part 10

「儲かった。いやぁはっは、儲かったぞ」


 一通りの食事が終わって、誰もが膨らんだお腹を抱えて家路についた後。村長だという人物に招かれ、私たちは村長の家で一晩明かす事になった。今は与えられた一室でアルコさんと二人きりで、アルコさんはずっと金勘定をしている。


ちゃらちゃらと貨幣を小分けして袋に詰めながら、時折手を止めて何かの計算をしているようだ。


終始にやにやと口元だけで笑っている。


「領内には貨幣がないんじゃなかったんですか?」


 簡素なベッドに腰掛けながら言ってみると、くいと眉を動かされる。


「ないよ。でも、もうここの村の人は気にしないんじゃないかね」

「どうしてですか?」

「シオンちゃんも言ってたじゃない。今日からは海魔がご飯になるって」


 アルコさんは説明し始める。


その内容はつまり、村に新しい食糧源ができたので、もう村は貧乏ではなくなった、という事だ。


「貨幣は少ないどころか、使っちゃったのに、それでも貧乏じゃないんですか?」


「そうだね。だって、この村は税を貨幣じゃなくて現物で納めてるんだもの。来年になれば領主もネーテ嬢からメシオー領主に戻りそうだし、村は今年一年を乗り切れば良いわけだ。だからこの村は、村で生産できる食糧を切り詰めて、冬の間に食べる食糧の購入費を確保しておきたい。だから俺たち商人は、仕入れる事も売る事もこの村ではできずに困ってた、と。まぁこの村に限らず領内はどこもそうだけど。で、俺は様子だけ見て素通りしようと思ってたんだよね。でもシオンちゃんのおかげで事情は一変した。この村には食べても食べきれないだけの食糧源があるとわかったんだ。それも、シオンちゃんはきっちり保存食の作り方まで教えてたじゃない」


「あぁ……単なる干物ですけど……」

「これで、今ある保存できる食糧は冬に回し、更に海魔を長期保存できる干物にしちゃえば、これはもう領主が交代するまで食糧の心配はしなくて良い」

「だから、お金を貯める必要がなくなって、料理にお金を使ってくれたって事ですか?」


「まぁー……そういう面もあるけど実はあの料理、ほとんどタダ同然で売ってたから、儲けはあまりないよ」

「じゃあ、その今数えてるお金はどこから……?」


「そりゃあもちろん、料理の調理方法に決まってるじゃない。シオンちゃんはきっと、聞かれたら何でも教えちゃうんだろうから黙ってたけどね。料理一種類につき、結構良い値段で調理方法を買ってもらったよ。ちなみにあの手伝いの人たちは、調理方法を特に説明しない代わりに目の前で料理をしてあげる、という約束で手伝ってもらったんだ。少し心得のある人なら見てるだけでも何となくわかるだろうしね」


「調理方法って……。じゃあ、実際の商品を売らないでお金を稼いだんですか?」


「現物はなくても、情報は立派な商品だ。そんな言い方はよしてくれよ。それに、山の中で海の物が食べられるって話が広がれば、この村はそれを名物にして賑わうかも知れない。その時のために、調理方法は必要だろう? あとはそうだな。俺の名前と顔を売ったというのもある。今後この村が発展するようなら、領主が変わった後には俺が優先的にこの村で商売をする事ができるのさ。そういう信頼関係を、今日のサービスで村長から得た。本当なら食糧事情を解決する魔法のようなレシピはもっと高く売れて然るべきだからねぇ」


 アルコさんは小分けした袋の中から、いかにも適当なものを選ぶような仕草で一つ選ぶと、私の荷物の隣に置いた。


「あと、はいこれ。シオンちゃんの取り分ね。どれだけの分け前を用意するかは約束していないから、こんなものでどうだい。これじゃ足りないと言うなら、それは要相談だね」


 さも適当に袋を選んだかのような顔は、ずいぶん支払の良い姿に見えた。が、私は先ほどからさりげなく袋を一つだけ計算から外しているのを見ていたので、アルコさんに対して特に思う事はなかった。


