part 8


「その生地をどうするんだい? そのふくらし粉とやらの効果で、寝かせると膨らむとか?」

「あ、いえ。このまま使います」

「このまま? だってこのままじゃ単なるどろっとしたソースみたいな……。ちょ、ちょっと! 何して……あぁ! なんて事を!」


 私が切って置いておいた具材を、全て生地に投入するとアルコさんは悲鳴ともうめき声ともつかない叫びをあげた。


「だいっなし、じゃないか! もう、何なんだよシオンちゃん! せっかくの肉と野菜にクラーケンを混ぜちゃうかと思ったら、卵を使ってまで、こんなわけのわからない粉を入れたドロドロのスープを作って、挙句には全部混ぜちゃうなんて! あのねぇ? 食材は使って良いとは言ったけど、それはあくまでおいしい料理になるって事が前提なんだからね? わかってる?」


 少しだけ、カチンとくるものを感じはしたが、私は無視して全てを混ぜ合わせて、木べらでこね回して、器の中身を完成させる。


「よし」

「何がよしなもんか……。まさかそれで完成ってんじゃないでしょうね? 食べないよ。それは食べないよ。何が何だかわからなすぎる」

「む……。わかってますって。まだまだ、ここから仕上げです」


 アルコさんとは別に、海魔の回収作業をしている十数人の視線が私に向いているのを何となく私は感じた。


私とは是非とも期待に満ちた目で見て欲しいのだが、その視線には侮蔑の色が強く表れている。何とも心外である。


これではまるで、私が食材でただ遊んでいるだけのようではないか。


 ふん、と鼻を鳴らした私はコンロで熱されたフライパンに向かった。食用油を全体に回しかけ、ちょっと傾けて油を行き渡らせる。


「……そう言えばシオンちゃん、それは何を焼くためにコンロに火を……あぁ! まさか!」

「まさか、なんて驚く事じゃありませんけど、その通りではありますね」


 私は全てを混ぜ合わせた器の中身を、フライパンにどろりと落とした。


「うわぁ……」

「うわぁって何ですか。さっきからアルコさんは……。これ、ちゃんとおいしいんですから。後で食べておいしかったら、ごめんなさいして下さいよ」


 鞄からフライ返しを引き抜いた私は、水で軽くフライ返しを流して、それから生地を整える作業に移る。


丸い円盤状になるように落とした生地を、より丸く、薄く整える。フライパンからはじゅうじゅうと生地の焼ける音が辺りに響き、周囲の視線を集めた。


海魔の回収作業など、今は一人も行っていない。みな、そろそろ私が単に遊んでいるのではないとわかり、私のやる事が気になってきた頃なのだろう。


「……意外と香りはそんなに悪くないな……。海魔が入ってるから、焼いたりなんかしたら生臭い匂いがすると思ってたんだが」


 アルコさんの感想に、思わず頷いた人がいるのが私の視界に入った。私はフライ返しを差し込み、円盤をひっくり返す。


「おぉ?」


 こんがりと黄色い焼き目のついた生地を見て、声が漏れるのを聞いた。


「そう言えば、ざらめさんはまだですかね……。そろそろかと思うんですけど……」


 やはりあの鳥を探すのには時間がかかっているのだろうか、なんて思いながら私は顔を上げた。


ざらめさんにお願いした食材は、とある鳥の内臓なのだが、この料理の仕上げには必要不可欠なのだ。しかしあの鳥は普通の人間が一人で仕留めるには、少し荷が重い気がしてならない。


巨大な猪を一撃で絶命させた能力を見込んで頼んだのだが、さすがに無理だったろうか。


「ざらめさんが来るより早く焼きあがったら、焦げちゃうなぁ……」


 そんな事を言っていると、突然私の体は背中から突き飛ばされるような感覚に襲われ、思わず体勢を崩した。


幸いにもコンロやフライパンに突っ込むような事はなかったが、体が前につんのめるようにグラリと傾き、それを後ろに立て直そうとして、尻もちを着いて座り込む。私は茫然とした。


