part 5
獣道よりも少し上等なだけの道を、馬車はごとごと鳴らしながら進んで行った。
近隣に住む人間が運搬用の馬車を通すために有志で作った簡素な道だ。時折くぼみに車輪がはまり、がったんごっとんと大きく揺れる。お尻に響く乗り心地はお世辞にも良いとは言えなかったが、それでも徒歩で行くよりはずっと楽だった。
何より、同乗者があまりに心強い。
「あ、これ食べてみたい」
「これはちょっと特殊な調味料が必要なので、難しいですね……」
「じゃあこっちは?」
「これなら出来上がるまで時間はかかりますけど、材料はすぐに集められますよ」
私の持つ怪物料理全集を馬車の上で広げて、私と心強い同乗者のざらめさんは額を近づけてページをめくっている。豚カツを食べてから、ざらめさんは料理に興味を持ったらしい。自分で作ろうとまでは言い出さないが、本を見て料理名や内容から想像して、あれもこれもと私にリクエストしている。
「そこのお嬢さん方。森を抜けたらクーダッケ領に入るんだが、関税を払う準備はしてあるのかい?」
アルコさんは御者台の上から首をねじり、商品の隙間に収まって揺れる私たちを見て言った。
アルコさんは豚カツを認めてくれたし、確かに怪物料理はうまいと言ってくれたのだが、材料はできるだけ知りたくないとの事で、私たちと一緒に本を読む事を断って御者台の上に落ち着いていた。
「あたし、お金はあるよ」
一体の竜から得られる金額はとてつもなく大きい。
一般的に、組合から紹介される狩猟団に所属してそれを成し遂げると、その巨額の報酬は竜と戦った者全員で山分けするという。山分けとは言っても一頭の竜を打ち倒せば、質素な生活を心がける事で一年近く生活に困らないとも聞く。
実際、私の村でも竜を狙う狩猟団に出稼ぎに言った男性も何人かいたりした。ほとんど帰って来なかったが。
ともあれそんな事情から察するに、ざらめさんに金銭面での心配は無用だろう。
「シオンちゃんは持ってる?」
「少しくらいなら路銀にも余裕があります」
いざとなったらアルコさんと屋台を借りて、豚カツを売って旅費を稼いでも良いだろう。
私の村があった領地では、通行するだけでは税金がかからなかった。領主はどうやら、関税をかける事で外部からの接触が減る事を恐れたらしい。おそらく山と森に囲まれた領地だからだろう。
代わりに、領内で商売をしようとすると、通行税を払ったのと同じくらいの税金が発生する。クーダッケ領では通るだけでも関税をとられるそうだが、アルコさんも頻繁に出入りしているようだし、まさかとても払えない程の高額な税金は要求されないだろう。
「さて、お嬢さん方。そろそろクーダッケ領の関所が見えてきた。俺の馬車と商品の関税は俺が払うが、自分を商品じゃないと言い張るなら自分の分は自分で頼むぜ。もっとも、人身売買は俺の専門じゃないから買い取るのは俺になるけどな」
くだらない事を言うアルコさんを無視して、私は初めて関所というものを目にする。
使う人々が好き勝手に踏み固めたり広げたりした道ではなく、その関所から先はそれなりに綺麗に舗装された、ちゃんとした道が続いていた。ここから領地内である、というのがよくわかる。
道には木製の柵が立ててあり、道の端に立つ番兵が持つ鍵で開けなければ馬車は通れない仕組みになっている。
番兵は二人いて、両者ともに短槍を持ち、丈夫そうな革の上着を着ている。道から少し外れた所には物見やぐらまであり、番兵の休憩所にもなっているのだろう。動物から作物を守るための簡素な柵しかなかった私の村とは雲泥の差である。
何というか、ちゃんとしている。
「やぁー久しぶり」
へらっと言ったのはアルコさん。
関所に近づいた頃に馬車を止めると、財布も持たずに御者台から降りて歩き出した。おそらく関税の値引き交渉か、領内で何かする時のために賄賂を渡しに行ったのだろうと推測できた。
私とざらめさんが馬車の上から眺めていると、遠くて何を言っているのかまでは聞き取れないが、何やら身振り手振りで大げさに話している。表情からして良い事があった様子ではない。
そしてしばらく番兵と話をしたかと思うと、肩を下げて疲れたような表情を浮かべて馬車まで戻ってきた。
「だめだ。この道は通れない」
よっこいせ、と御者台に上るアルコさん。ざらめさんは相変わらず表情に変化がないが、小首を傾げて訊ねる。
「なんで? 通れば良いのに」
「関税が大変な事になってる」
「関税は竜より弱い。倒せるよ」
「領主が変わったんだよ」
「領主なんて竜より弱い。倒せるよ」
「とにかく迂回するしかない。ルートを教えてもらった」
「迂回なんかしなくても、あたしが倒すよ」
「ちょっと待ってくれ。俺も状況の変化に焦ってるんだ」
「竜より弱いなら倒すよ」
「厄介な事になった。あぁ、厄介な事になった」
「あの兵士さん程度なら一撃だよ」
「………」
「竜より……」
「物事はパワーだけじゃ解決しないの!」
「力こそパワーだよ!」
