part 12


それは、よく磨かれて滑らかな石で作った調理台だった。


かまどもコンロもしっかりした物だったし、調理器具もずらりと並んでいる。食器は銀製だ。


「さぁ! 作りなさい!」


 ふふん! と鼻を鳴らすネーテ嬢。


「流浪の料理人と言うからには、その腕一本でやり通して来たのでしょう! 私は能力の高低と年齢は関係ないと思っています。歳など、愚鈍な大ばか者であっても死ななければ増えて行くのです。年齢など所詮は数字。あなたが如何に若くとも、あなたが相応の力を持っている事を期待します!」


 高らかに言うと、ネーテ嬢は調理場の隅にあった椅子を召使の少年にとってこさせ、余裕たっぷりな仕草で座った。



 今の私がどういう状況にあるかと言うと。


玄関先で料理を作るように言われた私は二つ返事で了承し、調理場に案内された。

アルコさんは関係ないとの事で、屋敷から追い出されてしまっている。外周の町に宿をとって一泊し、明日にでも川のあった村に置いてきてしまった荷馬車を回収に行くと、そうアルコさんは私に言い、一応どの辺りの宿をとる予定なのかも教えてもらった。


料理が終わったら合流するつもりである。何故ならアルコさんの荷馬車には私の背負ってきたお鍋が置いてあるからだ。


 とにもかくにもそうして、ネーテ嬢は警備兵をどこかへやってしまうと、召使を一人だけ引き連れて私を調理場へと案内したのだった。


ちなみに、本来昼食を作る予定だった料理人の方は私を恐ろしい目で見た後にネーテ嬢に退室させられた。


この人が出て行ってしまったらメシオー前領主の昼食はどうなるのだろうかと思ったが、ネーテ嬢はどこ吹く風で気にしていない。


そんな事は自分に関係ないし、あなたは料理を作る事だけを考えていれば良い、という事だ。


「えー……では、私の荷物を返してもらえますか?」

「荷物? ここにある道具じゃ足りないって言うの?」

「うーん……。道具はあるんですが、細かい調味料なんかはちょっと……」

「足りないの?」


 アルコさんがいたら、なんて無礼な事を、と言っていただろう。確かに、この屋敷にないのなら街中探したって見つからないだろう。


だが、ないものはないのだ。


例えば大喰花のウスターソースや、破裂蔓の粉末もない。ネーテ嬢は何か大切な点で勘違いしているのかも知れない。私の専門は怪物料理だ。それ以外は、そこら辺の誰とも大差ないだろう。


「まぁ良い事です。使い慣れた道具と調味料を使いなさい。ねぇちょっとあなた、この子の荷物をとってきて」


 召使たる少年は、命令を受けてすぐさま調理場を飛び出して行った。部屋に残ったのは私とネーテ嬢の二人だけである。


「……あなた」

「……はい。なんでしょう」

「何故その歳で流浪の料理人などしているの? あなたの歳なら花嫁修業の一つでもやっているのが普通ではなくて? もちろん、あなたにはその普通ではない能力を期待しているから、これは悪意のある質問ではないの。純粋な疑問だから気を悪くはしないで」


「そうですねぇ……。まぁ、私のいた所では花嫁修業よりも先に働く事を覚えなきゃならなかったので……」


 と、言うか花嫁修業などしている女性を見た事がない。よく働く者こそが男女共に優れた伴侶であるとされていた。


「そう。出自は貧民街の類みたいね。……でも生まれはこの際どうでも良いの。他の者ならあなたを下賎な者だと罵るでしょうけど、私は違う。私は、個々の能力に見合うふさわしい仕事をそれぞれさせるべきだと考えているの。だから安心してちょうだい」

