それは今この場を収めるための方便ではなく、今この場ではそれを証明しづらいからに他なりません」
「事の真偽は別として。その得が果たして危険に見合うものか、という事が問題だね」
「……と、いう事は危険ではあるけど方法はあるんですか?」
「んー……。そうだなぁ……」
アルコさんは欠伸混じりにわざとらしい伸びをして、遠くを見るような目で言う。
「これはね。俺がやるわけじゃないし、君たちは単に道中で同行しただけの旅人だからどうなっても俺には関係ないと思ってるし、実現可能かどうかも無視して、単に俺は言うだけだから、そういうわけだから言える話だけど」
「もったいぶらなくて良いです」
「……保釈金、っていうのがあるんだよ」
「私の村にはそんなのありませんでした」
「そりゃあね……。いや、そこは置いといて。どうせ払える額じゃないだろうけど、保釈金を払って牢屋から出してもらうという手があるんだ。保釈金ってのは、後から裁判に出頭する約束代わりのお金ね。だから払っても別に罪はなくならないし、裁判に出頭すれば保釈金は返ってくる」
「それじゃ何の意味も……」
「いや、大丈夫。ざらめちゃんが自由になる方法として、牢屋から出た時点で逃げれば良い」
「なんと」
「保釈金は返ってこないけど、命はお金じゃ買えないしね。犯罪歴がひとつ増えるけど、そんな事を気にしても国家反逆罪は大体が死刑になる。いくらか知らないけど保釈金をどーんと渡して、とっととクーダッケ領から逃げるしか、彼女が生きる方法はないね」
ざらめさんが今どういう状況なのかはわからないが、反逆罪で捕まっているのは確実だろう。抵抗するような素振りも最後まで見せていなかったし、いつもの調子で牢に繋がれているに違いない。
乱暴な事をされていなければ良いのだが、そこは信じるしかないだろう。
「とは言っても、あのメシオー前領主が保釈を認めるなんて思えないけどね。よほど平和ボケた頭をしてない限り、ざらめちゃんを保釈したら逃亡するなんて明らかだ」
「保釈金を用意できるかの前に、保釈金を払う事そのものを認めてくれるかどうか、という所からなんですか? そんなのどうしたら良いのか……」
「そうだね。去年までならそうだった。が、今その権限を持っている領主はネーテ嬢だ」
「どういう意味ですか?」
「なに。全ては君の頑張り次第って事だよ。あのお嬢さんが相手なら、シオンちゃんが口八丁手八丁で丸め込んで、保釈金を認めるよう懐柔したら良い。そうすれば、とりあえずざらめちゃんを解放する事が不可能から可能にはなる」
「そんな、まるであの子を騙すみたいな……」
「騙すんだよ。騙して、保釈を認めさせて、何なら金の用意を彼女にさせる所まで行けたら、シオンちゃんは一流の商人になれる。で、それしか君が救いたい人を救う方法はない」
「私は、そんな事……」
ふわぁ、とまた大きな欠伸を吐き出して、アルコさんはベッドに横になった。
「俺は明日の夕方頃に、馬車を回収したら一度ここに戻るからね。売り買いはこの街じゃできないが、物々交換をして欲しいという相手を昼間に何人か見つけてる。その時にこの宿に顔を出すけど、それまでにシオンちゃんから何の連絡もなければ俺はこの街を出発して、隣の領地に向かう。もしも馬車に乗りたいなら、道中で料理を作ってもらえればそれが代金で良い。でも乗らないなら、残念だけど君の料理はまたどこかで縁があった時にお願いするよ」
アルコさんにも生活がある。行商の旅を無意味に中断するわけにもいかないだろう。では、私はどうするべきなのか。
この街に残ってざらめさんの保釈金を払う、という事ができたら良いのだが、そんな大金は用意できない。もしも無理に用立てるならば、何かしらの方法でネーテを騙して彼女にお金を出させるしかない。
騙すなんて事はできないと言うなら、アルコさんの馬車に乗って私は私の旅を続ける事になる。
しかしその場合、ざらめさんを見捨てて行く事になる。
「私は……」
どうするべきなのか、一晩経っても答えは出なかった。
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