part 3


「いやぁはっはっは! こいつぁ助かった! ありがてぇなんてモンじゃあないな。ここはひとつ、神様に祈らせてもらうよ。素晴らしい出会いに感謝!」


 血を流して昇天した巨大猪をざらめさんと二人で確認していると、商人の男性が威勢よく笑いながらこちらへ歩いてきた。


「あんた、その斧。俺はそいつを知ってるよ。でもどこで手に入れたか、なんて野暮な事は聞かないさ。何通りか想像はできる。それよりも、その斧が使える事に驚いた! そりゃあその斧なら乙琴乃主だって叩き潰せるわな!」


 さっきまでざらめさんを見捨てて逃げようとしていたとは到底思えない笑みで、男性は足元の花をざくざく踏んで、私たちの元へ。


今までどこに行っていたのだろうという私の疑問をよそに、馬車の馬をなだめている。馬は先ほどの轟音爆音ですっかり脅えきってしまっているのだ。


「あぁそうそう、この猪の名前って乙琴乃主だ。そういう名前だ。覚えづらいよね」


 のんきそうに、朗らかな笑みを見せるざらめさん。


「しかし何だ、その斧は使い方を知ってなきゃあ使えないとは聞いていたけど、そんな風に使うのか。なるほどねぇ……。乙琴乃主が一撃とはまた……。さすが王族の対竜……」

「あ、そうそう。そう言えば」


 男性が何か言いかける前に、ざらめさんは首だけでぐるんと私の方を見た。


「実はね、お願いがあるんだよ。まぁ、その何て言うか、猪を殺した料金みたいに思ってくれれば良いんだけど、それでも足りないならここからの道中の護衛もしてあげるからさ」

「……はい?」


 ざらめさんは、鞄から斧についた血を拭くための布を取り出しながら、そう言った。


「確かね、この辺りにあたし、何回か来た事があるんだけど、この辺りってほら、山小屋があるんだよね。なんかこう……名前書いたお肉がいっぱい吊るしてある所」

「あぁ、村のみんなが共同で使ってる燻製小屋ですね」

「そこでさ、いっちょコイツを料理しておくれよ」

「コイツって……この大きな猪をですか?」

「そう。だって、料理人なんでしょ?」


 ざらめさんはそれだけ言うと、商人の男性と一緒に私の目の前で、巨大猪を解体し始めた。


そして、二時間後。私は燻製小屋に隣接された休憩用の小屋で、今まで背負ってきた鍋を火にかけていたのだった。


「猪か……。うーん……いくら何でも猪の肉が単体であるだけじゃ大した事はできないな……」


 私はまな板の上にどかんと置かれた猪肉を眺めた。


先ほど解体する時、商人は自らをアルコと名乗ると、慣れた手つきで猪を血抜きし、間接を折り皮を剥いで解体していった。ざらめさんも慣れているようで、二人の作業は見る見る内に進み、半日もあれば全て解体し終えるのではないかと私は感じた。

が、二人は猪の脂が乗った背中の肉だけ取り出して解体を終えてしまった。いわく、運びきれない量を持ち運ぶより、今日中に次の村に辿り着いて人を雇って運んだ方が効率が良いとの事だ。


確かに、これだけの肉の塊は馬車にも乗り切らない。運搬の代金も猪の肉を直接支払いという事で渡せば、現金の持ち合わせがなくとも運ぶ事ができる。


残ったわずかな肉を儲けとしても、そもそもにしてざらめさんが斧の一撃で仕留めてしまったのだから仕入値はゼロだ。


そしてそこに発生する利益を、商人アルコに渡す、という事でざらめさんと私でまとまった。その見返りとして次の村まで乗せてもらう馬車の賃金を無料にしてもらうのだ。


何だかざらめさんの活躍に誰もが乗っかるような形に見えなくもないが、当のざらめさん本人が私の料理を食べる事を条件に全て飲むというのだから、私としては言う事もない。


しかしそうなると、ここはひとつ気合いの入った料理を振る舞わなくてならないだろう。


「肩から背中にかけてのお肉か……。それだと確か豚系の獣魔の調理方法で……」


 休憩用の山小屋には、火をかける石造りの炉と、ちょっとした作業台。そしてそこに立つと、丁度その背後に置くようにテーブルと数脚の椅子があった。


ざらめさんは勝手に置いてあった皿などの食器を手に取ると、テーブルに置いて食事の準備。アルコさんは私に調味料などの要りようがあれば都合すると、商人らしく言ってから椅子に座った。