 何が起こったのかは明白である。突き飛ばされたような、とは言っても突き飛ばされたわけではない。


私の背後から強烈な轟音が響き渡り、その音圧に耳をやられ、あまりに唐突で巨大な音に驚いた私が大勢を崩したのだ。


だがそれは静かな森の中ではあまりに衝撃的で、実際に突き飛ばされたのと変わらないほどの影響を私は受けた。


「な、何が起きたんです?」


 思わず耳を押さえて、きぃんきぃんと耳鳴りがする中で声を上げた。


ついでに背負ってきたお鍋を探して、頭から被ろうとするが、アルコさんに止められた。


うるさそうに耳に手を当て、迷惑そうな顔で目を細めているが、アルコさんはさして驚きもせずに立っている。


「に、逃げましょうアルコさん、今のは聞いた事があります。あれは竜の遠吠えです。この辺りのどこかに、それはそれは近くに竜がいるんですよ、きっと。逃げましょう」


 全く危機を感じていなさそうな様子に、私がそう言った時。


今しがた轟音があった辺り、背後の茂みをガサガサと音を立てて、揺らし、何者かが現れた。


私はとっさに、お鍋にお尻まで引っ込めて隠れた。


「あー……違うよ、大丈夫。おまたせー」


ざらめさんである。


私はカメの甲羅の如く無様に被ったお鍋から、まさしくカメのように頭だけ出して確認。確かにざらめさんである。


肩に巨大な何かを担いで、小脇に大きな何かを抱えている。


「生きたまま持って来ようと思ったんだよね。新鮮だと思って。やっとここまで持って来たけど、あんまり暴れるものだから仕方ない。むしゃくしゃしてやった」

「ひぃっ! ざらめちゃん! なにそれ! こわい!」

「アルコこいつ知らないの? シオンに頼まれたんだけど、こいつはね、竜脚鳥って言うんだ」

「知ってるよ! 竜脚鳥だなんて見ればわかるよ! 一体どうしてそんな……!」

「んん? 言ってる意味がわからん。怖くもないよ。死んでる」


アルコさんが驚くのも無理はない。


お鍋の中から這い出た私は立ち上がって、ざらめさんに目を向ける。


私はざらめさんに、竜脚鳥という怪鳥を狩猟できないかと頼んだのだが、どうやらしっかりと応えてくれたらしい。


だがその姿は、事情を知らない者が見ると大いに恐怖を煽るだろう事もよくわかる。


ざらめさんは身の丈程もある巨大な灰色の怪鳥の胴体を縄で縛りつけ、肩に担いでいる。その胴体もまた、翼を何か所も引き裂かれており、最大の特徴である竜のような怪力と頑強さを誇る脚部は付け根から切断されていた。


また、ざらめさんが小脇に抱えているのは竜脚鳥の頭部である。おそらく、乙琴乃主の頭をカチ割った時も今と似たような轟音が響いていたので、今しがたの轟音も何かしたのだろう事がうかがえる。


竜脚鳥の首と頭からは止めどなく血液が流れているので、十中八九、頭を切断したのだと思われるが。


「血抜きはまだしてない。あ、でも頼まれてたのは先に外しておいたよ。だから暴れたんだろうけど、まさか外しても生きてるなんて思わない」


うんうんと頷きながら、ざらめさんは私へ血に染まる皮袋を差し出した。頼んだのは内臓だが、生きたまま捌いたのだろうか。


「じゃあ私、これちょっと解体できるように準備だけしておくから。ご飯、できたら教えて」


 そして馬車の裏へ向かうざらめさん。今見てしまったものは、あまり気分の良いものではないし、まさかこんな巨大な竜脚鳥を仕留めてくるとも思ってはいなかったので、少しの間茫然としてしまった。


