part 9
手ごろなサイズに切り分けた後、ゆらゆらと踊るかつお節をかき分け、フォークを突き刺す。
口に運ぶ前から、たっぷりと塗られたソースの強すぎる香りは刺激となって鼻腔を貫いた。
口に入れれば、ソースの複雑な甘さが口に広がり、それをこってりとしたマヨネーズのうまみが覆って行く。
生地の表面はカリっとした堅くて香ばしい食感だが、熱を内包した内部は反対に、ふわふわとろとろと柔らかい。
その柔らかい内部には、時折しゃきしゃきと千切りにした玉菜が顔を覗かせ、柔らかさの中にアクセントを生み出している。
だがそれだけでは終わらず、ふとした時に口の中でこぼれ落ちるのは、コリコリとした固さの烏賊や蛸である。
その固さは、歯を立てればすんなりと断ち切れる程度の固さだ。様々な具材と混ざり合う事で味を含んだ烏賊と蛸は、元々もつ芳醇な海の味の上に、更に風味を重ねる。
噛めば噛むほど後を引く味をじゅわじゅわと溢れさせ、それは飲み込んでしまう事すらもったいないとさえ思えた。
多重演奏のような味の競演は、ソースと生地と具材だけではない。
かつお節はそれ単体でも、紙ほどの薄さの中に独特で濃厚な味を持っている。だがそのかつお節がソースとマヨネーズを吸い込めば、途端にコクと食べ応えを発揮し他の味を引き立てる役目もやってのける。
カリ、とろ、ふわ、しゃきっ、コリっ。
様々な食感が押し寄せ、何味か、などと問われても形容しがたい味の激流が舌を揉む。腹持ちも良く、それほど多く食べなくても満腹感は得られる。が、まるで食べれば食べるほど飢えてしまうかのように、もっと、もっとと次の一切れが欲しくなる。
不思議な中毒性をも兼ね備えた、味の爆弾。この円盤こそが、お好み焼きである。
「はぁー……おいしいですよねぇ……。あ、ちなみにこのお好み焼きは呑舟蛸と帝王烏賊を使っているので海魔の章にありますが、お好み焼きをベースにしていれば何を入れても大体良いので、ほとんどの章にお好み焼きはあります。機会があれば、ぜひ海産物で作ってみたいと思ってたんですよ。いやぁ良かったです」
などと。好き勝手に感想を言っていられたのは、今から数時間ほど前まで。
つけ加えて述べるならば、お好み焼きが私の口に入ったのはその最初の一皿だけである。
この円盤は、私の思っていた以上の影響力を持っていたのだ。
「シオンちゃん! あと四枚!」
「よ、四枚ですか!」
辺りはすっかり夕暮れである。しかし誰かが大量のランタンを持ってきて、それをまた別の誰かが木々の間に糸を張って吊るしたので、森の中はたくさんの灯りが並んでいる。
大勢の人が各々で卓や椅子を持ち込み、私の目の前にはいつの間にか巨大な鉄板が用意された。
鉄板の下には携帯コンロではなく、これまたいつの間にか誰かが、しっかりとしたコンロを馬車で運んできて設置してくれた。
私はその鉄板の前で、先ほどからひたすらおいしい円盤を焼き続けている。鉄板のおかげで一度に何枚も焼けるのだが、私の作業量も増えている。
ちなみに、手持ちの風船花の花粉だけでは足りなかったが、小麦粉だけでも形にはなるので途中からは風船花の花粉は使っていない。
ウスターソースも足りなかったが、大喰花は森の中にいるので、ざらめさんが材料を採ってきてくれた。以降、ソースを精製する作業と並列して私はお好み焼きを焼いている。
「わ、私一人じゃ……間に合わないですよ……!」
「はいこれ! 具材と生地、作っておいたから!」
いつからこんな事になってしまったのか。
事の発端は、アルコさんがお好み焼きを販売し始めた事にある。しかも呑舟蛸や帝王烏賊、卵に玉菜などの食材を自前で用意する分には値引きして販売するとまで言ったのだ。
もちろん作るのは私なので、アルコさんはただ右から左に料理が流れるのを眺めているだけ。だがアルコさんはちゃっかり、労働する私には何の対価も約束していない。
少し考えれば、私が料理を作る見返りを要求するべきだとわかろうものを、その時の私は怪物料理が認められたのが嬉しくて、深く考えずお好み焼きを作ってしまったのだ。
農民の皆さんは最初、全く手をつけようとしなかったが、ざらめさんが泣きながら食べるのを見て、ひとつ食べてみたくなったらしい。そして、最初の一口が配られた。そこからはもう、何が起こったのか、気づけばこの状況である。
近隣の村人総出で、卓を囲み、酒を飲み、歌を歌い、私の料理を食べている。
鉄板の横のスペースに、既に切った具材を入れて練られた生地が器に入れて置いてある。アルコさんが今しがた持ってきたものだが、アルコさんが作れるとは思えない。誰が用意したのだろうか。