私はとりあえず火を起こすと、背中だけとは言え結構な量がある猪肉をまな板に乗せたのだった。


「……じゃあ、アルコさん。野草……そうですね、玉菜を下さい」


 何でも、食料品を中心に扱っているとか言っていたので、持っているだろう。なければないで良いが、あった方が良い。


「玉菜……? あぁ、キャベイジの事か。あるよ。一つで良いかい?」

「あと、食用の油も下さい。割りと多めに欲しいです」

「油……? まぁ良いけど、何に使うんだ?」

「それと卵ですね。何個か下さい」

「卵ぉ? おい、ざらめとかいう姉ちゃん、この子……えっと、何て言ったっけ」

「シオンです」

「あぁシオンちゃんって言うのか。よろしくな。それでシオンちゃん、油やら卵やらなかなか注文が多いみたいだけど、料理に使うのかよ? ただ猪の肉を料理するだけで?」


 何やらアルコさんは私を疑うような目で見ている。ざらめさんはぼぅっと部屋の隅を眺めているが、耳だけはこちらの話を聞いているような素振りだ。


「使いますよ。本当はコショウがあれば良いって本にはあったんですが、本物は贅沢なので自重します」

「コショウって! おいおい、こんな山の中で何を作るつもりなんだっていう……。そもそも、卵も油もタダじゃないんだ。払えるのか?」


 私の隣に立つと、計算器で勘定を始めるアルコさん。当然払えるほどの余裕など私にはない。しかし、私はあくまで何でもない風を装いながら言う。


「では、アルコさんはその命を助けてもらった見返りに、一体いくら払ってくれるんですか?」

「……あぁ?」

「ざらめさんは当然あなたに見返りを請求する権利があると思います。だって商人アルコの積荷は、本当なら全てなくなっていたんです」

「おいおい、そんな事言うなら、そもそも俺は……」

「頼んでなんかいない、とは言わせませんよ。今からざらめさんの気が変われば、あの斧で馬車の積荷を強奪する事もできるんです。そしてそのざらめさんは今、私の料理が食べたい。でも私は、材料がないと料理ができない。加えて言うなら、アルコさんはその材料を持っている」


 こんなの、半分以上がハッタリの脅しだ。ただ言ってみただけ、に近い。本気で商人をやってきたアルコさんがこんな口車に乗る可能性は低い。

しかし、言ってみるだけならタダだ。

などと、そんなつもりで言ったのだが、その効果は大きく出たらしい。主に、ざらめさんに。


「はん。なるほどね。しかしその話はちょいとばかり……」


 何事か反論しようとしたアルコさんだったが、次のざらめさんの行動で押し黙ってしまったのだ。


「あたし、お料理とか詳しくないけど要るならとるよ」


 そして先ほど、あの巨大な猪を一撃必殺で仕留めた斧をおもむろに取り出したのだ。


「くれるならアルコも一緒に食べようよ。わける。でもくれないなら、とる」


 のんびりとろんとした目と表情で言ったのだが、アルコさんには冗談に聞こえなかったらしい。いや、私にも冗談には聞こえなかったが。何となく、本当に何となくだが、ざらめさんは本当にその斧を振り回しかねないと私は直感してしまったのだ。


おそらくアルコさんも同じ理由だろう。世界の常識と少しズレた所にいるような印象をざらめさんからは受けてしまうのだ。


というか、女の一人旅を今まで続けてきたということは、それなりに荒事にも慣れているのだろう。少なくとも商人のアルコさんよりは強靭な肉体を持っているはずだ。猪を真っ二つに裂いた斧もある。


「おっと……。どうしたもんかね、こりゃ」


 やれやれ、と首を振ると、アルコさんはおもむろに外に出ると、馬車の積荷から卵や油、玉菜と取り出して私の立つ作業台に並べた。


「命に値段はつけられん、とは言うがよ。それを値切ろうとするなんて粋じゃあないよな」


 などと言っているが、単にざらめさんに恐れをなしただけだろう。


「よほど美味いもんを作れるんだろーなぁ? ちゃっちゃと頼むぞシオンちゃん」


 捨て台詞のようにアルコさんは言うと、椅子にどかりと座った。私は腰に吊っていた包丁を取り出すと、猪肉と向き合った。


「では、おいしい怪物料理を始めます」


 怪物調理全集、獣魔の章、第十一項目。


私は内容を思い出す。確認の必要などない。それ程に複雑な手順ではないし、何よりあの本の内容は全て私の料理のレパートリーとして記憶してある。


 まず猪肉の余計な脂をざっくり切り落とし、薄くスライス。次いで、包丁で切れ目を入れる。


家から持ってきた調味料の中から、塩と破裂蔓の実を細かく砕いた粉を取り出し、切込みに擦り込んでいく。


破裂蔓とはその名の通り、振動を受けると破裂する実をつける植物である。食用ではなく危険植物と分類されてはいるが、その実の種はコショウに代用できるのだ。


言うと食べてくれない可能性があるので黙っておくが。


「あと、小麦粉も下さい」

「あーはいはい。もうこうなったら何でもござれ」


 半ば諦めたような顔で、アルコさんは馬車から小麦粉を引っ張り出した。私はそれを別に用意した皿に入れると、山小屋にあったお椀に卵を割り入れる。そしてかき混ぜ、とろりとした卵液を作った。