しかしまぁ約束していない私の取り分を用意してくれたあたり、アルコさんはそこまでの悪人ではないのだろう。


「あまりシオンちゃんを邪険に扱うと、あの竜斧が俺に襲い掛からないとも限らないしね」

「竜斧?」

「おや? 何も聞いてないのかい? あぁ、そう言えば今朝出会っただけで、一緒に旅をしているというわけではないんだっけ。ざらめちゃんの持ってるアレだよ」


 ざらめさんは今、外にいる。何をしているのかはわからないが、一時間少々で部屋に戻るとは言っていた。


星と雲の流れから明日の天候を予測しているのでは、とアルコさんは私に言ったが本当の所はわからない。


「あの斧って何なのか、アルコさんは知ってますか? ……というか、斧なんですか?」


 どう見たって振り回すには向かないし、そもそも怪物を相手どって戦うのに斧を使うなどあまり聞いた事のある話ではない。

弓と剣に毒を塗って、というものが最もポピュラーだ。


「あれは斧だよ。なんと言ったら良いのか……話には聞いた事があるんだけど、実物は俺も初めてだからねぇ。何でも、王都じゃ竜と戦うための専門武器を作ろうって話が持ち上がった事があるんだよ。王様がそういう指示を出した。で、王様指導の下に何種類かが一通り作られたらしい。剣とか弓はもちろん、その中には斧がある話も聞いた。それで……」

「……それをざらめさんが……?」

「………」

「……早く続きを教えて下さいよ」

「銅貨三枚だよ」

「えぇ! お金とるんですか!」

「そりゃそうさ。情報は商品だと言っただろ?」

「もう! だから商人は嫌いなのです! はい! これで満足ですか!」


「確かに三枚。……で、まぁその武器はどれもこれも特殊で、見た目には普通の武器に見えない。どころか、どうやって使うかわからない物ばかりなんだと。だから普通の人は手に入れても使えない。竜と戦うための特殊な機構が組み込んであるんだろうね」

「なるほど……。確かに、ざらめさんの斧は変だと思ってました」


「きっとあれは本物だろう。乙琴乃主が一撃なくらいだ。なんで彼女が持ってるのか、使い方も知ってるのか、そこまでは俺もわからないが……。とりあえず、どんな理由からか今は竜殺しの武器は作られてないそうだよ。だからきっと、売る所で売ったら物凄い値がつくんだろうね。……以上。おわり」


「えぇ? 結局、銅貨三枚払ったのに続きはそれだけですか? 特殊な機構があるとか、ざらめさんが持ってるのは本物だろうとか、お金払わなくても前半の話で想像つきますよ、それくらいは。本当にもう終わりですか?」

「俺がどこまで知ってるか、を確認しなかったシオンちゃんのミスだね。お金は返さないよ」

「もう! だから商人は嫌いなのです!」


 私の怒った表情をからからと笑いながらアルコさんは見ている。


「あとは本人に聞くしかないね。俺が聞いても教えてはくれなさそうだけど、シオンちゃんなら何か教えてくれるんじゃないかい?」

「………」


 別に、私はざらめさんの持ち物が何であれ、それをどうこうする気はない。


斧の出自も気にはなったが、単なる好奇心からである。なので、わざわざそれを聞き出そうなどとは思わない。


ざらめさんが自分から話題に出す事がない以上、私が根掘り葉掘り聞こうとするのは何だかマナー違反な気がするのだ。


 なので。


「………斧のお話に興味はありませんし、人の過去には無暗に触れるものではありません。……ありません、が、そろそろ寒くなるので、ざらめさんを呼びに行ってきます。お腹が減っていたら大変なので、簡単なお夜食も要りますね」