「うーん……」

「私、この領内どころか、あの市壁を越えた事すらないの。だから外の料理には期待しているから」


 好戦的な目だが、やはり口元には笑みが浮かんでいる。


どうにもこの人とは話しづらいな、などと考えていたのだが、私はそこでようやく、ネーテ嬢にも共通点を見つける事ができた。


彼女もまた、おいしいものが食べたいだけなのだろう。


「ちなみに。参考に聞いておきたいんですけど、普段の食べたくならない食事というのは、つまりどういう事ですか?」

「あぁ」


 ネーテ嬢は面白くなさそうに眉をひそめる。


ざらめさんとは対照的に、実に感情豊かというか、感情がすぐに表面に出るというか、単にものすごく感情的な性格というか。


「単純に、見飽きたの。別においしくないとは言わないわ。それなりの腕を持つ人間が料理しているんだもの。ただとにかく私は、幼い頃から似たような食事ばかり出てくる事にうんざりしているの。この事を伝えても、味付けを変えてみただの器の柄を変えてみただの、そんなくだらない工夫しかできない料理人にもがっかり。やっぱり街の人間ではこんな所なのでしょうね。その点、あなたなら色々な所へ旅しているのだから、私が見た事も聞いた事もない料理が出せるでしょう?」


 自信たっぷりに言うが、実に厄介な注文である。


「えぇと、食材は……」

「ここにあるものなら好きに使ってちょうだい」

「それはつまり、普段食べているものを使って、今まで見た事のない料理を作れ、という事ですか?」

「そう」

「そうって……」


 やれやれどうしたものか、と私は首を捻ってみる。


「私の専門は怪物料理と言って、主に怪物を調理する料理なんですけれど」

「怪物? あぁ、話には聞いた事があるわ。絵で見た事もある。確か、大きくて凶暴な動物の事でしょう?」

「うーん……。正しいような、何かが違うような……」


「庶民は何でも食べるという噂は本当なようね。でも、あなたも料理人なら怪物とやらを使わなくても料理くらいできるでしょう?」

「調味料や味付けに少しくらいなら使って良いですか?」

「だめね! このネーテ・クーダッケに庶民と同じレベルのものを食べろと言うの? ここにあるもので作りなさい!」

「そうですか……では、食糧庫を拝見させて頂きますね」


ネーテ嬢は料理に関してそうとう疎いようなので、黙っていれば多少使った所でわからないのは確実だった。が、料理人として使うなと言われた食材を騙して使って料理を作るのは、何だか違う気がしてならない。


別に騙して使ったわけではないが、アルコさんには敢えて黙って使った食材がいくつかあるので我ながらグレーな信念ではあるが。


 食糧庫は調理場に隣接されており、私がその扉を開くと、多種多様な品々が溢れかえっていた。一つ一つ手に取って眺めたりはしないが、ざっと見渡して内容を把握。


海が遠いため魚介類こそないが、肉や果物といった生鮮食品もいくつか揃えてある。


「あぁ、そうだ。もしも、どうしても怪物を使いたいなら、アレなら使っても良くてよ」

「アレですか?」

「たしか、怪物の中で最も危ういのは竜らしいじゃない? 何でも食べてしまう庶民とはいえ、一息で馬小屋を吹き飛ばすような恐ろしい相手を常食できるとは思えないわ。領主としても竜の襲撃への対策費用に頭を悩ます毎日だし。怪物料理とやらも、竜を出すならこのネーテ・クーダッケにふさわしいと認めてあげます!」


「竜ですか……」

「ま、あなたの荷物の中に竜がないのなら、おとなしくここにある食材で料理を作ってちょうだい!」


 竜はさすがに、簡単に入手できる食材ではない。


やれやれと頭を振ってみたりしていると、ネーテ嬢の召使が私の荷物一式を持って調理場に戻ってきた。


遅い! と叱責されている様子はかわいそうだったので、私は微笑んで荷物を受け取り、愛用の包丁だけを取り出す。せっかく持ってきてもらったが、普通の食材だけで作るとなると、私の荷物から取り出すものはあまりない。


