part 4
「シオンちゃん、トンカツって……なに?」
「本当はお米があればカツ丼にできたんですけどね」
「焼くでも煮るでもない……。料理ってこういうのなんだ」
「いや、ざらめちゃんよ、これは俺の知ってる料理ともだいぶ違うぞ」
二人の様子を見つつ、私は私で、私の分のトンカツにフォークを突き刺した。
刺さった箇所からは、じゅうぅっと肉汁が流れ、ささくれだった衣の間を流れて皿に溜まる。
「冷めるとあんまりなので、温かい内にどうぞ」
恐る恐る、といった様子でフォークをトンカツに刺す二人。その二人を尻目に、味見がてら私もフォークで一切れ突き刺す。ゆっくりと、持ち上げた。
口元にやってきたトンカツは油で揚がったその香りで鼻孔を突く。香りだけで高カロリーなタンパク質である事がよくわかる。が、その遠慮のない、暴力的なまでに食欲を誘う香りは、空腹の人間を惹きつけるのだ。
口に入れる瞬間には、茶色一色の外側と違う、肉の白さと赤さが鮮やかに映える断面が見えた。
そして、私は歯を立てる。
最初に感じたのは、ザクザクとした衣を砕きながら肉に到達する食感。次に、肉と衣の間の空気が内包する熱さ。歯茎と舌に熱さが襲いかかるが、不思議と耐えられない熱さではない。どころか、それすらも心地良い。
「ほふ」
口に空気を取り入れ、熱気を緩和させる。そうして、ようやく咀嚼の続きへと移れば、その肉の弾力を楽しむ事ができる。
ほんの僅かにだけ歯を押し戻そうとする弾力が初めにあり、中心はまるで肉に芯でもあるかのような弾力に変化する。そしてそれをプチンと断ち切るように噛めば、ほろほろと口の中で肉が崩れ、何とも言えない柔らかな感触へと変化する。
舌に強く感じるのは、猪の肉の味というよりも、脂の持つ甘さそのものである。油で揚げる事で濃縮され、溶け、脂と混じり合った肉汁が口いっぱいに溢れだしているのだ。
そしてその甘さと柔らかさを、しっかりとした歯ごたえの淡白な肉質が際立てている。
それらをいつまでも噛みしめたい願望を押し殺しつつ、ごくりと飲み下せば、最後には口の中にねっとりと、肉の旨みと脂の甘さがほんのり残る。
「あぁ」
柔らかく、脂質の多いロースを、おそらくこの近辺で作られたのだろう植物性のあっさりした油がふわりと包み込み、ザクザクとした食感がそれを引き締める。
これが、ローストンカツ。
口の中に残った脂を流すためには、細かく千切りにした玉菜を食べる。しゃきしゃきとしていて、しかし衣のように固くはない歯ごたえがトンカツとは違う食感をくれるのだ。
野菜特有の甘みはあるが、トンカツのような肉の甘さではなく、もっと控えめな甘さ。それが口の中に残る脂を絡めとって、一口二口食べれば次のトンカツを食べるための準備が整う。
「うん。おいしい」
私は次に、テーブルに置いた黒いソースを手に取る。
それを二切れ目に少しだけ、かけすぎないよう慎重に、とろとろと乗せるようにかけた。
一切れ目と同じように口に入れれば、今度は別の味に変貌する。甘く、辛く、酸っぱく、もはや単なる刺激とすら受け取れるような強烈な味の激流。
量を間違えれば肉の風味を根こそぎ奪ってしまうような危険なソースだが、分量を間違えなければこれほど豚カツに合う味覚はない。
ぴりりと舌に乗る刺激は、濃厚な味を口腔内に満たし、肉と脂と混じり合う。そしてどことなく果実を思わせるような香りが鼻腔を抜ける。
味の激流は肉の甘さを別の物へ、しかしその甘味を更に強めて、口の中で跳ね回る。
飲み込む事すら惜しい先ほどの状態とは違い、早く次の一切れを、という思いのあまり味わう間もそうなく飲み込んでしまう。このソースが共にあってこそ、豚カツは真の完成を見るのだ。
「どうです? 私なりに今回、おいしくできたと思うんですけど」
二切れ食べてから、フォークを一度置いた私は二人の反応をうかがった。
「これは……これは、何ていうか、そうまるで……」
アルコさんがまず、口を開いた。ざらめさんは一瞬だけ考えるような顔をしていたのだが、黙々と咀嚼を続けている。
「金塊だ」
フォークをかちりと皿に置くと、アルコさんはそんな事を言った。
「これは、見た目もそうだが、価値的には金塊を食ってると言って良い……。これが、猪の肉だ? しかも食用でもねぇ、あのバケモノの、乙琴乃主の? 作ってる様子を見てない奴は誰も信じねぇぞ。あぁそうだとも。あぁ……うめぇ」
目を見開いて、ぽつぽつとそう言うアルコさん。私も初めて食べた時はえらく驚いたものである。
「おぉシオンちゃん……! 俺と一緒に街でこいつを売らないか? 表でくたばってる乙琴乃主の肉を運んだら、そのまま肉屋に売ろうと思ってたんだが……。それよりもあんたと組んで売った方が断然儲けになりそうだ!」
わなわなと震えを抑えられない様子でアルコさんは言う。
「上がった利益から、肉として売った時の差額を引いた分の半分をやる。それでどうだ?何も悪い話じゃないだろ?」
食事の時間でも儲け話があればすぐに食いつく。無粋な、と思わないでもないが、この人は商人だ。仕方のない事かも知れない。
受けるかどうか少し私は考えてみるが、一人で作るには限度がある。一日でどれくらい売るのかにもよるが、この様子では大量に必要としそうだ。
他の人を雇って数人で作るにしても、何だかんだトンカツをおいしく作るには揚げ加減を見極めねばならない。