これは完全に成体の、というか成体の中でも特に大きいサイズだ。膝丈くらいの小さな竜脚鳥も絶対にいるはずなのだが、何故わざわざ群れのトップに君臨するような巨体を選んだのだろう。危険も相応だったはずだ。


「シオンちゃん……。それ、その袋。中に何入ってんの? まさか料理に使うの? それを?」


 アルコさんに話しかけられた私は、はっと我に戻る。そうなのである。まだ料理の最中だ。


「じゃあ仕上げに入りましょうか」

「ねぇ、まさかだよね」

「わぁすごい、こんな立派なものを……!」

「ねぇ! それ何に使うの! ねぇ! その袋の中身は何!」


 皮袋の中身を確認した私は、いそいそと馬車の裏へ。生地が焦げないようコンロを弱火に切替えはしたが、手早くやらなければ焼きすぎてしまう。


「あれ、どしたの?」


 馬車の裏ではざらめさんが竜脚鳥の羽を毟っていた。


「いえ、アルコさんは見ない方が良いと思ったので」


 皮袋の中にあるのは、竜脚鳥の肝臓である。私は肝臓を取り出すと、包丁で半ば辺りまで縦に裂く。すると、どろりとクリーム状の黄色いものが。


「それなに?」

「竜脚鳥は見た目に似合わず、主に動物の卵と野菜、それと果物を主食にしているんです。特に卵ですね。竜脚鳥はすごいですよ。それはそれはもう、たくさんの卵を食べるのです」

「へぇ」


 私は半固形状のそれを包丁で最後まで掻き出し、絞り袋に詰めた。そして肝臓本体はざらめさんに渡す。これはこれで、後から何か一品作れる。が、今作っている料理には不要である


「血抜きだけしたら、すぐに来て下さい。もうすぐ出来上がりますよ」


そして再び私はコンロの前へ。


「シオンちゃん、その絞り袋は一体……? まさか、竜脚鳥の血だなんて言わないよな?」

「まさか。これはもっと良いものです。調味料の類ですね。卵を使って自分で作るよりも、竜脚鳥から採れるものの方がずーっとおいしいんですよ?」

「自作できるなら自作してくれよ! 卵くらいあげるよ!」


 本当は少量なら自作したものを携帯しているのだが、量が足りないし、アルコさんの様子を見る限りでは言わない方が良さそうなので私は黙って作業を進める。


しかし、作業を進めるとは言っても、もう完成したようなものだ。生地も焼きすぎには至っていない。


私は鞄から自前の食材を取り出しつつ、仕上げにかかる。


「良かったです。焦げてはいませんね。ではでは、仕上げを」


 私は大喰花から作ったウスターソースを刷毛で表面に塗る。


「あぁ、それは知ってる。確かにそのソースはうまい。が、なぁ……」


 次に絞り袋から、竜脚鳥の肝臓液を格子状にかける。


「ぎゃあ! なになに? なんでクリームなの? 鳥から何採ったの!」

「もう、大げさですね。実はこれ、単なるマヨネーズです」


そして次に、青砂という緑色の粉末をふりまく。


「それ食べ物……? 苔?」

「青のりですね。植物の一種ですが、怪魔ではありません」


最後に渇王魚の燻製削りをひとつまみ。


「なにそれ! 何その……紙?」

「やだなぁ、かつお節ですよ」


 フライパンの上から平皿に移して、アルコさんに渡した。


「以上、完成です」


ほかほかと湯気の立つ、できたての円盤。


ウスターソースの黒地に竜脚鳥マヨネーズが白く格子を描き、緑色が弾ける中で茶色が生きているように踊る。


「これは……?」


 私は胸を張って答える。


「お好み焼きシーフードミックスです」


 ソースの焦げた香りが辺りに漂い、興味深そうに見ていた農民の誰かが、ぎゅうぅとお腹を鳴らすのが、私には聞こえた。

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