怪物調理全集も、今回はページを開く必要がない。


「さぁ! 始めなさいな! 私はここで見ています!」


 楽しそうにネーテ嬢が言う。何とも気楽な様子だが、こんな注文をされては作る方としても気が気ではない。


普段見る食材だけで見た事のない料理を、なんてさすが貴族である。おまけに得意の怪物料理も禁止されてしまっては、私のレパートリーは極端になくなってしまう。


「では」


だからと言って、作ることはそう難しくないのだが。


「おいしい怪物りょう……じゃなかった。おいしい普通の料理を始めます」


 私は私の荷物から、両掌に乗る程度の木箱を取り出した。だがこんな所でこんな風に使うとは思っていなかった。


もしもこの場にアルコさんがいたならば、毎度の調子で文句を言っていただろう。そんなもので良いのか、という声が聞こえてきそうだ。


しかし、これで良い。勘の良い人が見ればすぐにわかるだろうポピュラーな料理である。が、多分ネーテ嬢はこれを見た事がない。


「それは何?」

「卵ですね」

「そんなの見ればわかるわ! それで何をしているのか聞いているの!」

「そうですねぇ……。何が良いですか?」

「はぁ?」


 私が用意したのは、卵に野菜に腸詰に果物、それとパン。その他にも必要なものがあれば随時食糧庫から持ってくるつもりだ。


「何か好きな食べものはありますか?」

「……辛いものと苦いものは嫌いね」

「甘く味付けしますね」


 フライパンに油を敷いて、卵液を流しいれる。腸詰と野菜には包丁を刺し込む。鶏肉を油で揚げて、果物の皮を剥いていく。


私は調理台が広いのを良いことに、様々な作業を並行して一度に進めた。


「野菜はともかく、既にサイズカットされている腸詰を切る意味なんてあるの?」

「あるんですよ」


「あっ! その果物にはまだ皮が残ってるじゃない! 手を抜かないで!」

「残してるんですよ」


 挽き肉を練り、芋を練り。パンにも包丁を刺し込んだ。


「ちょ、ちょっと……隠さないでもっと見せなさい!」

「だめですよ。調理場で歩き回られては困ります。そこに座っていて下さいな」

「そんな事言っても……」


 私の作業が気になる様子で、そわそわと体を揺らしている。


私はネーテ嬢に背を向ける形で、手元だけで仕上げを進める。怪物料理ではないので、あまり深く考えずに作っているが、ここまで見ていて何を作っているのかわからないなら大丈夫だろう。やはりネーテ嬢は見た事がない。


おそらくだが、こんな料理を想像した事もないのではないだろうか。


 調理に一時間はかからなかった。


ネーテ嬢は途中で飽きて中座する事もなく、最後まで私の調理風景を見ていた。とは言っても後半は意図的に隠すよう、立ち位置や物の配置で作業を見せないようにしたので、最終的に何が出来上がったのかはわからないだろう。


