part 7
「こりゃあ……大漁だなぁおい……」
森の中を走る幅広の川の前で、アルコさんはそう感想を述べた。私たち三人は農夫の一団を追いかけ、その海魔が上がる川にいたのだ。
深緑の木々が生い茂り、陽光の降り注ぐ穏やかな川べり。
川の流れもゆったりとしており、時間の流れは切り取ったかのように遅々として進まない、そんな場所だった。
せせらぎの音に身を任せれば、いつの間にか眠ってしまいそうになる。
と、普段ならばそういった場所だった事がうかがえる。
今は独特な海の匂いが川から噴き出し、ぐねぐねとした白や赤の海魔や、触れるだけで傷つく危険な海魔が、勢いよく川の中で暴れていた。
どれもみな幼体のようで、手に余る大きさのものはいない。
農夫たちは川べりに打ち上げられた死体を回収したり、暴れ狂う海魔を捕獲するため川に直接カゴを突っ込んだり、大きな網を使って片っ端から引き揚げていた。
十人程が作業に従事していたが、海魔の数はその作業速度を以てしても、いつ全て回収できるかわからない程に多かった。
「ねぇ、シオン」
ざらめさんが言う。
「本気?」
私は背中に背負っていた大きなお鍋を地面に降ろし、答える。
「お腹を減らしておいて下さい」
「わかった」
そんな私とざらめさんを見てアルコさんはため息。そして、農夫の一団の元へ向かう。
「あんたがた! 俺は旅商人のアルコ。その海魔、余ってるなら譲っちゃくれないか?」
すると、馬鹿にしたように嘲笑があちこちから上がる。
欲しいなら好きなだけ持っていけ、とアルコさんはカゴに入った海魔を一匹投げつけられた。ぐねぐねした白い海魔はアルコさんの足元に叩きつけられ、どろどろした粘液をまき散らしている。
どうやらアルコさんが冗談か冷やかしでそんな事を言っていると思われたらしい。こっちの気も知らずに、これで満足か! などと怒声を上げる者もいた。
「あー……そうね。いや、まぁね。俺もやりたくてやってるんじゃないが……」
ははは、と乾いた笑い声を作るアルコさん。しかし海魔を投げつけられたのは腹立たしかったらしく、投げた農夫をじっと睨む。
「後悔すんなよ。あんたには後から、こいつを売ってくれと頼ませてやる」
まるで逃げ帰る悪役が捨て台詞を言うように、アルコさんはそう言って周囲の嘲笑を再び買い、そしてずんずんと歩いて海魔の死体が詰まったカゴが並ぶ馬車へ。
大小ある中から小さいものを選んで持ち上げると、私とざらめさんの待つ馬車へ戻ってきた。
「啖呵切った手前、ここで引き下がるわけにもいかないんだが……。本当に、ほんっとうに、本当の本当に、大丈夫なんだろうな?」
大量の海魔が詰まったカゴを置きつつ、アルコさんは小声で心配そうに言った。
私はカゴの中にある海魔を少し物色し、何があるかを確認。ついでに、馬車に揺られている間に確認しておいたアルコさんの商品の内容を思いだす。
「料理の方はばっちりですね。ざらめさんにも少し協力してもらいたいんですけど、とりあえず作れる所から作っちゃいましょう」
「心強い! すごいぞシオンちゃん!」
「ただ」
「ただ? おいおい、待ってくれ! ここでやっぱりできないなんて、そんなのは冗談にもならねぇ!」
「いえ、ただ……その、海魔の量が多すぎて、アルコさんの商品を使わせてもらっても、作れる数はあまり多くないんです……」
「あぁ」
アルコさんは納得したような表情で荷馬車に目をやる。
そうなのである。当然の事ではあるが、川を埋め尽くす海魔に対して、個人が保有している食材では圧倒的に足りないのだ。
残念だが料理したとしても、ほとんどの海魔は保存食のような形にせざるを得ない。
いわゆる、干物だ。
「俺たちの分と、あと二人か三人分は大丈夫かい? そうだな……。このカゴ一杯分もいけたら良いんだが……」
籐で編んだ、軽くて丈夫な巨大なカゴである。大きさは小脇に抱える程度で、隙間から水や粘液が漏れるほど中身が詰まっている。