「お! よーし! こっちだこっち! こっちに来てくれ!」
アルコさんの威勢の良い声が何処かへ向けられる。その先を見れば、そこには村の女性が数人集まっていて、せっせと私の代わりにお好み焼きの下ごしらえをしてくれていた。
アルコさんが声をかけているのは、そこへ更に追加要員として現れた数名の女性である。
「アルコさん……いつの間に協力をお願いしたんですか? と、言うか私はレシピを教えてないんですがどうやって……」
「え? あぁ、作ってるのをずっと皆見てたからね。気づいてなかったのかい? 何はともあれ、これで楽ができるだろう? 今来た人たちには、シオンちゃんの代わりに焼いてもらうから、安心して良いよ。……別にただでやってもらってるわけじゃない。ちょっとした条件で手伝ってもらってるんだ。だから気兼ねせず自由に使って、ばんばん作ってよ」
「はぁ……そうですか……」
実にアルコさんは楽しそうである。ちなみにざらめさんは、少し前に村の男性陣と卓を囲んで飲酒に興じている。無表情で全く酔っている様子がない。
私はやってきた数人の女性に、簡単に焼き加減を説明すると、鉄板の前からようやく離れる事ができたので、ざらめさんの隣へ行こうかと一歩踏み出す。
と、アルコさんに肩を掴まれた。
「……なんでしょう?」
「いやいや。まだこんなもんじゃないだろ?」
「……どういう意味ですか」
「まさか怪物料理の料理人が、一品しかレパートリーがないなんて、そんな事ないだろ?」
「………」
アルコさんの卑怯な所は、これを大きな声で周囲にも聞こえるように言った事にある。こんな事を言われた日にはもう、やるしかないではないか。
何故ならば、ここには私の望んだものがあるのだ。
新鮮な食材も、調理器具も、私の料理を楽しみにしてくれる人もいる。おいしい料理が食べられる、と期待して待ってくれる目が私を囲むのであれば、私は答えざるを得ない。
「やれやれです」
首をふって肩を落として、ひたすらお好み焼きを作り続けた心身の疲労に苦しむような表情を少し作ってみせる。が、ここで奮い立たなければ何のために私が旅に出たのか、わかったものではない。
「じゃあ行きますよ。アルコさん、ありったけの海魔を下さい」
「そう来なくちゃあね」
私に、とうとう侮蔑でも憐れみでもない、料理を作ってくれという視線が集まる。村にこれだけ人がいたのか、といも集まり、どんちゃかどんどんと騒いでいた全員が、この瞬間だけ何となしに静かになって私に注目したのだ。
私は袖をまくりながら言う。
「みなさん! 海魔とお腹の用意は良いですか? お好み焼きひとつで満足した人なんていませんよね? さぁ、おいしい怪物料理をはじめますよ!」
そこからの私は、日が完全に沈んでもなお料理を作り続けた。森の中で大量のランタンの灯りの下、海辺でもないのに新鮮な海の食材を調理する。
不思議な空間だったが、私はこの時、初めて全力で料理を作った気がしたのだ。
今までどこで誰に作っても煙たがられていたが、今日この時においては誰もが私の料理を望んでいるのだと思うと、いくらでも力が湧いてきたのである。
「今日は大盤振る舞いです! みなさんを困らせていた海魔は、全てこの私がおいしく変えてしまうので、お腹はちきれるまで皆で食べてしまいましょう! 今日からこの迷惑な海魔たちは、単なるご飯です!」
歓声に応えるよう、私は山のような食材に向き合った。
怪物調理全集、海魔の章。
第十一項、イカリング。
第二十九項、ホタテバター。
第三項、タコ焼き。
第五十一項、太刀魚の塩焼き。
第十四項、エビフライ。
第十項、刺身。
第四十七項、海鮮マリネ。
第十九項、アクアパッツァ
完成した先から次々と運ばれる料理を、私は調理方法を聞かれる度に教えながら作って行く。
「ざらめさんの捕まえた竜脚鳥があるので、こっちもどうぞ」
怪物調理全集、怪鳥の章。
第一項、焼き鳥。
第十二項、チキンステーキ。
第三十六項、から揚げ。
第四十七項、照り焼きチキン。
六項、十項、十八項、四十一項、二十三項、それから、それから……。
夕日は沈み、夜の帳がおとずれて、それでも森の中では談笑と食器の触れ合う音が止む事はなかった。
私は作りたい料理を作りたいだけ、自由にできる興奮に酔いしれ、手を休める事なくひたすら包丁や鍋を振り続けたのだった。
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