part 6


 クーダッケの街。


それはクーダッケ領の中心に位置し、メシオー前領主が作った巨大な街だった。


石造りの市壁が街をぐるりと囲み、市壁の外側には雑多に商店や民家が広がっている。そしてその更に周囲には、田園風景が続く。


私とざらめさんを乗せた馬車は、その田園風景よりも更に遠い所で、ようやく森を抜けた。


「街が見えてきたね」


 額に手を当てて、ざらめさんが言った。


「ここから街までもうすぐだけど、お嬢さん方はどうする? この馬車は一度街に行く。街の様子がどうなってるか確認したいしな。でも確か、シオンちゃんは王都に行きたいんだろう? なら別に街まで行かなくても、ここでお別れする事もできる」

「いえ、私も街に行きます。王都までの道が知りたいので、教会にでも行って次の行先を教えてもらいます」

「あぁ、あそこには地図があるもんな。タダで地図を見せてはくれないかも知れないが、大まかな道筋は教えてくれるだろう。あとは森や山に入らず、街道をずーっと行けば王都まで行けるさ。……まぁ女の一人旅はヤバいと思うが、そこはシオンちゃんも覚悟してるだろうし、今更俺は何も言わないよ。そもそも俺には関係ないし」


 そうして、とりあえず街まで同行する事になったわけだが、森と田園地帯のちょうど境目辺りで、身の丈ほどもある巨大なカゴをいくつも馬車に積んでいる一団が見えた。


馬車は三台も並んでいて、どれも空のカゴを大量に積んでいる。御者や馬車に乗っているのは付近の農夫らしい男性たちで、誰もが疲れた表情を浮かべていた。


馬車は森の中へ進んでいる。




「あれはなに?」

「何だろうな……。聞いてみよう。妙な事に首を突っ込むのは愚かだが、妙な物を見て首くらい突っ込めなきゃ商人としてダメだ」


 それらしい事を言ったアルコさんは、馬車をその一団に向かわせた。


「やぁ、旅の商人なんだが、良ければ事情を訊いても良いかい?」


 快活な声で御者台の上から話しかけると、疲れた目がこちらに向けられる。


「そんなにカゴだけ持って森に何の用なんだ? もしも良い儲け話があるなら、一枚噛ませてくれよ」


 近くで見れば、やはり男性たちは農夫だとわかった。誰もが薄汚れた麻布のローブに前掛けと、豊作の女神をかたどった飾りを帽子につけてある。


この豊作の女神は私の村でも帽子や胸につける人は多く、農作業の邪魔にならないよう飾りではなく刺繍にする人もいた。これはこの辺りで農業を営む者の証とも言えるだろう。


日に焼けた顔には皺が刻まれており、その手は実に硬そうであった。しかし何故その農夫たちが農具ではなくカゴを馬車に乗せているのか、父も農夫だった私が見てもわからない。


アルコさんの問いかけに対し、おそらく本来であれば無視しているだろうに、現在領内では貴重な旅商人のためなのか、一団の一人がぶっきらぼうに答えた。


 海魔だよ。


 私は彼が何を言っているのか、少し考える必要があった。


海魔とは、読んで字の如く海に棲息する怪物や魔物の類である。私は海を実際に見た事はないが、どんなものかは知っている。


海魔はその広大無辺と呼ばれる程に広い海で泳ぐため、ほとんどが巨大な姿をしているそうだ。


怪物料理全集でも海魔は料理の前に、その巨大な体をどう捌くかという所から扱われている。まぁつまりが早い話、こんな森の中にいるわけがないのだ。


「海魔? 冗談はやめてくれよ」


アルコさんの言うとおり。そもそも巨大な海魔が生きるための水がない。


せいぜい、川が流れているくらいしか水辺がない。


しかし、農夫の口から語られたのは、まさにその事だった。


「はぁ? 川だぁ?」


 驚いたアルコさんの声が響いた。


 そして農夫たちから語られた話は、こうだ。


どうやら森の中には大きな川があるという。

付近の田畑にもこの川から水を引いており、この辺りの住人にとっての生命線らしい。


しかしその川に、何をどうしたのか、海から海魔が上ってきたそうだ。これまでも何度か、稀にだが海魔が川の逆流に負けず上ってきた事があったにはあった。が、今年はどうにもおかしいと農夫たちは口を揃えて言う。


「待て待て。話の腰を折るようだが、海魔ってのは、そんな気軽に見られるものじゃないだろう。川なんかに収まるのかい? 連中の手にかかれば、小型の船なら一撃で沈むって聞いたぜ?」


 私も同じ事を思ったが、川に迷い込むだけあって、上ってくる海魔は幼体ばかりらしい。そのほとんどが人が小脇に抱えられる大きさだと言う。


「……って事は、まさかそのカゴは……」


 アルコさんの言葉に、皆がうなづいた。今年上がってきた海魔は、川を埋め尽くさんばかりの量らしい。


「げぇ!」


 素直に嫌悪感を露わにするアルコさん。私もたくさんのカゴいっぱいに詰められた海魔を想像すると、何とも言えない気分になる。


「無視したら良いよ。川ならそのうち勝手に死ぬ。あれは海水じゃないと死ぬんだ」


 何気ない調子でざらめさんは言ったのだが、農夫たちはため息。どうやら、溢れる海魔のせいで川が利用できないそうだ。


水田に引いた水に海魔の死体がごろごろ混じっているのが現状らしい。洗濯もままらないとか。


「だからみんな集まって回収してるってわけか……」


 暗い顔でアルコさんが締めくくった。


だがおそらく、アルコさんの表情が暗いのはこの話が何の商売にもならないと思ったからだろう。これがもしも川を溢れさせているのが金貨銀貨であったなら、狂喜乱舞して飛び込んで行くはずである。


「気の毒だが、商人の俺には力になれそうにないな……。せめて、もし海魔の事について何かわかったら教えに来るよ。あぁこれは本気で言ってる」


 そして馬車は方向転換。


「海魔じゃあ使い道も何もあったもんじゃねぇな……。シオンちゃんは見た事ある? ぐにゃぐにゃしてて、脚がたくさんあるんだよ。……いや、俺も絵でしか見た事がないんだけどね」


 農夫たちは浮かない顔で再び馬車を進ませた。本来は農作業をする時間を使っての無駄な労働。関税の件もあって、気持ちが沈むのもわからないでもない。


「あたしは海魔見た事あるよ。見ただけだけど」


 一団に背を向けて、ほんの少し進んでから、私はふとアルコさんに訊ねてみる。


「アルコさん。まさかこのまま今のを無視するんですか?」


 心底驚いた顔で私を振り返る。


「おいおい、おいおいおい。キミは俺を何だと思ってるんだ? 俺はあくまで、商人なの。ざらめちゃんみたいに魔物だの怪物だのを殺して報酬をもらっている人間だったなら、そりゃあ喜んで助けに行くさ。それとも、商人は何でも売ったり買ったりできると思ってる? 海魔の死体なんて、もし俺が買い取っても、その後は誰が買ってくれるってんだい」


 どうやらアルコさんは、もう忘れてしまっているらしい。


「アルコさんこそ、私が何者なのか忘れたんですか?」


私は胸を張る。


「アルコさん風に言えば、こんなチャンスを逃す手はない、って所です。想像しただけで、嬉しくて言葉も出ません」


 アルコさんは、わけのわからない、と言った表情で私を見ているが、ざらめさんは気づいてくれたらしい。


私はアルコさんに方向転換をお願いすると同時に、鞄から怪物調理全集を引っ張り出した。


私はもう、わくわくしてたまらなかったのだ。

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