「あぁ、それならお茶も要るんじゃないかな。長々と話す事なんてないだろうけど、もしかしたら空がとっても綺麗かも知れない」


「そ、そうですね」


「お茶代はそうだな。まぁそんな事はないんだろうけど、もしも儲け話がどこからか聞こえてきたなら教えてよ」

「ははは……」


 私はざらめさんのベッドに毛布を敷くと、自作の携帯食糧とアルコさんのくれたお茶を持って外へ。


村長の家は山奥に暮らしていた私からすると非常に豪華な事に、部屋が三つもある。だがアルコさんが言うには、別段驚くような事ではないらしい。


 ベッドで脱いだ靴をつっかけて、月明かりに照らされる冷え冷えとした廊下を歩き、私は外へ。


もうそろそろ夏も終わりなのか、風には仄かに冷たさが混じっている。いずれ秋がやって来るのだろう。


空を見れば、澄んだ大気が星を煌めかせ、雲は切れ切れになって浮かんでいる。ぷかぷか浮かぶ月は満月で、散る星はちかちかと弱い光を地上に向けている。


「ざらめさーん?」


 もう夜中だ。私は声を低めてざらめさんを探す。と、ざらめさんはすぐ近くにいた。村長の家の塀に腰掛けて、片膝を立てて夜空を見上げている。


何をしているでもなく、例の斧を塀に立てかけて、ぼうっとした無表情な顔で風に髪を揺らしている。


「何しているんですか? 風邪をひいちゃいますよ」


 塀はさして高くない。私の腰くらいだ。私はざらめさんの側に行くと、ぴょんと跳んで塀に座る。ざらめさんはこちらを見ない。


「空をね、見ているんだよ」

「空……ですか」

「うん。しばらく見れないからね」

「……それはどういう……?」


 何となく嫌な予感を孕んだ言い方だったので、聞いてみる。と、ちらりと視線だけ動かして横目で私を見た。そして視線を夜空へ。


「明日の朝まで私はこの村にいなきゃいけない。そうしなきゃ、竜と出会えない」

「例の、猟師の勘という奴ですか?」

「シオン、竜はどうやって雄と雌が出会うか知ってる?」

「うーん……他の動物と何か違うんですか?」


「違うよ。いや、違わないかも知れないけど、きっと少しだけ違う。少なくとも、人間とは全然違う。竜は数がそんなに多くないし、縄張りもあるから、互いにはなかなか出会わないんだよ。だから竜には、出会うための方法があるんだ」

「そんな話、初めて聞きました。さすが竜専門の、ですね」


「いやいや、多分これ、あたししか知らない。……竜はね、運命を利用するんだよ」


「運命ですか?」


「今日何をして、明日何をしたら、いつ頃に竜に出会えるか。そういうのが、感覚でわかるわけ。で、竜に会いたくない竜はその運命と違う事をすると、竜に会わない。竜に会いたい竜しか、竜同士では会わないんだ」


「何だか複雑ですね。ざらめさんも似たような事言ってますけど、竜の感覚がわかるんですか?」

「わかる」

「え、わかるんですか?」


 ざらめさんは、ふいに私の方へと首を向ける。風がひとつ吹き抜けるだけの間があって、それからその口が開く。


「あたし、竜だから」


 ぽつん、とそう聞こえた。聞き間違いではなかった。


「竜……なんですか?」


 人に化けた竜のおとぎ話を思い出す。あの結末はどうだっただろうか。


「正確に言うと、竜っぽい人間」

「竜っぽい?」

「そう。竜っぽい。明日になれば何となくバレそうだし、隠す話でもないしね」

「どうして明日になれば……。あ、それが運命ですか?」


「んーん。あたし、犯罪者だから、こういう所に留まると通報されて兵隊とかが捕まえに来るんだよ」

「えぇ! じゃあ逃げないと……いや、その前にあなた犯罪者だったんですか?」


「明日の朝までこの村にいる事が、近い内に竜に会う条件なんだ。だから逃げられないし、捕まっても近い内に何かの理由で釈放されるよ。竜に会えるんだから、少なくとも牢屋の中にはいない」

「……何がどうなっているのやら……」


「……その昔ね。とは言っても、十年くらい前。あたしが十六の頃ね」

「あぁ、ざらめさんって二十六だったんですか」


 ふと、突拍子もない話の連続から、何となく安心する事実を聞いて話の腰を折ってしまう。しかし、ざらめさんは続ける。


「そのざらめって、あたしの名前じゃないんだよね」

「でも持ち物に……」


「あたしのフルネームは、ザラメリウス・アクスデモン・キャラメルシュガー」


「ザラ……! それは王様の名前じゃ……」


 国王ザラメリウス。さすがに山奥の辺境に住んでいる私でもその名は知っている。


「ざらめさん、もしかして王族だったんですか?」

「王族じゃないよ」

「どういう事ですか……?」


「あたしねぇ、名前がなかったんだよ。生まれた時からずっと。孤児ってわけでもないんだけどね。色々あって。で、十六までは王様の住んでるお城で育ったんだ」


「王族じゃないのに……ですか?」


「うん。王族じゃないよ。貴族様でもない。お城には地下室があって、そこで私は育った」

「えぇと、お城の使用人の娘、とかそういう事ですか?」


「そういうわけでもないよ。本当に、誰の娘でもなく、ペットみたいに地下室で育てられた。あたしみたいのが何人か一緒にいて、ご飯は日に二回与えられて。ベッドもちゃんとあったから、実はそこまで悪い暮らしぶりでもなかったよ」


 私は色々と考えてみたが、一体どんな理由があったらそんな状況で育つのか私には見当もつかなかった。


「それで、十六の時。あたしは自分がどうして地下室で育ったのか理解した。全部で七人いた仲間も、みんな理解した」


 そこで何が起きたのか、それについて語るつもりまではなさそうだった。


「あたしが二十二なった時。あたしは逃げた。斧ひとつ持って、逃げたんだ。それ以来、あたしは国家反逆罪。一年くらいふらふら歩いて、親切な猟師さんと出会って、組合に入って仕事する生活を始めたのが今から三年前」