「あ、ねぇねぇアルコ」

「何だいざらめちゃん」


 私の背後で、二人が何やら会話を始めたのが耳に入ったが、私は気にせず作業を続ける。


「あたしさぁ、料理って食べた事ないんだよね」

「……は?」

「いやだからさ、何かこう……街とか着いても、お店とかで特に食べた事ないんだよね」

「なに? ざらめちゃんってそんなに強いのに貧乏なの?」

「そうじゃないけど、わざわざお金出して食べようと思った事がないんだ。だからシオンが料理人だって聞いて、すごい楽しみ。あたしが何をしても、お肉はお肉だし、きのこはきのこだよ。焼いても煮ても、肉は肉味、きのこはきのこ味だよ。ちゃんとした料理はきっと、すごくおいしい。超、楽しみ」

「いや……でも多分、俺も肉は肉味だと思うぞ。肉が野菜味になったら変だろ……。料理ってそこまで万能じゃないから期待しすぎるなよ」


 切った猪肉に、小麦粉をまんべんなく纏わせる。そして用意した卵液の中に浸す。最後に、卵液に濡れた猪肉をパンくずの粉に沈めた。

このパンくずは私が家から持ってきたものだ。


「料理って食べ物をおいしくする技術じゃないの?」

「そうでもあるが、今回は山小屋だしな。生の猪肉を食えるようにするっていう事が……っていうか、ちょい待って待って、なにそれ?」


 唐突に、アルコさんは私に声をかけた。


「なに、それ? 肉も卵も台無しじゃん! 全部混ぜれば良いってもんじゃないよ。シオンちゃん、本当に料理人? あとその粗い粉は?」

「これはパン粉です。言ってみれば乾燥したパンくずですね」

「……せめてまともに食べられる物にしてくれよ……」


 呆れた表情のアルコさんはさておき、私は鍋に油を注ぐ。すると、今度は私の隣まで来て文句を言い始めた。


「あのなぁ……。食用にできる油も安くないんだよ。わかってんのか? それをまぁこんな風に……。鍋なんか出すからスープでも作ってくれるのかと思ったら、どういう事だ? 悪いけど、俺ぁ油なんか飲めねぇぞ?」


 ぷい、とそっぽを向いてやって、私は猪肉をその油の中に次々と放り込んでやった。何てことを! というのはアルコさんの悲鳴。


熱された油の中に投入された猪肉は、勢いよくじゅわじゅわと破裂音とも似つかない爆ぜる音を断続的に響かせ、やかましく小屋の中を音で満たした。時折跳ねる油を怖がったアルコさんが椅子に戻ったのは助かるが、この油の見極めが大切である。


泡と呼ぶにはあまりに強烈に、ぶくぶくと空気と水分を油の中で放出する猪肉を見つめ、その姿がカリカリと黄色く、茶色く変化するのを見定めて、そうして最も良いタイミングで取り出す。後はアルコさんのくれた玉菜を薄く細長く切ったものを、ざらめさんから受け取った皿に乗せた。


私の分も含めて三皿、完成品が並んだ。


「さて。完成しましたよ」


 出来上がった料理を、私は意気揚々と二人の待つテーブルに乗せていく。


ざらめさんは小首を傾げ、これは何だろうという表情。どうも初めて見たらしい。私もこの料理を知るまでは見た事がなかった。アルコさんの方は、あからさまに疑わしそうな目で皿を見つめる。


皿には、カラリときつね色に揚げられたパン粉を纏う猪肉。


平べったくスライスされたその猪肉は、食べやすいように縦に切って小分けする事で、細長い一口サイズになる。


皿の端には細かく切った玉菜。瑞々しく、その薄緑色は目にも爽やかだ。


「……完成しましたよって……。これはなに?」

「うん。これ、何て言う料理?」


 二人が言うので、私は胸を張って答えた。


「猪の肉を使ったローストンカツと、千切りキャベイジです」


 そして私は、これまた家から持ってきた調味料を鞄から取り出す。


「お好みでこのソースをかけてどうぞ」


 黒く、どろりとしたソースの入った小瓶をテーブルの中心に置いた。

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