何より、このソースはあまり大量には用意できないのだ。路銀は欲しいが、現実的に考えれば無理だ。
「作り置きはあんまりおいしくないですし、揚げ加減が難しいので私一人で作らなきゃなりません。ソースも個人で食べる分にはありますけど、売るほどの量はありません……・。残念ですが、お断りします」
「ぐっ……。そうか……」
悔しそうに頷くと、まだ諦めてはいないような表情で次の一切れにフォークを突き刺すアルコさん。
じゃくじゃくと咀嚼しながら、実においしそうに微笑んでくれるのは嬉しいのだが、どうせなら食べる時くらい商売の事は考えずに味わって欲しいものである。
と、そこで今回料理をリクエストしてくれたざらめさんに目をやる。
「………」
「えぇっ!」
思わず私は、驚いて声を上げてしまった。ざらめさんは、そのとろっとした垂れ目から、大量の涙を溢れさせていたのだ。
頬をつうっと伝ってテーブルに落ちた涙の水滴は、既に一つではない。眉一つ動かさずにざらめさんは泣いていた。もう食べ終わって、名残惜しそうにフォークを握ったまま、静かに泣いていたのだ。
「……ざらめさん? 大丈夫ですか?」
「……これが」
話しかけると、口を開いた。
「これが、おいしい、なんだね……」
「はい?」
「うぐぅ……もっと食べたい……」
涙を拭う事もせず、ざらめさんは絞り出すように、そんな事を言った。
思えば巨大猪を相手に立ち向かった時も、私と初めて会った時も、そして今も、気だるい表情から何一つ変化がない気がするが、そういう人なのだろうか。
「おかわりなら作りますよ?」
「うん……お願い……」
気だるい表情のまま幾筋も涙を流し続ける人、というのはなかなか見る事のない珍しいものだからだろうか。私は驚きを隠せないままに、まだ油の注がれた鍋に向かった。
「ところで、この黒いどろっとしたソース。見た目が良くねぇな……」
私は鍋を再加熱しながら返す。
「あれ? まだかけてないんですか? ほんの少しだけかけると、おいしいですよ」
「見た目は食欲をそそらないが……。この黄金の肉を作ったシオンちゃんが言うなら仕方ない。ひとつ食べてみようじゃないか」
何やら苦虫でも噛み潰したような、渋い顔をアルコさんは浮かべている。そして意を決したように、小指に乗るほどの少量を恐る恐るたらし、えいやと目を閉じてがぶり噛みついた。直後。
「おぉ? おお、おぉ!」
押し寄せる味の奔流に感嘆の声が上がる。思わず拳をぐっと握り、にやりとほくそ笑んだ。
出した物をおいしく食べてもらえる、この瞬間があるから料理を作れるのだ。
「ねぇ、これって何味? 甘くて、辛い? 何だろう」
「あぁそうだ。シオンちゃん、これは何だ?」
どうだ、と胸を張って私は答える。
「ウスターソースです」
「聞いた事がないな……。自分で開発したってのかい? 大したもんだな……。このソース、見た目は良くないが、売り方次第で大金が入ってくるチャンスに化ける。作り方を聞いて良いかい?」
「仕方ありませんねぇ。すぐお金儲けなんですから」
私はもう鼻高々である。だから良い気になって、言わなくて良い事を言ってしまう。
「これは怪物調理全集、植物怪魔の章の第九項です。大喰花の蜜を濾して煮詰めて作っています。ウスターソースの濃さはこの煮詰める段階で調節できるので、三段階くらいの濃さに分けて常備しているのです」
今回出した物は最も濃い種類である。
「大喰花……? あの危険指定の、たまに山奥で見かけるアレか? あの、ぐねぐね動いてる、赤くて不気味な花。冗談だろ? あんなもんの蜜を食ったなんて、そんな事……」
「大喰花は肉以外の近くにある物を何でも食べます。果物や野菜を食べて、それを体内で発酵、熟成させているんです。あとはその蜜を砂糖や塩で調節しつつ、じっくりと……」
「待て待て待て! 本気でアレからとったのかよ!」
ぎゃあ! と一声叫ぶと、アルコさんは突然テーブルの上にある物が襲いかかってくるかのような体勢をとり、気分でも悪そうに胸元を押さえている。
コショウの変わりに破裂蔓の実を使った事まで言わなくて正解だった。
「そういう変な調味料ってどこで採ってくるの? 他にもあるの?」
今しがたの会話に動じる事もなく、ざらめさんが私に問う。
「そこら辺で採ってくるに決まってるじゃないですか。他にはそうですねぇ……。あ、さっき採れたばかりですけど、大鷲蜂の蜂蜜と蜜蝋がありますよ。巣を直接切り取ったので、まだ精製前で食べられませんけど、大鷲蜂の蜂蜜というのは……」
「え、マジで」
「はい?」
「マジで?」
「何がです?」
「あんた、大鷲蜂の巣を切り取りに行ったの?」
「えぇ。ナイフでもってして、こう、いくらか必要な分を。なかなか手に入りませんし、珍しかったので」
「襲われてんじゃん」
「あぁ、あの時は蜂蜜を持ってると襲われる、なんて知らなかったんですよ」
「マジか。そこじゃないぞ」
「はい?」
「マジか」
ざらめさんはその後、ソースをかけたりかけなかったり、合わせて三皿もの豚カツをたいらげ、アルコさんはソースをかけない豚カツをざらめさんと同じだけ食べた。
私は自分の料理が村の外でも通じた事に、怪物料理がおいしいと認められた事に、そのあまりの嬉しさに顔が熱くなるのを感じたのだった。
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