立ち上がってまでして様子を見に来るのははしたないと思ったのか、私がやめてくれと言ったからなのかわからないが、とにかく途中で確認にも来なかった。


完成間際になって、それまで黙っていた召使の少年から小さく、あ、と声を上げたのが聞こえる。そのつぶやきをネーテ嬢は気にも留めなかったが、彼にはわかったのだろう。


「さぁ、仕上げにかかります」


 私は最初に用意した木箱のふたを閉じると、それを手近なハンカチで包んでしまう。


「仕上げ……? 完成ではないの? それとも、それを蒸し焼きにでも?」


 食材を箱に詰めた上で更に布で包んだのだ。これがわからないネーテ嬢ではそう思うのも無理はない。


召使の少年は何か言いたそうだが、せっかくなので手伝ってもらう事にする。


「大変申し訳ありませんが、これを食べるのに必要なものを用意してもらえませんか?」

「必要なものって……食器ならここにいくらでも……」


 ネーテ嬢は言いかけるが、自分の召使が私の料理を理解している事に気が付いたらしい。


自分でもわからなかった事が召使にわかるなど、心底面白くなさそうな表情を浮かべた後、


「あなたにその必要なものとやらが用意できるものなら、今すぐ用意してみせなさい!」


 ヒステリックに言って、部屋から追い出すように召使の少年を走らせた。


「さぁ、その料理は何なのか、教えてもらいましょうか?」

「まだ仕上げが残ってますよ。せっかちですねぇ」


 のんびりと言ってから、私は食糧庫からお茶の葉を用意。


「じゃあ行きましょうか」

「行くって……どこに」

「そうですねぇ……どこに行きたいですか?」

「あなた。料理人のくせに、この私をからかってるつもり?」

「まさか。じゃあ今回はとりあえず、私が決めちゃいますね」


 温めておいたティーポットにお茶を淹れると、召使の少年がもう戻ってきた。どうやら必要なものを何にするか、何を必要とするか一切迷わなかったらしい。


「あぁ、ありがとうございます」


 籐で編んだふた付きのバスケットも一緒に用意してくれたので、私はそれを受け取る。ティーポットと木箱をバスケットに収める。


「……これは一体、どういうつもり? 何にこんな物を……」

「あれ、わかりませんか? さてはもしかしなくても、初めてですね?」


 召使の少年が持ってきたものを一揃い眺めて、ネーテ嬢は考えていたが、全くわかってはいなかった。


「これは、これは料理に使うものじゃないでしょう!」

「さて? それはどうでしょう」


 召使の少年はネーテ嬢の機嫌を伺いながらも、私が調理場から廊下に出ると後をついてくる。


「ちょっと! あなた一体どこへ……」

「お庭ですよ」

「庭ぁ?」

「綺麗な庭園じゃないですか」


 私はそれだけ言って、ネーテ嬢を連れて庭園へ向かった。


 数分後には、私は緑の美しい庭園に立っており、その景色に思わず感嘆の声。


「わぁっ」


 しっかりと整備され、綺麗に計算して組まれたレンガの花壇が等間隔に並び、色とりどりの花が咲き乱れている。


森や山でも辺り一面に咲く花を見る事はあったが、無秩序に自然のまま咲いているのではなく、この庭園は人が人のために造り出したものだった。


自然のままの方が、と言う人もいるのは知っているが、それでも私にはこの庭園がとても美しく思えた。庭園を造る人が、この屋敷に住む人、訪れた人が楽しめるようにと創意工夫を凝らしているのがよくわかるからだ。


「……で、ここで何をしようと?」


 もうそろそろ察して欲しいのだが、本当の本当に初めてらしい。


「では、始めましょうか」


召使の少年が持ってきたのは、大きな敷物である。


絨毯ではなく、もっと簡単なもので、草木を編んで作った柔らかく涼しい麦わら色の敷物だ。


それを庭園内の、できるだけ花がよく見える所に敷いて私は座る。


「どうぞ」

「えぇ! 座れと言うの!」


 ショックを受けた様子である。


「こんな、こんな地べたに……。あぁ! これだから庶民は、貧民は嫌なの! これで大した料理が出てこなかったら、あなたわかってるの!」


 ネーテ嬢は渋々と言った様子だが、唇をへの字にしておとなしく座った。


「では、食べましょうか」

「えぇ。さぁ、お出しなさい」


 私はバスケットから木箱と、ふわり柔らかく、上質な事がわかるパンを取り出してネーテ嬢に手渡した。


「パン……はわかるけど、お皿はどこに? というか、この箱は……」


 警戒心が全身から滲み出るようだったが、ネーテ嬢はハンカチを解き、箱を開けた。


「これは……なぁに?」


 私の今回作った料理は、特に説明の必要もないだろう。料理名も何もあったものではない。


これぞまさに、正真正銘どこからどう見ても、


「ランチボックスです」


 ごくごく普通のお弁当なのである。

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