 ざらめさんの表情は何一つ揺らがない。淡々と起きた過去の出来事について語っている、と言った様子だ。


「………そう、ですか」


 何が起きたのかほとんどわからないが、必要最低限の情報だけはあるので事態の把握はできた。


ざらめさんは国家反逆罪で追われる身であり、竜と出会う方法を直感的に理解しているという事。この二点を私に伝えたかったようだ。


「でも、それじゃあやっぱり、逃げたら良いんじゃないですか? 夜ですけど、ざらめさんなら強いし夜の森も行けますよ。明日になる前に早く……」

「それはできないよ」

「どうしてですか?」

「だって、そうすると竜が出てこない。この村に朝までいなきゃならない」


「だから、どうしてですか? そこまでして竜なんかと戦わなくて良いじゃないですか。一頭でも倒す事ができればしばらく生活できるはずです。そんなにお金に困ってないでしょう?」

「だめ」

「むっ……」


 強情な。


「何がそこまでさせるんですか?」

「うーん……。会いたい竜が、いるんだ」

「会いたい竜ですか?」


「そう。二十二の時に、あたしはあいつに会ったんだ。白くて黒くて、それはそれは大きな竜。あたしはあいつに、もう一度会わなきゃならない。竜と会い続けていけば、いつか必ずあいつが出てくるはず」


「白くて黒い竜……。怪物調理全集にもいたような、いないような……。その竜と会ってどうするんですか?」


「今度こそ、あいつをぶっころす」

「えぇ?」


「あいつに会って以来、あたしの人生はどこに行っても竜が関わってくる。あいつを殺せば、それがなくなる。そんな気がするんだ。まぁ、戦ったら死ぬって意味かも知れないけど」

「どうして、そんな恐ろしい竜と戦おうと?」


 問うと、ずっと無表情だったざらめさんに、一瞬だけ何かの表情が浮かんだ。その揺れはわずかなもので、だがわずかだったが故に際立って見えた。


波ひとつない湖面に小石を投げ込んだように、とぷんと浮かんだ刹那の飛沫と波紋は、寂しげなものに見えた。


「あたしたちは、みんな強かった。それこそ、火炎を吐き出す竜だって一人で仕留めるくらい強かった。でも、あたしたちが束になってかかっても、あいつは殺せなかった。このままだと、あたしも死ぬって思った。結局あたしは死ななかったけど。でもみんな死んだ」


「じゃあざらめさんは、その竜に……」


「いやいや……復讐だなんて言葉を使うほど、大した話じゃないよ。けじめ、なんて言い方をするほどの事でもない。これは、あたしがどこへ行っても竜が出てきて迷惑だから。ただとにかく、迷惑だからあいつをぶっ殺す。それだけの事なんだよ」


「そう、ですか……」


「だからね、まぁ、明日の朝はきっと兵士に囲まれて捕まる。でも村長を恨んではいけないんだ。だって、村長もそうしなきゃいけない理由がある。村長だからな。でもシオンとアルコは関係ないから、次の旅路へと進んだら良いよ。私はいつ出られるかわからないけど、そのうち必ず釈放されるはずだから、捕まっても平気だよ」


「ざらめさん……」


 この話を、私が聞いても良かったんだろうか、という思いが胸にひたひたと満ちていく。もっと然るべき人が聞いたならば、きっと何か良い方向にざらめさんを導く事ができるはずなのだ。


この話を聞いてしまったのが私のような、料理しか能のない小娘でなく、物語の主人公のような勇敢な騎士だったならば、どれほど良かっただろうか。


「……さっきから気になってたんだけど、甘い香りがするね。何か持ってんの?」

「え? あ、あぁ……。どうぞ、あげます。携帯食糧の一種で私が作ったものですけど」


 私は思い出したように持ってきたそれを渡す。


「これは?」


 怪物調理全集、植物怪魔の章、第十六項。


「バタークッキーです」


「へぇ……。あ、甘くておいしい」


 私にはきっと、こんな事しかざらめさんにはしてあげられない。そう思うと、つい数時間前までは料理で何でもできるような気になっていたのに、今は料理なんかでは何もできない、という無力感でいっぱいだった。


 夜空の月と星は、それでも綺麗で、夜風は冷たく心地よくて、けれど私はうつむいて、居心地の悪いような嫌な感覚を味わっていた。


夜は更けて行く。

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