中身はまだ生きているものが半分以上で、時折カゴから逃げ出そうとする海魔をざらめさんが素手のまま無表情で捕まえて戻している。
「つまり、五人か六人分ですか? それくらいなら大丈夫だと思いますけど」
しかしせっかくなので、ここで作業に従事している人の全員に食べてもらいたいというのが、私の本音である。怪物はおいしいものだ、と様々な人に伝えたい私としては、せっかくこんなにも新鮮な食材で溢れかえっている状況で、こんな沈んだ表情をして欲しくはない。
それに何よりも、ここで海魔を捕獲できるという事がどんなに素晴らしい事なのか、誰も気づいていないのが私には心底もどかしい。
アルコさんなら気づきそうなものを、先ほどから言わない所から見ても気づいていないのだろう。もったいない。これこそまさにアルコさんの求める、儲け話そのものだと言うのに。
「できる分だけ作れれば良いよ。そっから先は、俺に考えがある。大丈夫。ここにいる全員に腹いっぱいうまいものを食わせて、俺たちの財布をいっぱいにしよう」
そう言って、ぽんと私の背を叩く。よくわからないが、考えがあると言うのだから従っておこう。仮に食べる人が少なくても、私が作らない理由にはならない。
私はアルコさんにも誰にも聞こえないように、ざらめさんにいくつか探して欲しい食材を頼んでから、馬車の食材を取り出す。こくりと頷くと、ざらめさんは無言で歩いて行き、森の中へと消えて行った。
「ざらめちゃんは食糧調達かい? この辺はきのこや野草が豊富にとれるからね。あぁ、馬車の食材は無駄遣いしなけりゃ、好きなだけ使って構わないよ」
やけに良い笑顔で言うアルコさんを疑問に思いながら、私は鞄から折り畳み式の携帯コンロを取り出して設置。
ざらめさんから事前にひとビンだけ火竜の可燃液を分けてもらっていたので、それを少しずつ慎重にコンロの燃料口に流し込む。最後にマッチでコンロに点火。
ボ、と手ごろな火がちろちろ燃え始める。手持ちの固形燃料よりもずっと火の調子が安定している。
私はフライパンをコンロに置いて温めながら、宣言した。
「では、おいしい怪物料理を始めます」
怪物調理全集、海魔の章、第二十五項。
「じゃあアルコさん、食材をもらいますね。玉菜、卵、油、それと小麦粉をもらいます」
「あぁ、それならあるから使って構わないよ」
「……やけに協力的ですね。どうしたんですか? 豚カツの時はあんなにも食材を使われるのを嫌がっていたのに」
「そりゃあねぇ……。あの時とは状況が違うからさ」
「状況……?」
「まあシオンちゃんは、しっかりおいしい料理を作ってくれれば良いんだ。シオンちゃんの領分じゃない事だし、気にしなくて良いよ」
朗らかに言うアルコさんに違和感を覚えながら、私は馬車から食材を引っ張り出して行く。
ついでに、乙琴乃主のバラ肉がまだ少し残っているのでそれも取り出す。今日の昼食にでもと思っていたし、ざらめさんもアルコさんも豚カツを昼食にしたそうだったが、この料理には獣肉も必要なのだ。
仕方ない事だと諦めてもらう他ない。
「じゃあどんどん進めて行きますね。アルコさん、呑舟蛸と帝王烏賊を下さい」
まな板と包丁を用意しながら言う。しかしアルコさんには逆に聞き返されてしまった。
「えー……なんだって?」
「だから、呑舟蛸と帝王烏賊を……」
両手をひらひら振って眉をひそめられる。
「俺は商人だからね。学者でも狩人でも料理人でもないんだから、海魔の名前なんか知らないよ。ぐねぐねした脚のたくさんある奴が、クラーケンだって事はわかる。吟遊詩人の詩にも登場するからな。だが他の……例えばこっちの貝みたいなのや、刃のついた魚は聞いた事もない」
「クラーケンというのは通称です。烏賊も蛸も一緒にクラーケンで扱われたら困ります。……もう、私が自分でとりますよ」