「あぁ! これだから戦士は嫌なんだ! 俺だって苛立ってるんだから、その役に立たない提案は引っ込めてくれよ!」
アルコさんがぴしりと馬の尻を軽く叩くと、馬車は方向転換を始める。がたごとと来た道を戻りながら揺れる馬車の上で、番兵が見えなくなった頃にアルコさんは、ため息を大きくひとつ吐き出して、それから何が起きたのか話し始めた。
「跡継ぎがバカだったんだよ。だから女はダメなんだ」
アルコさんが語った事態は、要約するとこうである。
何でも、今まではメシオー領主という男性が領主を務めており、関税も決して高額ではなかったそうだ。
メシオー領主にはネーテという一人娘がおり、女性ではあるが次代の領主には彼女をと決めていたという。
そのネーテなのだが、メシオー領主は一通り領主としての仕事を学ばせた後、一年間の約束でネーテに領主としての権限を譲ったそうである。何でも、自分がまだ元気な内に一度領主を経験させておきたいのだとか。
一年の中で領主として問題なければ来年も続けてやり、もしこの一年が領主としてふさわしくなかったらメシオー領主が来年からは軌道修正する。
言ってみればお試し領主という事だろう。
「やり方も考え方も悪くねぇよ。実際、どこぞの領地じゃ領主がアホのボンボンに変わった瞬間に数年で滅んだって話もある。いずれ領主にするなら、そう悪い事じゃねぇ。だが、ちょいとのんきに考えすぎたんだよ」
アルコさんはため息を吐き出した。
どうやらネーテ嬢の領主としての才覚はまるでダメだったらしい。領主になって最初にやった事が全ての税金を大幅に引き上げる事。特に外から来る人間へかける通行税やその他諸々は、払うくらいなら商品を食糧にして次の町に行くとアルコさんが言う程の金額になってしまった。
その結果として、領内における外部からの物流は壊滅的なダメージを受け、どころか領地の外からはもう人が来なくなってしまった。
番兵に訊いた所、領内では商売をするだけで次々と関税をかけられ、商人はまず黒字で領地を出る事ができないのだとか。
この状況に対し、メシオー前領主は沈黙。失敗もまた経験になるとして、一年は絶対に助言の類はしないと決めているらしい。ネーテ嬢は今も新しく関税をかけるものを探しているとか。
「失敗してからじゃ遅いんだよ。住んでる奴には死活問題だ。つーか、こんな事してたら死ぬ」
番兵もネーテ嬢に雇われている形ではあるが、引き上げられた税金によって生活が立ち行かないのも事実。
正規の道を通す事はできないが、通ろうとする旅商人にはこっそりと関税のかからない裏道を教えているそうだ。
どうやらあちらこちらで、そうした領民による暗黙の了解で外部から人間が領内に入っているらしい。もう街の中で物を買うには税金がかかりすぎて買えないのだ。物資に関しては外から来る旅商人に頼るしかないのが実情だと言う。
がたがた、ごとごとと馬車は揺れる。
教えてもらった道は非常にわかりづらい分かれ道の先にあり、道は明らかにまともな舗装をされていない。馬車が通るのもぎりぎりで、まさに裏道というのにふさわしかった。
「じゃあアルコは稼ぎ時? 何を売ってもみんな買ってくれる」
ここまで黙って話を聞いていたざらめさんが、そう質問した。今度は力技でねじ伏せるプランを持ち出さない。これだから戦士は、などと言われたのが響いているのだろうか。
表情に変化がないのでわからない。
「稼ぎ時……だとありがたいけどね。需要と供給は成り立ってるが、いかんせん領民には元となる金がないんじゃないかと思ってるよ」
確かに、と私は納得する。
旅商人が歓迎されて物資の補給が成り立っているとしても、それでは領民の財布から貨幣が出ていくばかりである。商人は物価が高騰した領内でわざわざ仕入れる事もないだろうし、税金も物価も高いともなれば長居もしないだろう。
ともすれば、領民は貨幣を手に入れる事ができない。物々交換くらいならできるだろうが、アルコさんの口ぶりからして、アルコさんが求めているのは貨幣の方だ。
「かわいそうだから安く売ってやりたい気持ちもあるが、そこまでしてやる義理も理由もない」
「どうしたら全部解決?」
「そりゃあね、ざらめちゃん。簡単な話だ。今すぐクーダッケ邸の金庫に集めた金を領民にばらまけば良い。そして税を元に戻す。それで元通りだ」
「なんでしないの?」
「さぁね。機会があったらネーテ嬢に訊いてみたら良い」
半ば投げやりな感じでアルコさんはざらめさんに言った。
「まぁ、俺はともかく、二人にとっちゃ対岸の火事か。クーダッケ領は単なる通り道ってだけなんだろ? せいぜい火事場見物でも楽しむと良いや」
とんでもなく人でなしな言い方だが、その通りと言えばその通りではある。確かに通り抜けるだけ。
もちろん、火事場見物なんて不謹慎な事を私は考えてなどいなかったが。
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