ぷ、と頬を膨らませてみるポーズをとってみたが、両手にクラーケンの幼体を握った私を、アルコさんは横目に嫌そうな顔で見るだけだった。
川は海魔が泳いでいるが、流れている水は真水である。
私は川から水を桶に汲み、そこに塩を溶かして塩水を作る。私の腕にびたびたと白い触手を伸ばす帝王烏賊を塩水でごしごしと揉み洗い、ぬめりを落とす。
この作業を呑舟蛸に対しても行い、とりあえず二匹だけ洗ってまな板に並べる。
そして手早く内臓と目玉を外して、脚を細かくぶつ切りに。
「おぉ……生きたままやるのか……。なぜ真顔でそんな事が……」
アルコさんは無視して、適当な器にぶつ切りにした呑舟蛸と帝王烏賊を入れる。
まな板をさっと水で洗い流して、今度は玉菜を千切りに。
「キャベイジか……。ようやく普通の食べ物で安心したよ。クラーケンをどうするのかはわからんが、付け合わせにするのかい? メインは今朝方の、あの黄金の肉と見た」
私が用意した乙琴乃主のバラ肉を見て笑うアルコさん。
玉菜を千切りにしている事から連想したのだろうが、つい今の今まで生きていた呑舟蛸と帝王烏賊があるのだ。これほどの食材を付け合わせ程度にするなど、もったいなくて私にはできない。この二つには今日のメインになってもらう。
「さて、具の下ごしらえはこんなもんです」
乙琴乃主のバラ肉を薄くスライスしたものを、千切りの玉菜、そしてぶつ切りの海魔の器にまとめて放り込む。
えぇ! 全部一緒にしちゃうの! というアルコさんの悲鳴に耳を貸す私ではない。
「あとは生地ですね」
「生地……? パンでも作るのかい? いや、いやいやいや、パンは無理だよパンは。何が無理かって、肉はともかく海魔を練りこんだパンなんて誰も食べてくれないよ」
「パン……。パンとは違いますね。まぁ見てて下さいな。ざらめさんが戻ってくるまでには形にしますから」
「あぁそれね、ざらめちゃんは何を探しに行ったんだい?」
「あぁそれは……えー、あー……鳥です」
「鳥かー……。獣肉と鶏肉を一つの皿にするとはまた、ずいぶん豪華な料理を作るもんだね」
「んー……」
私はあまり追及せず、深めの器を持ってくると、卵と小麦粉、それと私の鞄にある小瓶から、白い粉を取り出して全てかき混ぜた。
「その粉は?」
「あー……うーん……。しょ、植物の……。植物から採取した、その……。特別な調味料です」
「ふー……ん」
アルコさんの視線が痛かった。というのも、この粉は確かに植物から私が採取して保存したものだが、風船花という危険植物指定の花から採取したものである。
名前こそ可愛らしいが、見た目には真っ白に膨らんだぶよぶよの奇妙な植物で、正真正銘の植物怪魔だ。
鋭い葉に毒があるので、見た目の気味悪さも相まって旅人からは嫌われている。そんな風船花は毒性のある花粉を春になると放出するのだが、秋頃になると花粉から毒性は失われる。
毒性のない花粉は白くなっているのでわかりやすく、私はこれを採取。そして、こうして小瓶に詰めて携帯しているわけである。
「なんていう名前の調味料なの? それ」
「えぇ? あ、あはは……。アルコさん、料理に興味が?」
「いや、いいから。それ、なんていう調味料なの? 塩とか砂糖と違うよね。細かく挽いた上等の小麦粉みたいな見た目だけど、小麦粉でもないよね」
「えー……これは……あー……。……ふ、ふくらし……粉……? です」
「ふくらし粉?」
「そ、そうです! ふくらし粉と言って、これを入れると、ぷぅーっと膨らむんです!」
「ふーん……」
私はアルコさんに背を向けると、手早くかき混ぜてしまう。
大丈夫、食べてしまえばおいしいのだ。後から何とでもなるだろう。
最後に川の水を携帯濾過器で濾過し、綺麗な水を少しだけ流しいれて、生地の完成である。
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